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2017年2月 1日

これからもつぶやきブログを<(_ _)>

レンタルサーバーの引越しに伴いブログの引越しも行います。
(既に仮オープンしています)

実は2/1は事務所の届け出記念日です。
13年前の今日に事務所の届け出を行いました。

カネなし、コネなし、顧客なしのゼロからスタートで自分でも、よく継続していると思います。
できれば、ずっと継続していきたいです。

情緒不安定な自分と同調するように、メッチャ不安定な事務所です。

ただ、お客さんには恵まれています。
だから続けていらるのでしょうね。

その事務所の足跡がこれまでの「つぶやきブログ」です。
喜び、 悩み、試行錯誤、気付き、全部本音を吐き出しています。
その吐き出しは自分の鏡として自分を振り返る場です。

事務所ブログなのに、テーマブログではなく日記ブログなのでは、自己表現をする場だからです。
短い言葉で自分を語れないので、その代わりに毎日の自分の想いを書き溜めています。
これからも、書き続けていきたいです。

これからの「つぶやきブログ」のアドレスです。
http://www.shukuzawa.com/report/
もし、ブックマークなどしてくださっている方は、変更をお願いいたします。

これからも何卒、よろしくお願いいたします。


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2017年1月28日

自戒をこめて「相手と分かり合う」って?

自戒をこめて「相手と分かり合う」って?

「相手と分かり合うって難しい」...なんてことを知らない間に自分も考えていたので、ブログを通じて自分に対して言い聞かせてみました^^

コンサルの過程で「なかなか分かり合えないんです」って相談されることがあります。
その分かり合えない相手は、社員だったり、仲間だったり、メンバーだったり、様々です。

自分もそうですが、「分かり合えない」ことの嘆きをずっと悔しそうに、また寂しそうに語ったりしていることがあります。
ただ、こういう相談を突き詰めたり、自分自身に問いかけていくと「分かり合えない」のではなく「分かってもらえないという嘆き」の場合があるようです。

分かり合うということは「相手を知る」ことから始まるはずです。
しかし嘆いている人達の中には「自分を知ってもらう」ことから始めていることがよくあるようです。

さらに聞いていくと「自分の都合や考え方を押しつけている」場合が多いようです。

「分かり合う」というのは、相手の話を聞いて理解しようと努めるところから始まると思います。
相手の話を聞いて、自分から相手を少しでも知ることが「分かり合う」きっかけになります。

分かり合うのは「自分を50知ってもらい、相手を50知る」という半々ではないと思います。
「 相手を80知ってから、 自分を20知ってもらえたらラッキー」という意識が、「分かり合う」ということにつながるのだと感じます。

相手は自分ではないのだから、100%分かりあるなんてことはまずありません。
それでも、相手の話をしっかり聴いて、ほんの少しでも分かり合えたら嬉しいですね。

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2017年1月27日

健全な現実逃避と不健全な現実逃避

世の中、現実逃避、敵前逃亡したくなることばかりですね。
実は、本日もそんなことがありました(何ととか解決しましたが^^)。

実現逃避したくなったら 、そうすればいいでしょうか?

踏ん張る、頑張る、頬を張る...いずれも張って気合を入れるのですが、最近は一旦現実逃避して、冷静になるのが良いと感じます。

そんな現実逃避にも、健全な現実逃避と不健全な現実逃避があります。

健全な現実逃避の代表選手は「読書」だと思います。
本の独特な世界に入りこんで、別世界を味合うのは健全な現実逃避だと思います。
その、別世界で現状打破のヒントを得ることも多々あります。

一方の不健全な現実逃避の代表選手は「ヤケ酒」だと思います。
自分がもっともお世話に なっている現実逃避です。
「ヤケ酒」を飲んでいる時は、いろいろと忘れられます。

それこそ、自分すら見失い忘却の彼方です。
もっとも不健全ですが、最強の現実逃避です。

ただこの方法は、現実に引き戻された時、自分を見失っている時のツケも返ってくるので、いっそう現実逃避したくなりますね。

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2017年1月26日

なんか面白くて斬新な発想

普通に考えてみると、よく意味の分からない会話です。
でも、なんか斬新な発想で面白かったです。

「八方塞がり」って言葉があります。
基本ネガティブな自分が「もうダメだ」と共によくつぶやく言葉です。

そのつぶやきを友達が聞いていたようで笑われました。
「八方ふさがっていても、上と下があるジャン」っていわれました。

八方がふさがったら、大きくジャンプするか、地面に穴を掘って逃げればいい(^^)とのことでした。
大真面目だそうです。

他にも手はあるそうです。
「八方の壁に体当たりをして壊せばいい」とのことことです。
「壁なんて簡単には壊れないよ?」って言ったら、「確かめたの?」って返されました。

確かに勝手に自分で作った壁で、その硬さを真剣には考えていません。
「八方塞がり」の八方の壁は自分が勝手に作っている単なる閉塞感ですね。

改めて思いますが、自分の友達ってチョット変わった人が多いかもしれません。

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2017年1月24日

将来や未来がぼんやり不安なら今に想いを込める

自戒も含めてなのですが「将来や未来がぼんやり不安」という声をよく聞きます。
ハッキリ言って、環境の変化が激しすぎて、将来や未来がどうなっていくのか読み切れないということはあると思います。

ただ「将来や未来がどうなっていくのかわからない」なんて、今に始まったことではありません。
どんな時代も将来や未来に対しての不安な気持ちがあって当然だと思います。

ただ、将来や未来が自分の思った以上に悪い方向になることもあれば、その逆もあります。
自分にとって思ったよりも良い方向になることだってあるのです。

そのためには、将来や未来を自分にとってよい方向になるように今に想いを込めることが大切だと思います。
まだ実現していない将来や未来で悩むより、まずは今できることをする。
それが、先に何らかの変化を及ぼすはずです。

また、よく言われますが(外部)環境の変化は自分ではどうにもならないものです。
ならば、自分が変化して環境に適応するしかありません。
環境の捉え方で「チャンス」にも「ピンチ」にもなると感じます。

コンサルをしている時に、よくこういう話題になります。
自分自身も性格的に悪い方向にばかり考えてしまうので大きなことは言えません。
ただ、どうにもならないことや、まだ起きていもいないトラブルに時間を割くのはもったいないと感じます。

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2017年1月23日

一定時間ネットからの情報を遮断する

考えがまとまらないときや、気分がモヤモヤするときは「 一定時間ネットからの情報を遮断する 」のがよいと感じていています。

情報はとても大切な資源ですが、情報が多すぎると胃もたれします。

特に、心にあまり元気がない時に、SNSやネットを通じて情報を取り入れすぎると処理できず、余計な感情がでてきて、あまり前向きなれません。
そういう時は、自分の考えを整理するのに没頭したり、目の前の人との会話に集中すると、気持ちが前向きに変わっっていきます。

ネットの場にはどれくらいが真実の情報が流れているのかは分かりません。
ネットの情報を鵜呑みにしてしまっている時は、もう情報がお腹いっぱいの時だと思います。

ネットの情報を自分のなりの考えに変えられるときは、お腹に余裕のある時のようです。
こういう時の情報は美味しいし、役に立ちます。

自分からネットに探しに行かなくても、スマートフォンからどんどん通知が送られてきます。
今、情報が多すぎてお腹いっぱいという時は、通知も切ってしまうのがよいですね。

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2017年1月19日

みんなのアドバイスで目標の見直し

同友会天白地区の一月例会が行われました。
毎年恒例になっている、一年の目標を色紙に書き、その実現に向けてアドバイスをもらうという内容でした。

自分の目標は「変革の年 新しいビジネス領域の模索と確立」としていました。
今年の元旦のブログに書いた内容です。

ただ、違和感も少しありました。
その違和感の原因がみんなのアドバイスで分かりました。
それは「そのために何をやってよいのかが見えない」と「その達成の判断基準があいまい」のふたつだったようです。

「変革の年 新しいビジネス領域の模索と確立」は願望であり、それだけでは実現しない...ということです。
願望を実現するための行動がわかるようにして初めて目標になります。

「新しいビジネス」の部分を将来ビジョンとして徹底的に詰めていくことが「変革」になるという言葉はとても腹に落ちました。

では、何をすればよいのだろう...と考えているとそのヒントももらえました。

「新しいビジネス」として横展開するのではなく、「今の自分のビジネス」を縦に深掘りすることが大切ではないか?
嬉しいことに「今の自分には既によいところがあるので、それを伸ばした方がよい」という言葉をもらえました。

本当の意味での差別化は「他者のと比較」ではなく「自分らしさの追求」である。
その今のお客さんに選ばれている理由である「自分らしさ」をお客さんに聞いてみるとすべきことも見えるのではないか...確かにその通りです。

「変革の年 新しいビジネス領域の模索と確立」といったん色紙に書きましたが、書き直すことにしました。

それが「自分らしさの追究 自分の選ばれる理由をみつける」です。

早速、新しい色紙に書き直して事務所に置いておきます。

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2017年1月18日

思いっきり自分への言い訳をしてみる

なんとなくモヤモヤしている状態で書いている文章でスミマセン<(_ _)>

他責ではなく、自責でモノゴトを考えることは大切だと思います。
他責で考えているうちはその対策に手が出ないですが、自責で考えれば何らかの対策は考えることができます。

基本はこの考え方なのですが、自責で考えることが積み重なりすぎると文字通り「自責に念に潰されてしまう」ことがあると思います。
自分の責任でモノゴトを考えると、自然にすべきことが増えていきます。
その結果、考えること、悪く言えば悩むことが増えすぎて心が重たくなってきます。

自責で考えて自分のすべきことを見つけて前に進むことは大切です。
ただ、それで自分を常に追いつめていると、気持ちが重くなりモチベーションが下がっていきます。

自分も時々この状態になります。
これは、「自責の念のオーバーヒート」と勝手に呼んでいます。

そんな時は、自分に対して無責任な他責の言い訳を紙に書き出してみます。
モヤモヤしていることを紙に書き出し、「自分は悪くない...」と言い訳をしてみるのです。

この結果、対策として生まれるものは何もありません。
ただ、自責の念に潰されそうになっていた心は少し軽くなります。

心が軽くなったら、「...でも、自分でできることはなかっただろうか?」と再度問いかけると気落ちの切り替えができていることがあります。

ただ「無責任な他責の言い訳」の時間を長くとりすぎないのが大切で、あくまでも気持ちの切り替えのひとつの方法と考えています。

ちょっと最近モヤモヤすることが多いので、自分への言い訳の時間をとろうと思っています。

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2017年1月17日

弱点の克服ばかりを考えると疲れる...

ある方に教わったのですが、正直どう対処してよいかわからないです。

その方には「宿澤さんは、いつも自分の弱点を探して補強しようとしている。弱点の克服ばかり考えていると疲れちゃうよ」と言われました。

確かにその通りで、自分はいつも克服しないといけないテーマばかり探して、その克服に四苦八苦しています。
「弱点の克服は最低限にして、強みを伸ばそうと努力すると人生楽しいよ」との言葉でした。

確かに「好きこそ物の上手なれ」と言われるように、好きなことをしている時は楽しいし、それが上達すれば楽しいと思います。

それは分かるのですが、ここでいつも立ち止まります。
...自分の強みって何だろう?

自分で自分の「弱点」はいっぱい見えるので、その克服に向かって努力することはできます。
しかし、自分の「強み」はよくわからない(あるのかも不明...)ので、なにを伸ばせばよいのかよくわからないのが正直な気持ちです。

「そんな時は、好きなことをやればいいんだよ」とさらに言われました。
ビジネスを意識した時、それでよいのかなぁ...って、ここがイマイチ腹に落ちていない気がします。

自分の強みってなんだろう...? 改めてまた迷っているのでしょうね(^^;)

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2017年1月11日

「教養、教育」という言葉をもじった話

なんとなく、今年耳によく入ってくる言葉は「今年は変革の年」と言うことです。
酉年は、これまでも賑やかな年になることが多いそうです。

「変革の年」ということは、文字通りいろいろと変わる年なので、変化に柔軟に対応できるように準備をしないといけないと思います。
自分自身も三年の変革周期に当てはまる年なので、外部も内部も変わる年にしたいです。

そんな中で、自分が印象に残った言葉はあります。

言葉遊びなのですが、とても面白い考えで忘れないようにしたいです。
少し前の「天声人語」に書いてあった話を一部アレンジしているとのことでした。

「教養、教育」という言葉をもじった話です。
自分が今年を変革の年にするには必要だと思った話でした。

「教養」とは「今日、用がある」こと。
「教育」とは「今日、行くところがある」こと。

変革の年にするには、原点に戻って「とにかく人に会いなさい」を実践する必要があると思います。
そんなわけで、今年は「変革に向けて、まず人に会うこと」で、 起業時の原点回帰を目標にしたいです。

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2017年1月10日

自分の力で何とかできることを考える

世の中には自分の力でなんとかできることと、自分の力では何ともならないことがあります。
割合からいったら、ほとんどが「自分の力では何ともならないこと」です。

圧倒的に「自分の力では何ともならないこと」の方が多いし、それに、そういうことに翻弄されていると自分の無力感が増していき、何とかならないかと考え始めます。
「何ともならないこと」とわかっているのに「何とかしよう」としてしまうようです。

それを続けていると心が疲れてきて、結果、だれか他人のせいや世の中のせいにしてしまうことがあると負の感情のスパイラルに陥ってしまいます。

ならば「何ともならないこと」を嘆くより、「何とかできること」を探した方が健康的ですね。

中には剛腕で「何ともならないこと」を「何とかしてしまう」人もいます。
そういう人を「スゴイ」とは思いますが、なかなか真似できるものではなりません。

自分も「世の中は理不尽だ...」と思ってモヤモヤすることがよくあります。
ただ「自分の力では何ともならないこと」は無視して、「自分の力でなんとかできること」を懸命にしていると心も健やかになるようです。

すると、ごくわずかな確率ですが「自分の力では何ともならないこと」も好転する場合がありますね。
それを期待すると、また堂々巡りでおかしなことになりますが...^^;

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2017年1月 6日

不安の99%は取り越し苦労

「不安の99%は取り越し苦労」と言っている経営者がいました。
その経営者は苦労の連続で、本当に苦労の多い経営者だと勝手に思っていました。

その経営者から「不安の99%は取り越し苦労」という言葉を聞いたのです。
どれだけ精神力の強い経営者かと思いました。

自分は何の問題もない時も不安要素を勝手に作り出して「あーでもない。こーでもない」悩む性格です。
そんな自分に「不安の99%は取り越し苦労」と戒めの言葉として言ってくれたのだと思います。

実際に苦労が多い経営者に「不安の99%は取り越し苦労」と言われると、「自分は苦労が多い」と思いこんでいる自分が情けなくなってきます。

自分の「不安」が「苦労」にまで成長することはそれほど多くありません。
単なる取り越し苦労であることが多いのです。

「不安の99%は取り越し苦労」を肝に銘じて、不安を「深刻」に考えるのはできる限りやめれるようになろうと思いました。
「深刻」に考えるのはやめて物事を「真剣」に追及して考えることが大切ですね。

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2017年1月 5日

「考え過ぎ」と「考えなさ過ぎ」の間を往復

自分って時々面倒くさい奴だなぁ...と思う時があります。

立ち止まってはいけないと目の前のことを必死に片付けていると、なんとなく道に迷っている気がしてきます。
とりあえず前に進もうとするから道に迷うのだ...と、念入りに方向性を考えていると八方ふさがりで進めなくなってしまします。

「考え過ぎ」と「考えなさ過ぎ」の間を行ったり来たりしているような気がしています。
こういう自分でもよくわからなくなっている状態を「試行錯誤」と考えればまだよいのですが、「漂流」状態になっていることがあります。

昔、友人が「目的地が見えていな状態が漂流、目的地が見えている状態が航海」と教えてくれたことがあります。

なんとなく「漂流」状態のときは、本来一番大事な「目的」より、そこに行きつく「プロセス」ばかりを考えているのかもしれないです。
プロセスの選択肢は無数にあるので、それで迷っちゃっている状態なのでしょうね。

そういう時は、もう一度「目的」に立ち戻れるように考えればよいことにブログを書きながら気付きました。

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2017年1月 1日

平和で穏やかな元旦

元旦は気持ちの良い天気の一日でした。
元旦が気持ちよいと、なんか一年いいことがありそうで嬉しいものですね。

今年も、お墓参りからのスタートです。
さすがに、お墓参りを水拭きすると手が冷たいですね。
盆と正月の年に二回しかお墓参りをしない不孝者なので、その時ぐらいはちゃんお掃除をさせてもらいます。

お墓参りの後は、パオパオの散歩で普段あまり行かない「新海池公園」に立ち寄りました。
池と小高い丘のあるこの公園は大好きなのですが、いつもは大府、豊明方面にいくのでなかなか行く機会がありません。
ただ、パオパオもいつもと違う公園での散歩で大喜びでしゃいでいました。

最後は、かみさんの実家に行きました。
かみさんの家では、おせちをつまみにビールを結構いただきました。
飲んでいるうちに眠くなって寝てしまいました(いつも通りですね)。
パオパオもかみさんの家に一緒に行ったので、そっちに注目がいっているうちにグダグダさせてもらいました。

何となく、平和で穏やかな元旦でした。

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2017年、明けましておめでとうございます

明けましておめでとうございます。

皆さんにとって素晴らしい年になることを願っています。
そして、自分にとっても素晴らしい年にしたいです。

どうやら自分にもサイクルがあるようで、2000年以降は3年に一回大きな変化の起点があります。

2001年:前職を病気で退職する
2004年:紆余曲折を経て事務所を立ち上げる
2008年:新事業支援センターでマネージャ拝命、産業カウンセラー取得
2011年:松本、富山...といった出張が増えだした時期
2014年:愛知工業大学で講師、執筆の仕事が増える

...すると、2014年目から次の3年目が2017年になります。

おそらく今年は大きな変化があると思われる年です。
逆に言えば大きな変化を自分でも探して決める年です。

そんなわけで、今年の目標は「新しい取り組みの立ち上げ」です。

自分のやりたいことはある程度かたまってきています。
それを具体的にプランに落として進めるのが今年の目標です。

3年で周期がくるのは「自分の仕事を見直しなさいよ、外部環境が変わっているよ」っていうサインなのだと思います。

「新しい取り組みの立ち上げ」に当たって意識したいことがあります。

・自分の本当にしたいことを自分の内面に問いかける
・3年周期だが、もっと先の9年を考えてみる
・だれかに協力は求めても依存はしない

変化が苦手な自分ですが、変化に巻き込まれるのではなく、自分で変化を起こしていきたいです。

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2016年12月31日

2016年もありがとうございました。

今年も一年間ありがとうございました。

毎年書いていますが、今年もいろいろな事が起きて一歩進んで二歩下がるといった一年でした。
ただ、その中で多くの「気付き」も得ることができました。

一年の前半と後半で「意識」していたことを振り返ってみます。

まずは、今年の前半ですが「人にどう評価されているかは考えない」という言葉を強く意識し始めました。
自分に自信がなく「他人の目が気になる」自分には、そんな意識でいることは無理だと思っていました。

ただ、しかし「他人の目を気にしない」を意識してみて、完全にできるわけではないですが思ったよりはできることが分かりましたした。

そのための必要条件は「自分に恥ずかしくない、自分らしい行動をする」ことのようです。
そうすれば自ずと他人の目を気にしないで済むことが分かりました。

他人の目を気にしないと他人と自分を比較する必要がなく、その結果、他人を羨んだり、自分をよく見られようとしたり...そんな下らないことから開放される感じです。

自分ではどうにもならない他人の目(評価)を気にしている時間があったら、自分らしく行動することに集中したいですね。

今更、こんなことに気付いたって自分を笑ってしまいました。

今年の後半は「悲観は気分、楽観は意志」を意識することが多かったです。

楽観的な人ほど意思の強い人だということが腹に落ちました。
それは「責任のある楽観」で、途中で投げ出すような「無責任な楽観」とは違う人達にたくさん出会えたからです。

責任をもって楽観的になれるのは、すべきことが見えている時、準備や段取りができている時、気持ちをしっかりと前向きできているときです。

「楽観」とは、雰囲気で楽観になるのではなく自分の意思で楽観的になれる状況を作っている時です。
一方の「悲観」している時は不安だらけで感情の流れに押し流されている時です。

「悲観は気分、楽観は意志」という言葉は自分が悲観的になっている時、「自分は今、自分でできることをやっているか?」という問い掛けにつながりました。

その他、仕事とは関係ありませんが、自分での楽しみの時間をとるよう意識しました。
自分にとっては大きな変化のような気がします。

仕事の合間に写真や動画を撮ってSNSにアップしたり、ポケモンGOをお供にジョギングをしたり、パオパオとの旅行も何回か行けました。
仕事とお楽しみの中間的な自主企画セミナーができたのも、その企画の打合せ(飲み会?)も含めて楽しかったです。

適度にリフレッシュしながらの一年だったので、いつもの年よりストレスが少なかった気がします。

2016年も本当によい年でした。
ありがとうございます。

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2016年12月30日

Appleサポートとのやりとりで感じたこと

iPhone7Plusが2度目の里帰りから4日前に戻ってきました。
Appleサポートと、新しいiPhone7Plusが届いたら最後のチェックをする約束をしていました。

その最後のチェックが新しいiPhone7が届いたら「初期アプリのみで一日運用する」とそれが終わったら「再起動を繰り返していたころのバックアップから復元する」ことです。

「初期アプリのみで一日運用する」で、まずは新しいiPhone7にまた初期不良がないかを確認できます(一日では断定できませんが...)。
「再起動を繰り返していたころのバックアップから復元する」で、ソフトウェアに問題はなかったか確認できます。

これまでの確認でハードウェアに問題があることは確定できていました。
ただ、ハードウェアとソフトウェアの両方に問題があるかの確認はできていなかったからです。

iPhone7が届いて、まず「初期アプリのみで一日運用する」をやってみました。
すると一度も再起動しませんでした!(本当は当たり前なのですが...)
iPhone7を購入して、再起動せす24時間もったことはなかったのでちょっと感動です。

そのあと「再起動を繰り返していたころのバックアップから復元する」をやってみました。
もう3日経ちますが再起動は一度もありません。

これで現象の特定ができました。
その状況をAppleサポートにメールして今回のバタバタは完了です。
そのメールにはお礼と感謝もしっかり付けさせていただきました。

今回のAppleサポートの対応は最初はイライラしましたこともありましたが、途中からとてもよかったです。
どうやら、何回もやり取りをしているうちにAppleのサポートでも強い権限をもつ部門まで回っていたようです。

途中でAppleのサポートの方が言った言葉が今でも耳に残っています。
「私はAppleのサポートの〇〇というものです。今回の問題が解決するまで責任をもって対応させていただきます。この件に関しては〇〇にご連絡ください」と言われました。
〇〇は実名です。

今回、2か月ぐらいバタバタしましたが、逆に自分はAppleのサポートを信頼できると思いました。

写真は盛岡で頂いたベアレンビールのアップルラガーです。
Appleつながりで、飲んでみましたが、美味しかったです。

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2016年12月27日

二つC(確認)ができない理由

経営者の友人に教えてもらったことがあります。

経営や管理を行うためにPDCAサイクルをまわすのは必須と言えます。
小さいながら自分の事務所でもPDCAサイクルをまわしながら進めているつもりです。

以前はPDCAサイクルのP(計画)もありませんでした。
個人でやっているため成り行きでもなんとかなっていたからです。
ただ、ここ2~3年ですが、自分自身の行動の羅針盤として必要性を感じてPDCAサイクルのP(計画)はできるようになりました。

ただ、なかなかうまくいかないことがあります。
それがPDCAサイクルのC(確認)です。

日々、たくさんの経営者に会っていますが、多くが口をそろえていうことがあります。
PDCAサイクルのC(確認)が難しいということです。

自分は自分でC(確認)ができてない理由を、計測が難しい行動目標になっているからと思っていました。

ただ、友人が、二つC(確認)ができない理由をお教えてくれました。

ひとつは、C(確認)をするのが怖い
ひとつは、C(確認)をしなくてもすむ

こんな小さな事務所でも(小さな事務所だから)、外部環境に翻弄され、内部資源の不足を感じる場面が増えてきています。
以前より、ようやく本当の意味でいろいろな課題と向かい合うことができるようになってきたのだと思います。

今年、14回目の忘年会...。
話に夢中になりすぎて、七輪で焼いていたものが焦げてしまいました(^^;)

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2016年12月26日

「過去のこの日」と見ると成長してないなぁ

今年の客先訪問も無事に終わりつつあります。
事務所仕事はあっても、訪問が全て終わったら仕事納めの感覚になります。
今年は12/28です。
本当にあっと言う間に一年が経った気がします。

Facebookでは、「過去のこの日」の機能があります。
過去の同じ日に書いた記事を表示してくれる機能です。

基本的には2011年から毎日自分の「つぶやきブログ」を「おはようございます」とFacebookにもアップしています。
「つぶやきブログ」は、自分の考え方、自分の行動が書いてあるので、今年は5年分の過去の振り返りが毎日できたことになります。

それをみて感じたことですが「6年前から成長してないなぁ」ってことです。
過去6年の記事です(忘年会ネタが多いです...(-_-;))。

2015/12/26:今年最後の顧問先への訪問
http://shukuzawa.com/blog/archives/2015/12/post-3284.html

2014/12/26:なんで、こんなに熱く忘年会をかたっているのだろう...
http://shukuzawa.com/blog/archives/2014/12/post-2969.html

2013/12/26:12月は「特別なお祭り期間」ですね
http://shukuzawa.com/blog/archives/2013/12/12-2.html

2012/12/26:うまくいかない時、うまくいっている部分を考える
http://shukuzawa.com/blog/archives/2012/12/post-2329.html

2011/12/26:講演を依頼した企業さんを訪問
http://shukuzawa.com/blog/archives/2011/12/post-2007.html

同じ失敗を繰り返し、同じ反省をして、同じ想いを書き続けています。
6年前に書いたブログを読んで、「これ昨日書いたんかなぁ」って思うこともしばしばありました。

まぁ、自分は自分といつも一緒なので劇的な成長なんて感じられないと思います。
ただ、もう少し成長できると嬉しいなぁって思います。

たてた目標は結構クリアしている感じがしているのですが、目的がボヤけているのかもしれないです。
もう少し成長したいものですが、歩みが遅いのも自分の特徴なので焦らないようにします。

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2016年12月23日

真逆の自分を気付かせてくれる相手の言葉

当たり前なのですが、自分では自分のことを気付けないものです。
そして、自分で思っている自分より、誰かの言葉の方がある意味正しく自分を表現している場合もあります。

最近、何人かの人に言われたのですが「宿澤さんって、楽しそうに生きていますよね」って言葉です。、
自分では、あまり考えたことがなかった言葉です。

自分はいつもネガティブに考えているので、自分のしている「苦労」ばかりが頭に残ってます。
...なので、「自分って、なんでいつも苦労してるんだろう...(-_-;)」てボンヤリ考えることが多いです。

ただ、いろいろな人に会って話していると「楽しそうに生きている」と見えることが多いようです。

この言葉に対する自分の受け止め方もかなり変わってきています。

昔は「宿澤さんって、楽しそうに生きていますよね」って言われたら、「人の苦労も知らないで...」って内心思っていたような気がしています。
ただ、今は「そうかもしれない」って素直に感じます。

相変わらず、いろんな「トラブル」や「辛いこと」はたくさんあります。
それって当たり前のことで、無くなるものではないです。

「トラブル」や「辛いこと」がたくさんありますが、自分なりに考えて前に進もうともがいています。
もし、「宿澤さんって、楽しそうに生きていますよね」と思ってもらえるなら、それは今の自分としてはとても嬉しいです。

自分の思っている自分とは、真逆の自分を気付かせてくれる相手の言葉って大切ですね。

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2016年12月21日

何気なく耳に届く言葉を大切に

吹上で経営相談、支部役員会に参加、戻って翌朝期限の提案書を作成しています。
相変わらず、時間の使い方が下手だと反省しながら作業しています。

そちらは、まず進めるとして...。
「人生はトーナメントではない。負けても、負けても、先へ進める」って誰が言ってたんだっけなぁ。
最近、失敗や、判断ミスが続いて、ややへこんだ時にこんな言葉を思い出しました。

失敗は「単なるミス」といった小さなものから、「じっくりと考え直すべき根本的な課題」といった根の深いものまであります。

自分には「同時進行で問題・課題」がおきると、それぞれへの対応力が極端に劣化するという特徴があります。
自分で優先順位を決めれればよいのですが、優柔不断な自分が起き上がると優先順位を決めた後でも、何か気になってしまい集中力を欠いてしまいます。

そんなわけで、ちょっと失敗や判断ミスが続いて、若干へこんでいる感じです。

ただ、自分の失敗や判断ミスなんて、客観的にみたら多分「かすり傷」です。
こういう時だからこそ、書き出して、眺めて、冷静に方向を定めないといけないと思います。

「死ぬこと以外はかすり傷」「人生はトーナメントではない。負けても、負けても、先へ進める」といった言葉が耳に入ってくということは、そういう言葉を今の自分が必要としているのでしょうね。

何気なく耳に届く言葉を大切にしたいです。

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2016年12月20日

借りるのではなく、自分の言葉で話す

今日会った方が、私の恩人と親しい間柄だとわかりました。
私の恩というのが、自分が事務所を立ち上げたころに、仕事がなくて困っていた時に、「まず人に会いなさい。そして運良く仕事がもらえたときはそれを真面目にしなさい。そして待ちなさい」と助言をしてくれた方です。
このブログにもよく登場する言葉です。

その方が仕事を退職されてからは、すっかり疎遠になっています。
ただ、久々にその方の話題ができただけでも嬉しかったです。

「まず人に会いなさい。そして運良く仕事がもらえたときはそれを真面目にしなさい。そして待ちなさい」の教えは今でも自分の行動の指針のひとつになっています。

人から頂いた何気ない一言が、自分の人生に大きな影響を与えることはよくあります。
ただ、その言葉を発した方は、そんなに相手に影響を与えたとは思っていないことが多いようです。

以前に、「前に頂いた言葉がとても自分の助けになっています」と、その方に話した時に「え?そんな事いったっけ?」と言われました。
そんなものかもしれません。
本人は無意識のうちに、相手を思いやって発した言葉なのだと思います。

誰かの偉人の言葉よりも、明らかに心に残る言葉になることが多いと感じます。
やはり、誰かの言葉を借りるのではなく、自分の言葉で話すこと大切さを、昔を振り返って再確認した気分です。

三崎公園でのカモの行進

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2016年12月18日

誰かに伝えるときに知っている言葉を使う

本を読んでいた時に、ふと気付いたのですが、時々妙に理解が遅くなった気がすることがあります。

最近、時々耳にするようになった言葉で「VUCA(ブーカ)」というものがあります。

Volatility(不安定な業界・組織)
Uncertainty(不確実な将来)
Complexity(複雑な状況)
Ambiguity(あいまいな現状)

...の時代を象徴する言葉の頭文字をとった言葉です。

その対応策のひとつとして「レジリエンス(resilience)の鍛える」ことがあるそうです。

レジリエンスもよく聞くようになった言葉です。
Wikipediaによると以下のような説明があります。

レジリエンス(resilience)とは、「精神的回復力」「抵抗力」「復元力」「耐久力」などとも訳される心理学用語である。 心理学、精神医学の分野では訳語を用いず、そのままレジリエンス、またはレジリアンスと表記して用いることが多い。「脆弱性 (vulnerability) 」の反対の概念であり、自発的治癒力の意味である...。

「ブーカ時代に対応するためにレジリエンスを磨く」と書くと、なにやらよくわからなくなります。

自分の理解力が落ちているのはもちろんです。
ただ、新語や略語(特に英語の頭文字をとったもの...)がとても多くなっており、ちょっとついていけない感じになっています。

人は同時に三つ知らない言葉が出てくると理解をするのを放棄する...という話を聴いたことがあります。

新語や略語にアンテナをはって理解をしていきたいと思います。
ただ、自分が誰かに伝えるときにはみんなが知っている言葉を使うように注意したいです。

時々、新語や略語を使って満足している人もいるようですが、それは理解が浅いことを露呈している恥ずかしい行為かもしれないですね。

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2016年12月17日

どんな人にも共感できる「真っ白な器」

よくわかんないことを書いており、最初に謝っておきます。

「器が大きい」という言葉があります。
よく、歴史の勝利者や 大きな仕事を成し遂げた人 などに送られる言葉のような気がします。

ときどき、この「器」という言葉について考えることがあります。
自分は小心者なので 「器」 がどうかというと、自信を「小さい」と言えます。

この「器」という言葉があるテレビ番組で語られてました。
NHKの「SWITCHインタビュー 達人達(たち)」で、「 いきものがかり」のリーダー水野良樹さんと女性映画監督の西川美和さんの対談です。

いきものがかりのリーダー水野良樹さんが自分の作る曲は「誰もが入れる器」と言ったことを話していました。
確かに万人受けする曲が多いと思います(何気に自分も好きでCDをいっぱい持ってます)。

