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2013年1月31日

自分のできる範囲で試練を超えればいい

先日「人の心は悩みやすくできている」と話している方が見えました。
それは、人にもよると思いますが、自分にはとても当てはまる言葉でした。

普通は、人は敢えて嫌なことや不安なことは考えたくないと思います。
でも、考えたくないと思えば思うほど、いろいろ連想したり、想像したりして頭の中によくない状況が浮かんできてしまう時があります。
これは、強迫観念というもので、少なからず人は持っているものだそうです。

些細なことに自分はこだわりすぎるって悩んでいる人がいますが、悩む必要なんてないのです。
むしろ、強迫観念にとりつかれて、自分の行動を制限してしまったり、限界の妄想を作ったりのほうが心がつらくなります。

これも、いろんな方が言っていますが「人には越えられない試練はやってこない」と考えています。
言葉を換えれば「人は自分のできる範囲で試練を超えていけばいい」と思います。

嫌なこと、不安なことからは決して逃げられません。
私の経験では、嫌なこと、不安なことから逃げると、嫌なこと、不安なことは倍になって返ってきます。
ならば「自分のできる範囲で試練を超えていけばいい」のです。

少しずつでも、自分のできる範囲で試練を超えていけば、そしてそれを継続していけば、やがて自分では思いもしないような大きな試練も乗り越えれると思います。

2013年1月30日

人の言葉は鵜呑みにせず、自分で考える

人の言うことを鵜呑みにして、それで安心してしまうと、それは「見せかけの安心」「落ち着かない安心」だと思います。

人は相手のことを想って声をかけてくれます。
でも、相手のこと、特に相手がおかれたその場の状況や、その時の考え、行動を全てわかって声をかけているわけではありません。
もちろん自分自身だって、自分の事なんてわからないことだらけですが、少なくともその時の自分の考えはあるはずです。

人がかけてくれた言葉は「自分の考えを検証するきっかけ」だと思います。
人の言葉によって「自分の考えは大丈夫か?」「自分の周囲は大丈夫か?」っていう疑問をもつ「きっかけ」になるのです。

これって、とても大きな意味があります。
日常が忙しくて、普通は自分の「考え」や「周囲」にどんな危険が迫っているか、ついつい考える機会を逸してしまうことがあります。
でも、人のかけてくれた声によって、自分に迫っている危機を考えられて、場合によってはそれを回避できるかもしれないのです。

一方で、人の言うことを鵜呑みにするのは楽です。
でも、それは「自分で考えることの放棄」だと思います。
自分で考えずに他人の言葉を鵜呑みにして、トラブルに巻き込まれた場合、自分ではどうしようもできない状況になってしまいます。
それは、自分自身で十分考えていないからです。

人の言葉は宝物です。
その宝物をどう使って、自分に役立てるのかは、やっぱり自分で考えないといけないと思います。

2013年1月29日

「自分勝手」と「自分らしさ」の違い

「自分勝手」と「自分らしさ」って、なんかよく似ているような、まったく違うような...
少なくとも、自分勝手ってマイナスのイメージがりますし、自分らしさってプラスのイメージがります。

辞書で調べると、自分勝手は「他人の事は考えず、自分の都合だけを考えること。また、そのさま。」だそうです。

一方の「自分らしさ」は辞書には言葉が掲載されておらず、ネットで調べても様々な意見があるようです。
その意見としてしっくりきたのは、「自分に正直に生きること。自分の価値観を考えて、その価値観を実現すること。」とありました。
さらに補足で「自分らしさを実現するには周囲との協調が必要」とありました。

ここで何となくわかったのですが、「自分勝手」と「自分らしさ」の最大の違いって、「周囲のことも考えられるかどうか」だと思いました。

周囲のことを考えず自分だけの幸せを追求しても、その先に幸福感は見つからない気がします。
よく、ブログに書いていますが、人は一人では決して幸せになれないのです。

自分が自分らしく幸せになるには、自分の想いを仲間に伝え、その仲間と一緒に幸せになって、幸福感を共有できたとき本当に幸せを感じられると信じています。

「自分らしさの追求」って難しすぎて、あまり手を出したい領域ではありません。
でも、「自分らしさの追求」が「自分の想いを仲間に伝え、その仲間と一緒に幸せになること」ならば、ちゃんと考えて実現に向かっていきたいですね。

2013年1月28日

気にすることなく、今をちゃんと生きる

明日からの「図解手法」研修のため、東京へ向かう途中で、Kindleで何気なくボーっと名言集みたいな本を読んでいたら、ある言葉が目にとまりました。
あ、念のために言っておきますが、Kindleは端末ではなく、Androidアプリです。

その言葉は、マザー・テレサさんがおっしゃったそうです。
本当は、もっと長い言葉だそうですが、その中の4つの言葉に、感銘を受けました。

「善い行ないをしても、おそらく次の日には忘れられるでしょう。気にすることなく、し続けなさい。」
「あなたの正直さと誠実さとが、あなたを傷つけるでしょう。気にすることなく正直で、誠実であり続けなさい。」
「あなたが作り上げたものが、壊されるでしょう。気にすることなく、作り続けなさい。」
「あなたの中の最良のものを、世に与えなさい。蹴り返されるかもしれません。でも、気にすることなく、最良のものを与え続けなさい。」

どの言葉も、「大変なこともあるけど、気にすることなく続けましょう」って言葉ですね。
「継続は力なり」って言葉がありますが、もっと具体的で、思い当たることの多い言葉です。

私もそうなのですが、努力がなかなか報われないと、心が折れそうになります。
「なんで上手くいかないのだろう」「なんで相手に届かないのだろう」「なんで自分の言いたいことが整理できないのだろう」こんなことばかり考えています。

努力といういうか試行錯誤が、後々必ず役に立つことは体験からわかっています。
ただ、それは役に立ったった時に振り返って気付くことが多いです。
渦中にいるときは、今の経験が将来の役に立つ自信なんてありません。
昨日のブログにも書きましたが「今を生きる」だけです。

マザー・テレサさんの言葉は、「今をちゃんと生きて、それを続けなさい」と言っていると思います。
今の経験が将来の役に立つかどうかなんて「気にすることなく、今を生きる」ことが大切と再認識しました。

2013年1月27日

「今」が将来に向けての起点

「今」抱えている問題に取り組まないで、過去を回想するような人、将来に無意味な期待をする人は、「今」という現実から目を背けっちゃていると感じます。

過去の結果が「今」であり、「今」があるから将来を創れるのです。
過去や将来のことを「今」考えてしまうから、悩んでしまう気がします。
つまり、行動を起こせるのは「今」に対してのみなのです。

