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2013年10月31日

ことあるごとに思い出す親父のメッセージ

お世話になっている方のお父さんのお通夜に参列してきました。
このような場に出ると、いつも自分の親父のことを思い出します。

以前にもブログに書いた内容ですが、もう一度書かせていただきます。
長文で失礼いたします。

私は12年前に、親父を亡くしています。
そして、その時に大きなことを教えてもらうきっかけにもなりました。

親父が亡くなるとき自分は「うつ病」でした。
それに対して、親父は快方に向かうメッセージを残してこの世を去っと感じています。

親父が亡くなる直前に残したメッセージは二つあります。

まず一つは「その時に本当に大切なことを考える」です。

当時の私はプロジェクトが多忙で徹夜や深夜は当たり前でした。
親父は、重度の病でもう長くないことを自分で知っていました。

その日も私が明け方の4時に帰ってきたら、玄関に一人で座っていました。
暗い中で一人でポツンと座っている姿は今でも脳裏に焼き付いています。

私が「眠れないの?」ときくと「ちょっとな」と答えました。
仕事が忙しくて、もう長くないとわかっている親父と最近ほとんど話せていないことをその時に気付きました。

その日は親父の横に座りしばらく話をしました。
久々でした。

親父が言いました。
「こうやって、お前ともっと話がしたかったなぁ」

この言葉を聞いた時「親父と話せるのは今しかないのに、自分は何をしているんだろう」と思いました。
自分にとって今一番にしなければならないのは、もうすぐいなくなる親父とたくさん話すことではないか...と気付くことができました。

「その時にしかできない大切なことが日常の中に埋もれている」ってことはかなりあるのではないか思います。
その時は「うつ病」だったので、あまりしっかり考えられませんでしたが、快方に向かった時、それを後押ししてくれました。

もう一つは「決して最後まであきらめない」です。

親父の病気も悪化して、もう意識もはっきりしなくなってきたときのことです。
私は「うつ病」が最悪の状態で、毎日のように額を柱の角にぶつけて額を割って流血しているような状態でした。

親父は自分がもう長くないのに、最後まで私の事ばかり心配していました。

そんな親父が意識もあまりないのに、毎日、病院のベットの上に立ち上がろうとするようになりました。
家族は怪我でもしないかと心配していましたが、親父はそれを続けました。
私も、その様子を呆然といつも見ていました。

私は「親父は何をしているのだろう?」と考えていました。
ある日、ちょっと話せるようになったので親父に聞いてみました。
そしたら親父は「退院したとき、歩けなかったら寂しいだろう」と答えました。

もう意識も、ほとんどなく数日の命の人が何を言っているのだろう?と思いましたが、よく考えたらそれは私への「うつ病は治る、だからあきらめるな」というメッセージだったのだと思います。

うつ病は「頑張れ」とか言ってはいけないと言われていますが、この親父のメッセージに「自分も応えたい」と思いました。
その後、額をぶつけることをやめて、数日で額のかさぶたもとれてきました。

親父の最後の言葉は「額がきれいに戻ってきたな」でした。
やっぱり、親父のメッセージだったのです。

最後の最後まで「決してあきらめない」親父を誇りに思います。

親父は亡くなりましたが、ことあるごとに、この2つのメッセージを問いかけてくれます。
そういう意味では、親父は私の中でまだ生きていると思います。

長文、失礼いたしました。

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