「誰もが入れる器」という言葉が妙に気なりました。
どこかで聞いた記憶があるからです。

一週間ほど経ってようやく思い出しました。
「蒼天航路」という三国志をモチーフにした漫画の劉備玄徳の言葉でした。
「おいらはみんなが入れる空っぽの器になる」といった台詞があったように記憶してます(曖昧ですみません)

人の「器」ってたしかに大小はあるかもしれません。
しかし 「器」の大小より 、その器の中で自分の固定概念が大きく占領していない方が大切な気がします。

どれだけ「器」が大きくても、そのその人の固定概念がどかっと居座って入れは他人は入る余地がないのです。
「器」が小さくても、 その人の固定概念が居座らず、まっさらな「器」はやっぱり人が居心地のよい場所になるのだと思います。

自分は「器」が小さいので、せめて自分の 固定概念を小さくできるようにできるといいなぁって思います。
自分が、なぜ「いきものがかかり」の曲が好きなのかちょっとわかった気がします。

多分、「いきものがかかり」の曲は固定概念からのメッセージを極力薄くして、どんな人にも共感できる「真っ白な器」を意識しているのだと思いました。
ある意味、凄いのだと思います。

ちなみに、パオパオも「器」はかなり大きい気がします^^

強烈に眠いパオパオ

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2016年12月15日

「なんとかなっている」は「ずっとなんとかなる」のではない

同友会天白地区の例会に参加しました。

例会の話は、 漠然と今の自分のビジネスモデルでよいのか考える機会が増えている自分にとってはタイムリーな話でした。
実は昨日も同友会の別の会合で同じような問題提起がありました。

2日連続で自分のビジネスモデルへの問題提起があったので、真剣に考えるキッカケになりそうです。

自分は1人でビジネスをしており、その気楽さがなんとなくビジネスを成立させているのかもしれないと思いました。
なんとかなっているというピンチをピンチと認識する意識が薄くなっている今はとても危うい状態なのかもしれないと思いました。

「なんとかなっている」という状態は「決してずっとなんとかなる」わけではありません。
「安定は不安定、不安定は安定」と思いつつも、不安定を安定にする明確な行動ができていないです。

もともと「失敗することが怖い」という性格が前にでてきていたのかもしれません。
考えるべき宿題がたくさん気付けた例会だったので、しっかり自分のビジネスと向かい合わないといけないと感じました。

そんな中で一つの名言をいただきました。
最後の総括での一言ですが、「死ぬこと以外はかすり傷」です。
ピンチを怖がって立ち止まるより、今できることを明確にしてそれをするようにしたいです。

こういう意味ある言葉が、ここ数週間いくつも自分への気付きとして届いていることを次につなげたいです。

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2016年12月14日

立場を相手の立場に置き換えてみる

友人の診断士とまたセミナーの企画をしています。

このセミナーにはいろいろな目的がりますが、その一つは自分たちですべてやってみることで、セミナーの集客や運営の大変さを知ろう...という目的があります。

過去二回は同じ内容でしたが、今回はこれまでと内容を変えて喜んでもらえるよう企画に頭を捻っています。

その際に「自分が来たくなるような文言でチラシを作ろう!」という声が何気に出てきました。
「これって結構ハードル上がるよね~」と苦笑いをしましたが、ふと冷静になってしまいました。

友人も私も診断士として、販促に関してもいろいろと支援させていただいています。
自分たちも支援をさせていただいている方たちに対して「自分が来たくなるような文言でチラシを作りましょう」って軽く言ったことなかったかなぁ...って考えてしまいました。

立場を相手の立場に置き換えて考えることはとても大切なことだと思います。

今回、自分たちでセミナーの集客や運営の大変さを知ろう...と始めたことが、予想以上に大きなことを気付かせてくれている気がします。

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2016年12月10日

「劣後順位」を考えて意思決定をする

よく仕事や日常生活で「優先順位」を考える機会があります。
「優先順位」を考えることは、すべての行動の基本なかもしれません。

「優先順位」とは辞書によると「取りかかるべき物事が複数ある場合、取りかかる順番を決めること」だそうです。
なるほど、単純明快でその通りだと思います。

例えば自分に置き換えた時に、することをリストアップします。
すると結構な量のタスクが出てきます。
それを眺めてどれからすればよいかを考えるのですが、タスクが思わぬ量になってしまった場合、優先度が高い上位10個ぐらいを順位付するのが普通です。

タスクが思わぬ量になってしまった場合、「上位のやるべきこと」は順位付をするのですが、「下位のやらなくてもよいこと」は順位付けをしないことが多いです。

「優先順位」には敏感なのですが、「劣後順位」には鈍感になってしまっています。

時には「やらないと決める」ことは重要な意思決定になります。
すると、そちら側の順位もしっかりと考えておく必要があります。

特に自分のような「やることを書き出したらやらねば!」と思ってしまう人間には「劣後順位」を考えて意思決定をすることは大切なことだと感じます。

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2016年12月 6日

「漠然とした不安」はバラシて具体的にする

金山で打ち合わせ、黒川でコンサル、栄で友人に話を聞いてもらいフィニッシュです。

「漠然とした不安」は 「漠然とした不安」のままにしておくと、どんどん膨らんでいきます。
「漠然とした不安」 が体調や環境変化といった自然に流れで消滅することもあるのですが、どうせなら何らかの手を打ちたいものです。

「漠然とした不安」は、バラシて、具体的にすると「自分の今すること」に変わります。
自分の場合は「漠然とした不安」 は「よく見えていないもの」の集まりであることが多いからです。

「よく見えていないもの」 をなるべくバラシて、具体的に掘り下げていくとひとつひとつは小さなやれベきことが見えてきます。
つまり「漠然とした不安」は「ToDoリスト」に変えられるのです。

以前、「悲観は気分、楽観は意思」と教えてくれた方がいました。
「漠然とした不安」で「悲観」しているのであれば、それを意思を持って見えるようにして、すべきことまでに落とせれば「楽観」に変わっていきます。

ときどきやってくる「漠然とした不安」には、やっぱり自分の意思で手を打ちたいものです。

黒川でコンサル前に、ちょっといい感じのレトロな喫茶店で一休みしていました。

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2016年12月 5日

車に乗らないのが最強の安全性能?

フォレスターが納車されて、はや二週間チョットです。
その間、まだ一度も乗るタイミングがありません。

走ったのは、納車日にディラーから自宅までに約4キロほど...

夜はほとんど会合や懇親会で酒が入るので、昼間の移動も公共交通機関を使うって感じです。
フォレスターで動かない分、快調にGoogleFitのウォーキング、ランニングが距離を稼いでいます。

これでは、フォレスターが可哀想って思うのですが、もともと選んだポイントは安全性能です。
よほど必要がない時以外に乗らないのは最強の安全性能かもしれません。

あと、期せずして運動量がキープできているのも、よい傾向です。

また、乗る時間がないのと同時に、なかなか車のお祓いに行く時間も取れませんでした。
こちらはお日柄も関係があるようで、ますますタイミングが合いません。

ようやく納車から二週間経って、近所の成海神社でお祓いをしてもらうことができました。
自宅から成海神社往復で、また少し距離を稼げました。

ただ、また今週も乗るタイミングがありませんf^_^;

せっかく買ったんだから運転したいなぁって気持ちはアリアリです。
時間を作って週末パオパオとドライブ行きたいなぁ。

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2016年12月 2日

「何のために働いているの?」「自分のため」

独立して間もない友人に「何のために働いているの?」という問い掛けをされたことがあります。
自分は迷わず「自分のため」と答えました。

「なぜそんなことを聞くの?」と問いかけたところ、「今の自分も自分のために働く...ぐらいしか思いつかない」とのことでした。
よくよく聞いてみると、その友人の周囲には自分のためだけではなく、社会のため、人のために働いている人が多いと感じているそうでした。

さらに「なぜ、自分のため...という答えではいけないの?」って聞いてみました。
「自分のため」という答えは、そういう人達からしたら身勝手で恥ずかしいと思われるのではないか...と感じたそうです。

ただ、自分のために働くのは人として当たり前のような気がします。

そして、自分のために働くことは、他人のために働くことにもなります。
また、他人のために働くことは、自分のために働くことにもなります。

自分のために働いて自分の居場所がよくなれば、その居場所を共有する周囲にいる人達も喜んでくれるはずです。
良い反応でも悪い反応でも周囲の反応があるから、働けているのだと思います。

「自分のために働く」って決して恥ずかしいことではないと思います。

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2016年11月29日

目標に外部要因の期待値を含まない

目標がいつの間にか外部要因の期待値も含んでしまっているときってありますね。

無意識の内なのですが、「こうなってほしい」という期待値が目標達成の条件になってしまっている場合です。

こうなったとき苦しいのは自分です。
自分の努力が蚊帳の外で目標達成の可否がきまってしまうのですから。
もちろん、ラッキーで目標を達成できてしまう場合もありますが...。

目標達成の要因には自分で何とかなる内部要因と自分ではどうにもならない外部要因があります。
自分ではどうにもならない外部要因は、自分の目標達成の条件から切り離すように目標を考えた方がよいと思います。

これが腹に落ちたのは「打率三割を目標にするのではなく1日1000回の素振りをする」というある選手の言葉です(選手名覚えてないけど)。
また、ある一流セールスマンが言っていた「月1000万の売上を目標にするのではなく月500人に会う」のも同じだと思います。

成果がでなければその目標は意味がないと言われるかもしれません。
しかし、目的とそれに至る手段の目標は違うのです。

目的の実現に向けてのマイルストーンである目標は自分の進み方が正しいかを測る途中地点です。
その地点で目的からずれていたら軌道修正すればいいのです。

外部要因を極力排し、自力で実現でき、目に見えて測れるもの、それが目標だ考えています。

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2016年11月21日

安定って何?

「安定って何?」っていう意見交換になりました。
「安定」に対してのいろいろな考え方を知ることができました。

自分にとっての「安定」は、昔の上司の言葉が腹に落ちてから全くブレなくなりました。
その言葉が、よくブログにも登場する「安定は不安定、不安定は安定」です。

自分が「安定」してると思っている時ほど「不安定」な状態はないと思います。

「安定」しているという感覚は、いろいろなたくさんの支えがバランスをとって安定してることが多いです。
たくさんの支えがあって安定してるということは、支えの要素がひとつでもなくなるとバランスを崩してしまうということです。

安定の状態が続くと、このたくさんの支えの存在が当たり前になります。
この感覚が非常に危険だと感じます。
かつて自分も「安定」と思っていたら大コケして、社会復帰までに約2年かかりました。

大コケの後は、いつも不安と隣り合わせです。
それは、いつ大コケしてもおかしくないからです。

そのためか、いろいろなリスク ばかりが目につきますが、それを感じれる分最悪は避けながらここまできている感じです。

「安定は不安定、不安定は安定」はやっぱり自分にとってのおまじないのような言葉です。

街中の紅葉がきれいで写真を撮りまくっております。

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2016年11月20日

一緒に長くいたものを手放すのは寂しい

スバルのフォレスターが納車されました。
最近、疲れがたまるとすぐに眠たくなるので、なにより安全性能を最優先、そして中でゆっくり眠れるという理由でかみさんが決めました。

車が新しくなったのはとても嬉しいのですが、今はなんとなく代わりに引き取られていったbBに対する想いの方が強いようです。

今回の買い替えはいつも自分が乗っているプリウスではなくbBが対象です。

bBはもう15年も我が家に貢献してくれています。
さすがにいろいろと調子が悪くなり買い替えを決意したのですが、最後まで頑張ってくれました。

初代のbBでデザインはいまだに色あせていないと感じています。
自分の病気もあり一番大変な時を家族と一緒に過ごした車なので愛着もひとしおです。

車みたいに長い時間一緒にいたものを手放すときは、寂しいものですね。

ビジネスプラン評価の仕事が押していたこと、一日ちょっとトラブル続いたことで、バタバタしていたこともあり、bBが引き取られるときに最後に慌てて一枚だけ写真をとることができました。
バタバタの中でもちゃんと洗車をして送り出せてよかったです。

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2016年11月18日

「運」との向き合い方

何気なくテレビをつけていたら「成功者なんてみんな運」という言葉が聞こえていました。
「努力」を自力を否定して、「運」という他力だけに頼るのは否定をしたいところです。

ただ「運」だけに頼るのは如何なものかと思いますが、「運」が大切なことは否定できません。
「運」の大切さを語った言葉はとても多いですね。

「運」との向き合い方が大切なように感じます。

例えば「人事を尽くして天命を待つ」のように「できる限りのことをしたら、あとは結果は天に任せる」のは、「運」との向き合い方のひとつのように感じます。

また、努力をして「運」を引き寄せる向き合い方もあると思います。
大谷翔平選手が高校一年生の時に書いた有名なマンダラでは「8球団からドラフト一位に指名されるには?」の問い掛けに、「コントール」「キレ」「スピード160Km/h」等に混ざって「運」があります。
さらに「運」を深掘りしたマンダラでは「あいさつ」「ゴミ拾い」「部屋掃除」「道具を大切に使う」「審判さんへの態度」などがありました。
「運」は決して他力ではなく、自分の努力で引き寄せられるものだと考えているところが「すごいなぁ」と思いました。

「運がいい人も、運が悪い人もいない。運がいいと思う人と、運が悪いと思う人がいるだけだ。」という言葉もありました。
こういう「運」との向き合い方もひとつですね。

自分としての「運」との向き合い方は、成功は「運」のおかげだと考えて、失敗は「努力が足りなかった」と考えるのが合っている感じです。

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2016年11月16日

短く原稿をまとめるのは難しい

短く原稿をまとめるのは難しい

名古屋商工会議所の会報誌「那古野」にコラムを載せていただきました。
意外と「見たよ」という声を聞いて驚いています。

以前、中部経済新聞に連載していた時は1200文字でした。
これでも、毎回記事をシェイプアップするのに苦労していました。

今回はそれよりも短い800文字で、原稿用紙2枚分です。
その800文字に言いたいことをまとめるのにとても大変でした(言いたいことがまとめられているか怪しいですが...)。

そもそも自分の原稿の書き方がいけないのだと思います。
自分は、まず、言いたいことを制約なく文章にして、そこから削っていく書き方です。
この書き方では、いつも最初の文章が長くなってしまいそこから削るのは至難の業です。

今更ですが、この状態を回避するのによい方法があることに気付きました。

春先に行われた新入社員研修のフォローアップ研修で「伝わってこその報連相~ロジカルシンキングを使う意味~」を前に行いました。
この中では論理ピラミッドで伝えるべきメッセージを論理的にまとめる話があります。

論理ピラミッドで頭が整理されていれば、時間配分によって「レベル1までだけ伝える」とか、「あるサブメッセージだけ深掘りする」とか柔軟な構成が可能です。

考えてみたら、自分も言いたい文章で原稿を書いてそこから削るといった「非ロジカル」なことはやめようと思いました。

まずは、自分の頭の中で論理ピラミッドを作成し(もしくは書き出し)、それから文章を作ることにします。
本当に「今更...」な感じがします。

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2016年11月 4日

習慣とは怖いものですね

久々にかなり飲みました。

最近はめっきりお酒が弱くなったのですが、楽しい酒ということもあってリミッターが外れたようです。

ただ、ここしばらくは知らない間に知多半島に行ったり、豊橋に行ったりする大失態はしていません。
ちゃんと名鉄有松から家に到着しています。

飲んだあと、確かに家には着いたのですがどうも記憶があいまいです。
そして、異常に時間がかかっていました。

うっすら思い出してきたのですが、タクシーで家に着いた後いつもの癖でジョギング(ほぼ走れておらず散歩)をしていたようなのです。

ボンヤリした記憶は、GoogleFitに記録されたGPSの軌跡から確信に変わりました。
しっかりといつものルートを走って(歩いて)いました。
ここらでようやく記憶がハッキリと戻ってきました。

習慣って怖いものです。

家では、ダラけきったパオパオが迎えてくれました。

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2016年10月31日

自分が少しアクティブになっている

また、くだらないことをつらつら長い文章で書いています。

自分が少しアクティブになっている感じがします。
まだ、まとまった時間が取るのが下手なので仕事の合間になりますが、外に出て楽しむことが増えている気がします。

そのキッカケがいくつかあります。
「一眼レフカメラ」「ポケモンGO」「ジョギング」などです。

一つ目が、一眼レフカメラを買ったことです。
初心者用といわれる「PENTAX Q-S1」です。

半年ぐらい前に買ったのですが、小さいのでカバンにいつも入れています。
レンズも知らない間に4つに増えており、いろいろと付け替えて楽しんでいます。
仕事の曖昧にちょっと景色のよさそうなところを見つけると、ちょっと立ち止まって写真を撮っています。
何もわからずに撮っていますが何か楽しくて外に出ようという気になります。

二つ目が「ポケモンGO」です。
ブームは沈静化していると思いますが、 「夜のジョギング」 のときに相変わらずのんびりポケモンを収集をしています。
最近のハロウィンで「ゴース」「ニャース」「カラカラ」とその進化モンスターはちょっと見あきてきました。

三つ目が「ジョギング」です。
もともとずっと「夜のウォーキング」をしていたのですが、9月にアクトスリレーマラソンに出るきっかけで「夜のジョギング」に切り替えました。

毎日4Km~6Km ですが、ペースよく走れた時はちょっと楽しいです(...といってもメチャ遅いですが...)。
GoogleFitが前より機能が充実していることもあって、楽しくもう3か月ほど毎日続いています。
ポケモンの収集と合わせて「夜のジョギング」は憩いの時間になっています。

ちなみにGoogleFitによると「緑区在住者の93%よりもアクティブでした」だそうです。
基準もなにもわかりませんが...^^;;

まだまだ、オンとオフの切り替えが下手だと思いますが、ちょっとずつ楽しみ方を模索しています。

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2016年10月26日

自由に「何がしたいのか?」を考える

最近、よく考えるのは「自分は何がしたいのか?」です。
今更という感じもしますか、時々「自分は何がしたいのか?」が分からなくなることがあります。

こういうテーマは「考えなくては!」と自分に負荷をかけて思考しても、なかなか発想は拡がっていきません。
ただ、なんの制約もなく考えてみると発想も拡がりストレスも解消されるようです。

つまり、考え方次第で「自分は何がしたいのか?」への自分の答えも変わってくるように感じることが増えています。

「自分は何がしたいのか?」を論理立てて整理している時は、なぜか仕事中心の「したいこと」になってしまします。
ただ、「自分は何がしたいのか?」を制約なく考えていると「好きな人達と話したい」「なにかワクワクすることをしたい」「自分の出来ることを拡げたい深めたい」...など感情のおもむくままにしたいことが見えてきます。

しがらみを忘れて自由な発想で「自分は何がしたいのか?」を自分に問いかけるのは、心の健康に良い気がします。
しかも前向きに考えられるときに今の日常を振り返ると、結構やりたいことをやっているような気がしてきますね。

自由に考えたあとで、現実に立ち返って「制約をどうやってクリアするのか?」を考えればよいと思います。

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2016年10月12日

どうせならチャレンジ企画に慣れたい

今年はいろいろとチャレンジ企画が多いなぁって思っていました。
初めてする仕事やイベントがとても多いと感じています。

自分はどちらかというと変化が苦手です。
初めて体験することにストレスや緊張を感じます。

ただ、過去の記録を振り返ると、決して今年はチャレンジ企画の多い年ではないようです。

facebookでは、過去のこの日という情報を出してくれます。
それを見ると、ほぼ毎年のように「今年はチャレンジ企画が多い」と書いているようです。

過去のチャレンジを忘れているのか、それとも毎年がチャレンジ企画で慣れてしまったのか‥
できればチャレンジすることが当たり前に感じれるようになりたいです。

ただ、毎年慣れないことをしているので、「アチャー、やっちまった」って思うことが多いです。

名古屋も急に寒くなりましたね。
仙台での公園の風景はすっかり秋になっていました。

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2016年9月25日

何故か本の内容が心に入ってこない時

新潟での研修のため前日移動をしました。
新幹線での移動のため約4時間ほどかかります。

7月から出張が増えて、その出張の移動では仕事をせず本を読むようにしています。
移動中に焦って仕事をしても、揺れる電車の中ではそれほど進捗しないことがわかったからです。

今回も本を読んでいました。
職業柄、本を読むことは多いのですが、時々 何故か心に入ってこないなぁって本があります。

少しそういう本の共通項らしきものが見えてきました。

1つは「体験がない」ということです。
今回読んだ本は体験(実例)もたくさん入っていました。
しかし、それらは自分のたいけんではなく、ヒトの体験ばかりでした。
ヒトの体験を「...ということです」と伝えられても、いまいち心に落ちていかないです。

もう1つは「キーワードの使い方」です。
今回の本もあるキーワードが多用されていました。
伝えたいことに権威あるキーワードを与えると、読み手は一瞬「なるほど、根拠があるのだな」って思っていしまうことがあります。
しかし、しばらくときが経つと心に落ちていないので結局は忘れてしまいます。

自分も「人に何かを伝える」ということが多いです。
特にセミナーや研修では「自分の体験を入れる」「キーワードの奥の本質を伝える」という部分を大切にしたいと思います。

よく、セミナーや研修のアンケートに「講師の失敗談がよかった」という意見をいただくことがありますが、これは最高の褒め言葉かもしれないですね。

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2016年9月23日

ありがたい「無責任な一言」

ありがたい「無責任な一言」

いつも迷ってばかりの自分ですが、誰かの一言に背中を押されて何かを決意することはよくあります。

その誰かの一言に共通して多いのは「無責任な一言」です。
自分にとっては「無責任な一言」がとても価値のあることのようです。

自分のことを考えていただける意見はとてもありがたいです。
自分の頭を整理したい途中のプロセスで頂ける意見は、こういった意見の方がありがたいです。

ただ、最後の背中を押されて意を決するときは、なんのしがらみもなく発っせられる「無責任な一言」の方が決め手になることが多いです。

誰かにどんな言葉をかけられたとしても、自分の事に責任を持って決めるのは自分です。
結果を誰かのせいにするわけにはいきません。

どのみち責任は自分にあるわけですから、いただける意見は「無責任な一言」の方がありがたいわけです。
その一言は、しがらみなどで狭まった自分の考えとは、発想や視点が全く異なる一言です。

こういう意見をいただいて、自分なりにどうそれに向き合うかを考える事が大切だと思います。
そこにいろいろなヒントが隠れているように思います。

「大丈夫! できるよ! やっちゃえよ!」という「無責任の一言」が、考えすぎの自分の背中を押してくれました^^

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2016年9月18日

そもそも何を怒っているのか忘れている場合

少し前ですが、電車の中で子供を怒っている親がいました。

結構な大声で怒鳴り続けており、耳に入ってきてしまいまました。
自分には子供がいないので、こういう場合の大変さがよくわかりません。

ただ、その母親は散々怒鳴ったあと「あー、もう何を怒っているのかも、わからないわ!」とさらに怒っていました。

これは、仕事での上司・部下、リーダー・メンバーの間でも時々見かける風景です。

上司、リーダーは怒っているうちに、自分がそもそも何を怒っているのか忘れてしまっているのです。
こういう時の部下やメンバーは気の毒です。

上司、リーダーは、何を怒っているのか忘れてしまっているので、だんだんと感情的な人格攻撃になってしまっていることがあります。
今、怒るべき出来事ことを忘れて、これまでの腹立たしいことを責めているのです。

そもそも、怒るのは「感情的」で「自分の不満の発散」のためなのかなぁって思います。
一方、叱るのは「理論的」で「相手の成長を願う」だと思っています。

何よりも恫喝的に怒るのは「相手の思考力、判断力を鈍らせる」ことになります。
冷静に叱るのは「相手に考えさせる」のは狙いだと思います。

自分も相手に怒ったり、叱ったりするのは苦手ですが、せめて「叱る」ということに近づけれるようになりたいですね。

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2016年9月14日

焦らず計画を遂行すること

仕事を焦ってとりあえず手をつけたとしても、待っているのはロクでもない結果ですね。

自分はいろいろな仕事が同時進行で進んでいる時、手がついていない仕事をとかく不安に感じてしまいます。
当然、計画は立てているのですが、その計画がタイトになるほど不安に感じます。

そうするとよせばいいのに「まずは、流れだけでも手をつけよう」と考え始めます。
これがいけないです。

シングタスクの自分の脳に、いろいろな仕事が同時にできるはずはありません。
しかも、頭の切り替えは遅いと来ています。

あちこち手をつけて、あれこれ心配しているうちにまた時間が過ぎてしまうという悪循環です。

やっぱり、原点に返って一度計画を立てたら(覚悟したら)それを守ることに集中ですね。
自分の立てた計画を信じて、その遂行に集中しないといけないと思います。

時々、自分って基本中の基本に気づいて、それが当たり前すぎて驚くことがあります。
今回も、当たり前すぎて、正直驚きました。

焦らず、計画を遂行します。

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2016年9月 6日

原稿執筆という仕事で感じること

自分の仕事を分類すると、コンサル、研修講師、原稿執筆の三つに分かれます。
経営者カウンセリングの仕事もありますが、形が変わるだけで基本的にはコンサルに近いと感じます。

割合としては、コンサル、研修講師が圧倒的で、原稿執筆はそれほど多くありません。
以前に月間商工会にシリーズ掲載していた時や中部経済新聞に連載していた時はちょっと多かった程度です。

今、たまたまちょっとした原稿執筆の仕事をしていますが、久々に難航しています。
理由は文字数が800字と短いながらも、言いたいことが多いテーマだからです。

普通に言いたいことを何も考えずにかいて、文字数カウントをしたら1600文字で頭がくらくらしました。
「これを半分にするのか~」と目の前がクラクラしました。

これまでの原稿執筆で学んだことがあります。
原稿を長くするのは簡単だが、短くするのは下手をすると書き直しになる...ということです。

今回もいろいろと考えましたが、なんとか書き直さなくてもよいように試行錯誤の真っ最中です。

そんな中、以前にコラムを書かせていただいた日本産業カウンセラー協会中部支部会報誌「ほのぼの中部」が届きました。
この時は、大阪に出張する新幹線の中で書きましたが、とてもスムーズに書くことができ、自分でも素直な文章で満足できました。

原稿執筆はスムーズの場合と生みの苦しみの時の差が激しい仕事ですね。

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2016年8月31日

「自分の本当の気持ち」を知るには

ちょっと前に「自分の本当の気持ち」を知るのは簡単だよって教えてくれた方がいます。それは「自分は...」「私は...」って主語を付けて意見を言うだけだそうです。

確かに「自分は...」「私は...」って主語を付けて意見を言ってみると、「自分の本当の気持ち」から外れた発言は、なんとなく心に「違和感」を感じます。
その「違和感」をキャッチできると、少なくとも自分は本心からその言葉を発していないということになります。

「自分の本当の気持ち」を知ることで意外な気付きがありました。
なんとなくですが、自分に対して何かを言い聞かせるときに、自分を偽っていることが多いようです。

いつもこの方法で「自分の本当の気持ち」を知れるのかはよくわかりません。

ただ「自分の本当の気持ち」に素直になるのは、自分にとっては結構難しいことです。
だからこそ、自分の対しては今の行動や発言が「自分の本当の気持ち」から外れていないかにアンテナをはりたいものです。

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2016年8月29日

何気なく耳に届く言葉

自分とは関係のない人達の雑談、テレビから流れるニュース、スマホで通知されるSNSのメッセージ...。
自分に直接向けられた言葉でなくても、「何気なく耳に届く言葉」って、とても多いと思います。

それは自分がボーっとして集中力が欠ける時にたくさん届くような気がします。
きっと、何か自分を救う言葉や、力にできる言葉を欲しているのでしょうね。

何か自分を救う言葉や、力にできる言葉を自分から探しに行っても、全く出会えないことは良くあります。
...なので「何気なく耳に届く言葉」を大切にするのがよいですね。

「何気なく耳に届く言葉」は、きっとその時の自分が必要としている言葉なのだと思います。
必要でなければ、耳に届くことなくスルーされるはずです。

情報過多な時代です。
そんな、たくさんの情報の中で、「何気なく耳に届く言葉」を大切にしたいです。

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2016年8月26日

壁を作ることなく自然に話せる人

これは昔からなのですが、自分は人と接する際に自分で壁を作ってしまう傾向があります。
なかなか人と打ち解けるのが苦手なのは「自分が作ってしまっている壁」だと思います。

この「自分が作ってしまっている壁」は自分に対する自信の無さが原因で作られています。

自分に自信がないものだから、そのまま自分を出すことで幻滅されるのが怖くて壁を作っているののだと思います。

ただ、自分が今親しくさせれ頂いてる方達は、自分を出しても幻滅されないだろう...という根拠のない自信を持てる人達ばかりです。
そういう人にしか自分を出せていないともいえると思います。

一方で、自分を出した結果、幻滅されて離れていってしまう人もいます。
そういう人とは縁がなかったと思ってあまり気にしないことにしています。

世の中にはいろいろな価値観があって、合う人や合わない人...いろんな人がいて当然です。

ただ、自分が忘れていけないのは、自分が壁を作ることなく自然に話せる人は、自分にとってとても大切だということです。

壁を作ることなく自然に話せる人が少しづつ増えてきています。
そういう人達は出会いは組織であっても、組織を越えてでも個人的に会いたいと思う人達です。

こういう人達と長く付き合っていけたら、きっと人生は豊かになるのでしょうね。

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2016年8月24日

いろいろな「切り分け」が苦手

些細なことをこ自分でねくり回して、わざわざ難しくしてしまう...。
自分の悪いところです。

シンプルに考えればよいのですが、関係のない(もしくは薄い)要因や事実を探し出して、それを思考に組み込んで、自分で頭を抱えてしまいます。

自分は何が苦手かというと「切り分け」のような気がします。

必要かそうでないかの切り分け、今考えることそうでないかの切り分け、自分ができるできないの切り分け、オンとオフの切り分け...探すと色々な苦手な切り分けが思い当たります。

切り分けは「ある基準にもとずく判断」もしくは「自分で価値観による意思決定」だと考えています。

よく考えると「判断」も「意思決定」も苦手です。
ここ一番で優柔不断になって自己嫌悪に陥ることがよくあります。

...そういえば家庭のゴミの分別でもよく迷っているのを思い出しました。

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2016年8月19日

自分なりの現実逃避の方法を持つ

やることが多くて疲れたり不安になった時、ふと逆のことを考えてみます。
例えば「資料作成の宿題が山積みだ ! を  資料も全部つくって、やることない (-_-;)」...てな具合です。

何か大変な時は、その逆(作為的な逆ですが...)を考えると「そっちよりは今の方がいい!」って思うことがよくあります。
とても大変な時ほど、大きく逆に振れるので、逆も大変なことが多いと感じます。

現状に不満を感じたら「今の逆だったら」という質問を自分に対し行うと楽になる時があります。
自分が現実逃避の時に使う方法です。

若干、自分の都合のよいように考える作為的な方法です。
でも、自分なりの現実逃避の方法を持つのは良いと思います。

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2016年8月17日

楽観できるのは意志の強さ

時々思い出す言葉に「悲観は気分、楽観は意志」があります。

「あの人は楽観的だなぁ~」と言われることあって、「お気楽な人」と思われることがあります。
ただ、自分から見ると楽観的な人ほど意思の強い人だと思います。

自分が楽観的になれるのは、すべきことが見えている時、準備や段取りができている時、気持ちをしっかりと前向きできているときです。

自分にとっての「楽観」とは、勝手に楽観になるのではなく自分の意思で楽観的になれる状況を作っている時です。
...なので楽観は意思だと言えると思います。

一方の「悲観」している時は不安だらけで感情の流れに押し流されている時です。
自分の場合は、普通の状態がそもそも悲観的な感じがします。
同時に、なにも準備できていなかったり、先が見えなかったりすると、どんどん悲観的になっていきます。

...ということで、「悲観」を自分の意志・行動で「楽観」に変えられるようにしていきたいですね。

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2016年8月16日

人と比較して不安定にならないために

自分もそうなのですが、自分の体が疲れていたり、辛いことがあったりすると、同時に心の弱くなります。
心が弱くなると、自分に不安を抱き、人と比較して大丈夫なのかを確認したくなります。

心が強い時は、自分自身を絶対評価(過去の自分との比較)できると思います。
でも、心が弱い時は、自分がそもそも信頼できなくなり、自分ではない人と比較してしまいます。

それで「自分はまだまだ大丈夫!」と安心したいのだと思いますが、そもそも人と比較している時点で不安定極まりないです。

しかも人と比較している時は、その相手の全体を知ろうと努力しているわけではなく、自分の都合のよいところだけを切り取って比較していると感じます。

人と比較して不安定にならないためにも...