「自分の将来を考えてその道筋が作れない人」「過去を他責の問題でかたずけてしまう人」は、自分で自分の無力さを感じて、疲れてしまいます。

人生の目標を達成することは至難の業です。
「反省」や「計画」というというものは絶対に必要です。
ただ、それも「今」のやるべきことを見失わないために行う行為だと思います。

自分自身の力でどうにかできる「今」がやっぱり大事です。
なんにしろ将来に向けて、「今」が起点であることは間違いないと思いまうのです。
だから過去を振り返ってモチベーションの下がるような出来事が頭から離れなくても、「今」から仕切り直しと考えればよいですね。

2013年1月26日

小さな事から、出来る事から片付ける

コンサルタントという職業柄かもしれませんが、私は、まずゴールに向かっての全体像を描いて、なるべく無駄を省いて効率的に進めようとします。
まずは、計画ありきという感じです。
この考えはとても大切で、揺るぎない優先事項だと思います。

ただ、現実的には「計画を立てたくても不確定要素が多すぎて、何から手を付けてよいやら...」という場面に遭遇することも多くあります。
そういうときにもやはり全体像を描く事はとても大切です。
でも、全く何も出来ずに、動けない状態になるのであれば、「動く事によって見えてくること」もあると思います。
そして、動いて見えてきてから、全体像を描けばいいのです。

セオリーやフレームワークにこだわりすぎて、一歩も動けない状態になる...
これはセオリーやフレームワークの知識を伝える事の多いコンサルタントも注意しないと行けないと思います。

まず小さな事から...、まず出来る事から...、少しでも動き出してみる事が、現実的で効果
考えているだけでは何も動かないです。
ひどいときは「考える」ことを動けない理由にしている場合に出会う事もあります。

世の中にはセオリーやフレームワークといった、仕事を効率的に進める方法が確かに存在します。
ただ、世の中はとても多様化し、複雑になりすぎて、過去の経験、知識であるセオリーやフレームワークが役に立たない場面にも多く遭遇します。
セオリーやフレームワークが役に立たない時は、やはり自分んで考えて、小さな事から...、まず出来る事から...片付けていく事もひとつの物事を進める術ですね。

2013年1月25日

大学発ベンチャービジネスプラン発表会!

名古屋都市産業振興社・名古屋市新事業支援センターの大学発ベンチャー発表会が吹上の中小企業振興会館で行われました。
プランの発表会は一つのゴールなのですが、本当の意味で大切なことは、ビジネスプランのブラッシュアップを支援させていただくことです。

私も当日2件のコーディネータを担当させていただきましたが、もっと大事なことは、この2件以外も含めて、多くのビジネスプランに触れさていただき、ブラッシュアップに関わらせていただいたことです。

自分は学生さんはもちろんのこと、大学発ベンチャーの企業さんも若い企業を担当さえていただきました。
その時に一番うれしいのは、関わらせていただいた若い皆さんとの交流です。

その交流によって、おこがましいですが人の成長に立ち会えたり、ブランがブラッシュアップされていく様子を感じられる時、とても幸せを感じます。
また、ビジネスプランが他方面で評価されたり、事業の成功につながったりしたときは、また格別です。
そして何より交流させていただくことで、元気をいただけました!

学生さんの場合は、就職される方が多いと思いますが、今回の経験は社会に出てから必ず役に立つと思います。
今の世の中は答えがない社会です。
自分で頭をひねって、自分で答えを見つけていかないといけません。
そんなことの連続ですので、今回、ビジネスプランを自分(達)の頭を捻って、創り上げたことは、必ず役に立つ日が来ます。

今回、ブラッシュアップに関わらせていただきたみなさん、事務局、他のマネージャの皆さんに感謝したいと思います。

マッチング会場の様子です。
愛知学院大のみなさんです。あれ?高羽さんがいない...

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株式会社量子情報のみなさんです。あれ? 早川さんがいる ^^/

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表彰式の様子で、まずは、学生のみなさんです。

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愛知学院大の野崎さん。

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中京大学の磯部さん

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大学発ベンチャー企業のみなさんです。

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株式会社量子情報の平田さん

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懇親会は、相変わらずビール瓶片手にいろいろと徘徊しておりました。
ご迷惑をかけたみなさん、ほんとすみません。

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※掲載写真で不備がある場合は削除しますので、ご連絡ください。

2013年1月24日

小さな事の継続で世の中は変わる

こんな私でも人から褒められることがあります。
それは「継続すること」です。

「継続するってひとつの才能だよね」って、かみさんに言われたりもします。
ただ、自分は頑張って「継続している」のではなく、「継続できている」ものはクセになっている感じです。

例えば、このブログですが、もう8年間毎日書いています。
でも、それを苦と思ったことは、ほとんどないです。
こちらは事情でやめてしまいましたが、4年間続いた自サイトでの「時事コラム」もあります。

別に毎日続ける必要はないと思います。
間隔も自分で決めればいいと思います。

ただ、難しいと思うのは、間隔を決めずに「継続する」ことです。

実は自サイトの「時事コラム」を止めてしまったのは、だんだん仕事がきつくなってきて、「毎週」という間隔を、「時間がとれたら」に変えたことが原因です。
自分は、生活にリズムがあるようで、その中に組み込めると、何の苦も無く「継続ができる」ようです。

実際にブログを継続し、特にFacebookと連携させるようになってから、世の中が少し変わった気がします。
ブログを読んでくれている人たちとのコミュニケーションがとてもしやすくなったと感じます。
自分の事に興味を持ってくださるのか、元来、私は自分の事を話すのが苦手なのですが、スムーズに自分を出せるようになってきました。

また、その効果か、私のブログを読んでいない人とも、コミュニケーションをとれるようになってきていると感じます。
些細なことかもしれませんが、私にとっては「大きな世の中の変化」です。

2013年1月23日

「人に認めてもらいたい」願望は疲れる

人には「人に認めてもらいたい」という願望がある気がします。

「人の役に立っている」という気持ちは、人を強くします。
ただ、その「人の役に立っている」かどうかの評価を、すべて人にゆだねてしまうと、とても疲れます。

自分だけでの絶対評価ができれば、それがもっとも良いと感じます。
しかし、自分だけで絶対評価ができるということは、自分自身の価値のものさしを自分でしっかり持っているということになります。
そんな強く成熟した人とはなかなか出会えません。

