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2012年7月21日

自分は「心配性」というより 「心配症」

お客さんで一年間、コミュニケーション、見える化、問題発見・解決・・・といったテーマで社員教育をしてきました。
あと2か月となり、最後のテーマに選んだのが「業務フロー」です。

コミュニケーションが円滑になり、ディスカッションもできるようになっているので、「業務フロー」の演習もすんなりこなしてくれて嬉しいです。
次回は一年間の最終回で自社の業務フローをつくります。

一年間という話しで始まった社員研修も次回で無事に終了になりますが、今度は「営業力強化」のテーマで引き続き一年間の研修&コンサル依頼を頂きました。
感謝です。

話しは、まったく変りますが...

自分って「心配性」というより「心配症」なのだと思います。
普通に使われている「心配性」よりも重症な状態です。

何かあるとすぐに「心配」をしています。
「心配事」がないと、自分で「心配事」を探して「心配」している気がします。

自分って「心配」なことがあるとき、本気でその解決にむかって考えているのかなって思う時があります。

「困った、困った」と「心配」はしているのですが、その解決に使うべき頭は「心配毎」に埋め尽くされていて、本気で考える余裕がないのではないかと思う時があります。

それが不思議になかことに、本当に切羽詰まった時は、「火事場のクソ力」がでて、考えることに集中できます。

ならば、切羽詰まるまでは、「心配」しなくてもいいのに、何故か「心配」している。
「心配」していない状態が不安な「心配症」という病気なのでしょうね。

自分って更に「完璧中毒症」でもあります。
こちらも「完璧主義者」というより、自分の思う完璧でない状態に耐えられない病的な感じです。

「心配症」に「完璧中毒症」という、自分を見つめたことで、見つかった自分です。
自分を見つめれば見つめる程、見えてくる「面倒くさい自分」...

こんな自分なら見えない方がよかった...、とは思いません。
自分の弱いところが見えれば、何らかの対策が打てる可能性があるからです。

現に「心配症」、「完璧中毒症」の両方とも、自分で理解したところ、少しずつ鈍感になっている(治りつつある)気がします。