・人にどう思われているか気にしない
・人の発言に一喜一憂しない
・人の一部分を切り取って比較しない

一部分しか分からないならそもそも比較しないって大切だと思います。

やはり、冷静に自分自身の過去と比較するか、未来の自分に向けて今はそちらに向かっているかを考えたいですね。

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2016年8月15日

携帯電話を大切に使い続ける友人

吹上の某支援センターで窓口相談を行っていました。
相談者の何人かの方に「お盆もやっているのですか?」ときかれましたが、基本的には行政はカレンダー通りです。

お盆にもかかわらず 朝から夕方までフルに相談者が見えていました。
熱心な相談を見れる方々ばかりで、自分も夢中で対応をしていました。

某支援センターで窓口相談の後、次に向かおうとエレベータでホールに降りると、 携帯電話をとても大切に使う 友人に偶然あいました。
前に携帯電話を見せてもらったとき、ガムテープなどでガッチリ補強されていました。

他にも「携帯電話が何もしなくても自動で開くようになった(...というより閉じない)」「充電コードをつないでいないのに充電マークがでる(実際は充電されいない)」と自慢をされていました。
携帯電話が何もしなくても自動で開いてしまう対策のため、輪ゴムで携帯電話が開かないように止めていたのが印象的でした。

まだ使い続けている、その携帯電話を見せてもらうと前より進化していました。
輪ゴムでは携帯電話が開いてしまうので、紐で縛っていました。
そして、心なしか補強のガムテープも増えていると感じました。

自分も最近はモバイルデバイスを買うのを控えていますが、彼のモノを大切にする気持ちには相変わらず感心しました。

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2016年8月13日

迎え火でお盆の気持ちを味わう

午前はお墓参り、夕方からは迎え火でお盆の気持ちを味わえました。

迎え火は、夕方家の前でパオパオも一緒に炊きます。
家族の一員として毎年抱っこされながら一緒に迎え火を見つめています。

すると近所の子供たちが寄ってきて「何してるの?」と話しかけてきました。
どうやら、その子供たちはパオパオのお友達のようで、パオパオも嬉しそうに撫でてもらっていました。

自分は子供がいないこともあって、そういうことに疎いです...。

ただ、パオパオもいたので子供たちが寄ってきて、玄関の前で火を焚いている風景に関心を持って聞いてきました。

「これは迎え火といってお盆の時に先祖を迎えるんだよ」と話していたら、子供の一人が「おばあちゃんの家でもやっていた!」って言いました。

迎え火の文化は、地域にもよるのか知れませんが、マンションなども増えてあまり行われなくなっているのかもしれないと思いました。

いろいろな文化や風習が後に伝えられていくと思います。
その過程で無くなっていくものも多いと思います。

意識をすることはないですが、文化や風習で伝えられるものは伝えていきたいです。
こうやってブログに書くことも一つの手段だと思います。

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2016年8月10日

「辛いこと」と「楽しいこと」は単なる刺激

「毎日が大変だなぁ」って思っているときは、本当に視野が狭くなっていると思います。
しかも、全体に対する視野が狭くなっているのではなく、「楽しいこと」「幸せなこと」への視野が狭くなっていると思います。

「毎日が大変だなぁ」って思っている限りは、「幸運」に気付けずに通り過ぎ、「幸福」にも気づく事が出来きないと感じます。

実際、毎日が大変なときは「辛いこと」「苦しいこと」への視野は必要以上に拡がっています。
別にそれほど辛くなくても、そう見えてしまいます。

これって無駄な事に精神的な労力を漬かってしまっていると感じます。

「大変だなぁ」って思ってしまうときほど、視野のバランスを取るようにしたいですね。
「大変だなぁ」って思うときは、「辛い」と思うことは視点を変えれば「楽しい」ことだと思うとちょうどよいと思います。

「辛いこと」と「楽しいこと」はどちらも単なる刺激でどっちに転ぶかは気持ちの持ち方のように感じます。

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2016年8月 7日

楽しいことをしている時は疲れない

最近、(今更ですが)わかったのは、楽しいことをしている時は疲れない...ということです。

仕事の場面だと、研修・セミナーやコンサルの場面でもそうです。
中には、重たいテーマの仕事の場合もあります。
ただ、そのようなテーマの時こそ、前向きに楽しむことが大切だと感じます。

また、楽しいテーマの仕事を創り出すのもよい方法です。
先日「前に進むための2時間」という友人とのコラボセミナーを行いました。

これは「悩みにどう向かい合うか」という、自分自身の課題であり、伝えたい内容を形にしたものです。
セミナーでいろいろな方と出会えたのはもちろんのこと、友人と事前打ち合わせという名目の飲み会もとても楽しかったです。

もっと手軽に日常的に、自分で「楽しむ」ことを考えれるといいですね。

盛岡に研修の前日移動をしました。
盛岡の街も自分は大好きなので、それ自体が「楽しむこと」と言えます。

まだ、明るいうちに盛岡の街に着いたので、少し散歩をしました。

まずは、ホテルを出てボンヤリと北上川のほとりを歩きました。
キレイな水で心が洗われるようです。

そのまま 岩手公園(盛岡城跡公園)まで 足を延ばしました。
本丸からは盛岡の街が一望できます。

ちょっと暑かったですが、爽やかな景色があり、これも「楽しむ」ことだと思いました。

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2016年8月 6日

「人に教える技術」というテーマ

富山から戻ってきて、整理していて気付いたことです。

最近、セミナーや研修で話したりコンサルしたりする機会が地道増えているのが「人に教える技術」というテーマです。
プロジェクトのリーダーや、OJT担当者などに伝えるテーマとして「技術・知識の教え方」「意欲の引き出し方」のふたつのテーマから構成されています。

ところが、「人に教える技術」というストレートなタイトルだとなかなかセミナーや研修に集客がされにくいようです。
きっとイメージがわかりくいからだと思います。

そのかわり、このテーマが「プロジェクトマネジメント研修」で泥臭い部分ですがメンバーを育てたり動かす内容を入れてほしいとか、「管理職向け研修」でこれからメンバーとどう接し育成していくか...というった内容のニーズで依頼され組み込まれることは多いです。

つまり、ニーズはあるのだけど、タイトルとしての伝え方がよくないという例だと思います。

今年度「人に教える技術」というタイトルで実施された研修は2回しかしません。
その際も、内容をしっかり説明することで伝わりました。

一方でニーズとして「プロジェクトマネジメント研修」や「管理職向け研修」に組み込まれて実施されたのはすでに7回程あります。

きっともっと心に響くタイトルがあるのだと思い、それを試行錯誤しています。
少し自分への課題を突き付けられている感じでしたが、つらつらと今回のブログに書いていたら少しヒントに気付いた気がします。

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2016年8月 1日

先の事をぼんやり心配しても答えはない

もともと、先のことをぼんやり心配しすぎる性格なのですが、今はリズム的にその傾向が強まっている気がします。

先のことをぼんやり心配しても答えが得られるわけではありません。
当然ですが、心配事が解消されるわけでもないです。

答えのない先のことをぼんやり心配する時間があるならば二つのことをした方がいいと思います。

短期的には「目の前の課題に集中する」です。
目の前のことに集中することで、不要な心配から解放されることがあります。
同時にそれが突破口になることもあります。

長期的には「心配事を紙に書き出す」事に時間に使ったほうがよいと思います。
書き出すことで堂々巡りというぼんやりとした心配から解放され、自分が本当に心配すべき事(自分の目指す道)が見えてきます。

‥てなことを、自分に言い聞かせています(^_^;)

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2016年7月31日

疲れた時は10分でいいので仮眠

新城市の緑と水に癒されて一日...。現実に戻されて仕事に励んでいます。

ただ、時々のリフレッシュは間違いなく必要です。
少し休むと作業効率があがる(...ような)気がします。

一番、もったいないのは体がヘロヘロなのに無理して仕事を続けることだと思います。
実際に仕事は続けているので体に疲労はたまっていきますが、仕事は一向に進んでいません。

最近よくブログにも書いていますが、自分はマイブームは「仮眠」です。
疲れた時は10分でいいので仮眠をとると生き返ります。

目を閉じてジッとしていたり、ヒーリングの音楽を聴いたりいろいろと試したのですが仮眠に勝るものはないと確信しています。

昔は仕事の最中に仮眠をとる事に抵抗がありました。
ただ、最近は疲れを取って体調を整える方が何よりも大切だと感じています。

以上、最近眠くて仕方がなく
、休憩時間は常に仮眠場所を探している自分の「言い訳」でした。

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2016年7月25日

時間とハードルクリアの目標設定のバランス

モチベーションを考えた時、ある程度頑張ると超えられるハードルが一番燃えます。
簡単に跳び越せたり、絶望的に高いハードルは萎えます。

今の自分の仕事ではハードルを設定するのは基本的に自分になります。
もちろん、お客さんの望んだ高さはクリアするのが条件ですが、お客さんの望んだ高さをクリアしているだけでは十分な満足を得られないと感じます。

お客さんの望んだ高さの一歩上を行ったときに、感動してもらえて次の仕事につながっていきます。
そんなわけで、自分で満足できるハードルのクリアを目指しているうちに時間がなくなくなることはよくあります。

ある意味、過剰品質になっていることもよくありますが、夢中でハードルを越えようとしているときはあまり気づきません...。
自分の時間とハードルクリアの目標設定のバランスをもう少し適切に行えるとよいのですが...。

まだしばらくは、気持ち的には気合が入った状態が続きます。
ただ、気が張った状態がずっと続くとブチっていくといけないので時々は様子をみながらやっています。

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2016年7月23日

ブログを書くのは自分を内観するため

自分がブログを書くのは自分を内観するためです。
内観とは「自分自身の精神状態を観察する方法」だそうです。

そんな大それたことではありませんが、自分との対話によくブログを使っています。

以前は「日記」という形で自分の思いを自分だけが見るという前提で書いていました。
それも「カタルシスノート」というかたちで今も残っています。

それは誰が見るわけでもないので、いろんな不平や不満が並んでおり、ややもすると前向きな気持ちを萎えさせてしまったり、自分ではない何かが悪い...といった他責の気持ちを強くしてしまいます。

時々は、そういう書きなぐりも必要かもしれません。

ただ、毎日続けるのであれば、自分自身を観察する際に客観的な目が合ったほうが冷静に見つめられます。

ブログは公開するので、ある意味自分で書いているのですが、自分ではない第三者の視点も入ってきます。
そういう意味で 自分を冷静に内観するためにブログを書き続けているのだと思います。

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2016年7月20日

「うまく話せていないと感じる」とき

大阪のIT企業さんで一日研修をさせていただきました。

時々遭遇するのですが、人前で話していて「今日はうまく話させている」また「話せていない」と感じることがあります。
話すテーマの理解度とか経験とかましてや準備の差ではないようです。

何回も話しているテーマなのに 「今日はうまく話せない」と感じたり、初めて話すテーマなのに「うまく話せている」ということがあります。
受け手にどう伝わっているかはまた別の話ですが、自分自身でそう感じることがあります。

理由はよくわかりません。
若干関係していると思いますが、単純に体調でもないようです。
話し始めて気づくので、その後の気落ちの切り替えやコントロールが大切だと感じます。

1時間 ぐらいのセミナーだと「あれ?おかしいなぁ」と思っているうちに終わってしまうことがあります。
今のところ自分が一番効果的だと感じるのは「話せていない」と思ったら、まず落ち着いて「少し話すペースをゆっくりにする」ことです。

6月中旬から7月終わりまでは人前で話す仕事が多くなっています。
ある意味、「人前で話す」という自分の仕事では大切な部分に気付ける時なのかもしれません。

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2016年7月16日

自分のことばかり話す...反省

最近、楽しければ楽しいほど「自分は、自分は...」と自分のことばかり話すようになってきているように感じます。

人の話をちゃんと聴くけなくなっているように感じる自分への反省をメモしておきます。

まずは「貴重な人の話が聞けない」という点です。
人の話には多くの気づきが詰まっています。
「自分は、自分は...」と自分のことばかり話すことに集中していては、大切な気づきに気づけないことになります。

次に「自分は、自分は...」と自分のことを夢中になっている人は、たくさんの情報を詰めすぎて論理破たんを起こしていることがあります。
自分が論理破たんを起こしていることに気づけないような状態で話し続けると傷口をどんどん広げます。

そして、自分のことを夢中で話していると「場の空気」が読めなくなります。
今、この人に伝えるべきことをと話すことが大切です。
「場の空気」を読みながら、相手が必要としている情報を絞って伝えることが大切だと思います。

気を付けているつもりなのですが、もっと人の話に耳を傾けないといけないです。

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2016年7月10日

急に熱くなり気を付けたほうが良いこと

昼間は自分の選挙に行き、夕方はかみさんの選挙にパオパオと一緒に行きました。

それはおいといて、急に熱くなり少々気を付けたほうが良いと思いました。

仕事と仕事の合間に仮眠をとることはよくあります。
最近、運転していると急な睡魔に襲われます。
体調不良による事故のニュースも多くて自分としてはとても気になります。

...なので、疲れているなぁって思うときは10分でもいいので車を止めて寝るようにしています。

ただ、問題は急に気温が上がってきているということです。

自分のプリウスはややバッテリーが弱っており(替えればいいのですが...)、冷房をつけたまま眠るとまずエンジンがかからなくなります。
そのため、エンジンを止めた状態で寝るのですが、起きると蒸し風呂状態です。

汗をかいて目覚めるのですが、それでも疲れはかなり取れています。

しかし、今度は熱中症にならないか心配をしてます。
先日も、目が覚めて外に出ようとしたら頭痛ともに目が回っていました...。

書きながら思ったのですが、バッテリーを変えるのが一番ですね。
今度は、ディーラーに行く時間を捻出するのが課題です。

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2016年7月 6日

人の話を聴く時間が大切

仕事柄、人の話を聴く機会が多いです。

大げさな言い方かもしれませんが人の話にはその人の人生、思想が詰まっています。
当然、自分の頭では理解できないことも多々ありますが、それも人の話に耳を傾けることは、自分の知識を増やし、考え方を多様化します。

人の話に耳を貸さない人、人の話を聴いているのだけど役立てない人はとてももったいないと思います。
また、自分の話ばかりして相手が話す時間(気持ち)をなくしてしまう人ももったいないです。

私もついついしゃべってしまうほうなのですが、自分がしゃべるよりも相手の話を聴くことに時間を割きたいです。
これは、昔からよく言われることですね。

また、たくさんの話を聞く一日にしたいです。

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2016年7月 5日

見えないものを見えるようにする努力

見えないものを見えるようにする努力...。

一言でいうと「見える化」ですが、そんな単純なことではないと感じます。
そもそも「見える化」したいものが「概念」なのか「物質」なのかでアプローチが異なります。

「概念」を見える化するには、その「概念」の理解が必要です。
一方「物質」も形をなしていますが、その形が万人に同じように見えるかどうかはわかりません。

「情報」というものがあります。
これは「情報処理」をすることで、ある程度自分の見せたい形で表現することができます。
グラフもしかり、比率(指標)もしかり、費用対効果の見せ方もしかりです。

「情報」という見えないものを「見える化」するとき、どうしてもそれを見せたい人の恣意が働くことがあります。
自分だってその誘惑に負けてしまいそうになることがあります。

だれが見ても、客観的に平等に見えるなんてことは絶対ありません。
相手が何を見せたいのかを客観的に見ると努力して、はじめて相手の恣意的なものを少し排除できるのかもしれません。

「情報」の見える化の難しさを改めて感じました。

「システム開発におけるレビュー技法」という一日研修をしました。
その中に「見えないものを見える化して問題を早く見つける」という話をしました。

その話をしながら、改めて人の意図を含んだ「見える化」の難しさを感じました。

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2016年7月 3日

漠然とした不安に陥いらないために

最近は「漠然とした不安に陥る」ことが少ない気がします。
これは自分の精神衛生上はとても良いことだと思います。

いつもは、目に見えない漠然とした不安に陥って、自分の頭の中の見える化ができていないことに気づき、それを書き出して落ち着く...という作業ばかりしています。
その回数が、ちょっと減っている気がします。

これは自分が成長したわけではなく、今の自分のおかれた状況だと思います。

ありがたいことに忙しい状態が続いており、「漠然とした不安に陥る」時間もないのだと思います。
おそらく7月の仕事のピークが終わり8月になれば、また「漠然とした不安に陥る」ような気がします。

...というわけで、自分の精神衛生上で最もよくない漠然とした不安に陥いらないようにするテーマが見えてきました。
それは、漠然とした不安を考える時間をなくすにはどうすればよいか?です。

仕事で忙しくなれば「漠然とした不安に陥る」こともなくなります。
ただ、もっと自分の成長とか人に会うとか、趣味の時間を増やして、漠然とした不安に陥いらないようにしたいですね。

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2016年6月26日

「もっと頑張れ」「いやほどほどに」による葛藤

もっと頑張れ、いやほどほどに...交錯する二つの声は、ここ最近の自分の中での葛藤です。
「もっと頑張れ」「いやほどほどに」という二つの声が日々交代で聞こえてきます。

この交錯する二つの声で、自分のどうゆう感情、思考からでているのか、自分でもよくわかっていません。
単なるバイオリズムなのか、それとも無意識の自分が何かに反応しているのかよくわからないです。

ただ、その自分の内なる声に、少し振り回されている感じがします。
現状、少しバタバタしているのは事実です。

冷静に考えると、体力や頭の回転も若いときより落ちています。
一方で、知識や経験だけは若い時より増えています(知識は微妙...^^;)。
自分が思っている自分と少しずれてきており、「以前できたことなので、今でもできるはず...」と勘違いしているものと思われます。

以前よりも落ちている部分(体力も頭の回転)、以前よりも進歩した部分(知識や経験)が自分でわかっていないのが混乱の原因だと思います。

年齢とともに自分自身も変わっていることを、もう少しちゃんと見つめないといけないです。
何を今さら...って感じです。

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2016年6月23日

「ここがダメ」が理解のスタート

人は第一印象が大切といいますが、確かにそうかもしれません。
最初に「この人はいいぞ!」と思ってもらえると第一印象がよくなり、その後は付き合いやすくなるのかもしれないと思います。

ただ、自分の仲良くさせていただいている人は、あまり第一印象を重視する人は少ないように感じます。

自分はどちらかと言うと第一印象がよくない人間に分類されると思っています。
頭の回転の遅く、話題も少なく、見た目もイマイチで...なんといっても自分に自信がなくて、ある意味コンプレックスの塊です。

...なので第一印象が悪かったり、第一印象を切り抜けたとしても「この人イマイチ」と思われての付き合いがスタートすることが多いと感じます。

そんな中、第一印象が悪くても、また「この人イマイチ」と思われたとしても、だんだんと自分の良いところを見つけてくれる人がいます。
自分のことを本当に理解してくれて、仲良くさせていただいているのは、「自分のダメなところ」を知っている人達なのだと思います。

自分を本当以上によく見せたとしても、本当に分かり合える存在にはなれないと思います。
「自分のダメなところ」も知ってくれて付き合ってくれる人達がとても大切な人達なのだと感じます。

そのためには自分自身を曝け出すことも大切だと思います。
自分を隠す人に対して、自分を曝け出してくれる人はいないと感じます。

「もう、宿澤さんったら~」って呆れられるのは、自分的に結構好きだったりします。

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2016年6月20日

コミュミニケーションは戦いではない

「コミュミニケーションは戦いではない」はある経営者に教えていただいた言葉ですがとても印象に残る言葉です。

議論ですぐに熱くなってしまう人がいます。
そういう自分も実は議論で熱くなってしまう時があります。

その時の気持ちは「議論で負けたくない」なのだと思います。
自分だけが知識不足で話題に入れない時、自分の得意分野に議論を誘導する場合も、「議論で負けたくない」という気持ちが動いている気がします。

そもそも議論(コミュニケーション)は戦いではありません。
言いたい言葉を発したとしても、また他人より知識があることを演出したとしても、相手との距離が離れてしまうのであれば虚しいだけです。

これはコミュニケーションの失敗です。

自分が不利になったり、自分が苦手な分野の議論になって言葉が出せなくなった時こそ耳を傾けるチャンスです。
質問をしたり、深く考えたりするタイミングが得られたわけですから。

議論で自分を必要以上に大きく見せようと熱くなるくらいなら、冷静に耳を傾けることに時間を使いたいですね。

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2016年6月16日

「初めて体験する仕事」が増えている

自分が意図したわけではないのがいけないのすが、今年度は「初めて体験する仕事」が多い気がします。
これが戦略としての結果なら大喜びなのですが、そうとは言い切れません。

流れで経験のない仕事をさせていただく機会が増えています。
「種まき」の結果といえばかっこいいですが、予想もしないところからの発芽(仕事)なので結構驚きます。

ただ、どういう形であれ「初めて体験する仕事」は学ぶことが多いです。
それを「不安」と感じてしまう自分ですが、「学び」と意識をかえて初めての仕事を体験していきたいと思います。

一つ気を付けないといけないのは、なんでもかんでもできそうな仕事を受けていると自分の首を絞めるということです。

当たり前のことなのですが、独立当初に受けられそうな仕事はなんでも受けて、仕事がパニックになりました。
将来的に身になるパニックならばよいのですが、嵐が過ぎた後「何だったんだろう...」と思うようでは意味がありません。

自分は「何のためにために働いているのか?」を認識し、それに合わせて受けてよい仕事かどうかを判断しないといけないと思います。

なんでもできそうな仕事を受けていると、結局はお客さん、周囲の仲間、自分に迷惑をかけます。
「初めて体験する仕事」は、自分が「何のためにために働いているのか?」と照らし合わせて「すべき、すべきでない」の判断をしたいと思います。

同友会の例会から午前様で帰るとパオパオが爆睡していました。

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2016年6月14日

それぞれのキーワードがつながる時

いつもくり返し書いていますが、それぞれのキーワードがつながった時が、少し理解が進んだ時なのだと思います。

バラバラにキーワードを理解している状態は、キーワードが膨大な量に感じてしまい全体を理解することはとても大変に感じます。
そして、本来の理解自体は表面上しかできていないので、薄っぺらい理解になっています。

また、バラバラに理解していると自分なりの考察ができず、覚えた言葉を繰り返すのに精一杯です。

そんな状態からキーワードを何回も反復したり別の切り口で教わったりしていると、不意にキーワードとキーワードがつながることがあります。
その際に、一つのキーワードにぶら下がっていた周辺知識もつながります。

これが状態が「点で理解」していたことが「面の理解」に一歩拡がったということだと思います。
それぞれのキーワードがつながった時は、少し理解が進んだ気持ちになりとても嬉しく感じます。

ただ、大切なことは、一気に「面の理解はできない」ということだと思います。
不毛だと感じても一つ一つのキーワードを大切に「点の理解」を積み上げていかないと、「面の理解」に拡げるのは難しいと感じます。

一歩一歩、諦めずに積み上げることの大切さをまた感じた一日でした。

2016年6月 6日

一緒に苦労をし、一緒に楽しむ

人は誰もが「自分は幸せになりたい」と願っていると思います。
それは当然のことです。

ただ、人は決して一人だけでは幸せになれません。
一人では幸せになれないから、みんなで幸せになろうと試行錯誤するものだと思います。

数年前から人はブログで「自分が幸せになりたい。でも一人だけでは幸せになれないから、みんなで一緒に幸せになりたい」と書き続けています。

自分を助けてくれる仲間、友人がいます。
この人達と協力して、それぞれ共有できる「あるべき姿」を実現できれば、その幸せが一番長続きするし、大切なものだと感じれるのだと思います。

みんなで協力して得た幸せはとても尊いと思います。
それは幸せを得るために試行錯誤したり、ぶつかったりするプロセスの結果だからです。

「苦楽を共にする」という言葉があります。
「一緒に苦労をし、一緒に楽しむ。」という意味です。
一緒に苦労をするから、一緒に楽しむことができるのですよね。

こういう仲間、友人はとても大切だと思います。

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2016年6月 4日

「なんとかなる」 と思えるうちは大丈夫

自分はいつも不安と一緒にいる感じがしますが、いろいろな理由を付けて「大丈夫、なんとかなる」を思いこみます。
現にいろいろ自分なりにはいろんなことがあった気はしていますが、今のところなんとかなっています。

理由を付けて「大丈夫、なんとかなる」を思いこむことが大切だと思います。
ある意味、自分の状況を必要以上に楽観視して「大丈夫、なんとかなる」と思いこむように努力することもあります。

ただ、思いこもうと試行錯誤する過程でかなりいろいろな状況の変化を想定します。
そのいろいろな状況を想定することが「想定外」という状況を減らすのに貢献していると思います。

また「大丈夫、なんとかなる」と思いこむ(自分に暗示をかける)ことで、本来の力よりも大きな力を発揮できることがあります。
「大丈夫、なんとかなる」と思いこむことは自分に嘘をつくことかも知れません。
ただ、その嘘で自分も持っている以上の力が出せるのであれば、それもよいと思います。

なので、「大丈夫、なんとかなる」 と考えられるうちは大丈夫なのだと思います。

ちなみに「もうだめだ~、終わりだ~」と思うこともありますが、「本当に?」と問いかけると、たいてい「大丈夫、なんとかなる」に変わります。

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2016年6月 2日

悲観は気分、楽観は意志

ちょっと仕事で重たい仕事が続いていることもあり、また少し「心配」が増えている感じです。

ちょっと前ですが、こういう状況の時にある方に教えてもらった言葉があり、とても印象に残っています。

心配が増えると、体の疲労とともに「悲観」に変わる時があります。
「悲観」している時間は、結局堂々巡りで前に進めていないもったいない時間だと感じていました。

それを、ある方に相談した時に教わった言葉が「悲観は気分、楽観は意志」です。
その言葉で、楽観することは、悲観することより、自分を強く持たなければならないと気付きました。

「悲観」している時は感情の流れに押し流されているということですね。
「悲観」を自分の意志で「楽観」に変えられるように精神的に鍛えたいです。

言われてみてば当たり前の大切なことを忘れている...いつも自分は未熟すぎて笑っちゃいます。

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2016年5月30日

難問にとことん頭をひねる大切さ

自分にとっての難問が世の中にはたくさんあり、いつも頭をひねっています。
力不足を感じますが、そんなことも言ってられません。

もしかしたら、考えなくても済んでいく難問もたくさんあると感じます。
‥でも、やっぱり何らかの自分の応えを出したくて頭をひねります。

頭をひねってとことん考えないと、また同じような難問にぶつかることになります。

合っているか間違ってるか何て誰にもわからないと思いますが、自分なりに頭をとことんひねるのが、ちょっとの成長につながると思います。

何歳になっても、目の間には難問があります。
ただ、これまでの難問に向かおうともがく姿勢の積み重ね大切にしたいです。

それに自分の周りには、とことん難問に向かっていく人たちがたくさんみえます。
年齢を問わずお手本にしたいです。

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2016年5月28日

一苦労がある方が相手を思いやれる

人間とコンピュータって、ある意味言葉の通じない異邦人みたいなものですね。
でも、人間が苦手なところはコンピュータが得意だし、コンピュータが苦手なところは人間が得意です。

いろんな要因を無秩序に絡めてよく説明のできないプロセスで考えを導くのは人間の方が得意だと思います。
一方、一つ一つは単純でもそれらをものすごく高速に正確に判断して仕事をこなしていくのはコンピュータが得意ですね。

技術の進歩によってこんな単純な枠組みでは語れなくなっていると思いますが...。

こんな壮大なテーマを、仕事を終えて酒を飲みながら考えているのですが、もっと話は単純のような気もします。

「今、自分の困っていることを助けてよ...」とコンピュータに問いかけて、有難い結果が出た時、素直にコンピュータにお礼を言います。
だって、嬉しいですから。
もしかしたらコンピュータも喜んでいる人間の姿を見て喜んでいるのかも知れません。

単純なことなのですが、言葉の通じ合わない者同士でコミュニケーションを取れた時はこんなに嬉しいことはありません。

人間同士は同じく「言葉」というものを使いますね。
とても簡単にコミュニケーションが取れる気がします。
でも、人間同士は言葉を交わすこと(会話)はできても、本当の意味でコミュニケーションがとれているかは微妙な時があります。

人間とコンピュータのように、言葉を交わすのに一苦労がある方が相手を思いやって本当の意味でのコミュニケーションをとれるのかもしれません。
簡単に言葉を交わすことができると、そこにテクニックや裏読みといった高度なやりとりが発生し、結果として素直なコミュニケーションがとりにくい事が起きているかもしれませんね。

ちなみにパオパオとは言葉は通じませんが、とってもコミュニケーションがとれている気がします。

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2016年5月25日

「謙虚」と「下手に出る」は違う

「謙虚」と「下手に出る」は違いますね。
一見、表面上は似ている時もありますが、違いは一目瞭然です。

それぞれの言葉を辞書で調べると「謙虚」は控え目で、つつましいこと。へりくだって、すなおに相手の意見などを受け入れることです。
一方、「下手に出る」は他人の意向を気にし、それに左右されるさまです。

「謙虚」は相手の言葉を自分に受け入れていますが、「下手に出る」は相手の言葉を心のそこから受け入れられているかというと疑問です。

自分は「謙虚」でありたいと願っています。
でも、決して「謙虚」であるとは思えません。

プライドやら立場やら虚栄心が邪魔して「謙虚」風に「下手に出ている」言動を取ってしまって言うことがあります。
それに気付けた時は、自分のなりたい自分と実際の言動のギャップに落ち込みます。

「謙虚であり続ける」って、予想以上に難しいことだと感じています。

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2016年5月24日

フィルタをクリアにする行動が記録

最近、また少しモヤッとた感じが出てきている気がします。

人はある意味自分のフィルタを通してしか世の中を見ることができ無いと思います。
このフィルタを限りなく透明にできる人が、自分を律して世の中をありのままに見ることができる人なのだと思います。

自分は思い込みが変なフィルタとなって、世の中を歪めてしまい自分自身を苦しめていることがあるように感じます。

このフィルタはいろいろなフィルタがあります。
人によって持っているフィルタの種類が違うだけではく、同じ人でも体調や状況によって違うフィルタがかかることがあります。

このフィルタが夜中を悪い方向に歪めてしまうフィルタがかかっている時は世の中が辛いものだと感じてしまいます。
もちろん、このフィルタは悪いものだけではなく、世の中を明るく変えてくれるフィルタもあります。

いつも世の中を明るく変えてくれるフィルタがかかっていればそれはそれで幸せなのかもしれません。
でも、それもある意味歪んだ見え方で、ありのままを見ていることにはなりません。

今いろいろと試行錯誤しているのは、自分のフィルタを少しでもクリアにできるようにする努力なのかもしれません。
自分の場合は、フィルタを少しでもクリアにする行動が「記録をする」ことなのだと思っています。

あまり関係ないけど、Instagramでも"normal"のフィルタが自分は一番好きです。

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2016年5月23日

自分自身の評価基準を考える

「立派な人間になる」「偉い人間になる」という気持ちは他人の目を気にしている時に考えてしまうことのように感じます。

「立派なって?」「偉いって?」と自問しても答えは返ってきません。
「立派」も「偉い」もしょせんは他人の評価基準で測ったものです。

他人の評価基準に依存している限りは「自分が幸せ」にはなれない気がします。
自分自身の評価基準をもつことは容易いことではありません。
自分自身を考え知らないとその自分自身の評価基準(価値観)は持てないからです。

ただ、他人の評価基準に依存していると、他人(世の中)の評価基準が変われば「自分が幸せ」かも変わってしまいます。

人のたかが数十年の短い一生でできることはなんて、たかが知れています。
その短い時間は、自分自身を考え知ることで「自分自身の評価基準」を知ることに努力をしたいですね。

ただ、自分のことだけを考えた価値観は認められるものではありません。
それは、単なる「わがまま」「自己中心」「独りよがり」です。

自分を知り、世の中の考えることで自分を納得させられる「自分自身の評価基準」ができるのだと思います。

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2016年5月17日

もがいていれば誰かが引き上げてくれる

「もがいていれば誰かが引き上げてくれる」と言っていた人がいます。
スポーツ番組でのインタビューだったと思います。

自分も、「もがいていれば誰かが引き上げてくれる」という意見に賛成です。
これまでも随分とたくさんの人に引くあげられ助けられました。

ただ、言えることは、ちょっともがいたぐらいでは、誰も助けの手を差し伸べてくれません。
いつ終わるかわからない悪い状況でもあきらめずにもがいていれば、救いの手が差し伸べられることが多いですね。

また必死にもがいていれば、最悪の状況からでも自力でヌケられることもあります。

どちらにしても、あきらめ悪くもがき続けることが悪い状況から抜け出る一つの方法なのだと思います。

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2016年5月12日

地道に着実にやるのが性に合っている

新規セミナーのストーリーを救数同時に考えています。

それらは、どれも似たテーマです。
ただ、ビジネスのターゲットや状況、聞き手の成熟度などが微妙に異なっており、同じストーリーというわけにはいきません。

この微妙に異なるという状況がやや厄介です。
あるセミナーのストーリを考えていると、別のセミナーのストーリにも「その話が必要かも...」とまよい、付け足すことでストーリが崩れてしまうことがあります。
やはり、いくら似たテーマであっても、それぞれを別物と考えてストーリを作った方がよいです。

変に関連性を持たせようとすることで、もっと悪い言葉を使えば「類似資料を使いまわして時間短縮をすることで」、余計に時間がかかってしまい、ストーリもわかりにくいものになってしまうということですね。

自分の場合は「楽をしよう」とすると、よい結果にならないことが多いです。
時間との勝負ですが、地道に着実にやっているのが性に合っているのでしょうね...^^;;

【日常の癒し】関西線春田駅の夕日


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2016年5月11日

今の仕事を深堀りするのもチャレンジ

チャレンジは新しいことを始めることだけではなく、今の仕事を深堀することもそうである...とある経営者に言われました。
その方がいうのは「チャレンジ」という言葉にかこつけて、今努力していることと違う新しい領域に夢をみて逃げてしまっている人がいる...とのことでした。

若干、胸に痛い言葉ですが、今の仕事を深堀りするのはとても難しいチャレンジだと感じます。

上手くいかない時、いろいろと理由をつけて別のことを始めようとしてしまう場合があります。
「隣の芝は青くみえる」ので仕方がないことかもしれません。

「事業の横展開」と「事業の縦展開」と言う話がありました。
「事業の横展開」は新しい領域に進出することで、「事業の縦展開」は今の領域を深掘りすることだと教えられました。

どちらも簡単ではないが「事業の縦展開」...つまり今の仕事を極めることはとても難しいが誰にも真似できないことだと話されいました。
「事業の横展開」として新しいアイデアで事業を拡大することを否定するわけではないが、安易に横展開に逃げてしまうと上っ面のビジネスになるので警告したかったそうです。

自分もいろいろな事業をしています。
ふと自分を振り返るとき、誰にも真似できないほどに深掘りした領域があったのか...ふと考えてしまいました。

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2016年5月10日

知識と知恵の泉が同時に枯れる

時々、知識と知恵の泉が同時に枯れることがあります。
知恵は知識を元に生み出されるので、同時に枯渇するのは納得です。

ただ、頭の中の知識を探しても空っぽで、その空っぽをひねり回しても何も出てこず虚しさだけが残ります。

ただ、知識は二つの要因で生まれることがあります。

一つは、外部から新たな知識が入ってくる場合です。
もう一つは脳の中で枯れていた知識がなんらかのきっかけで水を得て復活する場合です。

知識が入って来れば、とりあえず強引に捻ることで何かの知恵は出てきます。
まぁ、それが使える知恵かは微妙な感じですが‥

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2016年5月 9日

人が「わかってくれない」時は自分の言葉不足を疑う

「わかってくれない...」は自分が発信している情報発信が足りてなかったり、ポイントがズレていたりしているかもしれないです。

セミナーとかもそうですが、日常会話でそう感じることが多いです。
自分の場合は、話すのは得意ではないですが、それに加えてポイントがズレていることがあるようです。

その場ではもちろん自分は気付きません。
当然ですよね。
気付いていればその場で補足や言い直しができるのですから。

いつも後で後悔をします。

「なんで、わかってくれない...」って嘆く前に、自分の発した言葉を冷静に振り返る必要がありますね。

反省、反省f^_^;

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2016年5月 1日

いよいよ40代最後の歳に突入...