そんなことを言っている私も自分の評価が自分でできない人間です。
最近はそれでも減ってきましたが、生来のネガレィブさも手伝って、他人の顔色を伺うことが多いです。

この「他人の顔色を伺う」というのは曲者です。
なぜなら、自分としては相手にとって「役に立っている」ことをしているつもりでも、相手にとってはそうか感じられないことがあります。
価値観が完全に一致することなんてないと思いますので、当然のことだともいます。

もっと言えば、相手は「役に立っている」と感じたとしても、その人の体調や、別の心配事で、冷たい対応をとってしまうこともあります。
人間なのだから、そんな感情に左右されることも仕方がないと思います。

「人に認めてもらいたい」という願望は必ずあると思いますが、それを「相手の評価」や「相手の反応」にゆだねると、少し疲れるのではないかなぁ...って時々思います。

2013年1月22日

今いる場所がすべてじゃない

先日、入社間もない若い方から、「自分は組織に居場所がないのです」といった相談を受けました。
私は、そのようなときにまず話を聴いて、相手のこの言葉の真意がどこにあるかを考えます。

「自分は組織に居場所がないのです」という言葉の裏には実にいろんな意味が含まれていることがあります。
「会社をやめて転職したい」「会社をやめて独立したい」「会社にいる意義を見つけたい」「会社の中に居場所がほしい」...などなどです。

プラスの理由も、マイナスの理由もいろいろとあると思います。
できれば、自分の未来を見据えて、プラスの理由で「自分はどうしたいのか?」を考えるとよいと思います。

ここで考えるべきは「今いる場所がすべてじゃない」ないということです。
会社という狭い世界の中だけで生きていく術をを覚えても、それは世の中で見た時に役に立たないもも多いです。
むしろ、会社を飛び越えて、世の中で役立つスキル、技術、意識を身に着けた人が、巡って会社でも重宝されます。

相談された若い方は、とてつもない苦労をして企業に入りました。
そのために、その企業を飛び越えて、本当に自分ですべきことを考えられずにいました。
なんとか、企業・組織で生きていくためのテクニックを身に付けようとしていたのです。
それが「会社の中に自分役立てるにはどうすればいいですか?」といった質問が真意だったのです。

このような質問であれば、「会社であなたに求められていることを、もう一度考えてみること」という話をしました。
ただ、「会社という枠にとらわれず、いろいろな人脈を外部にも作り、自分を高めること」...これが、将来的には会社から求められる人材になれる一つの道だとともお伝えしました。

ちょっと怪訝そうな顔をされていました。
現状では、まだなかなか腹に落とすまではいけないかもしれませんね。

ちなみに、生き帰りの新幹線でビールを一心不乱に飲むことが、「会社という枠にとらわれず生きていくこと」ではありませんので、よろしく。

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2013年1月21日

松本でWebセミナー&東京前日移動

松本にITリーダー研究会のセミナーに行ってきました。
松本は、先週の大雪がまだ残っており、畑などは一面の銀世界でした。
しかも、天気がよく雪がまぶしい中、冷たい風がとても心地よかったです。

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松本でのITリーダー研究会もWebマーケティングの5回目になりました。
飲み会などを通じていろいろな人と話もでき、少しずつどのように進めるべきかも見えてきた気がします。
まだまだ、私の話す割合が圧倒的に多いので、それを少し変え、みんなで意見交換できる「場」になんとか持っていきたいものです。

次回の3月が一応の最終回で一年の区切りです。
まずはキチンと区切りをつけて、次のステップに進んで頂きたいです。

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松本の仕事が終わってから、初めて乗るスーパーあずさで東京に移動しました。

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明日は新宿で「レビュー技法」の研修です。

東京についたのは10時を過ぎていたので、あまり長い散歩はできませんでしたが、夜の新宿都庁周辺を少しうろちょろ歩きました。
いつも思うのですが、高層ビルが立ち並び、少し異様な感じがしますね。

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あと、大好きな「桂花」のおラーメンが食べられて、元気が出ました。

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まぁ、ただ、こういう出張の数が増えてくると、本当に一年が始まった気がします。
さ、頑張ろう!

2013年1月20日

「人間関係が豊か」って数の問題じゃない

友人の数が多いということは、もちろん素晴らしいことです。
ただ、人間関係で本当に大切なのは「数」ではなく「深さ」だと思います。

人は誰もが一日24時間しかありません。
その制約の中で、人間関係を深めていくには、それほど多くの人とは交流はできない気がしています。

もちろん、数回会っただけで、とても通じ合えれる人もいます。
私にも、そういう友人が何人もいます。

ただ、やっぱり通常は本当に分かり合うのに多くのコミュニケーションが必要と感じます。
自分を開示し、相手のことをよく考え、分かり合えたと感じられたときに人間関係の豊かさを感じます。

友達の数が少ないことは、恥かしいことではないと思います。
無理に友達の数を増やす必要もないと思います。

繰り返しですが「人間関係が豊か」というのは「数」ではなく「質(深さ)」です。
生きていくために本当にい必要なことは、少なくてもいいので、自分をわかってくれる人の存在だと思います。
ちょっと「えげつないいい方」ですが、自分が窮地に陥った時に、救いの手を差し伸べてくれる人の存在...ではないかと思います。

絶好調の人には、ほっといても人は集まってきますが、どん底になると人は去っていきます。
これは、自分が病気になった時に感じたことです。
そんなどん底の自分にも、しっかり救いの手を差し伸べてくれた人たちがいます。
そういう人と人間関係を深められたら、嬉しいですね。

2013年1月19日

「愚痴」を言うのはとても心を軽くする

「愚痴」を言うのは、とても心を軽くすると思います。
これは、いろんな本にも書いてありますし、自分の体験からも明らかです。
これまで、苦しい時に何度も信頼できる人に「愚痴」を聴いてもらい、心が楽になっています。

ただ、ここで忘れていけないのは「安心して愚痴を言える人がいるかどうか」です。
安心して「愚痴」を言える人がいないと、「愚痴」を言うと心が楽になることがわかっていても、それを実行することができません。

私が「うつ病」のとき、何度も信頼できる人に「愚痴」を聴いてもらい、活力を得て、治っていったと思っています。
「うつ病」が治ったのは、家族、友人、仲間など、「愚痴」を聴いてもらえる信頼できる人たちのおかげなのです。

安心して愚痴を言える人とは、「信頼」のできる人です。
「信頼」と一言で書きますが、これは一朝一夕で創りあげられるものではありません。
そのような人に対して、いつも自分の状況を話し、相手の状況も知っておくというコミュニケーションが大切だと思います。

最近では、ソーシャルメディアなどを通じて頻繁にやり取りができるようになりました。
ソーシャルメディアの中で信頼関係を醸成させていくというという形も、よくあることになってきたと思います。

ソーシャルメディアはいろいろな形で論じられていると思いますが、私は一つの「社会」だと思っています。
相手に対する配慮や気持ちの伝達を行なうことで、リアルの世界で行っているような信頼関係を築ける「場」になっていると感じます。

ソーシャルメディアを通じて「愚痴っぽい」ことをたくさん書いて、それに対してコメント、メッセージなどの反応を頂き、とても助けられています。
いつも「スミマセン」と「アリガトウ」の気持ちを伝えたくてこの記事を書きました。

2013年1月18日

厄除けお守りをいつも身に着けている理由

毎年、恒例になっているのですが伊勢神宮へご祈祷に行ってきました。
天気がよく、とてもよい気分転換にもなりました。

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仏像に似ているといわれるくせに、あんまり信心深くない自分が、仕事の合間をぬって毎年ご祈祷のお願いにいくのは理由があります。

自分はもう厄年は終わりましたが、その厄年に入る前に「うつ病」や「父親の死」を経験しました。
これ以上悪くなったら耐えられないと、文字通り「神にすがる」思いで、前厄の時に伊勢神宮でご祈祷してもらいました。

その時に「厄払いのお守り」を購入しました。
購入した際、どこに付けようか迷いましたが、いつも身に着けているということで携帯電話に付けてみました。

それから一年、前厄の年は悪いことはほとんどありませんでした。
そして、本厄なのでまた伊勢神宮に行ったのですが、「厄払いのお守り」を見てボロボロになっていることに気づきました。
まるで本来なら自分に降りかかる災難を、この「厄払いのお守り」が引き受けてくれたのかなっという思いが頭をよぎりました。
そして「厄払いのお守り」に心からありがとうって感謝しました。

それからは、毎年伊勢神宮に行き、ご祈祷してもらった後「厄払いのお守り」を購入してます。
そして常に携帯電話に付けています。
それは、まるで携帯ストラップのようです。

毎日、肌身離さずつけているからお守りがボロボロになったのだと思いますが、やっぱり災難を引き受けてくれてると思いたいですね。

ちまみに、「今年、お返ししたボロボロのお守り」と「今年、自分を守ってくれる新しいお守り」です。
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帰りには、おかげ横丁で、的矢牡蠣を頂きました。
セルガキとカキフライを頂きました。
とても、とても、と-っても美味しかったです。

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2013年1月17日

「原点回帰」そして「チャレンジ」という目標

同友会天白地区の一月例会でした。
今月のテーマは「1年の計画を語り合う~目標に向かってスタートを切る~」でした。
自分の計画や目標を語り合い発表することで、自分の覚悟の継続、仲間からの叱咤激励、フォローを一年間し続けていくことが目的です。

ゲストの方も多く参加いただき、とても良い例会でした。
伊藤グループ長、伊藤グループのみなさん、ありがとうございました。

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私の場合は、計画、目標というより、自分のすべきことを話させて頂きました。

今、自分の事業は、今年で九年目になります。
一応、「順調」にビジネスは伸びています。
それだけに危険も極まりないと感じています。

「順調は衰退の始まり」と言います。
つまり、順調な時ほど実は順調ではないということです。

「順調」という麻薬に神経が犯されており、一歩踏み出す勇気、チャレンジする気持ちを少し忘れかかっているのではないかと思います。
「なんとかできてしまっている」...これはとても危険な言葉だと思います。

自分にとって今、必要なことは、「原点回帰」そして「チャレンジ」です。
自分は独立した頃、仕事がなくて、がむしゃらに人にあったり、武器のベースとなる知識を勉強したりしていました。

しかし、最近はその気持ちが前より足りなくなっているかもしれないと感じています。
「原点回帰」し、初心を取り戻すことが、すなわち新しい第一歩を踏み出すチャレンジにつながると思います。

こんな当たり前のことですが、日常に忙殺されていると考えることもできません。
キチンと考えていることを整理して人前で発表する...とても意義のある事だと思います。

心残りは、個人的な用事と事情で三次会に参加できなかった事です。
今回はトコトン付き合えなくて残念&申し訳ないです。

2013年1月16日

苦しい、大変と思う体験は必要なもの

年が明けてからいろいろなことが同時多発的に起きていて「うわ!大変...」「うう、ちょい苦しい」って思うことがあります。
もともと、心配性でそれに対応する方法もいろいろと自分なりに工夫しているつもりですが、その上手をいっていろいろ起きている気がします。

こういう時は、弱気になって「なんで俺ばっかり」って、一番泥沼に入り込んでしまう考えになる時があります。

ただ、そんな弱気で卑屈な考えを改める言葉を、友人と先輩の二人からいただきました。
この2つの言葉は、違う言葉なのですが、まったく同じ意味だと思います。

ひとつは「その人に必要だから、その大変なこと(試練)が起きている」です。
例えば、今回は自分が悩んでいるのですが、その悩みは「自分の弱いところ」で「自分が克服しなければならないところ」ということです。
たとえ、今回は、悩みの出来事から逃げれたとしても、「自分の弱いところ」なので、また同じようなことで悩まされるのです。

自分がよく心に言い聞かせる言葉で「逃げると危険は倍になって追いかけてくる」っていうものがあります。
「その人に必要だから、その大変なこと(試練)が起きている」はとても腹に落ちる言葉でした。

もう一つの言葉は「みんな同じ体験をしているけど、自分の弱いところ(穴)が大変なことに感じる」です。
この言葉は、だれがつらい体験をしているとかではなくて、みんな同じ体験をしているのだけど、その人の弱い部分がほかの人より大変に感じる...というものです。
弱気で卑屈な考えを吹き飛ばしてくれるような言葉です。
「みんな大変なんだ。自分だけが大変なんじゃないよ。むしろ自分が弱い部分を心の痛みで教えてくれているありがたいことなんだよ」ということです。
勇気が出る言葉でした。

そして同時に、このような言葉を伝えてくれる人が周囲にたくさんいることに感謝したいと思いました。
本当に人に助けられて生きている感じです。

2013年1月15日

他人に強制された反省はあまり意味がない・・・

何か問題があって、その当事者に変化してほしく「反省しろ」と言ってる場面を時々見かけます。
しかし、それって「反省しているふり」もしくは「反省したつもり」をしているだけの気がしまします。
「本当の反省」って決して人から言われてできるものではなくて、「自分の内から湧き出てくるもの」だと思います。