Facebookがないと自分の誕生日を忘れてしまいそうですが、たくさんのお祝いのメッセージを頂き感謝しております。

知らない間に49歳という40代最後の歳を迎えてしまいました。

十五にして学に志す。
三十にして立つ。
四十にして惑わず。
五十にして天命を知る。
六十にして耳順う。
七十にして心の欲する所に従えども、のりをこえず。

「三十にして立つ」って、病気を経験した30代で一応自分で何かを成さなければと思い、事務所を立ち上げたままではよいです。

「四十にして惑わず」って、40代のうちに悟りが開け、人生に対してもう少し見えるようになるつもりでした。
ところが、毎日のように戸惑い続けており、とても「四十にして惑わず」の状態には程遠いです。

「五十にして天命を知る」って、50代で自分の生涯における使命を見極めることなんてできるのでしょうか ^^;;

そもそも、さらりと書いていますが、孔子さんは「三十にして...」「四十にして...」と言っているのに、自分は「30代で...」「40代で...」と10年の余裕時間をとっています。

...もうこうなったら「五十にして惑いながらも、天命を知る」を目指します。
つまり50代で「人生が戸惑っているばかりだけど、自分の生涯における使命を知る」ってことですね。

毎日、下手な文章を書き続けているのも、自分に対する問い掛けです。
まずは、焦ることなくマイペースで、自分への問い掛けを続けていければ何か見えてくるのかもしれませんね。

ちなみに私の誕生日にパオパオは5000円のトリミングでサラサラヘアーになってきました。
自分もそろそろ頭が不揃いの芝生みたいになってきたので、セルフバリカンで坊主にしたいです。

【日常の癒し】みどりが丘公園でパオパオと散歩

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2016年4月24日

モヤモヤしたら「まぁ、いいか」とつぶやく

モヤモヤすることがあった時に、自分が一番よく使う思い込みの言葉は「まぁ、いいか」です。
この言葉は、魔法の言葉ですね。

寝る前につぶやくとよく眠れます。
モヤモヤした時に「ああ、自分のせいだ」と思って眠ると、眠れないことがあります。

最近は、どうゆう時にそうなるかよくわかってきましたが、それでも引っかかることがあってモヤモヤすることは当然あります。
そんな時は、「まぁ、いいか」ってつぶやきながら眠ります。

「まぁ、いいか」と、つぶやくだけでよく眠れるのは、まだまだ大したモヤモヤではないのかもしれないですね。

それと、週末のパオパオとの散歩ですね。
これもモヤモヤから解放されるとっても効果的な方法です。

ただ、最近はいろいろな意味で前よりはかなり自分自身のコントロールができるようになってきた気がします。

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【日常の癒し】三崎公園でパオパオと散歩


【日常の癒し】三崎公園の鴨たちは今日も元気


【日常の癒し】水広公園でパオパオとまどろむ

2016年4月23日

契約の前に信頼関係がまずは大切

少し残念なことがあり毒づいています。
週末が不快になるといけないので、爽やかな気分でいたい方は読み飛ばしてください。

些細なビジネスの約束毎ですが、わざわざ「契約書に書いてあるのでよろしく...」といった意味のことを言われたことがあります。
そんなことは当たり前のことです。

ビジネスにおいて「契約」程大切なものはないと思います。
「契約」なしにビジネスを進めるのは危険すぎます。

ただ、本当に些細なことを「契約にあるのでよろしく...」と念を押されることがあります。
これは「契約」の使い方が違うと感じます。

事あるごとに「契約にあるのでよろしく...」と念を押されること、「ああこの人とは契約だけのつながりなのかなぁ...」と思ってしまいます。

「契約」が大切なことを踏まえたうえで、ビジネスにおいては「契約の前に信頼関係がある」ことを忘れてはいけないと思います。
自分は「契約はいざというときに信頼関係を壊さないためにあらかじめ決めておくルール」だと思っています。

まずは信頼関係をじっくり築き上げることが、「契約」を振りかざす前にすべきことだと思います。

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2016年4月 9日

4月はペース配分が大切

4月は顧問先の新しい課題、大学での講義のスタート、新入社員研修、各所の体制変更などいろいろな変化があります。
その変化にともなる作業があるので、なるべく土日はそれに伴う仕事で客先は入れないように調整しています。

昔の独立当初のように徹夜で作業...なんてしてしまうと、体力の低下から、むしろ悪影響の方が大きいです。

今週末も事務所にこもって資料整理やレポートの採点などをしていましたが、パソコンに向かいながらもついうとうとしていました。

その原因の一つは後ろでパオパオがいびきをかきながら日向ぼっこをしているせいもあると思います。
ついついパオパオにつられて夢心地な感じです。

春なので週末になると気が抜けてしまい、ちょっともやもやする傾向があります。
そんなのを払しょくするためにパオパオと大府の大蔵池公園に散歩に行きました。

自分の週末はパオパオ一色ですね。
それだけメンタルヘルス部長は大きな貢献をしているということです。

4月はもうそれぞれの仕事がスタートしましたが、5月からは出張を伴う新なテーマの仕事が続きます。
こちらの準備もそろそろ始めたいと思います。

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パオパオの日向ぼっこ

大蔵池公園でパオパオと散歩

2016年4月 5日

自分を追い詰めない三つの原則

完全な独り言で、最近同じことを繰り返し書いている気がします。
ただ、これが自分を苦しめていた一つの原因のような気がしています。
自分で忘れないようにブログに書き続けていますが、かなり腹に落ちてきました。

それを「自分を追い詰めない為の三つの原則」として「見える化」しています。
最近はそれらをいつも意識し続けれるようになっていました。

自分のできることを、自分に恥ずかしくないようにする。
他人と比較するのではなく、自分に恥ずかしくないようにする。
他人の評価は気にせず、自分に恥ずかしくないようにする。

つまり、今の自分は「自分に恥ずかしくないようにする」ことが大切なのだと感じます。
とてもシンプルなのですが、自分に自信がなくいつも周囲の評価を気にしていた自分にとっては大きな進歩です。

自分にできることに集中することで「失敗するかも」という不安が軽減されます。
他人と比較しないことで「無意味に他人を羨む」ことが軽減されます。
他人の評価を気にしないことで「いい人でいたい気持ち」が軽減されます。

そんなに今まで「自分に恥ずかしいことをしてきたのか?」と自分に問いかけるとそうでもない気もします。
ただ、やっぱり自分に自信のない理由は、どこかにそのような気持ちがあるのだと思います。

...とは言っても、相変わらす自分を無意識に追い詰めているときもあります。
どれも、軽減する程度で当たり前ですが「絶対」ではないのですから。

そんなわけで、やっぱり心が疲れるときはまだまだありますが、それも含めて「自分に恥ずかしくないようにする」ことをユックリできるようにしたいです。

ただ、結構自分って自分に恥ずかしいことをしてるんだなぁ...^^;;

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2016年4月 4日

客観的な事実把握と自分のできる対策

長文失礼します。

先日のブログに、自分が病気だったことを書きました。
すると多くのメールやFacebookのメッセージやコメントを頂きました。
予想外に多くの方が心の疲れを感じている(それを周囲に言えないで悩んでいる)のだと思いました。

先日のブログにも書きましたが、自分の病気が回復していったひとつのキッカケが「自分の気持ちはいつも沈んでいるわけではない」と気付いたことでした。

実は病気が回復していったもうひとつのキッカケ(気付き)がありました。
「こういう状況で一番辛いは自分ではなく周囲の人である」ということです。

病気の時には「自分が一番辛い」と思っていました。
周りが見えていない証拠です。
少しずつ病気がよくなった時、ちょっと周囲が見えるようになって気付いたのだと思います。

「自分の気持ちはいつも沈んでいるわけではない」「こういう状況で一番辛いは自分ではなく周囲の人である」の二つの気付きで病気が急によくなっていきました。

その後の自分で事業を始めた時からも、この二つは常に意識をしています。

「こういう状況で一番辛いは自分ではなく周囲の人である」から派生した考えなのですが、「状況が悪化した時、他人のせいにするのではなく、自分の落ち度を探して改善する」があります。
「他人が悪い」と言っているうちは何も状況は変えられないので、自分の出来ることを探して前向きに行動するという意味ではとても役に立っている考え方です。

ただ、最近気づいたことがあります。
常に自分の落ち度を探していると、自分に世の中を歪んで見せてしまうというということです。

最近は自分と他人を分けて「どちらが悪い」なんて不毛な考えを捨てて、なるべく事実を客観的に把握できるように意識しています(感情が邪魔して難しいことも多いですが...)。
事実を客観的に把握しようと際に「他人が悪い」という感情は一番事実を捻じ曲げてしまうようです。
同時に「自分の落ち度」を探すのも事実を捻じ曲げてしまう要因だということです。

「客観的に事実を把握し対策を考える」という当たり前のことです。
ただ、この当たり前が難しいので、対策を考えるときに「自分でできる対策」を考えています。

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2016年4月 1日

自分が気に入る自分になる努力

不安を無くそうと誰かに気に入ってもらう努力をしているのであれば、それは「デス・スパイラル」に陥っていると思います。

お恥ずかしいですが、これがこれまでの自分が抜けられなかった状況なのです。
最近になってようやく腹に落ちてきた内容なので、忘れずに、しっかり自分の腹に据えるため、しつこいですが、また書いています。

誰かに気に入ってもらおうと、その努力ばかりをしていると「自分の存在」がどんどん薄くなっていき、やがて自分がなくなっていきます。
誰かに気にってもらう自分を手に入れる代わりに、自分らしい自分を無くしてしまうのです。

それでもいいと思う人もいるかもしれませんが、他人の評価なんて状況の変化によってコロコロ変わります。
人を絶対評価できる人なんて、そうはいないのです。

「誰かと比べていいね」ぐらいの相対評価しかしていない人が多いと思います。
そういう人に気に入ってもらおうと思って努力するほど不毛なことはありません。

なぜなら、自分の努力とは別のところで相手の評価が決まるからです。
誰かとの比較の結果評価されていたとしても、その誰かが変われば評価も変わります。

そもそも「誰かに気に入ってもらう努力」をするのであれば、「自分が気に入る自分になる努力」をすべきだと思います。
周囲が見えない状況で自己中心ではいけませんが、自分を磨き続ければ必ず周囲にも認められる人になれると思います。

まだまだ自分が不安定だと思うことがよくあります。
ただ、その不安定な自分もまとめて認めることが安定につながるのだと思います。

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2016年3月30日

「仕事を楽しんやってみる」という原点

先日「結局、仕事を楽しんでいる方、面白がって仕事に取り組んでいる方には敵わない、というのが最近の結論です。楽しみましょう!(^ ^)」という暖かいコメントを頂きました。
とても大切なことを忘れていたことに気付きました。

最近、難しい仕事が多くて「お客さんに迷惑をかけるといけないから上手くやろう」なんてことを考えていました。
もちろん大切なことですが、まずは楽しんでやることが大切だということを忘れていました。

仕事が順調の時はほっといても楽しくできるのだと思います。
ただ、難しい仕事、経験をしたことがない仕事...に直面すると「上手くするにはどうすればいい」という気持ちが出てきます。
これは言葉を変えれば「無難にやるにはどうすればいい」という気持ちがにじみ出ています。

今の自分の仕事に対して、お客さんはそんなことは望んでいないと思います。
少なくとも自分を選んで依頼をしてくれているのだから「自分らしく楽しんでやる」とこが大切ですね。

「仕事を楽しんやってみる」と実際に楽しい事が起きたり、これまでと同じことでも楽しいと感じられたり、前向きにチャレンジしてみようという気持ちになったり、良い循環になっていくことを改めて感じました。

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2016年3月29日

「話を聴くこと」と「話を整理すること」

自分はコンサルタントの端くれなのですが、頭の回転が鈍いのは自分でも認めています。
...なのに何でお客さんがついてくれているのだろうと真剣に考えることがあります。

いろんな人からのアドバイスで「自分がお客さんに提供したいと思っていること」と「お客さんが自分に期待していること」はかなりのギャップがあることがわかってきました。
自分はコンサルタントは頭が切れて的確なアドバイスをバシバシ行う...というイメージがあったのですが、今の自分とは真逆の人物像です。

自分にはいくつかの顧問先があり毎月一回づつ訪問しています。
どの顧問先もみな長いお付き合いです。
なぜ、みんなこんなに長くお付き合いしてくれるのか自分自身がよくわかっていません。

ただ自分でもできること(得意なこと)が二つあります。
それが「話を聴くこと」と「話を整理すること」です。

おそらくお客さんから期待されていることなのかなぁ...って思っています。

以前、この話をしたとき、ある顧問先の方からは「うーーん、それもあるけど、他にもあるかなぁ」と言われたことがあります。
何を期待されているのか? いまだによくわかりませんが、自分らしくやっていきます。

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牧野池公園でボンヤリと癒しの時間


2016年3月28日

今していることに夢中になる

今していることに夢中になるとが、自分の心配や不安を減らす方法なのかもしれませんね。

自分は時間があるときに余計な心配を自分で生み出していることがあります。
余計な心配が出来るということは、時間に余裕があり目の前のことに集中できていないのでしょうね。

ある経営者が「大変なときほど成長できる」といっていました。
その背長の条件は夢中に目の前のことに集中して気持ちで逃げないことだそうです。

「大変」ということで気持ちが逃げると「大変」という状況にのみこまれてしまい、成長どころではなくなるとのことです。
そういえば、自分はその状況を経験してることを思い出しました。

自分は決して心が強いわけではなく逃げ出したい気持ちになることも多々あります。
...なので、この経営者おっしゃるように常に逃げずに強くいる...ようにはいかないと思います。

弱くて逃げ出したくなるのも自分なのでそれを認めたいです。
ただ自分の出来るなかで、この経営者の言葉を活かしていきたいです。

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2016年3月24日

悪いところは直せるが、気づいていないところは直せない

悪いところは直せるが、気づいていないところは直せない...そんなアドバイスを頂きました。
「自分には悪いところがいっぱいある」と言ったときに、返された言葉です。

「悪いところがいっぱいある」と思っていることは「直さなければならないところもいっぱいある」という気持ちの裏返しなので、むしろよい状態だということらしいです。
「悪いところに気付いていない」ということは、当然それを直そうなんて思わない...そもそも悪いと思っていないから...確かにその通りです。

最近、本当に大人として恥ずかしいようなことで試行錯誤を続けており、ついボヤいてしまったら励まされてしまいました。

「悪いところがいっぱいある」という状態も、今の自分なのでそれを認めることが大切で、そこからスタートすればよいと思います。
あまり焦らず、慌てず、少しずつ悪いところを克服していければ、それで十分なのだと思います。

コンサルをする時、必ず「現状把握」から行いますが、自分自身の客観的な「現状把握」は常に意識したいです。
「悪いところ」に気付いたら、必ずメモしようと思います。
あと、「良いところ」に気付いた時も、必ずメモしたいと思います。

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2016年3月23日

他人の目を気にしない

ちょっとしたキッカケで「人にどう評価されているかは考えない」を強く意識し始めて一ヶ月位経ちます。
自分に自信がなく「他人の目が気になる」自分には、そんな意識でいることは無理だと思っていました。

ただ、一ヶ月ほど「他人の目を気にしない」を意識してみて、完全にできるわけではないですが思ったよりはできることが分かりましたした。

そのための必要条件は「自分に恥ずかしくない、自分らしい行動をする」ことのようです。
そうすれば自ずと他人の目を気にしないで済むことが分かりました。

他人の目を気にしないと他人と自分を比較する必要がなく、その結果、他人を羨んだり、自分をよく見られようとしたり...そんな下らないことから開放される感じです。

自分ではどうにもならない他人の目(評価)を気にしている時間があったら、自分らしく行動することに集中したいですね。
ただ、他人の目を気にしないあまりに、自己中心的に陥らないようにも注意したいです。

未だにこんなところで試行錯誤してる自分を笑ってしまいます。

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2016年3月21日

相手目線で「配慮」を考える

「相手に配慮する」ということは欠かせないことですが、気を付けいないといけないと思うことがありました。

今更ですが、「配慮」とは「心をくばること。心づかい。」と辞書にあります。
「相手に配慮する」ことはとても大切なので、いつも「できているか」を考えているつもりです。

ただ、「配慮している」つもりが、自分が相手にしてあげたいこと重視になってしまっていることがあります。
それは「相手に配慮する」とは言えないと思います。

自分の価値観で相手にアドバイス、自分のしてあげたいタイミングで手助け...これらは「相手に配慮する」とは言えないですね。
場合によっては相手にとって「迷惑」や「混乱」を呼び込むこともあります。

自分の場合は忙しくなると「相手への配慮」が自分よがりになる傾向があります。
自分も「相手に配慮する」ときは、相手の立場にたつ一呼吸をとりたいと思います。

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2016年3月19日

人に厳しいことが言えない理由

私は、人に厳しいことを言うことが苦手です。

私が人に厳しいことを言えないのは、相手が傷つくことを心配しているのではなく、自分が嫌われることが不安なのではないか...という考えにようやく及んできています。
自分は「相手が傷つくこと」を心配していたつもりだったのですが、「自分が嫌われること」...つまりは自分の事を心配していたと気づきました。

相手を心配しているのではなく、自分を心配している言葉なんて相手に届くはずがありません。
自分の心配ばかりをして発言しているわけではありませんが、そのような気持ちが働いてしまっていることもあることに気づくことができました。

相手のことを本気で心配して発言している時に、自分のことなんて考えれません。
自分の心配なんかができると時は、相手に意識が向かっていない時です。

人に厳しいことを言うときは、「嫌われるかも...」などという保身的な感情を捨て、本気でその人を想って伝えないと伝わらないですね。

相手を見ずにただ単に上から目線で厳しいことをいう人も「相手に意識が向かっていない」という点では同じなのかもしれません。

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2016年3月16日

他人の目を気にしなくなると

他人の目を気にしなると、ようやく自分に正直に正対できるようになると感じます。

他人の目を気にしないということは、自分の行動に誇りをもつことだと思います。
自分の行動に誇りをもつことで、自分で自分を認められる状態に近づけると感じます。

それは、自分の良い点だけではなく、自分の悪い点も認めて腹に落とすことだと思います。
誰だって自分の悪い点からは目を反らしたくなったり、気付かない振り(本当はうっすら気付いているけど...)をしたくなるものだと感じます。

ただ、そういう部分があるのが人だと思います。
そこから目を反らさずに、そういう自分もいると認めることから、自分を変えるキッカケになると思います。

ただ、他人の目を気にせず、自己中心的にならないように気を付けたいですね。

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2016年3月15日

「人見知り」である一つの理由

定期的に自分は面倒くさい人になります。
その自分の悩みの一つに「人見知り」があります。

ただ、自分が「人見知り」である一つの理由が少し腹に落ちてきている気がします。
自分が「人見知り」なのは、「相手を知ろうという努力」が間違っていることが原因かもしれません。

自分は人を知ろうと努力しているのではなく、「相手に自分がどう思われているか」というフィルターを通して人の像を勝手に構築している傾向があるのだと思います。

相手をしっかり知ろうと思ったら、とても「相手に自分がどう思われているか」なんて考えている時間はありません。
相手に話に耳を傾け、分からないことを問いかけることで精一杯です。

相手に自分がどう思われているかを考える余裕がある時は「自分のフィルターを通している状態」なのだと思います。
そんな状態な時は、もっと相手に話に耳を傾け、分からないことを問いかけるようにしたいです。

「相手を知る」ことはカウンセンリングでも基本中の基本です。
今更、こんな基本を必要性と共に腹落としするなんてお恥ずかしい限りです。

自分が不完全に耐えられない「完璧中毒症」であることを腹落としできて、病気がよくなっていったのはもちょっとしたキッカケです。

「相手に自分がどう思われているかを考えない」ようにする大切さに気付いたのもちょっとしたキッカケです。

ちょっとしたキッカケを逃さないように自分に腹落としして(分かった気になるではなく...)、行動を変えることが大切だと感じます。

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2016年3月14日

気持ちの浮き沈みは天気と一緒

なんとなく気分が浮かび上がらない時...、そんな時は必ずあります。
その時に無理に気分を高揚させようとしても、なかなかうまくいかないものです。

ただ「気分が浮かび上がらない時」は必ずやってきて、必ず通り過ぎるとわかっていれば、それなりの対応ができるものです。
無理に気分を高揚させなくても、通り過ぎるまで自分なりの方法で待てばいいのだと思います。

「雨降り」と同じですね。
雨が振っていれば傘を持って出かけますし、ぬれてもよい恰好で出かけます。
また、雨は天気予報で大体の予測もつけれます。
それに合わせて対応していくのは、普通にみんなやっていることです。

気持ちの浮き沈みも、天気と一緒です。

記録をとっていくとおおよその自分の感情の循環がみえてきます。
それに外部的な要因で多少の変動があるのを許容できれば問題はないはずですね。

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2016年3月10日

誰かと比べる時間はもったいない

自分自身に自信がなくなった時、絶対評価ができない自分は誰かと比べてしまいます。
ある意味、もっとも単純で手抜きな自分の立ち位置を把握する方法です。

ただ、安易に自分の立ち位置を提示した方法は、結局は自分を混乱に陥れます。

誰かと比較するということは、比較対象によって自分の評価も変動します。
自分の努力とは離れたところに目標を置くのは苦しみです。

ただ、最近あるキッカケで「誰かと比べる」という無駄な時間が減ってきています。
これが自分の持っている多々あるコンプレックスを少し楽にしてくれていると感じています。

安易な比較の相対評価ではなく、自分の努力と成果で評価できる絶対評価を大切にしたいですね。
今更、こんな当たり前のことに気付いて、なんとか腹に落とし始めているって、自分って成長の歩みが遅すぎると感じます。

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2016年3月 9日

相手への配慮が自然にできるように

お客さんと話をしている時、「あ、今はお客さんの心が疲れているなぁ」と感じることがあります。
そういう時はコンサルタントモードではなく、カウンセンリングモードに切り替える努力をするようにしてます。
難しいのですが...^^;

コンサルタントモードでは、情報提供を行いながら、具体的な問題解決の方法をお客さんと一緒に形にしていくことに注力します。
カウンセンリングモードでは、情報提供は行わずに、お客さんが今感じていることに焦点をあて共有できることに注力します。

これをキッチリと切り替えることはいつまでたっても難しいですが、まずは受け手である自分の意識の比重を変えるようにします。

どちらも相手が前に進めるようにするための支援で変わりはないのですがアプローチが全く異なります。
仕事の時はこのモードを切り替えれるのですが、仕事でない時は途端に切り替えが鈍くなってしまいます。

仕事でない時は相手の心が疲れているのに、どんどん自分の言葉を伝えてしまうことがあります。
自分ではよかれと思って言っていることでも、相手にとっては受け入れの心の準備ができておらず辛い言葉になってしまうことがあります。

もう少し、普段からの相手への配慮が自然にできるようになるとよいなぁと思います。

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2016年3月 8日

「サボロー」って自分にとって強い味方

最近、明光義塾のCMキャラクター「サボロー」が話題になってるみたいですね。
CMでもおなじみですが、ネットで「サボロー」検索するといっぱい画像が出てきます。

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「勉強中、ふとした拍子に現れる。人の心のスキに入り込むのがうまいヤツ。」という設定だそうです。
心のスキに入ってサボらせてしまうのですね。
こんな妖怪がいそうな感じです。

ただ、自分は昔から「サボロー」によく助けられています。

ガムシャラに進んで心がポキッと折れた経験(世にいう「うつ病」)が自分にはあります。

病気が治っても、この病気は気質も関係するので「完治」というのはないと思います。
自分自身もこの病気にはなりやすい気質なんだと理解しています。

ただ、今は本当に心が疲れた時「ちょっと、さぼっちゃえよ」という声が聞こえてきます。
この声は、一見「悪魔のささやき」のように聞こえますが、実は私の中の「オーバーワークストッパー」なのです(2012年10月のブログに書いていました)。

自分には「サボロー」という強い味方が付いていて、心の病気になりやすい気質から守ってくれていると思いました。
「サボロー」がささやいてくれたらちゃんと耳を傾けられるようにしたいですね。

この記事がちょっとホロッときました。
http://curazy.com/archives/128689

2016年3月 5日

ちょっと先までの「安心」で十分

当たり前のことですが「不安を無くすには、今できることをする」ことが大事だと思います。

自分の「不安」は、いつも先行きが見えない時にムクムクと起きてきます。
ただ、普通に生きていたら先行きがクリアな状態なんて存在しません。

...なので、ほおっておくといつも「不安」と二人三脚の状態が続きます。

先行きがクリアな状態なんて無いのですが、この「不安」を振り落とすにはどうすればいいでしょうか?
ずっと先行きがクリアな状態がつくれないのであれば「ちょっと先までクリアにしてひとまず安心する」という方法がとれそうです。

そのためには、「ちょっと先までのクリア」のために、今できることをするしかないような気がします。

今できることをすれば、ちょっと先までの「安心」は得られます。
恒久的な「安心」がないのであれば、ちょっと先までの「安心」で十分なのだと思います。

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2016年3月 4日

自分と周囲の期待のギャップ

自分が周囲の人から期待されていると思っていることと、自分が実際に周囲に期待されいることは違うかもしれないね‥と最近何回か言われることがありました。

不思議と同じようなことが何回も耳に届くときは、それについて考えなければならないタイミングであることが多いです。

自分は最近特に「能力・知識の壁」にぶつかっていると感じています。
どんな仕事もそうだと思いますが間違いや失敗は絶対に許されないので、能力も知識も高く持ち常に的確なアドバイスをしないといけないと考えています。

ただ、その自分の考えが自分を追い込んでしまっている場合もあります。
もちろん、間違いや失敗はなどあってはいけないので、能力も知識も高くもつ努力を怠ってはいけないと思います。

ただ、それ以上に自分に周囲の人達に期待されていることがあるのかもしれません。
まだ、それが何かはよくわかっていなません。
なんとなく、ヒントは集まってきています。

少なくとも「能力・知識」だけではないと思うようになっています。

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2016年3月 3日

「段取りの達人」に出会った

先日ある作業で「段取りの達人」に出会いました。
かなり複雑な仕事なのですが、「段取りの達人」が図解をしながら仕事の内容、順番、数量など整理したらたちまち全員が作業の全容を理解できました。

「段取りの達人」が図解をしながらそのプロセスをみんなで一緒に考え溶融できるようにもっていったのもすごいと思いました。

そのやり方・プロセスを紙に書き出すのが大切だと改めて感じ、そのツールとしての「図解」の威力を再認識しました。

自分も「図解」の研修をやっており、効果があるとはもちろん知っていますが、これほど見事な図解の活用には初めて出会いました。

作業が早く終わった以上に、大きな学びになりました。

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2016年3月 2日

「自分を知る」って難しい

いつもしみじみ思いますが、「自分を知る」って難しいですね。

人から自分のことを指摘されることがよくありますが、「なるほど...」と気付かされます。

「自分の思っている主観的な自分」と「人から指摘してもらえる客観的な自分」のギャップに驚くことばかりです。
いかに自分のことをわかっていないかだと思います。

ただ「なるほど...」と気付いた時に、それを自分の腹に本当に落とす必要があります。

特に気付きと同時に「克服が必要だ」と自分で感じた時、なかなか起用に自分を修正することができません。
試行錯誤をするしかないのかもしれません。

ただ最近よく耳に入ってくる言葉「考え方は変わらないから行動ルールや仕組みを変える。それが考え方を変えることになる」というのが参考になる気がします。

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2016年3月 1日

歩みが遅くても少しずつでも進歩できれば...