自分が痛い目にあって「反省しなければならない」と気づいた時の反省は、とても深いものです。
この深い反省から学んだことは、心に刻まれ簡単には忘れません。

特に、自分で「反省しなければならない」と気づいて反省している人に、「反省しろ」というのは逆効果の気がします。
反省しているのに「反省しろ」という言葉への反発で反省をやめてしまったり、「反省の上に反省」という反省のスパイラルに陥って身動きが取れなくなってしまうことがあるようです。

もちろん、「反省」しなければならない時にも、全く反省の様子がない人もいます。
そういう場合は「反省」で自分での気づきを待つより、「叱る」ことが必要です。
それもネチネチと叱るのではなく、短い時間でポイントを絞っての一喝がよいと思います。

ただ、実際にはこんな単純ではなく、反省を求めたり、叱ったりで「人に変化を促す」のは、本当に難しいと思います...
まぁ、私も「反省」しなければいけないことだらけなので...。

2013年1月14日

Nexus7のキーボード付きカバー

自分は周囲の人が白い目で見るほど、スマホやタブレットといったモバイルデバイスを買っていますが、それらをどれくらい使っているのかわかる指標があります。
それはその機種のカバーを購入した回数です。
それを考えると、最高がNexus7の5回で、どうやらNexus7を一番頻繁に使っているようです。
ちなみにiPad miniは2回なので、Nexus7より少ないです。

早い段階で自分にとっての最適のカバーに出会えたということもあると思います。
ただ、長く頻繁に使っていると、気分転換がしたくなりますし、モバイルデバイスをもっと良い用途はないのか追求したくなります。

モバイルデバイスはカバーと一体化して使用感が決まります。
つまり、機能の一部をカバーにゆだねている部分もあるのです。
たとえば、iPhoneのバッテリー内蔵ケースはその代表ですが、電源のオンオフ、ホールド状態の確保も機能の一部だと思います。

ちなみに、今回届いたNexus7のカバーはキーボード付きのカバーです。
「Google Nexus7 アルミフィニッシュ ワイヤレス キーボード スタンド カバー シルバー」です。
写真の上はノートパソコンみたいにしたところで、下はカバーになって持ち歩くところです。

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余談ですが、前に飲み会で「男の子って可変合体ロボットに目がないよね」って話になりました。
その通りで、大人になった今でもそうです。
今回のカバーも、実態はただのBluetoothのワイヤレスキーボードです。
ただ、「可変合体Nexus7キーボード」に目がキラリと輝き購入してしまいました。
そういう意味で、ノートパソコンみたいになったり、持ち運びの時キレイに収まったりするのが嬉しいです。

Nexus7専用キーボードなので、便利な機能がついているのですが、そこには一切触れず、「可変合体Nexus7キーボード」押しの私は単純極まりないと思います。

2013年1月13日

気付きは「受け入れるタイミング」と「刺激ある言葉」

最近、いろんなお客さんや仲間から「健康に注意して下さいね」って言われます。
確かにFacebookなどを通じて、私の乱れた食生活が露わになっているということもありますが、Facebookとは全く縁のないお客さんにもよく言われます。

自分でも、何とかしなければいけないと思っているのですが、どうも私の中の優先順位が「仕事」→「健康」になっている気がします。
「健康」を害したら「仕事」ができなくなることはわかっているので、「仕事」→「健康」の優先順位はそもそもおかしいのはわかっています。

ただ、自分が前に「うつ病」になって仕事ができなくなり、その後独立した後も「仕事」がなかなか無かったという恐怖から、「仕事」の優先順位がとても上がったのだと思います。
幸い今は「仕事」を頂ける状態になっていますが、立ち止まると「仕事が無くなる」という強迫観念にちょっと襲われているのかなぁ...って思うときもしばしばあります。

ただ、こんなことがありました。
最初に、いろんなお客さんから「健康に注意して下さいね」って言われると書きました。
また、「健康に注意して下さいね」ってお客さんに言われたので、いつものように「心配いただいてすみません」と応えました。
「もちろん、宿澤さんのことも心配だけど、宿澤さんが倒れたら、困るのはウチですから」って、はっきり言われました。

「仕事に穴をあける」→「お客さんに迷惑をかける」→「自分が恥ずかしい」という妄想が頭にひろがりました。
これは「仕事第一」の自分にとっては効く言葉でした。

いろんなお客さんや仲間から、たくさん言われていたことで、それを、心が受け入れる状態になりました。
だれも好き好んで相手の嫌がることを言いたい人はいません。
相手のことを考え、自分の身を削りながら伝えてくれているから、心が動くのだと思います。
そして、そんな状態の時の、自分の価値観を刺激する言葉とても効きますね。

「仕事」→「健康」が違うという当たり前のことを、今さら自分の腹に落としているのが情けないです。
でも、「気付き」って「心が受け入れるタイミング」と「心が痛むぐらい刺激ある言葉」だと改めて思いました。

2013年1月12日

「なぜ、その人が信頼できるのですか?」という質問

感覚ではわかっているのですが、それが理論的に説明できないことがあります。
コンサルとしてはいけないのかもしれませんが、人としては仕方がないと思います。

例えば「なぜ、その人が信頼できるのですか?」という質問です。
このような質問に対して、理論的にその理由を問われると、説明できなくなることがあるようです。

「なぜ、その人が信頼できるのですて業務提携できるのですか?」「なぜ、その人が信頼できて投資できるのですか?」こういった質問になれば、ビジネス視点での質問です。
「その人」といっても、「ビジネスパートナー」「ビジネスの取引先」といったビジネスでのつながりに対しての、理由の問いかけです。
ビジネス視点で理由を問われた場合は、理由が明確で意思決定をしているので理論的に説明できる場合も多いと思います。

ただ「なぜ、その人が信頼できるのですか?」という「その人そのもの」に対しての質問になると、「理由もなく、やっぱり信頼できる」というあいまいな答えになってします。
これは、「ビジネスのように論理的な理由」があるのではなく、「人の感情として信頼できている」からだと思います。

実は、「なぜ、その人が信頼できるのですか?」という質問をされたとき、理論的に説明できず頭がパニックになってしまいました。
お客さんの質問にパニックになってしまい答えられないとは...と最初は落ち込みましたが、考えてみれば「理論的に考えていないことを、理論的に説明する方が無理」と妙に納得してしまいまいました。
そして、自分には「理論的には説明できなけど、感情で信頼できる仲間がたくさんいる」と気付けたことが嬉しいです。

2013年1月11日

「私は運が悪い」と「私は運が良い」

「私は運が悪い」と「私は運が良い」という言葉がありますが、これほほ使うことにギャップのある言葉も少ないと思います。

「私は運が悪い」という言葉は、やっぱり使わない方がよいと思います。
なにか物事がうまくいかなかった原因を、「運」のせいにしてしまっています。
「運」の良し悪しは確かにあると思います。
でも、物事のうまくいかなかった原因を「運」にしてしまうと、自分の足りなかったことに目がいかなくなります。

そして何より、「私は運がわるい」という言葉は、「運が悪い出来事」を引き寄せてしまう気がします。
以前、同友会で指摘された「言霊」を、とても気にしています。
やはり、悪い言葉には、悪い出来事が引き寄せられ、よい言葉にはよい出来事が引き寄せられる場面を何回も見てきました。

そういう意味で「私は運が良い」という言葉は是非使いたい言葉です。
成功要因を「運」だけにするのは、もったいないのです。
でも「私は運が良い」という言葉には、とても強い力を感じます。
「私は運が良い」という言葉は、自分を奮い立たせる言葉であり、また自分の決断の背中を押す言葉でもあると思います。

「私は運が良い」です。
その一つの理由は、これまで、多くの気の許せる仲間と出会うことができたからです。
そして、その仲間のあるグループと新年会ができて、楽しい時間が過ごせたからです。

お店の概観
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玉子豆腐の上にかに(子供みたいな表現でスミマセン)
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お造り
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れんこんの上に湯葉(子供みたいな表現でスミマセン)
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天ぷら
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お食事
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2013年1月10日

若い人たちと話をしていると希望を感じる

今、仕事関係で若い方(卒業後起業された方々や大学生さん)とのお付き合いが、けっこうあります。
今、お付き合いさせていただいている人たちは、みな礼儀正しく、真剣で、とても多くのことをどんどん吸収している人たちばかりです。
そういう人たちとお付き合いしていると、自分が同じ年代のころに「鼻垂れ小僧」だったことが、とても恥ずかしくなります。

そういう人たちの何が素晴らしいかというと、課題・問題に対しての取り組み姿勢です。
誰もやったことのない、そしてどこにも答えのない問題・課題に対して、自分の頭をひねりまくって、アイデアを出して、整理し、形にしています。
参考書や問題集を解いて一つの答えを導き出す学びとは全く異なる、「自主的に動く」「諦めない粘り」「周囲を巻き込む力」「自分らしいアウトプット」などが自然にできています。

自分が学生のころや、社会人1~2年目のころは、鼻を垂らしながら、誰かに答え(やり方)を教えてもらうのを待っていた(最低^^;)と思います。

ただ、その当時はそれでもよかったのかもしれません。
今より時代がゆっくり動いていたですし、新しい技術もそんなにはたくさん出てきてなかったと思います。
つまり、先輩や上司といっただれかが、答え(もしくはそれに近いもの)を持っていたのだとと思います。

しかし、これだけ世の中の変化が激しいと、先輩や上司が以前したことのない課題・問題が山積みです。
結局は、だれもが、自分で考えて、自分で意思決定して、自分でアプトプットを表現していかなくてはならない時代になっていると思います。

難しい時代です。
でも、一人ひとりが自分の強みを考えて活かせる時代になってきていると思います。
そう考えると、面白い時代なのかもしれませんね。

話を戻しますが、今の若い人たちが頑張れる環境を作っていくのが、昔「鼻垂れ小僧」だった私の仕事なのかなって感じます。

2013年1月 9日

自分がリーダーとしてすべきこと

同友会の天白地区の役員会がありました。
自分は一応そこの地区会長ですが、リーダーとしては、とても未熟だと思います。
もちろん、リーダーシップを理論ではわかっています。
でも、それを実践するには泥臭い部分が必ず必要になってきます。

自分は、なかなか人に厳しいことが言えません。
でも、それを代わりに言ってくれる仲間がいます。

自分は、細かい運営での抜け漏れを見落としてしまうことがあります。
でも、その抜け漏れをちゃんと指摘してくれる仲間がいます。

自分は余計な細かいことまで意識しすぎて動けなくなることがあります。
でも、近視眼的になっている自分を戻してくれる仲間がいます。

自分はリーダーであっても、いやむしろリーダーであるからこそ自分でやる必要はないと少しずづ体感してきました。
今、自分の抜けている部分をみんなが理解して、みんなが動き、みんなが助けてくれていると感じます。
頼りないリーダーを「仕方がないなぁ」ってみんなが支えるほうが、組織は成熟するのだと思います。

では、自分はリーダーとして何をすればいいのか...
それは「自分のわがままを言うこと」だと思います。
ただ、それは、自分本位の「わがまま」ではなく、仲間のことを考えた「わがまま」のことです。

自分は「こうしたい」ってハッキリ言うことが、リーダーの仕事ではないかと思います。
今の自分の役割が重みとなることは多々ありますが、みんなが助けてくれます。
この経験は、コンサルとしてリーダーシップを語る際の「深み」につながるような気がします。

2013年1月 8日

心配事は具体的に心配する

正月明けから、心配事ネタが続いている気がします。
年が明けて、まだ何か気持ちのスタートがしっかりきれておらず、何かボンヤリと心配しているのでしょうね。
じきに、ボンヤリしている暇は無くなっていくと思います。

よくブログに書いていますが、心配事を紙に書き出して対策や準備を行うように努力しています。
それでもボンヤリとした心配事を日々、生み出している気がします。

この「ボンヤリした心配事」が厄介なのだと思います。
ボンヤリしているものだから、ボンヤリと連想から連想で拡がって行く気がします。

だったら、心配事はもっと具体的に心配するればよいと思います。
例えば、一応私が試みている「心配事を紙に書き出す」のも「心配事を具体的にしている」のですよね。

...ということは、ある程度は自分でもできているのかもしれませんね。
ボンヤリした不安は、なるべく具体的に心配(?)しようと思うます。

言葉のあやですが、「具体的な心配」は、もう「心配事」ではなくなります。
具体的に心配するということは、「リスク対策」、「事前準備」といったものと同じ意味なのでしょうね。

2013年1月 7日

いつも地道なやり方が自分は合っている

自分の中で一番自己嫌悪に陥るのは、自分として自分を偽った時です。
例えば、自分の言いたくない言葉を言ってしまったとき、自分としては不本意な行動をしてしまったとき、自己嫌悪に陥ります。

たちが悪いのは、その言葉を言っているとき、そこ行動をとっているときは、自分で不本意なかどうかわからないことが多いです。
感情に支配されているというのか、それとも自分がまだよくわかっていないのか...