自分は物事を端的に表現して相手に伝えるのが苦手です。
自分が相手に何かを伝えるにはまず自分がじっくり考える必要があります。

きっと頭の回転の早い人達はその場で素早く理解し、それをちゃんと伝える言葉に表現し直せるのだと思います。

自分の場合は、理解にも時間がかかりますし、表現するのにも時間がかかります。

ただ、これは訓練することでよくなっていくものだと考えます。
何をするにも時間がかかるのであれば、それを繰り返して訓練するしかありません。

このブログもその日に最も強く感じたことを、自分の考えとしてまとめて表現する訓練の一つだと考えています。

何事も訓練が大切です。
頭の回転が早く素早く理解し伝えられる人も、最初は上手くいかなくきっと試行錯誤して訓練したのだと思います。

自分は歩みが遅いですが、自分のペースで少しずつでも進歩していければよいと思います。

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2016年2月29日

気持ちがモヤモヤする時は

気持ちがモヤモヤする時は、自分の考えていること感じていることを紙に書き出します。

書き出した結果「何か失敗した、誰かに迷惑をかけた...という訳ではない」と自分でわかる場合があります。
理由もなくモヤモヤしていたとわかるとその時間がもったいないと感じます。

時々気分が上らない時がありますが、そんな時は、やっぱり紙に書き出すのがよいです。
紙に書き出さないとずっとモヤモヤしたままになってしまいます。
自分の悪い癖ですが、勝手に思考がループして勝手に悩んでいる時があります。

そんな時は紙に書き出して、自分の状況を把握することで悪いループを断ち切るのが得策です。
モヤモヤしていると時間がもったいないですものね。

話は変わりますが、同友会の経営指針発表会で「まずは自分の想いを紙に書き出してみる」という意見がありました。
自分の頭を整理するためにも、人とコミュニケーションするときのベースとしても、そして自分がぶれていかないための羅針盤としても「想いを紙に書き出してみる」のは大切だと再認識しました。

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2016年2月28日

生活の中でボンヤリする時間をつくる

ちょっと疲れてくるとパオパオと散歩に行きます。
日曜日は比較的早く仕事のキリがついたので、のんびりした気持ちで散歩ができました。

パオパオと散歩して大好きな時間があります。
それは公園のベンチに座ってボンヤリと空を眺めることです。

今はありがたことに一週間がアッという間にすぎていきます。
自分はもともとボンヤリするのが大好きなのですが、それがとても下手でもあります。
自分で自分の気持ちを急かしている感じです。

特に平日はなかなかボンヤリとした気持ちになることはありません。
...なので、日曜日にパオパオの散歩を兼ねて自然の中でボンヤリと空を眺めていると、スーッと元気になっていくのを感じます。

意外と元気になる手段って単純で簡単なのかもしれません。
気持ちの切り替えが下手なので、生活の中でボンヤリする時間をつくることが大切だと感じています。

その時間がパオパオとの散歩なのですね。

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2016年2月26日

あきらめの悪さからくる継続力

最近、いろいろな場所で耳に届く言葉で「あきらめずにやり続けること」があります。
先日の同友会第五支部の合同例会でもこの言葉がひとつのキーワードだったように思います。

自分はどちらかと言うと「継続力」はある方だと思います。
自分で自分をほめれる個所はほとんどないのですが、「継続力」というか「あきらめの悪さ」の数少ない武器だと思います。

要は「変化が怖くて苦手」の裏返しだと思います。
「変化が怖くて苦手」なので、「あきらめ悪く続ける」ことができるのだと思います。

ところが「不毛だ...」と思って無理やり続けていたことが、知らない間によい方向に向かうキッカケになったり、大切な成果の種になったりする経験を何度もしています。
一方で実を結ばず「あきらめが肝心だった」と思うことも同じぐらい経験しています。
ただ、少なくとも全力をつくしてダメだった場合は、それほど後悔は大きくなく、不思議なことにそれが次の経験に活かされることが多いです。

明らかにあきらめた方がよい場合もあります。
「勇気ある撤退」です。

でも、半々で迷っているのであればこれまでの蓄積に誇りをもって継続するのが自分にはあっているようです。

あきらめの悪さからくる継続力...意外と自分にとっては大切な気がします。

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2016年2月25日

「能力の壁」こそが「成長の機会」

最近、また書いている内容がどんよりしてきている気がしていますが、自分が感じていることを後で思い出せるように記録しておきます。

自分がよく感じる壁はいくつかあります。
「人間関係の壁」「知識・能力の壁」「時間の壁」...なのです。

今でももちろんありますが、以前は「人間関係の壁」によくぶつかっていたと思います。
同友会の地区会長をしていた時、組織運営の難しさを感じることが多かったも一つの理由だと思います。
お金で動かすのではなく、ある目標に向かってまとまってもらうように努力することは、(結局最後までできませんでしたが)大きな気付きが得られました。

また「時間の壁」はいつも感じます。
「時間の壁」は「優先順位の間違い」とも言えると思います。
「優先順位の間違い」や「仕事の取捨選択」を間違えると、それが「時間の壁」となって行動を制限します。

口癖のように「時間がない」「時間がない」と言っていましたが、最近は旅行に行く回数が増えたと思います。
出張に絡めることが多いのですが、出張と関係なくパオパオも一緒に旅行に行けたことは自分にとっては大きな進歩です。

最近、よく感じるのは「能力の壁」です
自分にとって経験のしたことのない難しい仕事が増えています。
ちょっと大げさなたとえかもしれませんが、よく「神様は越えられる試練しか与えない」と言います。

「能力の壁」を感じながらも、仕事はちゃんとクリアして、そこから常に学びを得ていると思います。
そういう意味では、自分が仕組んだわけではないのですが、ちゃんと成長するように見えざる手が働いているのかもしれません。

「能力の壁」は自分にとっての「成長の機会」なのだと思います。

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2016年2月24日

状況や要望を把握するために書く

お客さんと話していて、其の内容を聞きながらホワイトボードに書くことがよくあります。
その際に「ああ! そういうことなんです。頭がスッキリしました」と言われるとほんとに嬉しいです。

そういう時は、「自分の頭の中がお客さんとシンクロした」もしくは「自分の頭の中でお客さんの考えが再現でした」と感じます。

どんな仕事もお客さんの状況や要望を正確に理解することからスタートすると思います。
正確に理解できて初めての次のステップに進めます。

理解が間違っているのに次に進むのは「一方的な言葉」です。
相手には届かないですね。

お客さんの状況や要望を正確に把握できて表現できるよう精進したいですね。

同友会の名古屋第5支部で条例推進協議会で一年間で学んだ事、気付いた事を話す機会を頂きました。
まだ、よく理解できておらず、認識違い、内容の薄いところがあったと思います。

ただ、わからないなりにも書き出して整理してみた事が自分の理解度と向き合う方法である事を再認識しました。

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2016年2月22日

時間に余裕がありすぎるのも善し悪し

ある社長が会社組織において時間に余裕がありすぎるといろいろと考えすぎて、不満が出ることがあると話されていました。
もちろん忙しすぎても不満がでるのでそのバランスがとても難しいと感じます。

景気の変動により受注が減った時(リーマンの時)のことです。

受注が減って社長は内心非常に焦っていましたが、これまでの強烈な忙しさから解放された社員さん達は少しホッとした感じだったそうです。
これまで忙しかった社員さんには少し休んでもらって、受注を獲得するために社長は奔走しました。

すると、すぐに社員さん達からはいろいろな不満が出たそうです。
それは「仕事が減った」という不安ではなく、「職場環境悪い」という不満だったそうです。

これまでは忙しくて夢中になって働いていたのが、何もしない時間ができてよくない方向に考えが向いてしまった...とおっしゃっていました。
適度に仕事がある方が、みんなが健全な考えになる...とおっしゃっていたのですが、確かにと思います。

似たような話を聞く機会は多いです。
時と場合によりますが、考える時間もなくがむしゃらに働くことが良いときもあるのですね。

自分も時間が空いてしまうと、変な考えになってしまうことがあります。

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2016年2月15日

ポジティブな人ほどリスクを見ている

「あの人はポジティブだから物事がうまくいくんだ」というセリフは、表面上的には一理あるのかもしれません。

しかし、一般的に前向き(ポジティブ)と言われる人も、試行錯誤の連続で苦労をしながら事態をよい方向にもっていっていることがよくあります。
実際には、ポジティブに見える人の方が心配症でリスク回避をいろいろと考えているのではないかと感じることがあります。

ポジティブな人は、リスク回避を考えながらも、それを表に出さない心の強さを持っていると感じます。
そういう意味で心から尊敬します。

リスクが見えているかからポジティブになれるのだと思います。

週の頭から、たくさんの人と会う機会を得ました。
そして、たくさんの人の仕事に対する姿勢や考え方にふれました。

当たり前ですが、みなさんポジティブでありながら、リスクを真剣に考えている人ばかりだと感じました。
相談を受けながら、いつも刺激を頂いています。

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2016年2月14日

しくみを「性弱説」で考えてみる

時々思うのですが、会社のしくみを考えるとき「性善説」で考えるか「性悪説」で考えるか...なんて議論がされることがあります。
特にセキュリティや内部統制などの仕組みなどを考えるとき、こんな話題が出ることがあります。

そもそも「性善説」「性悪説」の誤解からこんな議論になっていると思います。
「性善説」は「(人の本性は善であり)人を信じるべきだという考え方」で、「性悪説」は「(人の本性は悪であり)人は疑ってかかるべきだという考え方」という考え方です。

これはそもそも誤解です。

「性善説」は孟子の唱えた人間観で「人は生まれつきは善だが、成長すると悪行を学ぶ」というもの。
「性悪説」は孟子の「性善説」に対して荀子が唱えた人間観で 「人は生まれつきは悪だが、成長すると善行を学ぶ」というものです。

どちらも「人は善行も悪行も行いうる」というものです。
なのでしくみを考えるとき、「性善説」も「性悪説」も関係ないのです。

ただ、自分が会社のしくみを考えるとき考えるのは「性弱説」です。
「人は必ずしも強いものではなく、心の葛藤や誘惑によって悪行を行いうる可能性がある」というものです。

「性弱説」の立場にたって会社のしくみ(例えばセキュティ)などを考えると、そもそも心の葛藤や誘惑を生まないしくみが必要なのだと思います。
たとえば、そもそもUSBメモリは使ええない、そもそも閲覧禁止サイトにはつながらない、そもそも禁止のフリーソフトはインストールできないなど...。

当然、それでも限界はあるので悩むのですが...^^;

あと、「モバイルをついつい買ってしまうのは性弱説だからですね^^/」というコメントは不要です。

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2016年2月 3日

「世の中を楽に考えている人」を尊敬

「世の中を楽に考えている人」に時々出会います。
一方で「世の中を真剣に考えている人」にも出会います。

自分はどちらかというと後者の方だと思いますが、それは決して良い意味ではありません。
自分を振り返ると「真剣に考えている」のではなく「ただ迷って悩んでいるだけ」だとのことが多々あります。

「真剣」というとカッコイイですが、自分のはどちらかというと「くそ真面目」なのですね。

一方「世の中を楽に考えている人」の中には、ほどよい程度にしっかり考えたうえでリスクを回避する対策を常に考えている人が多いです。
一見「世の中を楽に考えている」ように見えて、実はしっかり世の中と向かい合っているのです。

「備えあれば憂いなし」という言葉がしっくりきます。
自分は「備えが十分でないから憂いだらけ」なんだと思います。

「世の中を楽に考えている人」を本当に尊敬します。
一方、自分のように「世の中を真剣に考えている」振りをして「ただ悩んでいる」いるのは、まだまだ未熟ですね。

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2016年1月28日

資料を減らせないなぁ...^^;

毎度のことですが、資料を減らせないなぁ...^^;

ある3時間のセミナー資料を半分に減らしています。
一度バッサリ捨てて再構築をしているはずでしたが、いつの間にか元のボリュームに戻ってしまいました。

また元に戻ってしまった資料を削っています。
この自分の効率の悪さは何なんでしょう...

結局、言いたいことが多いのは仕方がないとして、どれも削る勇気がないのですね。

言い換えれば、言いたいことの優先順位が見えていないのだと思います。
もっと言えば「削るのもったいない病」なのかもしれません。

資料を作るのは自分の仕事でもかなりの時間を占めています。
もう少し効率化できたら、余裕時間がいっぱい出来る気がします。

ただ確実に言えるのは枚数の少ない資料の方が、間違いなく聞き手にとっても負担が少ないです。
自己満足で枚数を増やすのはやっぱりいけないな(^_^;)

まぁ、それはおいといて大好きな人達と飲むことができました!
スペインビールなるなるものを頂きました。

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2016年1月26日

ややこしい問題は丁寧に解きほぐす

ややこしい問題は日々起きると思います。
自分はややこしい問題に直面するとすぐに逃げたくなります。

ただ、普通はそんなに逃げ場はありません。
それに、いったん気持ちが逃げると、流れがよくない方向にいくのをなんどか経験してます。

ややこしい問題が起きたら、逃げずに対応を考えたいです。
ただ、複雑に問題が絡み合っていると何から手を付けてよいかわかりません。

そんな時は、ただひたすら問題を丁寧に解きほぐすのがよいと思います。
解決策を考えるのはその後です。

問題は解きほぐすことができれば、その因果関係がみえてくるので何らかの対応策が見えてきます。
必ずしも正解かどうかはわかりませんが、何から手を付けてよいかわからない状態からは向けだすことができます。

また、一つの問題の解決の方向性が見えれば、芋づる式に関連する問題の開つの方向性も見えてくることが多いように感じます。
ややこしい問題は丁寧に解きほぐすことから始めたいですね。

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2016年1月25日

まず進んで見える道もある

また、名古屋(全国的にですね)は大雪でした。
ただ、先週の大雪に比べて交通の乱れは少なかったように感じます。

話は変わりますが、日々よく感じることです。

不確定要素が多くて意思決定できない時はとにかく前に進んでみることだと感じます。
進んでようやく見える道もたくさんあります。

不確定要素が多くて不安や心配な時というのは、眼の前にモヤがかかっている時です。
ただ、進むことでモヤが晴れれば、見晴らしが良くなり、いろんな道(選択肢)が見えてきます。

これは仕事の場合も普段の生活の場合も同じだと感じます。

道が見えれば、あとはどの道を進むか勇気を持って決断し、そして正々と進めばよいと思います。
それがよいのか悪いのかなんてわからないです。

ただ、モヤで前が見えなくなって立ち止まっている間に状況が悪化するのは避けたいですね。
そのためのモヤを晴らす努力は少なくともすべきだと思います。

さて、自分も頑張ろう!

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2016年1月18日

「停滞」は大きく前に進むチャンス

自分の中で怖いと思うことはいろいろとありますが、最近特に怖いと感じるのは「停滞」です。

「停滞」にも、いろいろなパターンがあります。
自分が一番恐ろしいのは、変化が怖く前に進む勇気がわかなくて「停滞」してしまっている状態です。

この「停滞」は、気持ちの問題です。
気持ちのコントロールができないとなかなか動き出すことが難しいと感じます。

ただ、それでも全く動けない「停滞」ではありません。
「今、自分は停滞している」と気付くことができれば、少し行動を変える、少し視点を変えることで「停滞」から抜け出せます。

気持ちを変えることは難しいですが、少し行動を変える、少し視点を変えることはできると思います。
「停滞」という迷いから抜け出ることは、ある意味で大きく前に進むチャンスですね。

今年に入って少し行動を変えたことがあります。
その結果が少しずつ表面に出始めている気がします。

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2016年1月14日

人に会いに行く...って大切

定期的に振り返る言葉ですが、事務所の立ち上げ当初にある経営者に言われた言葉を今でも大切にしています。
「とにかく人に会いなさい。そして運良く仕事を頂けたら真面目にそれを行いなさい。そして待ちなさい」という言葉です。

なんとなく「自分が停滞しているなぁ」と思うときはこの言葉を思い出します。
思い出して、誰か会ってくれる人はいないかなぁって思い出します。

自分は人見知りなので、人に会うということにも勇気がいります。
仕事で無条件にたくさんの人に会わせてもらえる環境にいるものだから、ついつい「人に会ってもらえる」という価値を忘れてしまうことがあります。

会うという必然がないのに会ってもらえる人に自分から会いに行く...って大切なことだと思います。
なぜなら自分にとっては「とにかく人に会いなさい」がまずは前に進むキッカケをつくってくれましたからです。

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2016年1月12日

相手をしっかり見てさりげなく伝えれる人

言葉って本当に大きな力を持っていると思います。

少し気分が上がらない時でも、さりげない言葉で元気が出ることが多々あります。
そういうさりげない言葉を投げかけられる人を尊敬します。

自分の価値観を前面に押し出した助言やアドバイスは、相手には重く感じてしまったり、伝わらなかったりすることがあると感じます。
自分も仕事柄気を付けないといけないと思っていることです(よくこので失敗しますが...)。

さりげない言葉を投げかけられる人には、助言やアドバイスを受けたとその場では感じられないです。
たださりげない言葉は、じっくり考えることができ、やがて自分の腹に落ちて納得につながります。

また、さりげない言葉は時がたって「あの言葉が転機だった」と気付かされることが多いです。
その時の感謝ははかりしれないです。

相手をしっかり見て、自分の価値観を滲ませることなく、さりげなく伝えられる人になりたいですね。

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2016年1月11日

歩いていればどこかにたどりつく

耳に入ってきて大切だと感じた言葉をEvernoteに書き溜めています。
その言葉を定期的に見直しています。

その中に、ふと目に留まった言葉がありました。
「歩いていればどこかにたどりつく」です。

相変わらず試行錯誤の連続の日々を送っていますが、試行錯誤を止めなければ必ず何らかの答えが得られます。

それが幸せな答えの時もあるし、不幸な答えの時もあります。
どちらであっても、立ち止まってしまうよりはよいと感じます。

なにより一番怖いのは「停滞」であると思います。
「停滞」からは次のステップは見えませんが、「進んだ結果」からは何らかの次のステップがみえてきます。

「歩いていればどこかにたどりつく」という言葉ですが、進むのが億劫になったときに思い出したい言葉です。

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2016年1月10日

仕事をしていく土台をしっかり造る

コンサルとして創業している方の支援をしている際にお客さんが「土台をしっかり造ることが大切だと思います」言っていました。

コンサルに限ったことではありませんが、何事も土台をしっかり造ることが大事だと感じます。
当たり前すぎることですが、当たり前すぎることこそ忘れてしまうものです。

そもそも、仕事をしていくうえで「自分の土台」をわかっている人の方が少ないかもしれません。
私もコンサルをしていていつの間にか「何でも屋」になってしまっていることがあります。
私自身も「自分の土台」が時々わからなくことがあります。

「自分の土台」とは自分が仕事していくうえでの礎で、それは「世の中の役に立ち仕事として成立する源泉」のことだと考えています。

例えば技術、ノウハウ、人脈...など一般的に言われる自分の強みです。
ただ、それは「世の中の役に立ち仕事として成立する強み」でなければならないと思います。
「自分だけが感じている強み」は、「仕事として成立する強み」とは決してイコールではないことが多々あります。

「自分の土台をしっかり造ること」がぶれない仕事につながります。
そのために自分にとってしっかり造るべき土台は何なのか?を認識することからスタートだと思います。
的外れな土台をしっかり造っても、それは「仕事をしていく土台をしっかり造る」とは違う気がします。

私も自分にとってしっかり造るべき土台は何なのか?を自分に問いかけたいと思います。

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2016年1月 7日

自分なりの意思決定の方針

今の仕事は(どんな仕事でもそうですが...)、いつも意思決定に迷うことが起きます。
そんな時に意思決定の基本方針が決まっていると考えやすいです。

自分が案件を受ける際に迷った場合の意思決定方針ですが...

二通り以上の対策が思いつくか?
成功の状態がイメージできるか?
最悪のシナリオを受け入れられるか?
自分のノウハウとして何か得られるか?
努力すれば届く内容か?
どんな人と関われるか?
身近に協力者はいるか?
スケジュール的に可能かどうか? ...などなどがあります。

これらを頂いた案件の状況にあてはめながら考えてみます。
ただ、これで失敗したり後悔したりすることはないかと言えば「しょっちゅうあります」という感じです。

「事前に絶対に成功する選択肢」なんて分からなくて当たり前です。
自分なりの意思決定の基本方針が決まっていると、いつも0から考えなくてもよいです。

そして何よりも失敗したり後悔したりしても反省して方針を見直せるので、経験が無駄にならないと感じます。

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2016年1月 6日

自分の不得手をお願いできる人

自分の不得手をお願いできる人

当たり前ですが、人には得手、不得手があります。
それは当たり前のことで、大切なのは不得手の部分を補ってくれる信頼できる人を見つけられるかだと思います。

自分が不得手の部分を補ってくれる信頼できる人が見つからなければ、自分でその部分もやらなければなりません。
当然、出来は悪くなります。
それが仕事ならばお客さんに迷惑をかけてしまいます。

自分の不得手をお願いできる大切な人がどれくらいいるか...は、大切なことだと思います。
「自分の不得手をお願いできる大切な人」達が自分にも見つかりつつあります。

これからもそんな人達を自分も貪欲に探していきたいと思います。
そのためにはまず自分が人から信頼される人にならないといけないですね。

同友会天白地区役員会が行われました。
家に到着した時には、軽く日替わりしていました。

年が明けて仕事が始まり、ようやく正月気分も抜けて日常が戻ってきた気がしています。

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2016年1月 5日

自分を客観的に見ることの難しさ

昨年は自分を客観的に見ることの難しさと必要性を感じた一年でした。
そんな自分を客観的に見るために活用している道具が「ブログ」です。

ブログは「毎日書く」ことが自分にとって重要です。
毎日書くことで自分の中の変化に気付けます。

たわいもないことを書けている時は、「自分は比較的、問題がおきていない」と認識できます。
一方で自分をせめたり、自分の考え方が面倒くさいと思う時は「自分は今問題がおきているから、ここは踏ん張りどき」だと認識できます。

また、「自分は比較的、問題がおきていない」と感じた時は、次におきる問題に注意しよう...と考えることができます。
逆に「自分は今問題がおきているから、ここは踏ん張りどき」と思ったときは、問題や悩みいつまでも続くわけではないから辛抱しながら前向きに考えることができます。

自分に起きている出来事なので、焦って目の前の出来事が歪んで見えたりします。
ただ、それをできる限り客観的に見ることができれば自分の方向を少し大局的に考えるようになれる気がします。

ブログは過去の自分からのメッセージであり、過去の自分との対話でもあります。
「過去の自分」と「今の自分」が協力して「未来の自分」へむけて意思決定をしていると思います。

後で後悔しないためにもたくさんの過去の自分の証言を積み重ねて、少しでも自分を客観的に見れるようになりたいと感じます。

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2016年1月 1日

2016年あけましておめでとうございます

2016年、明けましておめでとうございます<(_ _)>

また一年が始まり身が引き締まる思いです。
ただ、正月の三が日で正月太りをすることはもう受けいれています。

昨年は試行錯誤の年でしたが、今年もきっと試行錯誤の年になるのでしょう。
どうせなら前を向いて試行錯誤したいです。

今年は3つの目標があります。

まずは「知識(ノウハウ)の見える化をして未来に知恵として活かす」です。

「知識(ノウハウ)の見える化」は昨年も目標として立てていましたが、試行錯誤の過程で自分の持っている知識(ノウハウ)では不十分である場面にぶつかりました。
そのため自分の知識(ノウハウ)を精査してブラッシュアップするので精一杯でした。

今年は「知識(ノウハウ)の見える化」を継続して取り込みつつ、「未来に知恵として活かす」ことをしたいと思うます。
具体的には知識(ノウハウ)を見える化を進めて、それを元にこれまでやっていないテーマのセミナーや研修を実現させたいと考えます。

次に「信頼できると人と深くお互いを理解できる場面をつくる」です。

昨年は信頼できる仲間にとても助けられた一年でした。
自分は極度の人見知りということもあって、本当に信頼できる仲間とはたくさんつくるのは難しいと感じます。

ただ、その分いったん信頼できると感じた仲間は本当に大切です。

ただ出会うだけでは信頼にはつながりません。
その後、時間を共有して、分かり合うことが大切だと思います。

今年は本当に信頼できる仲間をもう少し増やせるとことができたら嬉しいです。
そのためには人に合う時間を最優先にすることだと思います。

最後は「変化に怯えず変化がないことに怯えてチャレンジを忘れない」です。

自分は未知のチャレンジは怖くて、変化に怯える性分です。
一方で「変化がないことが怖い」とおっしゃる方と話して、とても刺激を受けたのが昨年です。

自分が変わらなくても、周囲の環境はすごい勢いで変化していきます。
周囲の環境の変化に翻弄されたのが昨年でした。

自分自身を変えることが怖いなどど言っているうちは、その先のリスクがみえていない証拠だと感じました。

今年は「まだやったことのない未知の領域」にチャレンジしていきたいです。
どんな未知の領域にチャレンジするのかは自分の中では決まっています。

ただ、いろいろと理由付けをしてチャレンジを先延ばしにしてきました。
今年はこのチャレンジに一歩でもいいのでその足掛かりをつくりたいです。

いろいろ書きましたが、一年が終わった時に後悔をしない一年にしたいです。

昨年の思い出の一つでパオパオと一緒に行った「富士山周辺旅行」での富士山です。

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2015年12月31日

2015年も一年間ありがとうございました

今年も一年間ありがとうございました。
いろいろな事が起きて一歩進んで二歩下がるといった一年でしたが、試行錯誤をすることで多くの「気付き」も得ることができました。

まずは「前向きにもがいていれば信頼できる仲間が助けてくれる」ということです。

試行錯誤の連続の一年でしたが、今年は前向きに攻めの気持ちでもがくことができました。
どちらかというとこれまでは、今の問題をどのように鎮火するか...という考え方をしていたので後ろ向きな守りの気持ちが強くなっていた気がします。

後ろ向きな守りの気持ちが強くなると不思議と次から次へと問題が発生して自分の手に負えなくなってしまうことが多々ありました。
一方で前向きに攻めの気持ちでもがいていると、次に起きるであろう問題に早く気付いて手を打てる場面に多く遭遇しました。

そして、前向きに攻めの気持ちでもがいていると不思議と信頼できる仲間が助けてくれました。
それは、もがきながら自然な形で仲間に相談できたからだと思います。

これまで事業を10年以上してきて信頼できる仲間が増えてきたことが自分の中での最大の資産なのかもしれません。
今年はそれを強く感じた年でした。

また「成長したという安心こそが退化につながる」ということも気付きました。

今年は、これまで上手くいっていた研修やセミナーで悩む一年でもありました。
何回も繰り返し評判もよかった研修やセミナーで手応えが感じられない不安に何回も遭遇しました。

「何回も繰り返し評判もよかった」ということに落とし穴がありました。
何回も繰り返し評判もよいと「このテーマに関しては伝える内容も伝え方も成熟した」という変な安心をしてしまっていたのだと思います。

実際には伝える内容も伝え方も成熟していたのかもしれません。
でも自分の気付かないところで世の中のニーズは変化しています。
自分で満足した瞬間に世の中のニーズにおいて行かれてしまうのです。

その違和感に幸い早く気付けたおかげで、何とかニーズについていけていると納得できるまでに戻せました。
これからも試行錯誤しながら変化を受け入れていきたいと思います。

過去の自分の経験が積み重なって、今の自分が振り返ることで、未来の自分を創っていくのだと思います。
そういう意味では、今年も多くの試行錯誤をしましたがよい一年だったです。

2015年も一年間ありがとうございました。よい年をお迎えください。

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あ、何気に今横にいるパオパオにもずいぶんと助けられたと思います...。

2015年12月30日

逃げたいときは「逃げない」選択をする

できるのであれば避けたいことがあります。
こういう場合に逃げてしまうと、危険はすごい勢いで追いかけてくる気がします。

しかも2倍3倍の大きさになって、しつこく追いかけてきます。
物理的に逃げなくても、いったん心が逃げたら同じ結果が待っていると感じます。

自分の経験では「逃げたい」と思ったら、「逃げない」選択をした方が良い結果になることが多いです。
もちろん、素直に逃げておけばよかったと感じる結果になることも多々ありますが...。

ただ「自分は逃げなかった」という気持ちが、長い目で見ると自分を成長させてくれると感じます。

自分の中の意思決定の一つの基準が「逃げたいときは逆の選択をする」になっています。
今年はこの基準で意思決定できた場面がいくつかありました。

時には「逃げる」ことも大切だと思いながらも、その後の後悔を考えるとやっぱり「逃げる」ことに躊躇します。
逃げて後悔するより、逃げずに反省する方が精神的もよい気がします。

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2015年12月27日

まずは目の前のことを一生懸命

今年は、ずいぶんとバタバタした一年でした。
試行錯誤の連続で、このブログでも迷走ぶりを露呈して恥ずかしい限りです。

バタバタとしたときにこそ思い出さないといけないのが、「まずは目の前のことを一生懸命」という、ときどき忘れてしまう大切な言葉です。

当たり前のことですが、「目の前のことをに一生懸命」にならないと先はありません。
先を考えずに動くのか?って言われることもありますが、優先順位の問題で目の前のことに集中することで開ける未来もあります。
逆に、先のことばかり考えて、足元が疎かになっている方も多くみました。

重要度が先か、緊急度が先かはよく行われる議論です。
答えはないのかもしれませんが、私は緊急度が大切だと考えています

重要度を考えている間に緊急度に足元をすくわれたくないのです。
ただ、そのまま重要度を忘れてはいけません。
重要度と緊急度のマトリクスで今すべきことと常に向き合うことが大切だと思います。

重要度は紙に書き出し棚卸をしつつ緊急度をクリアしたいです。
目の前の出来事を片付けるのは、精神的にも極めてよいと感じます。

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2015年12月25日

資料を創らず回す仕事が増えたら要注意

前日のブログで「資料は資産だからなくならないようにバックアップが大切」と書きました。
私の仕事では「資料は資産」これは間違いないと思います。

ただ、「資料を創らず、回す仕事が増えたら要注意」は忘れないようにしたいです。

ただ、新規のテーマの研修やセミナーではもちろん資料を創ることになります。
また、過去に実施したテーマの研修やセミナーでも、それを何回か繰り返し、どうしたら受講者にもっと伝わるか? どうしたらもっと本質を伝えられるのか?と試行錯誤します。
それにより資料を資産として成熟させていくこともとても「創る」一環です。

ただ、ただ私の場合ですが、研修やセミナーで受講者の評判も良い状態が続くと、資料が成熟し、完成に近づいたと勘違いしてしまうことがあります。

今年はこれまで何回も実施し受講生の評判もよい「図解手法」の研修が途中何度か上手くいかないことがありました。
いろいろな理由がありますが、自分がよい評判が続いていることに安堵し、資料をよりよくする努力を怠り「資料を回す研修」をしていたのだと思います。

資料を創る努力を怠り、ただ回す仕事が増え始めたら要注意です。
初心に返って、また一から資料を見直す時期に来ているのだと思います。

気楽な仲間と忘年会をしました。
楽しい時間を過ごしながら頭をリセットすると、初心に返れますね。

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2015年12月22日

FBのプロフィール写真を選ぶのも楽しい^^

Facebookから「プロフィール写真が古すぎる...」なんていう警告がずっと出ていたので、さすがにプロフィール写真を代えないといけないなぁって思っていました。

そこで、iPhoneの中でプロフィール写真ないかなぁ...って探しました。
自撮りをすることなんてないので、ビールや食べ物、風景の写真ばかりでプロフィール写真になりそうなものはありませんでした。

そこで、Googleフォトで「自分」を検索してみました。
そこでも意外と自分の写真ってないことに気付きましたがプロフィール写真になりそうな4枚の写真を見つけました。

最初が友人とビアガーデンでビールを飲んでいる写真ですが、最も自分らしいと思いました。
この写真にしようと思ったのですが、これ以上「宿澤はビール好き」を印象付けるといけないので、残念ですが、ちょっと思いとどまりました。

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次が、かみさんに頭を刈ってもらっている最中の途中経過写真です。
これもプロフィール写真としては自分らしいのですが、ちょっとふざけ過ぎなのでやめました。
ちなみにLINEのプロフィール写真です。

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その次が、みかんのアイスクリームに顔が描かれたものです。
これもお気に入りで迷ったのですが、人間ではないのでやめました。
ちなみにTwitterのプロフィール写真です。

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...で、最後に残ったパオパオとのツーショット写真でいくことにしました。

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仕事帰りの電車の中で選んでいましたが、なかなか楽しい時間を過ごさせてもらいました。

2015年12月 4日

全くわからないと余計に気になる

先週、お客さんから「中経新聞に載ってましたよ」と言われました。
「え? どんな記事で載っていたのですか?」と聞き返したら、「うーん、忘れた」と言われました。

お客さんが、忘れるぐらいだから「まぁ気にしなくてもいいだろう...」と思っていました。
ただ、全くわからないと余計に気になるものです。

少し遡って中経新聞を見てみました。

何か素晴らしい業績を残しわけではなく、何か罪を犯したわけでもない、最近はコラムも書いていない...なんだろぅと思いました。
探してもなかなか見つかりません。

ただ、ここで思いつきました。
「中経新聞で一番無難な記事ってなんだろう...? セミナー案内の記事だ!」と思いつきました。
そこでセミナー案内の記事を中心探すと確かに自分の名前がありました。

中経新聞には無作為にセミナー案内の記事が載ります。
自分も過去に何回か掲載していただいたことがあります。

全くわからないと余計に気になるものですね。
見つかってみれば、なんてことない一番無難な記事でした。

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2015年12月 3日

好調と不調は循環するもの

最近、いろいろと反省が多い自分です。
それもここ数日、反省が結構な束になってやってきます。

疲れると集中力が切れるのと、同時にトラブルが押し寄せるとオタオタするのが原因だと思います。
...と同時に今はなんとなく悪い流れにいる感じがします。

それで気分的に持ち上がらずに問題が発生し、また下がっていく...という悪循環が最近続いています。
自分で気持ちを前向きにもっていくのが下手で、自然と前向きになるまで耐えるのが自分の性分です。

少し前までは、自分でもわかるぐらい好調な時期がありました。
今は、その反動だと思います。

...ということは次はよい流れがなってくるのでしょうね。

でも、これをもう少し心をコントロールして、自分で流れを制御できるようになりたいものです。
鍛錬ですかね...。

一気に至る所クリスマスの飾りつけだらけですね。

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2015年11月22日

人と人をつなぐのは苦手だけど・・・

自分は「人と人をつなぐこと」がとても苦手で、恐れているといってもよいです。

自分がよかれと思ってつないだ人と人がうまくいかずに喧嘩別れになってしまったり、「なんて人を紹介してくれたんだ」と言われたこともあります。
余談ですが、「なんて人を紹介してくれたんだ」という場合は、このセリフを言った方に問題ありの場合が多いです。

よかれと思ってしたことで人と人との関係がこじれるのをみるのは辛いことで、余計なことをしなければよかったと後悔することもあります。
ただ、やはりまずは「人と人をつなぐこと」は新たな価値を生んだり、物事が一気に進んだりするには大切なことだと思います。

「人と人をつなぐこと」がうまくいくかどうかはその人達次第であると考えて、まずはつないだ方がよいのだと考えるようにしています。

その結果に責任を負わなければならないと考えるのは、ある意味自分のおごりであると思います。

「人と人をつなぐこと」の大切さを思い返してくれたのは大河ドラマの「花燃ゆ」です。
個人の力なんてたかがしていて、それをつないで大きな力にできるようにしていきたいですね。

正直、このドラマで自分がいったい何回感動して泣いたか分からないです。
最近、本当に涙もろいです。

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2015年11月21日

「自主」という精神を考えてみる

先日の愛知中小企業家同友会のフォーラムで勉強させていただいた一つです。
同友会には「自主・民主・連帯」の精神があります。
どの精神が一つ欠けても同友会ではなくなってしまうと感じています。

その中で「自主」という精神あります。
この精神が自分はとても好きです。

「自主」を辞書でひくと、「他からの干渉や保護を受けず、独立して事を行うこと」とあります。

先日のフォーラムでは「自主」のことを「独立自尊」という言葉で表現されていました。
ただ、「独立自尊」という言葉は難しいので、その反対語をおしえてくれました。

その反対語は「自己否定」「他者依存」の2つの言葉でした。
この2つの言葉に当てはまる場合は「自主」ではないといえます。

ひとつは「自己否定」です。自己否定はその言葉通り「自分自身を否定すること」です。
自分に自信がない自分はよく「自己否定」の心に陥ってしまうことがあります。

「自己否定」とはある意味、自分の心の防御本能もあると思います。
自己を否定することで、問題から逃げ精神的ダメージを軽減したり、問題解決の労力逃げたりします。

ただ逃げてばかりでは何も変わりません。

やはり「自主」の精神には、自分を肯定し問題に向き合うことが必要だと改めて感じました。

もうひとつが「他者依存」です。
この「他者依存」は自分が最も嫌いな言葉で、自分が他社依存にならないようにいつも気を付けています。

それでもついつい苦しい状況になると「他者依存」の心が芽生えます。
ただ「あいつが悪い」「あいつのせいだ」といっているうちは何も変わりません。

苦しい状況の中でも「自分のできること」を考えることが「自主」の精神なのだと思います。

こう考えると「自主」の精神とは「苦しくてもまっすぐ自分に向き合い、自分の出来ることをやる」ことなのだと思いました。

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2015年11月10日

想定の範囲外は普通の人より多い

自分一人できることなんて小さいのに、いろいなことに気をまわしすぎている気がしています。
その結果、いろいろなことが中途半端になってしまっています。

もともと性格的にいろんなことに気をまわすのは得意ではありません。
血液型は関係ないですが、B型の私は自分の意識できる範囲はかなり気を付けることができるのですが、範囲が広がるととたんにザル状態になります。

そのため、想定の範囲外は普通の人より多いと思います。
なのに、キャパ以上にいろいろなことに気をまわしすぎているので、いろいろなことが中途半端になってしまうのです。

自分が想定できる範囲は能力的にも限界があります。
ただ、一応は自分の事務所を経営しているので、その視野(気を付ける範囲)を広げることは大切です。

ただ、範囲を単に広げるのは無理があります。
見るべき情報を優先度で選択する深くみるか、それとも全方位的に浅く見るかのどちらかを選択しないといけないと思きます。

自分的に「見るべき情報を優先度で選択する深くみる」方が自分に向いていると思いますが、またそれ以外がザルになってしまうのですよね...^^;;

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2015年11月 9日

上手くではなく、素直に発言してみる

上手く発言しようではなく、素直な気持ちを発言してみることが、簡単なようで難しいです。
発言する内容のシナリオを文章で書いてしまうともう失敗の前触れです。

文章を全部言おうと焦ったり、棒読みになって無機質な言葉に落とし穴がなります。
発言のシナリオはキーワードを線でつなぐぐらいで十分ですね。
論理ピラミッドまでいったら上出来すぎます。

未完成な図には柔らかい柔軟性があります。
ただ、柔らかい遊びの部分が発言に幅をもたせます。
この幅が良い方に転べばよいですが、悪い方に転ぶことも考えられます。

一方かっちりした文章にはブレがありません。
必ず準備した事を正々と話せます。
その代わり、少し予定が変わったり、不慮の変更があった場合には対応できる遊びはありません。

どちらがよいかはわかりませんが、私が柔らかい遊びの部分がある方が好きですね。

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2015年11月 8日

しくじった時に身近にいてくれる人

あまりテレビのネタは書かないのですが...

撮りためてあったビデオを見ていたら「しくじり先生」がありました。
「しくじり先生」はメジャーになって「作られた嘘っぽいストーリー」も増えてきましたが、時々すごく腹に落ちる話もあります。

かなり前の放送ですが、内山君が子役時代の「天狗」から「どん族」に落ち、そこから気付いて周囲の人に謙虚になること、身近な人の大切なことに気付いた話がありました。

自分も心の病気になって会社を辞めて社会復帰まで1年かかったことを考えると、しくじっています。

自分が病気になった原因は「心の弱さ」がありますが、もっと突き詰めると「完璧中毒症」だと思います。
「完璧中毒症」は完璧でない状態が怖くて、完璧を維持するために無理をする状態です。
自分に自信がなく心が弱いとこうなると思います。

今でもその傾向はありますが、昔に比べればかなりよくなったとおもいます(自己評価ですが...)。

「完璧中毒症」と「周囲に対して天狗」の状態は全く違う状態にも思えますが、実は似ています。

「周囲に対して天狗」の状態は「自分はこんなものではない」と特別視をします。
その自分への特別視は自分のプライドを高くします。

その「自分のプライド」が失敗なんかできないという「完璧中毒症」につながるのです。
自分が良く見えていない状態ですね。

そんな状態でも身近にいてくれて、気付かせてくれる人が大切なのだと思います。

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2015年11月 7日

「一人は好き」だが「一人ぼっちは怖い」...

「つぶやき」ブログが本当に一人でつぶやいていればよい内容ばかりになってきましたね^^;

自分は結構一人でいるのが好きです。

ただ、自分を振り返ると「一人が好き」と言っておきながら、とても「孤独感」が怖いと感じる傾向もあるように思います。
「一人が好き」でありながら、「一人ぼっちは怖い」というややこしい感情です。

自分は一人では幸せに生きていけません。
だからみんなと一緒に幸せになりたい...というのは生きる一つの原動力です。

決してきれいごとではなく、結局は自分が幸せになりたいのです。
でも、自分一人の力では幸せになれないので、みんなと一緒に幸せになりたいのです。
みんなと一緒での嬉しいことは、一人での嬉しいことよりも間違いなく大きく、そして長く続くと感じます。

「一人が好き」でありながら、「一人ぼっちは怖い」というややこしい感情は、この説明がしっくりきます。
結局は自己中心的なのでしょうね。

「孤独感」と「罪悪感」は人の心を病ませてしまう感情の大きなものです。
その「孤独感」というのは、「一人ぼっちは怖い」という感情なのだと思います。

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2015年11月 6日

心を大切にするには言葉を大切にする

自分は不用意な一言で、これまでいろんな人に迷惑をかけています。
これだけ失言をすれば、もう少し失言の量が減ってもよいと思います。
でも減りません...

なぜ不用意な一言を発してしまうのか?
それは自分の言葉を大切にしていないからだと思います。

自分のような小さな言葉でも、受け取る側では大きな言葉として受け取ってもらえることがあります。

年齢を重ねるたびに、自分の言葉も一部では重みをもってきているようです。
この重みに潰されそうになることもありますが、誰もが通る道なのだと思います。

自分の言葉をもっと大切にしないといけないと思います。
それなしに、心の平穏はないのかもしれません。

日々の発言だけではなく、ブログを毎日書いているとここでも不用意な発言をしていることがあります。
...かといって、毎日のブログを止めるのではなく、日常から自分の言葉を大切にする訓練を継続しないといけないと思います。

自分の心を大切にするには、自分の言葉を大切にする必要があるのでしょうね。
誰かに言葉を発する前に、自分自身の言葉を見直す一呼吸が大切だと感じています。

ただ、、不用意な一言に自分で気付けることが時々あるだけ、まだ昔より成長したのかもしれません。
昔は全く気づきませんでしたから・・・

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2015年11月 4日

嫌なものより、嬉しいことを探す

若干、心や体が疲れてくると「嫌なもの」が優先的にみえてきます。
心や体が元気な時は「嬉しいこと」が優先的にみえてきます。

普通の人はそういう人が多いようで、自分もそうです。
ただ、自分で自分の嫌なところは、「嬉しいこと」がたくさん見えている時よりも、「嫌なもの」がたくさん見えている時の方が印象深く残ってしまうことです。

ただ、そういう時こそ自分にとって「嬉しいこと」を探すことを試してみます。

意識して探せば心や体が疲れていても「嬉しいこと」は見つかるものです。
「嬉しいこと」がちょっとでも見つかれば、それを突破口に心や体が元気になっていく気がします。

「嬉しいこと」を意識して探してみる...これは心や体が元気にする一つの方法かもしれません。

同時にカタルシス効果で自分の辛いことを吐きだすのも心や体が元気にする一つの方法だと思います(特に心)。
「嬉しいこと」を意識して探してみる...、自分の辛いことを吐きだしてみる...真逆のようですが素の自分見つめなおすという意味では案外同じなのかもしれません。

でも、まずは「嫌なものより、嬉しいことを探す」を意識したいです。

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2015年11月 1日

理不尽と思う時こそ大人の対応

昔ですが、ある方に「理不尽な言いがかりを付けられた時こそ大人の対応をする」と教えられました。

その人は「負けるが勝ち」ともよくいっていました。
当時はその意味がよくわかりませんでしたが、今ではなんとなくわかります。

理不尽と思うことを言われた時こそ、その人の真価が問われるのだろう...だと思います。
感情を押し殺して、どれだけ冷静に対応できるか...自分にはなかなかハードルの高い問いです(できません...)。

相手の感情に流されて、自分の感情のままに攻撃をすれば泥沼です。
相手をコテンパンに打ち負かしてやろう、自分のが知識があるのを見せつけてやろう...というのは狭量の証です。

「理不尽と思うことを言われる」「相手を見ず法を説かれる」という場面に遭遇するのは、よくあることです。
その時に、自分と向き合ってどのような対応ができるかを客観的に見れるのが成長の証なんだと思います。

ついつい感情に流される自分は、いつまでたっても未熟すぎです。
「理不尽」と思っても、それをしっかり咀嚼したら理不尽でないことも多いですしね。

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2015年10月30日

いろいろな言葉にふれる機会

日々、自分の外から、そして内から、いろいろな言葉をふれる機会があります。

自分の外からくる言葉は、本当に自分が聞き入れないといけない大切な言葉があれば、一方で、その人の価値観で相手を見ずに発せられた言葉もあります。

自分の内からくる言葉は、自分を奮い立たせる勇気が出る言葉もあれば、自分の気力を奪ってしまうような後ろ向きの言葉もあります。

自分が日々ふれあう言葉には、聞かなければ自分の成長にならない大切な言葉と、気にしていたら身が持たない言葉がありますね。
ただ、その判断をするのは自分だということです。

スルーした言葉が後々大切な意味を持ったり、これは大切だと思った言葉に振り回されてしまったり‥

いろいろな言葉にふれる機会が増えるほど、一つ一つの言葉を十分に考えれなくなっているのかもしれません。
一つ一つの言葉の意味をもっと大切に考えた方がよいと感じています。

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2015年10月29日

最後に「感情」にひっくり返される

何かを判断するときどうしても「感情」に邪魔されてしまうことがあります。

「感情」は論理的には説明がつかないことが多く、その時の気分が大部分を占めてしまうと感じます。

論理的にデータを収集して、メリットデメリットを比較して、ある基準でベターな選択肢を選んだとします。
しかし、その後に「これは精神的にきついなぁ」「あの人と組むと気持ちが前向きになれない」なんていう感情論で意思決定を変えて後悔したりしています。

自分はもともとは「論理」ではなく「感情」の人間です。
なので最終的に「感情」に支配されてしまうのは、通常の状態なのかもしれません。

ただ、理想が「論理的」に考えて、最後の意思決定で少し「感情」が背中を押すのが理想だと思います。
いまの自分は「論理的」に考えて、最後の意思決定で「感情」にひっくり返されることが多々あります。

精進したいですね。

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2015年10月22日

「カタルシスノート」でスッキリ

必死に考えても考えがまとまらない時ってあります。
この場合は、考えているのではなく、ただ悩んでいるだけなんですよね。

「悩んでいるなら考えろ!」って当たり前のことを自分に言い聞かせますが、モヤモヤは消えません。

自分は「カタルシスノート(吐き出しノート)」を持っています。
まぁ、物理的には普通のノートだったり、Evernoteだったりですが...。

それに、モヤモヤしたら悩んでいることをひたすら書き吐き出します。

よほど重症でなければ、「カタルシスノート」に悩みを吐き出せば(書き出せば)すっきりします。

「見えないもの」ほど不安に感じるものはありません。
不安の原因が見えれば落ち着くことができるので、後は冷静に対策を考えるだけです。

不安の原因が見えれば八割ぐらいは問題は解決したようなものですね。
まぁ、「カタルシスノート」が要らないのが理想かもしれない。

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2015年10月21日

インフルエンザの予防接種の時期ですね

だんだんと寒くなってきて、寒暖の差が激しくなると風邪をひいている人も増えてきますね。

この時期、やっぱり気になるのがウィルス性の風邪です。
特にインフルエンザにはびくびくしています。

研修やセミナーの講師で一番やっていけないのは「穴をあける」ことだと思います。
ウィルス性の風邪を引いてしまった場合は、自分ではどんなに「大丈夫!」と言い張っても人前には出られません。

研修やセミナーと重なると「穴をあける」ことになるのです。

...とは言っても、ウィルス性の風邪をひいてしまうことはあります。
なので、できることはやっておきたいので、予防接種だけは必ず受けます。
しかも、大人なのに2回毎年受けています。

インフルエンザの場合、A型にしか聞かない予防接種ですが、当たる確率をとにかく減らすことに気を付けたいです。
だったら、長期的視点で酒を減らせ...という声が聞こえてきそうですが...

事務所を立ち上げて10年たちますが、この十年一度もウィルス性の風邪にあたっていません。
これはとてつもなくラッキーだと思います。

今年も乗り切れるかな^^/

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2015年10月19日

限定しないと考えがまとまらない

自由に考える余地を与えられると「生き生きする人」と「困ってしまう人」の二種類があるように感じます。

自分の場合はどちらかというと「困ってしまう人」です。
自分の裁量の大きさに振り回されてしまうタイプですね。

意外と周囲に多い創造性に溢れた「生き生きとする人」を尊敬しますが、自分にはなかなか難しそうです。

ならば、困ってしまいながらも、満足のいく自分の考えをひねり出して伝えたいものです。

そんな時は、あえて自分の思考スペースに「限定」をもうけています。
「限定」を設けると、それが「制限」ではなく、「軸」になって考えがまとまります。

苦手なことも、自分なりのひと工夫でクリアできることってありますね。

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2015年10月16日

「自分の笑う場面」でカラーバス効果

当たり前なのですが「思いっきり笑える」っていいですね。
「思いっきり笑える」仲間、場面、職場、会合...いろいろあります。
どれもとても元気になれます。

最近「カラーバス効果」で意識していることがあります。

カラーバス効果とは心理学用語の一つで意識していることほど関係する情報が自分のところに舞い込んでくるようになるといったものです。 例えば「今日のラッキーカラーは赤」といわれると、街でその色ばかりに目が行くのがカラーバス効果です。

これは別に色だけに限定されいるものではなりません。
形状や音はもちろんのこと看板やお店、おかれた状況...意識できる状態た物質はカラーバス効果を狙えます。

私が最近「カラーバス効果」で意識していることは「自分が笑える状況」です。

自分てどういう状況で大声で笑えるのか? また自然に笑顔になるのか? これでカラーバス効果を狙うと自然と「思いっきり笑える」状況を意識できます。
すると不思議なことに、ネガティブな自分なのに「思いっきり笑える」状況が意外と多いことに気が付きます。

「自分が笑える状況」のカラーバス効果で「今、自分が笑っている^^」ってわかると自分がどういうときに嬉しいのかわかる気がします。
同時に「自分が笑える状況」を引き寄せる気さえもしますね。

最近、自分が笑っていることが多い気がします。

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2015年10月15日

自分を客観的にみるための「記録」

人生の積み重ねを時系列に等身大に「記録」することは「過去の自分への問いかけ」「未来の自分へのメッセージ」です。

たかが数年の出来事で、その人の評価が決まるわけではありません。
その人の積み重ねてきた人生がその人を表します。

自分は未熟なのは理解しているつもりですが、それでも感情に振り回されて、自分の未熟さを忘れてしまうことがあります。
その後に振り返って、とてつもなく落ち込み、自分の行動が自分で恥ずかしくなります。

どんな形でも「自分に恥ずかしくない生き方をすること」は大切だと思います。
感情に負けて一時期それが出来ないとしても、いつか気付いて軌道修正ができれば恩の字です。

そのために、自分を冷静に見つめなおす「記録」が必要になります。

自分を含めて今の世界に絶対的に正しい人なんていません。
ただ、自分の価値観に照らし合わせて、正しいと思う行動をしている人はたくさんいます。

自分の価値観で相手にその価値観を伝え、従わせようとする人にはなりたくないです。
そのためにも客観的になる必要がります。

自分を客観的に見つめなおすためにも、相手を客観的に理解しようと努力するためにも「記録」は必要になると感じます。

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2015年10月14日

相手に本音を伝えることの大切さ

本音で感情を相手にぶつけるのは勇気がいります。
相手に感情をぶつけることによって嫌われたり、避けられたりする可能性があるからです。

でも、本当に相手と分かり合いたいのであれば、感情も含めて本音をぶつけるしかありません。

一番分かり合えないのは、自分の本音を隠して体裁を取り繕ってしまうことです。
この場合は、相手が本音をぶつけているのにも関わらず、ヒラリとかわしているのだから、まず信頼を失います。

そして永遠に分かり合うことはないと思います。
自分の過去では、何回かそういう振る舞いをしてしまった苦い思い出があります。

相手が感情も含めて本音をぶつける心の痛みを、自分の心の痛みにできて初めて分かり合うことができると思います。

本当に相手と分かり合いたいのであれば、嫌われるのを覚悟で感情も含めて本音をぶつければいいと思います。
そこで関係が壊れるのであれば、それまでの関係だということです。

ただ、自分の都合だけの本心をぶつけるのもまた違うと感じます。
相手を尊重し理解する努力をしながら、自分の本音もぶつける...難しいですがそれが大切だと思います。

ある自分にとって大切なお客さんに本音をぶつけさせていただきました。
自分も上手く表現ができないので、どれくらい伝わったかわかりませんが、ほんの少しでも伝わればそれで嬉しいです。

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2015年10月 7日

「考具」の達人になりたい

発想法を使いこなすのはとても大切だと思います。
「考具」は自分の愛用書の一冊ですが、まさしく「考える道具が役立つ場面」はたくさんあります。

様々な「考具」が存在しますが、それを使いこなすのはもちろんのこと、どんな場面でどんな組合せで使うかを知ることも大切です。

最近はマンダラとマインドマップ、類比法をよくつかいます。
特に類比法は、アイデアをひねりだすときに有効だと感じています。

コンサルとして「考具」の達人になりたいです。

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2015年10月 4日

名字由来netで「宿澤」って名字を検索

ちょっと個人的に面白いことがありました。

ラクビーW杯の影響で「五郎丸」という名字が一躍有名になりました。

面白いサイトがあって「名字由来net」というサイトがあります。

日本人の95%の名字の由来をカバーしているとかで、そのアクセスランキングで「五郎丸」という名字が一位を続けているとのことでした。
もちろん、しっかり由来も検索できました。

そうなると自分の「宿澤」という名字の由来も知りたくなるものです。
早速検索してみました。

「宿澤はまだ登録されていません。」との結果がでました。
...そうですか。予想はしていましたが。

ただ、面白い情報がありました。

都道府県別におよそ何人の「宿澤」がいるかの情報がみれました。

山梨県 1,656位 (およそ30人)
東京都 14,844位(およそ30人)
埼玉県 9,261位(およそ30人)
茨城県 14,947位(およそ10人)
神奈川県 20,437位(およそ10人)
福井県 8,546位(およそ10人)
愛知県 22,909位(およそ10人)

こうしてみると、比率的にも山梨が多いことがわかります。
これは予想がつき、自分の家系も曾祖父までは山梨の塩山市だったそうです。

そして、愛知県は「およそ10人」です。
「へ~、10人いるんだ。」と思ったのですが、我が家だけで3人います。
あと親戚でわかっているだけで8人ほどいます。

もうこれで10人を超えました。
愛知県の宿澤さんはほぼ全部親戚なんですね...。

話は変わりますが、研修のため盛岡に前日移動してきました。
夜の北上川もキレイです。

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2015年10月 3日

心を病ます感情が「孤独感」と「罪悪感」

自分の心を病ませてしまう感情が「孤独感」と「罪悪感」だという話を聞きました。

まず「孤独感」ですが、人は一人で生まれて一人で死んでいく...だから「孤独」なのは当たり前だという話がありました。

しかし、少なくとも生きている間は一人ではなく、信頼のおける仲間を作れるはずです。
「孤独」という言葉にもいろいろな意味があると思いますが、努力次第で決して「孤独」にはならないと思います。

時には「自分一人で決断し、行動する」ことも必要で、そいう場面も多いと思います。
ただ、その場合すら自分の考え方で「孤独」から抜けれるはずです。

...にもかかわらず、自分で「孤独感」を深めてしまうと心を病ませてしまうのかなぁって感じます。

もうひとつの「罪悪感」は「自分で処理できる罪悪感」と「自分ではどうにもならならない罪悪感」があると思います。

「自分で処理できる罪悪感」は、自分が意図して自らおこしてしまった出来事に対する罪悪感だそうです。
しかし、それは自から反省し、謝罪、償いをし、許されれば「罪悪感」から解放されると思います。

ただ「自分ではどうにもならならない罪悪感」が厄介です。
これは、「自分のあるべき姿」と「自分が実際に行動」のギャップに悩むことだそうです。

「自分が実際に行動」を「自分のあるべき姿」に近づけていければよい気もします。
ただ、確かに無意識に「思わず言ってしまった失言」「思わず気付付けてしまった行動」などは自分の中で引きづります。

無意識だけに、明確な「許し」の基準がないので厄介な気がします。
「自分ではどうにもならならない罪悪感」もあることを知ることができてよかったです。

楽観的ですが、これこそ「時が解決してくれる」気がします。

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2015年10月 2日

失言も受け入れてくれる人達

なんとなく最近、失言が多いなぁって思います。

場をよい雰囲気にしようと言った不必要な一言が失言になっていると思います。
自分がでしゃばって場をよい雰囲気にしようなんて思い上がらなければ失言も無いでですよね。

「沈黙は金なり」といいますが、本当にその通りだと思います。
機転がきくことを言えないのだから、あまり無理に何かを言おうとするのは逆効果だと思います。

ただ、それでも自分のその時感じていおうと思った言葉は発信しないと、どんどん距離を置いてしまうことになります。

しゃべると失言をする、黙っていると相手との距離がひらく・・・。
しゃべるのがいいのか、黙っているのがいいのがよくわからなくなることがります。

ただ、自分が本当に好きな人達は自分が失言をしたと感じていても、そもそも気にしてないことが多いです。
それならば、好きな人達に囲まれてリラックスできている時は、失言を恐れずじぶんがその時感じた言葉を発した方がよいですね。

そんな失言をした自分も含めて自分をみとめてくれる人達がいかに大切かということだと思います。

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2015年10月 1日

耳に入ってくる「背中を押してくれる言葉」

何度も思うことですが、今の自分を助ける言葉が耳に届きます。
こういうふいに入ってきた言葉に何回助けられたかわかりません。

ただこういう耳に届く言葉に助けられるのはは、自分が耳に届いた言葉を自分を助ける形に解釈をするからかもしれません。

その理由は、同じ言葉であるにも関わらず、そこからの解釈が自分の状況や体調によって解釈が異なっているからです。

同じ本を同じ人が読んでも、年齢や立場によって受ける感想が異なることはよくあります。
それは、本の内容が変わっているのではなく、自分自身が変わっているのですよね。

耳に届く言葉も同じと思いました。
同じ言葉でも、自分を助ける(欲する)解釈を無意識にしている気がします。

ふいに耳に入ってくる言葉は「背中を押してくれる言葉」なのかもしれませんね。

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2015年9月25日

自分だけが悪いんじゃない。でも自分はどう動くのか?

心配なことは世の中にいっぱいあるけど、どうせなら「まだ起きていない心配」や「自分ではどうにもならない心配」をするより、「今発生している問題」を考えた方がいいですね。
まだ「まだ起きていない心配」や「自分ではどうにもならない心配」するのは、「余裕のある証拠」なんだと思います。

人の集中力なんてなんてたかが知れています。
その限られた集中力を無駄に放出するのは避けたいものです。

どうせなら、「今発生している問題」を「自分に都合のいいように解釈してみる」時間をとってもいい気がします。
いつも、自分に都合のいいように解釈していたら、自己中心的な人間になってしまうかもしれません。
でも「自分に都合のいいように解釈してみる」して、視点を変えることで新しい見え方ができて、「今発生している問題に対して自分の役割」が見えるかもしれません。

自分周囲で何か問題が起きると「それは自分のせいかも...」って私がよく思ってしまうのも、ある意味自分中心に物事を考えてしまっているのだと思います。
「自分がもっと直接手を貸せばなんとかなったかもしれないのに...」と思うのは自分の「驕り」だと思います。
「相手にどう伝えれば問題は起きなかっただろうか...」と考える方が、「今発生している問題に対して自分の役割」が見えると思います。

自分は「他人のせいにする人」「他人だけをせめる人」がとても苦手です。
ただ、自分はそうなるまいと思っているうちに、「自分の非だけを探す」人間になってきているのかもしれません。

何か問題が起きた時「自分だけが悪いんじゃない。じゃ自分はどう動くのか?」と思うのが大切だと思いっています。

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2015年9月16日

大変になったらスケジュールを見直す

「大変になったらスケジュールを見直す」という、こんな簡単なことが昔はできませんでした。
パニックになっているのに、なんとかスケジュールを終わらそう...とまたパニックになる悪循環を繰り返していました。

今は、常にではありませんが、わりと冷静にスケジュールの見直しができるようになってきました。
少しは場数を踏んできたこともあると思いますが、スマホの存在が意外と大きいです。

スマホで常にスケジュールとタスクを見直すことで、すべきことが見えています。
すべきことが見えれば、あとは力の配分さえできれば課題はクリアできます。

「常に見える化をする」ことが、精神的な安定を呼び込みます。
これだけでも、自分にとってはスマホの有益なツールです。

ただ、後ろに倒しすぎると締め切りが夢に出てくるので、早め早めに終わらせたいのは変わりませんが...。

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2015年9月14日

心に負けないために行動に変化を

なんとなく気分がのらない、テンションがあがらない時ってあると思います。
そんな時に、気分が沈んだままになっていると、更に気分は沈んでいきます。

こんな時に、自分の行動に変化をつけるのはひとつの復活方法だと思います。
意識的に「前向きな行動」をとってみます。
誰かに話しかけてみたり、難しい問題にまず手を付けたり...前向きになるのにはよい行動です。

辛い時は心に負けてしまい一人でネガティブスパイラルに陥いってしまうことが多々あります。
ならば、そこからぬけ出るちょっとした努力をしたほうがよいと思います。
それで、不思議と自分の周りの世界が自分にとっても居心地の良い世界に変わっていくこともあります。

無理に明るく振る舞おうと継続的に意識するのは疲れてしまいます。
ならば簡単にできる「前向きな行動」にチョット変えてみようのほうが楽ですね。

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2015年9月 9日

「正論」がいつも正しいわけではない

「正論」がいつも正しいわけではない

コンサルタントである自分も気を付けないといけないことですが「正論が正しい」と思いこまないことが大切だと思います。

「正論」を振りかざして相手の反論を許さず、相手が黙ると満足げになっている人と時々出会います。
第三者的にその状況をみていると、「正論」を振りかざして満足げになっている人の方が気の毒に感じます。

「正論」を振りかざして相手が黙ってしまうのは「これ以上話してもわかってもらえない」と諦めてしまったからのように見えます。
これから先、分かり合うことは難しいと思います。

そもそも「正論」って何かよくわかりません。
「正論」って一方向(自分)からみてだけの「正しい論理」の場合も多いです。

一方向からだけの「正論」を言って相手の反論を閉ざすのは、決してその人の頭がいいのではありません。
相手にも相手の「正論」があることをわかっている人の方が、よほど頭がいいと思います。

一方向からだけの「正論」をいつもねじ込まれていると、相手は「この人と分かり合うのに労力を使うのは疲れた」と思い黙ってしまうと思います。
自分なりの「正論」を言っているつもりで一人ぼっちになってしまうのは、とても悲しいことです。

逆にこの人とは何があっても分かり合いたいと思ったら言い争いになっても本音でぶつかっていくと思います。
「反対意見」や「耳に痛い言葉」を言ってくれる人は、まだ自分のことを見捨てていない大切な人達であることを忘れてはいけないですね。

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2015年9月 7日

変化って「不安」や「恐怖」だけじゃない

自分は「変化」っていうとどうも悪い方への変化が頭に浮かんでしまいます。
それが「不安」になったり「心配」につながったりします。

やっぱり自分のベースはネガティブ思考なんですよね。
ただ、「不安」「心配」から、それを避けるための対策を事前にうつ傾向もあり一概に悪いとも言えません。

でも、よく考えると「変化」って悪い方向ばかりへの変化ではないですよね。
良い方への変化もあるにもかかわらず、自分は事前にはどうもそれをイメージできないようです。

良い方への変化がイメージできないために、いつも「不安」「心配」をイメージしてしまいます。
時々は良い方への変化へのイメージをして、「期待」とか「希望」を持ちたいですね。

ただ、不思議なことに「良い方への変化」をイメージした時は、落とし穴に陥ることが多いんです。
「良い方への変化」をイメージした瞬間に注意力が散漫になるのだと思います。

あー、面倒くさいなぁ、自分。

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2015年9月 1日

「棚からぼた餅」では成長できない

今が不満なら自ら解決策にのりだすべき...だと分かっていながらも、一方で、変わるのが怖いから動き出せない...という場合があります。

そんな時、ついつい「自分の力ではない何かをただあてにする」行動をとってしまうことがあります。
これで万が一状況が好転しても、それは単なる「棚からぼた餅」です。

「棚からぼた餅」で状況が好転しても、それは「学び」ではありません。
「学び」のないところに成長はありません。
同じような問題にぶつかっても、学んでいないので立ちすくむしかないのです。

つい、他人のせい、周囲のせいにして逃げたくなるのは人間として当たり前かもしれません。

自分だって、辛いことが重なりすぎると逃げ出したくなることはあります。
でも、逃げ出しても「状況」を乗り越えなければ、また同じ「状況」に追い込まれます。

些細なことでも、今の自分ができることは何があるのかを考えることが大切だと思います。

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2015年8月31日

「人を操作する」と「人を動かす」の違い

当たり前ですが「人を操作する」と「人を動かす」は全く異なります。
どちらも相手は動くかもしれませんが、相手が動いた後で残る思いは雲泥の差です。

ただ、無意識に「人を操作する」ことをしてしまっている人もいないとは限りません。
私も含めて注意したいです。

「人を操作する」とは、こちらの思い通りに動かざるを得ない状況に追い込むことです。
相手は動かざるを得ないので動きますが、やがて「しっくりこない」という気持ちに陥ります。

「人を操作する」とは一方向の伝達です。
自分が「こうして欲しい」という方向に相手を誘導します。
誘導ができる武器ととして、立場や力関係、声の大きさ...いろいろとあります。

一方の「人を動かす」は、相手の思いを汲んで自分の目指す着地点への導くことです。
それは相手が大切に思うことを理解したうえで、自分の大切に思うことも伝えながら着地点を探します。

「人を動かす」には一方向の伝達では無理です。
相手を理解するという方向、それを踏まえて伝えるという方向の双方向の伝達が必要です。

自分も時間がなくなったり、焦ったり、思い上がったりすると「人を操作する」ことをしているかもしれません。
相手の意を汲んで「人を動かす」ことができるよう、気を付けたいですね。

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2015年8月30日

「人と話して楽しい」と思えるのが元気のきっかけ

人と話すとき、なんとなく前より楽しいと感じられています。

自分は何も変わってないし、状況だって何か好転しているわけではないのです。
相変わらず混沌としていて試行錯誤の毎日です。

人と話すことが楽しいのは、そういう人達と接しする機会が多かっただけかもしれません。
ただ、一時期は人と話しているとなんとなく暗いことばかりを考えていた時がありました。

振り返ると、それは体に結構な疲労がたまっていた時です。
体の疲労は、心にも暗い影を落とます。

今も、忙しく混沌としているのは変わりません。
ただ、何かのタイミングで心が前向きになったのだと思います。
「鶏が先か、卵が先か」はわかりません。

心と体はどちらかが元気になれば、もう一方も引きずられて元気になります。
また、逆にどちらかの元気がなくなれば、一方も引きずられて元気がなくなります。

何のタイミングが、何が原因かはわかりませんが、「人と話して楽しい」という心の元気がきっかけで、体も元気になっているような気がしています。
これはサイクルで、またドンヨリすることもあると思いますが、今はこの状態を喜びたいです。

また、楽しく話す時間を頂くことができました。

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2015年8月25日

「あのピンチが転機だった」という言葉

よく経営者の方々から「あのピンチが転機だった」という言葉を耳にします。
もちろんピンチを乗り越えたからこそ、この言葉がいえるのだと思いますが、大切な言葉だと思います。