感情に支配されるのは人間として仕方がないと思います。
また、自分で自分がよくわからないというのも仕方がないことだと思います。
ただ、自分としては不本意な行動をなるべくとらないようにはしたいと思います。

まだまだ、試行錯誤ですが、私にできることは、「後で不本意だったぁ」と思うことは、記録を残していくしかないと思っています。
すると、自分がどんなときに、どんな行動、言葉が不本意だったか、積み上げで何となくわかるような気がします。

多分、こういう地道なやり方が自分には合っている気がします。

2013年1月 6日

忙しいの大歓迎、でも心にゆとりを!

今年も本格的に始動しましますが、とてもありがたいことに忙しくなりそうです。
忙しくしても、自分を見失わないようにしたいです。
文字通り「忙殺」の状態に陥らないようにしたいです。

ここでふと思い「忙殺」って言う意味を調べてみました。
「忙しくて、仕事などに追われること。(「殺」は意味を強めるために添えたもの)」ってありました。
例示は「雑務に忙殺される」でした。

同じような言葉で「多忙」ってあります。
こちらも辞書で調べると、「仕事、用事などが多くて忙しいこと」で、例示は「多忙な日々を送る」でした。

ほとんど同じ意味のようです。
ただ、たまたまですが、例示を見ると「雑務に忙殺される」という受け身の表現と、「多忙な日々を送る」という自分視点の言葉が使われています。
たぶん忙しい状態はそんなに変わらないのかもしれません。
ただ、「受け身の表現」より「自分視点の言葉」を使いたいですね。

「受け身」では自分の心にゆとりは生まれませんが、「自分視点」ならば、自分の心にゆとりを持つことができそうな気がします。

自分視点で「忙しい」のは大歓迎です。
でも、受け身で「忙しい」のはゴメンこうむりたいです。
「心にゆとりを持ちながら大忙し」・・・そんな状態が私には合っている気がします。

そんなわけ(どんなわけ?)で、夜はかみさんと「もも屋八事店」に行きました。
美味しい食事と酒で、心にゆとりを取り戻す...(強引かなぁ)
ただ、ネオレックスの駒井社長とも偶然会うことができたし、明日からの心の元気につながった気がします。

激辛鶏モツ煮
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5種ももくらべ
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カマンベールチーズ焼き
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2013年1月 5日

「理論の提供」だけでなく「一緒に汗をかく」こと

頭の中で考えているだけでは幸せになれないと思います。
頭の中で素晴らしい理論を構築できたとしても、それを表現し、実行しなければ、何も変わりません。

私はコンサルタントなので、スタートは「理論」であることが多いです。
その理論をお客さん(経営者)に提示して、意思決定してもらい、その意思決定に基づく実行の策を提示します。

こうすると、経営者の「軍師」みたいで、素敵な仕事のように感じますが、「意見を言うのが仕事」としてしまうと「批評家」と変わらなくなってしまします。
「情報を伝達して気付いてもらうのが仕事」という講師業もある意味同じかと思います。

私の知り合いで、研修・セミナーの方がリスクが少ないと、そればかりをしているうちに現場感覚を無くしていっている人を何人も見ている気がします。

私も、最近は、研修・セミナーの依頼が増えてきました。
研修・セミナーは私にとって、大切な事業の一つです。
しかしそれは、あくまで自分のコンサル体験、経営体験を整理して伝える場です。

つまり、コンサル・経営体験を、研修、セミナーで伝え、そこで出会った方達から依頼を受け、コンサルサービスを提供するというというのが、私の循環です。
この循環のバランスが崩れ、研修・セミナーの割合が増えてくると「理論」優先になってしまいます。

お客さんが私に望んでいることは「書籍に乗っている理論」を伝えることではありません。
「理論」だけでは、お客さんの期待に応えられないので、お客さんの満足は得られません。
、「お客さんと一緒にお客さんの課題解決に向かい、一緒に汗をかく」ことはできて、初めてお客さんに喜ばれ、自分の幸せにつながると思います。
いまさら何を言っているというぐらい、当たり前のことですね。

2013年1月 4日

「マイナス感情」に支配されっぱなしは悔しい

人は「感情」の生き物を言いますが、この「感情」ほどやっかいで、なおかつ素晴らしいものはないと思います。

「ムカつく」「キレる」といった感じで、自分の「感情」がコントロールできない人が、増えてきていると言われています。
しかし、これはあくまで傾向であって、昔から「感情」がコントロールできない人は当たり前にいると思います。
それは、「人は感情の生き物」だからです。

そういう私も「感情の生き物」です。
辛いことがあったり、厳しい人の言葉に、よく落ち込んだりしています。
これは「マイナスの感情」に支配されている状態です。
すると、それがマイナスの行動や言葉になって出てしまったりします。

しかし、自分に嬉しいことがあったり、人が喜んでいたりすると、とても幸せな気持ちになります。
「プラスの感情」がわき出ている状態なのでしょうね。
こうなると、いろいろな事に前向きに取り組んでいける力を得ます。

私も「マイナスの感情」「プラスの感情」に一喜一憂するように「感情」に支配されています。
それが「人間らしくてよい」と言ってくれる人も多くいます。

特に「マイナスの感情」に支配されっぱなしというのも、ちょっと悔しいですね。
特に私は「マイナスの感情」に支配されやすい性格です。
少しずつでもよいので、「マイナスの感情」に支配されている思ったら、気持ちを切り替えれるように心を強くしていきたいです。

そして、「プラスの感情」に関しては、それを外に表現したいと思います。
こちらは比較的得意分野だと思います。

2013年1月 3日

心配事は誰にでもあるので上手く付き合う

心配事は人なら必ずあると思います。
心配事の数ならば、私の性格からすると、人よりかなり多い気がします。
それは、心配事がないと、自分で勝手に心配事をつくってしまうからです。

たぶん、普通に生活することが怖いのだと思います。
失敗したらどうしよう、人に迷惑をかけたらどうしよう、人に嫌われたらどうしよう・・・
そんなことばかりを考えています。

ただ、これでも、そういう本質ではない無意味な心配事する頻度はかなり減っていると思います。
減ったきっかけは、自分の場合はよく書いていますが「うつ病」です。

「自分が心配してもどうにならないことの存在」や「懸命にやった後の失敗からは学べること」に気づけたからだと思います。
それも、「うつ病」になるような、もともとの性質です。
やっぱり、心配事はなくなりませんし、自分でどんどん作り出しています。

こんな自分は、心配事を無くすことを考えるより、心配事と仲良くしたほうがよいと思います。
そこで、していることは「心配事を書だし、理由も書だし、行動も書だす」です。

これを、すると「目に見えないとても大きく不安な心配事」が、三つに明確化されていきます。
「自分がすべき課題」、「大切なことだが自分んではどうにもならない心配事」、「取るに足らない忘れてしまったほうがよい心配事」の三つです。
こうなれば、あとは「自分がすべき課題」を残して忘れてしまえばいいのです。

私のいけないところは、忘れたはずの心配が後でむくむくと復活してくることですね。

2013年1月 2日

「休むと言うこと」はとても勇気がいること

お正月でいろいろなスポーツがテレビでやっています。
スポーツというのは見ていて、本当に過酷ですね。
なんせ、短い時間で勝負が決まってしまうものが多いですから...

それと比べると、人生やビジネスは、「自分がこの世から去る」まで、比較的長い時間がある場合が多いです。
・・・にもかかわらず、私も含めて、ついつい生き急いでしまう人を、よく見かけます。

私は「うつ病」で、強制的に人生を一回休まされました。
これは、自分の生きるスピードが、自分の能力を超えていてたのだと思います。
私の様子を見ていたかみさんが病院に連れていき、強制的にドクターストップでした。

日本人の性質なのかもしれませんが、仲間のために自分が必死に頑張る姿は「美学」とされているように思います。
そう考えると、自分から「休みたい」と言うことは、すごく勇気がいることだと思いますが、尊重すべき言葉だと思います。
もちろん、「甘え」から、そういう言葉を発している人もいると思います。
世の中が「精神的な病」にデリケートになりすぎていると感じます。

ただ、懸命にやっている人が「休みたい」という言葉を発したとき、周囲の人はそれを認めてくれると思います。
「休む」というとても勇気のいる言葉を発して、しばらく「休む」ことは尊いことだと思います。

私の場合もそうですが、人が「うつ病」で会社を辞めざるをえなくなって、誰一人として幸せになった人はいないと思います。
本人自身もそうですが、家族、会社の仲間、友人その他いろいろと関係していた人たち、みなが苦しんでしまいます。

人生は長いです。
その「休む」という行為が、次につながることは多々あると思います。
実際、私もそうでした。
迷ったり、疲れたりした状態より、もっと元気になって人生を豊かに過ごせるようになって戻ればいいのです。
例え、時間がかかっても、周囲の人もそれを望んでいると思います。

2013年1月 1日

2013年、のんびりと幸せな正月です

なんかとっても幸せな正月でした。

まず一つ目の幸せは、FacebookなどSNSのみんなとのやり取りです。
いろんな人が、いろんな場所から、いろんな手段で、メッセージを届けてくださいました。
年賀状もうれしい気持ちが伝わってきますが、SNSですと相手の息吹も伝わってきます。
「今」どんな正月をすごしているのか、そんな「気持ち」を共感できるのが嬉しいです。

また、その人のタイムラインに移動して、「そういえばこの時一緒に過ごしていたなぁ」「そういえばこと時、相談メッセージをいただいたなぁ」...なんてことも思い返すことができます。
正しく、「生活の一部」の共有もできているのです。

私は常に気持ちを強く持ち続けるなんてことはできないです。
でも、時々弱っている時なんかに、いろいろな人と過去、現在、未来(希望)を共有できることは勇気がわいてきます。

昨年よくあったのですが、前の日に辛いことがあって、寝不足で起きてきたとき、SNSのみんなと、メッセージを交換していると不思議と元気が出てきて、頑張れた経験が何回もあります。

二つ目の幸せは、お墓参りです。
よくブログに書いていますが、私は自分がうつ病の真っ最中に父を亡くしました。
そんな、父に申し訳ない気持ちが常にあるのですが、お墓参りで「元気に頑張っているよ」とお参りすると、自分が安心をします。今年も「元気に頑張っているよ」と伝えれたことで、とても幸せな気分になりました。

お寺さんでは、毎年、焚き木をしており、甘酒を振舞ってくれています。
体と心があたたまる瞬間ですね。

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三つめの幸せは、パオパオです。
パオパオとは今年で5回目の正月を迎えました。
実は年末に急性じん不全を起こしていて、元気がありませんでした。
でも、年末30日の検査で、完治していることがわかり、今年も一緒にお正月を迎えました。

お正月からやたらと元気(自己主張いっぱい)です。
そんな、癒しのパオパオには長生きしてほしいです。
ちなみに写真は「寒いところには行きたくない!」って踏ん張っている様子です。

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四つ目の幸せは、お酒をのんでグデングデンです。
あー、幸せ。

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一応、1/1は完全休養なので、のんびりできました。
明日から頑張ります!

自分の小さな価値観で、道を拒絶しない

明けましておめでとうございます!

新しい年の始まりです。
今年は「道に迷うことこそ、道を知ること」という気持ちで前に進もうと思います。

昨年は人との出会いが多く、また関係を深められた一年でした。
そして、自分の「目指す自分」にも少しづつですが、近づいていっている一年だとも感じました。

ただ、様々な立場に身を置く場面が多かったので、その度に心がぶれてしまいまい、自分の考え方、行動に疑問をもつ場面も多かったように思います。
同じ場面においても人には様々な考え方が存在し、その人の考え方や立場によって進む方向も異なります。
当たり前のことなのですが、今年はそのことをより深く理解し行動したいと思います。

今、自分の生き方を通じて「目指す自分」に少しずつ近づいている気がしています。
ただ、硬直的に、また近視眼的に「目指す自分」の姿だけを見ていては、自分の生き方を狭くします。
そして、自分の生き方を狭くした先に「目指す自分」みたいなものにたどり着いたとしても、それは、おそらく違うものだと思います。

所詮、一人の人が持っている知識や知恵はとても小さいものです。
人は、いろんな人と接し、関係を深めることで、大きな知識や知恵を得て、成長できるものいけるものなのです。

一見、自分の考えと異なる道に見えても、自分のもっている小さな価値観だけで、その道を拒絶してはいけないと思います。
自分の成長のためには、その道を選択し、たくさん道に迷って、いろんな人と出会い、その考えに触れ、そして自分の頭で必死に考えることが大切なのです。

人は、みな自分の幸せを望むものだと思いますが、決して一人では幸せになれないと気づいてきました。
自分が幸せになるには、周囲のみんなの幸せが必要なのです。
自分をしっかり持ち、そして周囲のみんなとの調和を心掛け、共に幸せになっていくことが、自分の幸せのためは必須だと感じています。

ますます、みなさんの力が必要です。
今年も、よろしくお願いいたします。