自分みたいな小さな存在でも振り返れば、病気で一回社会をリタイヤしたことが、転機になっています。

ある企業さんのコンサルしていて、本当に「ピンチは転機」だと感じましたことがあります。
理由はいくつかあると思いますが、二つほどメモしたいと思います。

一つは「背水の陣だからこそ思いつく」ことがあります。
「思いつく」というよりも、必死に考えたご褒美かわかりませんが何かが「降りてくる」って感じです。

おそらくは、追い詰められると感覚(アンテナ)が研ぎ澄まされるのだと思います。
でも、もしかしたら本当に神様や仏様は「頑張り」を見捨てないのかもしれませんね。

もう一つは「ピンチ」になって、それを冷静に受け止めれた時「ゼロベースで考える」ことができます。
これまで積み上げたものをゼロにして考えるのは勇気が入ります。

ゼロベースで考えた結果、残さないといけないもの、変わらないといけないものを整理できると嬉しいですね。

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2015年8月24日

「自分の本当の気持ち」を知る

「自分の本当の気持ち」を知るのは簡単だよって教えてくれた方がいます。

本当に簡単でした。
「自分は...」「私は...」って主語を付けて意見を言うだけだそうです。

平気で「自分は...」「私は...」を付けても、自分を偽れる人はそもそも「自分の本当の気持ち」なんて知る必要はないですね。

自分は小心者だし、常に不安だし、自分がよくわからないから、少しでも「自分の本当の気持ち」を知りたいと思います。

確かに「自分は...」「私は...」って主語を付けて意見を言ってみると、自分の行動理念や価値観から外れた発言は、なんとなく心に「違和感」を感じます。

その「違和感」をキャッチできると、少なくとも自分は本心からその言葉を発していないということになります。

「自分の本当の気持ち」を知ることで意外な気付きがありました。
それは、自分に対して言い聞かせるときに、自分を偽っていることが多いと感じた時ときです。

「自分の本当の気持ち」に素直になるのは、自分にとっては結構難しいことです。
だからこそ、自分の対しては今の行動や発言が「自分の本当の気持ち」から外れていないかにアンテナをはりたいものです。

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2015年8月22日

結構ささいないことで元気になれる

自分のよくないことの一つに「ささいないなことで元気がなくなる」ということがあります。
いろいろと余計なことを考えて、心配事を勝手に大きくしてしまうのです。

ただ、最近気づいたことは、自分は「ささいなことで元気になれる」こともあるようです。
例えば、心を許せる人と話をする、日常と違う風景を見る、仕事を人に認められる...などなど。

特に感じるのは、心を許せる人と話を話をする...ということです。
バタバタして、自分自身がよく見えなくなっているとき、少し話が出来るだけで元気になれます。
そして、自分には元気をくれる心を許せる人がたくさんいることに気がつくだけでも元気になれます。

あと、日常と違い風景を見るのもとても癒されます。


結構、自分って結構恵まれていよなぁって、ちゃんと認識できているようです。

自分ってささいなことで元気が出たり、なくなったり...。
ここが、自分が自分を面倒くさいって思う所以なんだと思います。

ただ、自分は「ささいなことで元気になれる」自分を長く保ってその割合が増えるようにしたいです。

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2015年8月19日

関心が大きいほど自分の感情も大きく動く

人の話を聞くとき、そこに感情が入ってしまうのは仕方のないことかもしれません。

そして、その人への関心の大きさが関係してくると思います。
その人への関心が大きければ、大きく自分の感情も動きます。

ただ、関心にはプラスの関心と、マイナスの関心があります。

プラスの関心を持っている人の話は、しっかり耳に入ってきます。
そして、その後のプラスの感情が動ごいて、嬉しい話として自分の心に届きます。

一方、マイナスの関心を持っている人の話も、しっかり耳に入ってきます。
しかし、その後のマイナスの感情に動かされて、意図的になんかしっくりこない話に変換されて考え込んでしまいます。

ただ、無関心に比べればプラスの関心であろうがマイナスの関心であろうが、自分の感情を動かしてくれる人は大切な人です。
マイナスの関心で関係がスタートしても、気なるのでその人のことをついつい見たり聞いたりします。

そのうちに、その人のプラスの関心になる部分が見えてくることも多いです。
逆にもっとマイナスの関心の部分が加速することだってありますけど・・・。

自分の修行が足りないのだと思いますが、本当に感情に振り回されています。
ただ、今はプラスの関心(好き)な人が多い状況であるのは間違いなく、これは自分の最大の幸せかもしれません。
そういう人達と話していると、癒されて、元気がでてきますね(^^)

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2015年8月15日

ビジョンに基づく変化をスピードアップ

当たり前のことです「変わらないといけない時」ってありますよね。

変わらずにずっとそのままいければ、そんな楽なことはないです。
自分は、できれば変わる苦労から逃げて、そのままの積み重ねでいければいいなぁって思っています。

事務所を立ち上げて10年経ちました。
その間、自分自身変わっていないようで、実はいろいろと試行錯誤して変わっているようです。
昔の日記やブログを振り返ると、その変化に気付くことができます。

ただ、自分のしてきた変化は、やっぱり単なる積み重ねからの変化でした。
どちらかというと、環境の変化に受け身でしてきた変化だと思います。

受け身の変化ではなく、自分自身の明確なビジョンに基づいた変化が必要になってきていると感じます。
そのため、2年程前から自分自身の経営指針を練ってそれに基づいて実行に移しています。

ただ、環境の変化は自分の想像をはるかに超えています。
自分の明確なビジョンに基づく変化のはずが、いつの間にか環境の変化に追いつかれ、また受け身の変化になってきているようです。

自分の明確なビジョンに基づく変化は大切ですが、それにスピードを乗せることの重要性を感じています。

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2015年8月13日

何気なく耳に届く言葉との縁

自分とは関係のない人達の雑談、テレビから流れるニュース、電車で何気なく見た中吊り広告、スマホで通知されるSNSからの声...。

自分に直接向けられた言葉でなくても、「何気なく耳に届く言葉」って、とても多いと思います。

それは集中力が欠けて、ボーっとしている時にたくさん届きます。
集中力が欠けるということは疲れている状態だからかもしれません。

きっと、何か自分を救う言葉や、力にできる言葉を欲しているのだと思います。

言葉を欲していても、その言葉が何か皆目見当がつかない場合も多いです。
...なので「何気なく耳に届く言葉」を大切にするとよいと思います。

「何気なく耳に届く言葉」は、きっとその時の自分が必要としている言葉なのだと思います。
必要でなければ、耳に届くことなくスルーされるはずです。

情報過多な時代です。
そんな、たくさんの情報の中で、「何気なく耳に届く言葉」との縁を大切にしたいですね。

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2015年8月12日

貧乏くじって将来の当たりくじ

先日、友人と話していてとても良いことに気づきました。
友人に自分が「自分って結構貧乏クジを引くことが多いんですよねぇ」と言いました。
「でも、けっこう宿澤さん、広がってませんか?」と言われました。

そう言われてみると、自分では「貧乏クジを引いたかも...」って出来事が、後々、貧乏クジではなかった...と思えることが多いです。
貧乏くじから「広がる」ことって結構多い気がします。

SEで運用保守をしていた頃、各物件の大昔の爆弾(バグ)を踏んで「ハマり王」と呼ばれていたのを思い出しました。
でも、ハマるから必死に考えて、みんなに助けられて成長できるんですよね。

こういうことに気付かせてもらえるのは本当に助かります。
「貧乏クジ、バンザイ」...でもハマるのは程々がいいなぁ(^o^)

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2015年8月 8日

次もラッキーが訪れるとは限らない

自分は、難しくて不安な仕事があるとついつい先送りにしてしまいます。
ただ、言えるのは「今日出来ない仕事が明日できるわけがない」ということです。

もちろん、期せずしてのラッキーはあるかもしれません。
しかし、それは自分の力ではないラッキーです。

ラッキーは、次の場面も微笑んでくれるかなんてわかりません。

自分もラッキーに助けられたことはとても多いです。
ただ、次の難しくて不安な仕事が舞い込んだとき、普通はラッキーは訪れません。
前のラッキーで済ましたツケを支払うということで2倍の努力を必要とします。

目の前の難しくて不安な仕事は、自分の力で一つ一つ終わらせて行くことが大切だと感じます。
いつか、自分では乗り越えられないような大きな波が来た時、着実に自分の力で乗り越えた人と、なんとなくラッキーで乗り越えた人との違いが出る気がします。

ラッキーに期待するのは最終場面で、そこまではもがいてあがくのは必要だと思います。

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2015年8月 6日

誰かが話を聴いてくれると頭が整理できる

ひとりでは頭の中がループしてしまうことでも、誰かが話を聴いてくれることで頭が整理できます。

聞き手は、私の頭を整理しようとは思っていないかもしれません。
もしかしたら、相手に伝えたいために自分の頭を整理して話したり、図を紙に書いたりしてするのがよいのかもしれません。

そして、話を聴いてもらって頭が整理できたのでお礼を伝えると「私は何もしてないですよ」と言われます。
でも、少なくともつまらない自分の話を貴重な時間を割いて聴いてくれるということは、「なにもしていない」ことはないと思います。

最近、いろんな人に話を聴いてもらって自分の頭が整理できているなぁと感じる場面が多くあります。

人と会話を交わすということは、やっぱり大切だと思います。
関係の無いように思える会話でも、そこからいろいろなヒントが得られて頭が整理できています。

そういう時に、自分ばかりが聴いてもらって自分の頭を整理するのではなく、相手の話もちゃんと聴けるように注意したいですね。

「レビュー」研修で富山に前日移動しています。
富山の夜を散歩しながら、再度自分なりに頭の中を整理しなおしています。

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2015年8月 5日

「仕事のパニック」から抜け出るには棚卸と会話

仕事がパニックになった時は、その棚卸しと人との会話だと思います。

棚卸しをするといくつかのいいことがあります。
まず、棚卸をすることで、ひとつは自分のモヤモヤとしていたすべきことがくっきり見えてきます。
くっきり見えてくると、だいたいどれくらいの仕事のボリュームか目測がたちます。

次に、目測が立つことで、あとどれくらいの時間がかけられるかがわかります。
仕事は通常、時間をかければ、どこまでもかけたいものです。

でも、それ以上やってもそれほど変わらない...という限界点があります。
その限界点に到達したのがわかったのなら、それ以上は時間をかける意味は薄まります。

最後に時間をかける目処がわかれば、その範囲の中で収束へ向かうようにまとめ始めれます。
限られた時間の中で仕事は行われるので、どこで収束に向かうべきかは常に考えないといけないと思います。

しかし、時間に余裕があるときはその判断がルーズになってしまいます。
当たり前ですがクローズをイシキシテイナイ仕事は仕事はいえない気がします。

棚卸しをすることで、モヤモヤを晴らし、時間の目処をつけ、終了に向かってハンドルを切る...、当たり前のことですが、自分には意外と難しいことです。

また、何気ない一見関係のなさそうなことでも、人と楽しく話していると「仕事のパニック」から抜け出せることも改めて感じました。
人との会話で心に余裕ができ、自分の仕事を俯瞰的に見ることができます。

「仕事のパニック」って勝手に頭の中で作り出した、自分の状態なのですよね。
棚卸をしたり、人と話せたりすると「仕事のパニック」から抜け出れる気がします。

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2015年8月 3日

やってみると「自信」か「勉強」になる

まず、やってみる。
上手くいけば「自信」になるし、下手をしても「勉強」になりますので...

今の案件で何件かは非常に難しい案件があります。
私は難しい案件があると、何から手をつけてよいかわからずに、つい先延ばしにしてしまうことがあります。

ただ、先延ばしにしても、逃げられるもはなく、結局はより大きな難しい案件に成長して返ってきます。

やっぱり、先延ばしにするのではなく、「まず、やってみる」ことが必要に思います。
上手くいけば自信になるし、下手をしても勉強になります。
どっちにしてももうけものです。

先延ばしにして不安に怯えるならまず、やってみることですね。
自分も、今難しくて不安に思っている案件をまずは「まず、やってみる」ことにします。

先週に引き続いて大阪心斎橋に明日からの研修で移動しています。
ネオンが眩しく活気があって、元気が出てきますね。

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2015年7月25日

いろんなことを自分のせいと思うのは歪

心配なことは世の中にいっぱいあるけど、どうせならまだ起きていない心配をするより、今発生している宿題をしていった方がいいですよね。
まだ起きていないことを心配するのは、「余裕のある証拠」なんだと思います。

人の集中力なんてなんてたかが知れています。
その限られた集中力を無駄に放出するのは避けたいものです。

自分には、周囲で何かトラブルが起きると「それは自分のせいかも...」って思ってしまう
精神的にはあまりよくない癖があります。

そんなふうに思うのであれば、いろんなことを「自分に都合のいいように解釈してみる」時間をとってもいい気がします。
いつも、自分に都合のいいように解釈していたら、自己中心的な人間になってしまうかもしれません。
でも、自分の場合は「自分に都合のいいように解釈してみる」時間が必要なのかもしれないと思います。

自分周囲で何かトラブルが起きると「それは自分のせいかも...」って思ってしまうのは、ある意味自分中心に物事を考えてしまっているのだと思います。

自分は「他人のせいにする人」「他人だけをせめる人」がとても苦手です。
自分はそうなるまいと思っているうちに、「自分の非だけを探す」人間になってきているのかもしれません。

バランスが難しいですが、何かトラブルが起きた時「自分だけが悪いんじゃない」と思うのも必要なんじゃないかと思い始めています。

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2015年7月22日

瞳孔を開く検査後の玉ねぎスライス

最近、ドヨーンとしたこと書いてばかり書いていて、あまりよくない感じです。
そんな中、ある一文が書きたくて、とっても下らないことを書きます。スミマセン。

白内障の手術から早いもので、もう2年になります。

眼科の定期検診にいきましたが、両目とも裸眼で1.2という視力がキープされています。
目の中にレンズが入っており、月に一回の定期検診が必要とはいえ、コンタクトのケアなどを考えると非常に楽になっています。

ただ、近くの文字が見えなくなったことでケアレスミスをよくするようになった気がします。

仕事の場面だと老眼鏡をかけ注意するのですが、普段だと流れでやってしまうことがあります。

例えば、クックドゥの裏面に書いてある料理の作り方ですが、見えないので適当にやってしまいます。
水分量や順番を間違えると、シャビシャビになったり、やたらと辛くなったりします。
食べた時、老眼鏡をかけて後悔するのですが、後の祭りです。

あと、賞味期限も見えないのでとりあえず食べてしまいます。
まだ、大事故になったことはありませんがあとで賞味期限を確認して冷や汗をかくことがあります。

なんでこんな下らないことをブログに書いたかというと、次の一文を書きたかったからです。

「瞳孔を開く検査をした後、玉ねぎをスライスすると、びっくりするほど目が痛くて、涙が止まりません...。」

この一文だけが書きたかったのです。

また、お仕事頑張ります。

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2015年7月21日

今、明確なすべきことを順に終わらす

またまた最近の自分はかなり面倒くさい人になっており、よく「これでよいのか?」という疑問を感じることがよくあります。
「これでよいのか?」は、未来に対しての漠然とした不安なのだと思います。

この不安は、対象物が見えていないのに感じる漠然としたものです。
「不安や恐怖は欲望の裏返し」という話がありましたがありました。

よく自分が漠然とした不安を感じるのは、欲望はあるのだけどその欲望も漠然としているのかもしれません。
自分なりに明確にして動いているつもりなのですが、落とし込み、深掘りが足りないのでしょうね。

ただ、「未来に対しての漠然とした不安」にとりつかれていていても仕方がないので、今は目の前に見えているすべきことから順に終わらせていくことに集中したいと思います。

「未来に対しての漠然とした不安」への対処は「今、明確なすべきことを順に終わらす」のが一番だと感じます。
「今、明確なすべきこと」は少なくとも、過去の自分がやると決めたことなのでそれには少なくとも応えたいです。

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2015年7月18日

しょっちゅうヘコでもすぐに回復すればいい

年に一回の中小企業診断士の理論更新研修がウィルあいちでありました。
その後、またしても酔っぱらってくだらないことを思いつきました...。

よく悩む自分は、その「落ち込み率」っていうのを考えてみました。
「落ち込み率」は普通の生活の中でどちらかというと落ち込んでいる割合です。

システムにはどれくらいの割合で故障しないかという故障率というものがありますが、それを「落ち込み率」としてあてはめてみました。
ちなみに、故障率は1-稼働率で計算されます。

この考え方から「落ち込み率」は2つのポイントで計算できます。

ひとつは「落ち込む回数」です。なるべく少ない方がよいです。
もう一つは回復までにかかる時間(「回復時間」)です。これはなるべく短い方がよいです。

つまり「落ち込み率」は「落ちこんでいる時間÷全体時間」で計算できます。
そして落ち込んでいる時間は「落ち込む回数×回復時間」で計算できます。

よって「落ち込み率」は「(落ち込む回数×回復時間)÷全体時間」で計算できます。

よく悩む自分は、「落ち込む回数」を減らすか、落ち込んでも「回復までの時間」を短くするかのどちらかを選べばよいことになります。

「落ち込む回数」はきっと減らせません。
何かよくないことがおきると、自分が落ち込むように考えてしまうからです。

ならば「回復時間」を短くするしかないと思いました。
こちらはレフレーミングで何とかなるかもしれません。

「落ち込み率」を減らすためにヘコでもすぐに回復する訓練をしたいですね。

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2015年7月15日

「ひと山ずつ来る」のは結構なラッキー

なぜかひと山越えると次の山が来ますね。
「気の休まる時がない」って愚痴っていましたが、よく考えると違うようです。

大体、「ひと山ずつ来る」のは結構なラッキーだと思います。
ふた山、み山が同時にやってきたら、自分はパニックで壊れる気がします。

なんとかこなせる量の山が来るのは、ある意味では受注が平準化しているということです。
特に意識してしているわけではないのですが、受注が平準化しているのはとってもついている状態ですね。

考え方を変えれば随分と楽になるものです。
ひと山ひと山を順々に終わらせて行きたいと思います。

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2015年7月14日

「忘れる」のも技術の一つ

19世紀のドイツの心理学者ヘルマン・エビングハウスは人間の脳は「忘れるようになっている」ことを発見したそうです。

エビングハウスの実験によれば、人は記憶したことを20分後には4割以上忘れ、1日後には7割以上を忘れてしまうとのことでした。

人はなぜ「忘れる」のでしょう?
「忘れる」ことを前提としてできているのであれば、それを加速することだってできるはずです。

もちろん「記憶力」ということで「覚える」のはすごい技術です。
でも、生きていくためには「忘れる」のも大切な技術なのだと思います。

自分がもし、これまであった嫌な出来事をすべて覚えていたら...それは地獄だと思います。
でも、適度に「忘れる」ことでバランスをとっているでしょうね。

自分はどちらかというと「嫌なことは忘れず、よかったことを忘れていく」傾向があります。
これを逆でできれば自分はもっと幸せになれるのかもしれません。
ただ、嫌なことは忘れられない自分も仕方ないので認めるしかないと思います。

その上で自分を守るために「忘れた」ことを、わざわざ思い返すようなことはしないようにしたいです。

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2015年7月12日

小さな問題を自分の中で勝手に大きくしている

たしかに様々な問題を抱えて、その解決に日々奔走している感じです。
問題解決に日々奔走している時は、問題の重要度や優先度の判断が意外と正しくできている気がします。

その理由は問題解決に日々奔走している時はおのずと目の前の問題を解決しないと、身動きが取れなくなるからだと思います。

ただ、ちょっと心が疲れて一息ついたとき、自分の小さな問題を自分の中で勝手に大きくしている感じがします。
つまり、自分はうまくオンオフができていないものだから、問題を切り離して心の底から「休む」ということができていないのだと思います。

心から休めていないので、小さな問題をわざわざ探してはそれを自分の中で勝手に大きくして「大変だ、大変だ」と慌てている気がします。

ただ、こういうことに気付けている今は、心が本当に疲れているときよりはよい状態だと思います。

小さな問題を自分の中で勝手に大きくしているのも自分ですが、小さな出来事で心を楽にするのも自分です。
小さな問題を自分の中で勝手に大きくしている自分より、小さな出来事で心を楽にする自分を大切にしたいです。

最近、仕事のバタバタで人と飲みに行く時間が取れなくなっています。
出張先で一人飲みしたり、心をゆるせるみんなで飲むっていうことが自分の心の余裕をつくるのかもしれないと思いました。
「あ、結局そこかよ...」って思われるかもしれませんが、結局そこも大きい感じでです^^

あと、道端の花を見ていると癒されます^^;

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2015年7月10日

自分が貢献できる小さなことこそ大きな貢献

自分が貢献できるのであれば、どうせなら大きなことがやりたい...と言われた方がいます。
志も高く「大きなことがやりたい」と願わなければ、実際のところ大きなことはできないのかもしれません。

しかし「大きなことがやりたい」とそれを探し求め、見つからず何も着手できていない状態を見たことがあります。
「大きなことがやりたい」という気持ちは誰にもでもあるのかもしれません。

現状苦しければ「一発逆転」を狙ってしまっても仕方がないのかもしれません。

でも、「大きなことがやりたい」のなら「自分が貢献できる小さなこと」を積み上げるのが一番の確実な方法だと思います。
時間はかかります。

でも、時間をかけて積み上げたことは簡単には崩れません。
短時間で出来上がった大きなことは、見せかけだけの場合が多いです。

「楽な近道」なんて普通はありません。
むしろ「楽な近道」らしきものを見つけてしまったときは危ない状態かもしれないですね。

逆に「自分が貢献できる小さなこと」を見つけられた時が、「大きなこと」へ一歩近づいた証で喜ばしいことだと思います。

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2015年7月 9日

「変われない自分が怖い」と思える自分になる

ビジネスにおいて「他から抜きんでる(競合に勝つ)」という視点はビジネスをする上ではとても重要だと思います。
ただ今の自分を鑑みると「他から抜きんでる」よりも「今の自分から抜きんでる」ことの方が重要だと感じます。

つまり、自分が戦うべきは「周囲の誰か」ではなく「過去の自分自身」なのだと思います。
「過去の自分自身」に負けないことで、既成概念に凝り固まった今の自分から抜きんでることができるのだと思います。

過去の自分自身から抜きんでるには、自分自身を変えなければならず勇気がいります。

自分自身を変えるのは勇気がいります。
「みんな」そうなのだと思っていました。

しかし、同友会天白地区の6月例会発表では「変われない自分が怖い」と話してくれた方がいました。
自分にとっては目からウロコです。

「自分自身を変えるのを怖がるのか?」「変われない自分自身を怖がるのか?」...この選択を迫られたとき「変われない自分自身を怖がる」ようになりたいです。

自分自身が成長できていないという閉塞感に襲われた時、自分自身が変わらないとその閉塞感からは抜けられません。
「変われない自分が怖い」と自然に思える自分に変わっていきたいですね。

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2015年7月 8日

「熟慮なく動いてハマる」と「熟慮の結果チャンスを逃す」

自分の場合は問題とか予想外のこととかが発生すると「まず何か打てる手はないか」と考えて、そのまま熟慮なく手を打ってしまいます。
こういう場合は、たいていはハマります。

焦って答えを出して行動するのは、そのままハマるパターンへ一直線です。

もちろん、すぐに手を打たないと初動が遅れて問題が取り返しがつかなくなることもあります。
しかし、そういう場合の初動の判断は冷静な自分がいてはじめて行えます。

自分が焦って熟慮なく行動するパターンは、自分が不安なのでその不安を解消したくてもがいているだけです。
単なる悪あがきです。

仕事ができる人は、問題とか予想外のこととかが発生しても冷静な判断ができるまでその状態に耐えることができます。
自分の場合は、耐え切れずに動いてしまいハマってしまうのです。

何度、同じ失敗をしたかはわかりません。
でも、未だに同様が隠せずに同じ失敗を繰り返しています。

問題とか予想外のこととかが発生して悠然と動かず(実際は動く判断ができす)取り返しのつかない状態に陥る人もよく見かけます。

熟慮なく動いてハマる、熟慮しすぎてチャンスを逃す...どちらもよくないですが、少なくとも私はもう少し考えて動いた方がよさそうです。

パオパオが「またですかぁ」って顔でこっちを見ています^^;;

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2015年7月 1日

正解はないのに探そうとする矛盾

世の中に正解なんてないことはよくわかっているのに、それを探そうとする矛盾に気付く自分が時々います。
何なんでしょうか? 正解が見つかれば安心するのでしょうか?

多分、正解があってそれを運良く見つけたとしても次の問題に遭遇します。
「問題が全部片付いたら大問題」と言っていた人がいましたが、その通りですね。

人生の正解なんかを見つけちゃったら、そこでゴール、終わりですから。

この試行錯誤している感じが好きなんでしょうね。
短い時間でも自分の心に折り合いをつけてホッと一安心しているのかもしれません。

どっちみち正解がないなら、自分っぽく振る舞えてるかなぁって思えればよしデスね。

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2015年6月30日

小さな改善を積み重ねることが今できること

「提案書・企画書のための図解手法」を短い期間に4回実施しました。
来週は富山でもさせていただくのでわずか一か月の間に5回も実施させていただくことになります。

短い期間での出来事なので、要望が出てきても改善できるのは小さなことです。
ただ、その小さな改善を「大したことない」と思ってしまい手と抜くほどもったいないことはないと思います。

今の自分の仕事に「劇的な大きな進歩」はあり得ないと感じています。
いろいろな声を拾えるアンテナを研ぎ澄まして声を聴き、それを小さな改善として自分の仕事に反映し続ける...これが大切だと思います。

地道な仕事です。
でも、成果はまたいろいろな声となって返ってきます。
でも、やりがいのある仕事です。

短期間に何回も同じ研修を違う受講者に実施させていただいたことで、いつもよりもたくさんの貴重な声に気付くことができました。
これらの声を助けられ小さな改善を積み重ねた結果、自分なりに大きな進歩ができたのではないか...と感じています。

特に「自分ができている」と思っている仕事こそ危険であるとも感じました。
「自分ができている」と思っていても世の中は動いています。
もしかしたら「自分ができている」と思っていることは陳腐化しているかもしれません。

いろいろな声に耳を傾けて小さな改善を積み重ねることこそが、自分が今できる大切なことなのだと感じています。

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2015年6月29日

心のアンテナが良いことを正しく拾える時

ちょっと疲れからへこんでいる時が多かったのですが、最近少し流れが変わってきたかもしれません。
仕事の量は減っていないので、相変わらずヘロヘロな体力のなさでミスも多いと思います。

ただ、頑張ったことが報われたり、助言を喜んでもらえたりする場面で、それを自分で感じとれることが増えてきた気がします。

自分の思いこみかもしれません。
ただ、頑張ったり、努力したことが報われるほど嬉しいことはありませんね。

もしかしたら、以前から自分は努力が報われていたのかもしれません。
しかし、心と体が疲れると「報われている」と感じるアンテナが機能しなくなり(錆びついて)、負の循環に陥ってしまうようです。

心のアンテナが悪いことばかり拾ってしまう状態を抜け出して、良いことを正しく拾える状態が心身が健康な状態と言えるのかもしれませんね。

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2015年6月26日

きっとブログは「自分の目指す姿」

2005年の6月からブログを書いているので、10年経過したことを以前書きました。
ただ、ときどき、「ブログに書いていること」と「自分」の矛盾を感じることがあります。

ブログに書いていることは「自分の目指す姿」です。
今は、まだできていなくても、そういう自分を目指します...といった宣言なのです。

同時に、自分のへの振り返りと自分の今後に対する行動の整理気づきです。

自分は心の弱い人間です。
放っておくと、自分はきっと何か上手くいかない時に他人のせいにしてしまいそうで怖いのです。

なにか上手くいかない時に他人のせいにすることだけは、自分として避けたいことです。
なので「他責にしない!」ってよく書いています。

冷静に自分を振り返り、自分の足りていなったことを文章に書くことで、自分の成長につなげたいのです。
これは、自分ができていないから、その自分へのメッセージなのです。

よく「幸せな人は自分を幸せだと言わない」といいます。
自分は明らかに足りていないことだらけだから、自分への戒めでブログに書くことがいっぱいあるのです。

おそらく、ブログの自分は自分ではないです。
自分が「そうなりたいと願う自分」なのだと思います。

「いいことしか書けない」ブログなら、私の場合は書く必要はないです。
ブログに書くことで頭を整理し、公開することで自分の道筋を確認しているのだと思います。

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2015年6月21日

誰かの受け売りでも自分なりに考えぬく

自分の独自の考えでなくても、自分なりに考え抜くことでオリジナリティが生まれると思います。
そもそも、発明家でも思想家でもない自分は、自分独自の考えなんてそれほど多くはありません。

でも、「誰か教わった内容」や「過去の偉人に学んだ考え」を蓄積することはできます。
そういった単なる知識の塊に、「相手のために」「自分のために」「地域のために」という領域を区切った気持ち(一般的にセグメントといわれるやつ)が入るとオリジナリティが生まれると思います。

「知識の塊」は単なる道具です。
その道具を「相手のために」「自分のために」「地域のために」と目的を絞り込むことで、自分なりに考えぬいて尖らさないと使いこなせません。

「知識の塊」は一般論です。
でも自分なりに目的を絞って考え抜くことで一般論ではないオリジナリティが生まれます。

自分なりに目的を絞って考え抜けば、「知識の塊」をベースに自分なりの自分の考えを創り上げることができます。
きっとこれが発明家でも思想家でもない、私のような一般の人のオリジナリティだと思います。

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2015年6月20日

10年書きためたブログを振り返り思うこと

最近、いろんな壁にぶつかり、その都度跳ね返されて、立ち止まって悩むことが多いです。
そういうときには、ブログに自分の考えを整理して書き出します。

それをブログに自分の気持ちを公開することで、考え方がねじ曲がったときに軌道修正することができる場合もあります。

自分の場合、ブログで情報発信することは、自分の弱みをさらすことでもあります。
でも、自分は口下手で自分をうまく表現できないので、自分を伝えるために自分の弱みも含めてかなりをさらけ出しているつもりです。

これが自分の情報発信の理由なのです。
嬉しいことに、自分の本質を分かってくれる人が少しずつですがいることも事実で救われる気持ちになります。

ブログを振り返ると2005年の6月から毎日書いています。
ちょうど10年前です。

ちょうど、独立した半年ぐらいたってから書いています。
このブログはもともとブログの機能をお客さんに知ってもらうためにテストのために書き始めたものです。
なので、最初の方は、一言二言でTwitterみたいな感じでした。

でも、独立してからの葛藤がかなりブログには正直に書いています。
ある意味、過去の自分からの今の自分への、「おんなじ失敗するなよ」という情報のプレゼントです。
(同じ失敗を繰り返しちぇいますが...)

でも、最近は自分を振り返るためのツールになっています。
独立してからいろんな壁にぶつかっています。
特に最近はそういうタイミングなのかもしれませんが、これまでできていたことも壁にぶつかり悩むことが多いです。

なんな時に、一人で仕事をしており、頭がループすると抜け道がなくなってしまいます。
そんな時にブログを読み返したりしています。

中には「背伸びをして書いた記事」や「本音を出し過ぎてやばいなぁという記事」もあります。
ただ、それも含めて自分なのです。

自分の書き続けた10年のブログを振り返ることは、自分の次に向かっての方向性を示すものになると思います。

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2015年6月19日

気分を切り替えていってみようか

何か辛いことがあるわけではないけれど(そんなこともないか‥)、なかなか気分が上向きにならないですね。
これまでの経験から、ツラい時は必ず過ぎ去るとわかっていても、その短い時間を待つ辛抱ができないのだと思います。

大きな問題を抱えているわけではないと思いますが、小さな問題が次から次へと来るとボディブローのように効いてきます。

自分が問題と思っている事を整理すると、人との関係、未知への仕事への対応、時間の捻出の3つに大別できると思います。

人との関係だけはちょっと厄介かもしれませんが、どんな問題であっても、むしろチャレンジのチャンスです。

いつまでもうだうだとモチベーションを下げているのであれば、気持ちを切り替えてチャレンジタイムと考えた方がよいですよね。

この気分の切り替えが下手なのは、なかなか上手くならないです。
明らかに気分の切り替えはパオパオのほうが上手です(^o^)

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2015年6月14日

「今」に集中できれば「不安」は減るはず

カレン・ホルナイという精神分析学者は、不安からの逃避として三つのパターンを表しているそうです。
その三つが「迎合」「攻撃」「引きこもり」とのことです。

「迎合」とは、人の気に入る自分を演じること。
「攻撃」とは、人の嫌がる言動を行うこと。
「引きこもり」とは、自分から出ないこと... です。

自分は不安の時は「迎合」がほとんどのような気がします。
不安になると、妙に人の言葉が気になったり、妙に小心者になったり...するのは「迎合」しているからだと思います。

そんな自分と向き合いながら、なぜ「人は不安になるのだろう...」と考えてしまいました。

こういうことを考えている、また面倒くさい自分が起き上がってきなぁって思いつつも、それも「自分」です。
考えようとしている自分を押し殺すより、考えたいときは考えた方がサッパリします^^;;

多分、自分は「今」に集中していないときに不安になっている気がします。
「今の出来事」ではなく「過去の嫌なこと」「未来の心配」を考えると、不安になってしまうのだと思います。

「今の出来事」に集中していれば「不安」になる余裕なんてないと思います。

横でパオパオが寝ています。
パオパオはいつも「今」を一生懸命に生きている感じです。

パオパオは、「今、家族と居れれば」それで「不安」は感じないんじゃないかなぁって思います。
パオパオは「迎合」「攻撃」「引きこもり」のどれもしません。

時々、「不安」ではなく「不満」からハウスに引きこもっていますが...
自分なんかより、パオパオはやっぱりすごいヤツだなぁ。

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2015年6月11日

作業を棚卸するとやった気になる

山のようなやり残しもボンヤリ全体だけ見れば絶望的な感じがします。
でもやり残しを細かく分けて整理してみるとなんとなく終わる感じがします。

同じ状態なのに不思議なものです。

簡単に言えばやり残しの棚卸しをしているだけです。
この棚卸しというチョットした時間の手を抜くと不安に襲われてしまうのですね。

棚卸しのコツは、ある程度見えている作業は粗く、先の見えない初めて体験するような作業は細かく分けるのが良いと思います。

なんでもかんでも細かくしていたら、それだけで疲れてしまいます。

目的はゴールを自分でイメージすることなので効率的に棚卸ししたいですね。
「こりゃ、終わらん!」って思っていたやり残し作業も「終わるかもしれない」ってとこまでこぎつけてきた感じです。

ただ、作業の棚卸をすると安心してしまい「仕事をやった気になる」のは、やっぱり問題ですね。

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2015年6月 8日

自分は恵まれていると思うけどなぁ...

自分は恵まれていると思っているにもかかわらず、自分には何が足りないのだろう...って思うことがよくあります。

自分は明らかに足りないものだらけです。
能力にも、環境にも恵まれて不安なんてない...っていう人はさすがにいないと思いますが、不安と上手に付き合っている人はよく見かけます。

自分は自分の足りない何かを探して埋めようとして努力を続けたことで、確かにスキルは高くなっていると思います。
スキルを高めないと今の仕事は終わらないからです。

でも、人はスキルがあれば幸せかといえばそうではないと思います。
そもそも、自分で高くなっているスキルだって、自分評価なので怪しいものです。

ここで「不安と上手に付き合っている人」を羨ましがっても意味はないです。
自分自身が「不安とどう上手に付き合っていくか...」だけが焦点です。

不安はやがて必ず過ぎ去ることも、これまでの経験でわかっています。
特に大きな問題(不安)があるわけではないのに、なにかモタモタしている感じがしています。

だから「自分には何が足りないのだろう」なんて考えずに、きっとたくさんある「自分が持っているもの」を考えた方がよいと思います。

自分は明らかによい仲間、よい仕事、よい家族に恵まれて、絶対幸せなんだと思っているのですけどね...。
「隴を得て蜀を望む」状態なのかなぁ

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2015年6月 5日

なぜ現実の自分じゃいけないのか...?

現実の自分と、自分の理想である自分にギャップがあると感じるときに、いろいろと悩むのだと思います。
ならば「なぜ現実の自分じゃいけないのか...?」ということになります。

「現実の自分じゃいけない」のではなくて、「現実の自分に自信がない」のだと思います。
自分にもっと自信を付けたくて、自分の理想に近づけようとアタフタしているのだと思います。

でも、おそらくは今の自分に自信がついたとしても、次の問題が見つかりまた自信を無くして堂々巡りをすると思います。

堂々巡りをしているということは、考えることを放棄して、ただ悩んでいるのでしょうね。
自分に自信を無くしてしまうのは、心身が疲れた時に生じる現象です。

今は、少し疲れているのだと思います。
心身ともに元気な時は、素直に「現実の自分でよい」と思えます。


心身ともに疲れた時だけ「現実の自分じゃいけない」と考えてします。
つまり、これはある意味自分の心身の健康状態を測るバロメータなのかもしれないです。

だったら、疲れがとれるまで、少しでもペースを落とせば大丈夫ですね。

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2015年5月30日

現状維持をすることはチャレンジの連続

慣れた世界で生きたいと思うことは当たり前のことでです。
自分だって無理に未知の世界に足を踏み込んで、ストレスを抱えるのは嫌です。

ただ、「慣れた世界で生きたい」と言いつつ(言わなくても行動が伴わない)も、「成長、発展はしたい」と願っている人と出会うことがあります。
また、「成長、発展はしたい」とは言わなくても、「慎ましく今のままの生活がしたい」という人がいます。

私からすれば「今のままの生活がしたい」という慎ましい望みは「成長、発展はしたい」と言っているのと同じだと思います。
なぜなら、現状の打破を常に心がけないと、人は自然に衰退していくものだからです。

つまり「慣れた世界で生きたい...」と思うことは当たり前ですが、それは「今よりも衰退していってもよい」と受け入れざるを得ないと思います。

自分は小心者で「未知の世界は恐怖」でしかありません。
でも、自分が「成長、発展」とは言わなくても、「現状を維持するため」にチャレンジしたいと思います。

ずっと継続している老舗のお店や企業は、ただ単に現状を維持しようとしているわけではないと思います。
「現状維持をすることはチャレンジの連続」なのだと思います。

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2015年5月27日

自分に正直に向き合うパワー

名古屋ソフトウェアセンターで二ヶ月わたって行われていた新入社員研修が終わりました。
すべてに参加した人もいれば、部分的に参加した人もいます。

私も前半戦の「コンピュータ概論」「システム開発と運用」の7日間はメイン講師を担当させていただきました(このころが、とっても前に感じます...)。
それ以外は、十分とは言えませんがフォローで関わらせていただきました。

最終日の講師の方の話で、「他人と比べるのではなく、過去の自分と比べる」という言葉は本当に大切だと思います。

順調に技術テーマや社会人とはなんたるかを習得して達成感を感じている人もいると思います。
一方で試行錯誤の中で悩みが増えてしまった人もいると思います。

そのどちらも大きな成長だと思います。

変化はストレスです。
変化はプラスであっても、マイナスであってもストレスになるのです。

ストレスをを助けてくれるのは、「仲間」と「自分」だと思います。
仲間の声、自分の声に向き合うことでヒントに接して、先に進めるのだと思います。

今回の研修で苦労をともにした仲間、そして悩んで向き合ったこれまでの自分が、これからの自分を助けてくれるはずです。

新入社員研修での多くの出会いを、これからの自分のために使って欲しいと思います。
みんなが自分らしい道を選んで進むことが、周囲の喜びなんだと思います。

みんなに「ただ頑張ってください」とは言いません。
もうすでに今まで「頑張っている」ですからね。

「自分を見失わないように、仲間や自分に問いかけながら、自分らしく頑張ってほしい」です。
自分に正直に向き合えるのは、すごいパワーがいることですよね。

私の経験からの話です(^o^)

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2015年5月21日

その場しのぎの自分を戒めてくれるもの

一人で事業をしていると、自分の仕事のやり方が今のままでよいのか迷うことがあります。
辛いことやうまく行かない事が重なった時、楽な方に逃げたくなります。
人は弱い生き物であり、辛い時自分で自分を律することができると言い切る自信はありません。

一人での事業の場合、誰もそれを止める人はいません。
逃げてしまえば一切の信用は失い、二度と信頼はされないかもしれませんが、少なくとも現実を見ない状態にはできます。

幸い、独立してからそんな状態にまで追い詰められたことはありません。
ただ、そういう状態で自分を戒める人がいるとしたら、「自分を本気で心配してくれる仲間、家族」か「過去に意思決定した自分自身(の書いた紙)」ではないかと思います。

人は何かと道に迷います。
そんな時にその場しのぎの行動を取らないように自分を戒めてくれる何かが必要なのだと思います。

「過去に意思決定した自分自身」からのメッセージは、自分をぶれさせないものとしていつも目につくようにしておきたいものです。

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2015年5月15日

人に文章を見てもらうのはとても大切

中部経済新聞に2か月に一回ほど新聞記事を載せていただいています。

今は新事業支援センターのマネージャとしてコラムを書いているので、センターを少しでもいろんな人に知ってもらいたいという気持ちで書いています。
しかし、センターのPRが前面に出てしまうのは問題だと思うので、そのバランスでよく迷っています。

ただ、今回は現状の自分の担当としては最後になるので、ちょっとセンターのPRを強くし過ぎたかなぁって思っていました。
しかし、実際に記事になって文章を読んでみるとそんな感じは自分はしませんでした。

自分の書いた記事を新聞社の方が校正をするのですが、それが絶妙だといつも感じます。
こちらが書きたい意図を汲みながら、文字数を調整したりしてくれています。

雑誌に記事を書くこともよくありますが、その場合は校正されたものを最終確認させてもらいます。
ただ、新聞記事の場合は時間がないこともあり校正されたものが直接紙面に載ります。

その紙面にのった自分の文章をみるとどこを構成してもらえたかがわかります。
これがとても勉強になると感じています。

人に文章を見てもらい、意見をもらったり、指摘をもらったりするのは本当に大切だと思います。

話は変わりますが、ある研修で使う資料があります。
とても大切な資料なのですが、それを一緒に組んで仕事をしている方がチェックしてくださいました。

自分では「できているだろう」という先入観で見つからない部分を指摘してもらえると本当に助かります。

人に文章を見てもらうということは、とても大切だと思う一日でした。

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2015年5月11日

「裏目の日」も受け入れて行動する

普通にうまくいかない日ってよくあります。
何をやっても裏目に出て、だんだんと気分も萎えてきて、それがまた裏目を呼び込んでしまう...。

そういう時には、無理にも明るくふるまうことも必要ですが、今日は「裏目の日」と受け入れることも大切だと感じます。

自分にとって、一番よくないことは「裏目」に出るから、行動をするのをやめてしまう」と考えてしまうことです。
もちろん「待つ」ということは重要な選択肢ですが、それは目的があって「待つ」のです。
目的もなく「待つ」のは「逃避」だと思います。

何事も裏目に出る日も、その状況を受け入れて「逃避」はしないようにしたいです。
「逃避」からは、何も生まれない...。
でも、例え「裏目」でも行動すれば次への行動のヒントが得られる...というのが私の実感です。

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2015年5月 8日

変わらない「自分」と変わる「自分」

「自分」を意識し始めたのは、一般的な人より遅いといます。
大学の頃だと思いますが、それまでは、「自分」というものを考えたこともありませんでした。
ただ、社会人、特に独立してからは人一倍「自分」ってなんだろう、と考える毎日が続いています。。

俗な言い方だが「自分探しの旅に終わりはない」とい言われ、私もそう思います。
なぜなら「自分」は変わらなくても周囲の環境は変わっていきます。
周囲の環境が変われば、また「自分」を見つめなおさなければならないからです。

ただ、周囲に流されてばかりで「自分」が存在しないと、生きていくのはとても苦しいと思います。
「自分」というものはしっかり存在しながら、「自分」は変わらないといけないと感じます。

「自分」を見つけることと、「企業」の経営は似ていると思います。
「企業」は環境適応業といわれ、日々変わる環境に合わせていった企業が生き残っています。
しかし、生き残っている企業には、また「変わらない自分」をもっていることも事実であると感じることが多いです。

変わらない「自分」と変わる「自分」の両面で「不易流行」を常に意識したいと思います。

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2015年5月 7日

大きな問題も解きほぐせれば小さな問題

「自分には手に負えない...」って問題に突き当たることはよくあります。
手におえない大きな問題を、大逆転の一発で解決するような都合の良い手は通常ありません。

ただ、手におえない大きな問題も、細かく解きほぐせば小さな問題の塊になるはずです。
そうすれば必ず打開策が見つかると思います。

逆に言えば、問題を細かく解きほどく面倒くさい手間をかけなければ、大きな問題は解決できないのです。

問題は放っておけばさらに大きな問題に発展するのが普通です。
早め早めに対応し、できれば小さいうちに対応策を打ちたいものです。

小さい問題のうちは、ついつい対応を後回しにしてしまうのが人なのだと思いますが...。
ただ、問題が大きくなってからの解きほぐしの苦労を一度体験すれば、同じような問題には敏感に反応ができるようになると思います。

これが「経験」「ノウハウ」なっていくのでしょうね。
わたしも大きな問題を解決する過程でいろいろと「経験」「ノウハウ」を吸収していきたいと思います。

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2015年5月 6日

「コツコツやる」とは今できることを片付ること

よく「継続は力なり」という言葉が言われます。
比較的「コツコツやるの」のが好きな自分としては勇気をもらえる言葉です。

自分が「コツコツやるの」が好きなのですが、そんな自分でも継続の難しさを感じることよくあります。
体が疲れ切っている時、いろいろなことが重なってしまった時...つい自分の決めた継続することを諦めそうになることがあります。

最近は、そんな時は「諦めたらいい」と思えるようになってきたのは成長だと思います。
でも、できるものならばコツコツと継続していきたいものです。

最近、諦めれるようになったのは、「コツコツやれ」とは今できることを片付ること...と考えられるようになったからだと思います。

自分で決めたすべてのことをコツコツと継続してたら、それは疲れてしまいます。

今しなければならないこと、今できることはきっと優先順位の高いものです。
その優先順位が緊急度か重要度かはわかりませんが、今すべきことなのだと思います。

今すべきことをちゃんと終わらすために、今できることをコツコツとする...これならば普通の気持ちで継続できますね。

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2015年5月 4日

これまでの「信用」がこれからの「信頼」になる

何かの本で読んだ言葉か、経営者の誰かに教わった言葉だと思います。
例によって私のEvernoteの備忘メモにありました。

そもそも「信用」と「信頼」って似た言葉なので、その違いが判らなくていろいろと見ていた時だと思います。
いろんな説明があったのですが、この言葉が一番しっくりきました。

これまでの「信用」がこれからの「信頼」になる...です。
つまり「信用」とは過去からの積み重ね、「信頼」は未来の心の拠所だということことです。

だれかと一緒にこれから仕事をする場合、「契約」とか「ルール」といった決まりごとはもちろん大切です。
ただ、その時に一番大切なのが「その人を信頼できるか」だと思います。

理由もなく「信頼」するとはできません。
「実績」だとか「経験」だとかはわかりやすいのですが、それは他人の評価です。
自分がその人と積み上げてきた「信用」があれば、無条件で「信頼」できると思います。

たしかに、これまでの「信用」がこれからの「信頼」になる...だと思いました。

...いかん、こんなことを書いている場合でないです。
資料がGW明けが納期の資料が遅れており、俺、終わるのか...と不安です。

なんか、自分を一番「信頼」していない気がしてきました。
過去に納期を守れなかったことはないと思うので、もっと自分を「信用」していい気がしますが...

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2015年4月28日

風向きは変わる、そしてそれに敏感になる

一応私にも気持ちがとても疲れるときがあります。

いつも飲んで楽しんでいる感じがするかもしれません。
ただ、その一つの理由に、自分に自信がないし、いつも不安だから「飲んで不安を紛らわせてしまおう!」があるのは否めません。
まあ、それで不安を紛らわせれるのだから、やっぱり幸せなのかもしれませんね。

「楽しんでいたって現実からは逃れられない」という意見もあると思います。
実際にそうですね。
現実から目をそらしていても何も変わりません。

ただ、どんなに苦しい時でも「風向きは絶対に変わる」と信じています。
だから、「飲んで不安を紛らわせてしまおう!」という現実逃避のような感情が成立するのだと思います。
しかし、決して現実から目をそらすつもりはありません

現実から目を反らして、単なる現実逃避になっていると自分の立ち位置すらわからなくなってしまいます。
現実逃避しながらも「風向きが変わる」ことには敏感にアンテナをはっているつもりです。

まざなら、自分の向きをによって変わった風向きは、心強い追い風にも変わりますが、さらに怖い逆風になることもあるからです。
「風向きは今に必ず変わる」「そして風向きの変化には敏感になる」ことが大切だと思います。

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2015年4月15日

「過去の結果としての今」と「未来の原因としての今」

今という時間を考えたとき二つの視点があるとと思います。

ひとつは「過去の結果としての今」で、もうひとつは「未来の原因としての今」です。
偉い人の言葉や格言では「未来の原因としての今」を大切にすることを勧める言葉圧倒的に多いと思います。

中には「過去を振り返らない」ってのもあります。
前に進むという激励では、それが大切だと思うことも多いです。

わたしも基本的には「未来の原因としての今」が大切だと思います。
つまり、未来にむけて今、何をするかを考えることです。

ただ、過去の流れで今の自分が存在することも忘れてはいけないと思います。
それが「過去の結果としての今」です。

過去に試行錯誤したことが必ず自分の役に立っています。
経験は必ず積み上がっていきます。

不要な過去なんてないと思います。
不要だと思う過去も、その当時の自分と対話し、それを前向きにとらえる努力をすることが大切だと思います。

当然ですが、過去、今、未来はつながっていますものね。

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2015年4月14日

今の時間の使い方は「本当に無為なのか?」

私の悪い癖の一つが「つい理想を求めて慌てて進める」ことです。
物事を進めるには、スピード感とタイミングが大切だと頭ではわかっています。

ただ、無為に時間を過ごすのがつらい性格なので、ついつい前に前に進もうとします。
どんどん焦ってきます。

そして、ふと気が付くと足元がグラグラのまま、内容もなく形だけ前に進んでいることに気が付きます。
その時、ほんとうに今の時間の使い方は「本当に無為なのか?」を問いかけます。

物事を着実に進めるための試行錯誤の時間なのではないか・・・
もっとも効果的に伝えるべきタイミングを待っている時間なのではないか・・・

意外と、物事が進んでいないように感じても、後から考えると「あの時に無為に感じた時間で今がある」と振り返えれることが多くあります。

ただ単に「ゆっくりやっていきましょう」という意味ではありません。
「自覚なき無為」はやっぱり何も生み出さないと思います。

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2015年4月 3日

「周囲が悪いからいけない」と理由をつけても...

いろいろと話を聞く機会は多いですが「周囲が悪いからいけない」とどれだけ理由をつけて力説されたとしてもなかなか腹に落ちません。
その制限だらけの中でどれだけ「自分のできることを試みたのか」が大切だと思います。

周囲が悪いからできなかったと論理付けていうのは簡単です。
所詮は他人のせいなので無責任に語れるからです。

その際に「なぜそれができなかったのですか?」を問うと、また「周囲が悪いのでできなかった」と堂々巡りになります。
「なぜそれができなかったのですか?」の問いに「自分の不足があってできなかった」と答えられる人は自分の力で前にするめると思います。

確かに何か物事がうまくいかない時に「周囲が悪い」事もあると思います。
でもそれを言っていては周囲が変わらない限り自分の状況はよくなりません。

「自分の不足」を素直に認めて、それを補うことを考えて初めて自分が変わることができ、自分の周囲の状況も含めて買われるのだと思います。
これを忘れないようにしたいと思います。

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2015年3月26日

ヤッパリ送別会は寂しいぃ(。-_-。)

3月のこの時期、本当に送別会が多いです。
4月はどちらかというと歓迎会が多い(歓送迎会も多いですが)です。

送別会はその人の次のステップへのスタートです。
本当は喜ぶべきかもしれませんが、これまで一緒に働いたり、行動を共にした人と距離が離れるのは寂しいものです。

振り返ると数年のときを一緒に過ごしている人ばかりです。
寂しいと思ってしまうのも仕方ないですね。

ただ、送別する人を囲んでみんなと飲んで話せるのは嬉しいです。
こういう積み重ねが、「信頼できる人との関係」という大切なものを育てていくのでしょうね。

でも、ヤッパリ送別会は寂しいですねぇ(。-_-。)

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2015年3月24日

自分たちの心が創りだしたもの

時々思いますが、自分たちが見える世界は自分たちの心が創りだしたもなんですよね。
心に余裕があるときは、いろいろなものが幸せな世界に見えてきますし、心が苦しい時は、いろいろなものが不幸に見えてきます。

ただ、不幸に見えているとしても、それは自分のフィルタを通してだけなので、実際は必ずしも不幸ではない場合が多いです。
ただ残念ながら、心が苦しい時は「実際は不幸だけではない」と気づくことも難しいです。

自分たちの心を鍛えて「実際は不幸だけではない」と気付けるようになるか。
周りの人たちの言葉に耳を傾けて「実際は不幸だけではない」と気付けるようになるか。
周囲の様々な存在自らに気づいて「実際は不幸だけではない」と気付けるようになるか。

心は、天国を作り出すことも、地獄を作り出すこともできる...ってどこかで読んだ記憶があります。
「実際は不幸だけではない」と気付けるようになれる方法を自分なりに探すことが成長のような気がします。

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2015年3月23日

苦手な相手こそ話を聴けることが大切

自分と全く別の世界に生きる人の話はとっても面白い。
相手にとって些細なことでも、聴き手の自分にとってはどれも新鮮で刺激的です。

ただ自分と全く同じ人なんかいません。
つまり自分以外のどんな相手の話でも興味をもって聴けばすべて面白いのです。

自分との離れ具合の程度の大きさはあるのかもしれません。
離れ具合が大きい人の話ほど面白いと思います。

ただ、自分には2パターン程、どれだけ興味をもって聞いても苦手な場合があるようです。
「自分の話以外興味をもたない人」と「自分の意見がなく他人に迎合するすることしかしない人」です。

「自分の話以外興味をもたない人」は、相手の話を遮ります。
自分の話を遮られるのはあまり苦にならないのですが、自分が興味をもって聞いている話を遮られると「ちょっと待て!」という気になります。

「自分の意見がなく他人に迎合するすることしかしない人」はその人の意見はないので話が薄っぺらく聞こえます。
常に「○○に書いてあった内容ですが...」「△△が言っていたのですが...」「...って言うことを□□が言っています」という話始めだと「あなたの意見は...」と聞き返したくなります。

こういう苦手な相手とはついつい話をするのを避けてしまう傾向があります。
しかし、そのままではいつまでたっても苦手なままです。

苦手な相手にも自分自身で興味をもてるように探すことが必要だと感じています。
苦手な相手こそちゃんと話を聴けるようになるのが大切なのだと思います。

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2015年3月21日

自分を好きになれない人は・・・

「自分を好きになれない人は幸せになれない」ってよくいろんな人に言われることがあります。
自分は自分が大嫌いです。
でも、自分が嫌いなのですが、「幸せ」と思うことも時々はあります。

多分、それは「本気で嫌っているわけじゃないよ」と言われそうです。
しかし、少なくとも自分は「自分が好き」とは口が裂けて言えません。
「自分が好き」と口に出して言えないということは、やっぱり自分のことが好きではないのだと思います。

特に「口にした言葉」や「とった行動」が自分で理解できない時は「なんで?」と「自己嫌悪」に陥ります。
自分で自分のことがわかならない時はよくありますが、その都度感じる違和感は自分だから感じされるのだと思います。

自分を理解しようという努力は最近は疲れたのであまりしていません。
また、明らかな不器用(失言や失敗)も悲しいかな自分の大切な要素です。
その結果、違和感を感じつつも、自分に対する許容範囲が広くなってきているのだと思います。

基本的には自分が大嫌いだが、そういうやつもいるのでイライラするのをやめよう...というのが「幸せ」と思うことも時と増やしているのでしょうね。

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2015年3月17日

ここまでです。さぁ、始めましょう

「ここまでです。さぁ、始めましょう」

何かの本、漫画か、アニメ、講演か、なんだろう・・・?
Evernoteにメモがしてあった言葉です。

必死になって頑張ってきたことでも、諦めざるをえないことはあります。
その場合の「これまでの努力を諦める勇気」と「次へとつなげる諦めない勇気」が両方とも大切だと思います。

この相反する二つの勇気を併せ持てば、何事も消えてしまうことはありません。

簡単に書いていますが、この二つの勇気は相反するものです。
その、相反する勇気を併せ持つ人こそが事業を成功に導ける人なのだと思います。

「ここまでです。さぁ、始めましょう」と自然な感じに言える人は、本当の意味で勇気ある人だと思います。

出典がわからなくても、心に響く言葉はたくさんありますね。
やっまり、その大切と思ったときのメモは重要です。

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2015年3月16日

言うことはできる。でも出来るのとは大違い

人へのアドバイスはできても自分でやるのは大変ですね。

コンサルという立場上、人にアドバイスをする場面が多々あります。
自分なりに考え抜いてよいと思った方法をアドバイスしているつもりです。

ただ、アドバイスができても、それを自分に転化したしたとき自分の未熟さを痛感します。
人には偉そうに言っているのに自分ではなかなかそれが実践できていないと感じます。

立場が違うということもあると思います。
しかし、人からのアドバイスを受け、それを判断し、実施できる人は本当にすごいと思います。

人の粗はよくみえます。
その粗を無くす方法も「問題は発見できれば解決できる」という理論から言えば、思いつくはずです。
「言うことはできる。でも出来るのとは大違い。」って言葉だけ思い出しました。

自分も人にアドバイスを言って、言いっ放しにせず、言ったことを自分に転化して実践できるようにならないといけないと思います。

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2015年3月12日

「なんで周りはわかってくれない...」って嘆き

「なんで周りはわかってくれない...」って嘆きは、自分を不幸にする嘆きだと思います。
「周囲に自分をわからせる」のではなく、「周囲に自分をわかってもらう」ことが大切だと思います。

周りを自分の考えに合わせて変えることなんてできません。
自分の本音を自ら発信し、自分から周囲に協調して一緒に進むことしかできないと思います。

そのためには、くじけずあきらめずに自分の本音を自ら発信していくのか、世の中には価値観の違いで分かり合えない人がいると腹に落とすか...ですね。

「世の中には価値観の違いで分かり合えない人がいると腹に落とす」は乱暴な感じもしますが、全く同じ価値観の人は世の中にはいません。
でも、部分的に価値観が共有できる人はたくさんいます。

逆に全く共感できない人もおらず、その共有範囲の違いだけのような気がしています。

「自分はあの人とは全く共感できない」と思うことがあれば、それは相手を全く見ていないことになります。
「なんで周りはわかってくれない...」って嘆きにつながっていくのだと思います。

「なんで周りはわかってくれない...」って嘆きが拡がらないような世の中になるといいなぁって思います。

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2015年3月10日

私はこう上手くいっている、君もやったら!

みんなに「私はこうやって上手くいっている、君もやってみたら!」とアドバイスをする人がいます。
天邪鬼の私としては、こういう人の意見には「うーん」となってしまいます。

「私はこうやって上手くいっている」ということは、あくまでも自分のことですね。
自分の成功談を相手にそのまま勧めるのは安直感を否めません。

自分の成功談をみんなに同じように言う人は、結局自分のことしか見ていないのだと思います。
つまり、相手が誰であっても自分の成功事例を伝えて勧めるわけです。

人には人の事情があります。
その事情を無視して、自分中心のアドバイスをするのはかなり乱暴と感じます。

相手の事情や気持ちを汲んで、相手に合わせたアドバイスができるようになりたいです。

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2015年3月 9日

「なぜうまくいっているのだろう?」と迷う方

経営者と話をしていると「なぜうまくいっているのだろう?」と自問自答する方と出会うことがあります。
こういう経営者と出会うのはとても嬉しいです。

なぜなら、うまくいっている時にも、自分に問いかけながら、もがいているからです。
自分でもよくわからないのに「なぜかうまく行っている・・・」って経営者はきっととても人間的な魅力がある方なのだと思います。

ただ「なぜうまくいっているのだろう?」と悩む方は、壁にぶつかることもあると思います。
なぜならうまくいっている要因が自分でわかっていないからです。
うまくいかなくなった時に、成功要因がわかっていないのでどう対処してよいかがわからない可能性があるからです。

でも、壁にぶつかりながらもがいていると、本の少し自分のことがわかってきます。
少し自分が見えてその壁を乗り越えた時に、その経営者はまた一段ステップアップをしていくのでしょうね。

こんな経営者を支援したいと思いますし、自分自身もそういう経営者になりたいと思います。

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2015年3月 8日

自分のオンオフがよくわからない

お客さんに「宿澤さんのオンオフってどうなっているのですか?」といわれました。
しばらく考えて「すみません、わかりません」って答えました。

なんとなく週末が忙しい時は、翌週に影響してしまいます。
週末は、仕事が入っていなくても、翌週の準備や段取りを行うのが習慣みたいになっています。

翌週を少しでも楽にするために段取りを行うのですが、その段取りにパワーを使って翌週へばっているのは矛盾を感じます。
基本的に仕事の入れ方がスペックオーバーなのだと思います。

以前、翌週のことは考えず出たとこ勝負だ!って思っていた時期もありました。
確かに強制的に週末は休んでいたので、翌週に肉体的な疲労はひきづらないのですが、段取り不足、準備不足が多く発覚して結局元のスタイルに戻りました。

きっと、ちゃんとできる人は、オンオフのバランスをキチッとコントロールしているのでしょうね。

多分、オンオフがよくわからないのに仕事をしてられるには、仲間と飲んでいるときにストレスを発散しているのでしょうね。

...てなわけで、運良く中小企業大学校52期のメンバーと飲めて元気が出ました。
ラッキー。

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2015年3月 6日

人とサシで飲むって面白い

人とサシで飲むって面白いです。

自分は大勢の中に混るとなかなか、うまく会話ができません。
でも、サシで人と飲んでいると会話がどんどん弾みます。

会話というより、一人の人の話をじっくり聴くのが楽しいのだと思います。
自分とは全く異なる価値観や経験を聴くと自分の世界がいかに狭いかを痛感します。

自分は相手の真似はできないけど、きっと相手も自分の真似はできないと思います。
そういう時間を2人で共有しながら飲めるのはお互い成長できると思います。

一緒に時間を過ごしたい人がたくさんみえます。
時間を大切に、多くの人と時間を共有したいものです。

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2015年3月 3日

頭でわかっていれもできないこと

世の中は「頭でわかっていれもできないこと」だらけです。
私の場合は、ついつい出てしまう失言は、回避策が頭でわかっている(つもり)てもできるようにならないです。

ものすごく多い自分のコンプレックスになっているものは、それができなくても「今はまだできない」と、自分を落ち着かせることができます。

一方で「頭でわかっていてもできないこと」は本当にストレスがたまります。
でも、それって「頭でわかっていない」のでしょうね。

本当に日々は試行錯誤の堂々巡りですね・・・。
とりあえずは、くじけずに前に進むことが大切かな。

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2015年3月 2日

自分がわからな過ぎて興味がわく

自分自身の本当の気持ちって、なかなか理解するのが難しいです。
きっと、「自分の本当の気持ちをわかっている」と断言できる人ってそんないないんじゃないかなぁて思います。

自分がそう思った一つの理由は、最近時々ある自分の行動と価値観の乖離です。

なんで、自分はこんな行動をとったんだ、なんで自分はこんなことを言ってしまったんだ...て理解できない時が多いです。
理解できないということは、自分の無意識の行動を制御できていないということだと思います。

結構、自分で全くわからない自分が大嫌いな時期がありました。
今でも、決して好きではありませんが...。

でも最近は、意味が分からな過ぎて、逆に自分がどんな行動をとるのか、どんなことを言うのか興味がわくことがあります。

こんなことを書いていて自分がますますわからなくなって「大はまり」しないように気を付けたいです。

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2015年3月 1日

うちの社長いつも一言足りない

ちょっと前の話ですが・・・

「うちの社長はいつも一言足りないのです」ってある会社の社員さんが言っていました。
社員さんは「...だから、自分たちで考えるのです」と続けました。

社長がどういう意図でいつも一言足りないのかはわかりません。
単純に最後の配慮が足りないだけかもしれませんし、もしかしたら社員の成長を祈って一言足りなくしているのかもしれません。

どちらにしても結果として、社員さんが「...だから、自分たちで考えるのです」と思うのはすごいと思いました。

手取り足取り教えるのが社員の成長につながるとは思えません。
...かと言って全く放りっぱなしも成長にはつながらないと思います。

「絶妙な不足」が人を成長させることになるような気がします。

あと「一言少ない」のと「一言多い」のでは、どちらがいいんだろう...?

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2015年2月28日

「奮い立つ言葉」が心に響かない時

世の中には名言格言の「奮い立つ言葉」がたくさんあります。
そういう言葉に何度助けられたかわかりません。
そして、これからも助けられていくのだと思います。

ただ、そういう「奮い立つ言葉」を耳にしても心が全く動かない時があります。
むしろ「奮い立つ言葉」を耳にした時、心が重たくて、余計にやる気を無くしてしまうことすらあります。

そういう時はやっぱり「心が疲れている時」なのだと思います。
無理に心を奮い立たせる必要はなく、一瞬心を休むのも大切だと思います。

少し休んだら自ずと動き出したくなります。
自分が動きたいと欲するときに「奮い立つ言葉」を耳にすればすごくパワーをもらえます。

どんな名言や格言も、受ける側に受け入れ態勢が整っていなければ単なる空虚な言葉になってしますね。

「奮い立つ言葉」が心に響かない時は、ちょっと休もうと思います。

今はまだ大丈夫!

「なせば成る、なさねば成らぬ何事も(上杉鷹山)」
「失敗すればするほど、我々は成功に近づいている(エジソン)」

ベタだが、心に響くぜい!

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2015年2月24日

忙しい時ほど成長につながることも多い

別にのんびり仕事をしていたわけではありませんが、だんだんまた宿題がたまってきました。
本当に定期的に「宿題がたまってきました」と書いている自分の成長のなさに嫌になります。

ただ、この「宿題がたまってきました」の状態からの巻き返しに関しては、少しずつ自信がついてきました。
こんなことに自信が付いてはいけないのかもしれませんね・・・。
でも、お客さんとの約束は絶対なので、大切なことへの自信だと感じます。

時々「仕事が詰まる可能性があるので余裕時間を見ています」と話している人と会います。
本来はその考え方が正しいのだとだと思います。

ただ、時には余裕時間がほぼ無しで仕事に向かい合うことがあってもいいと思います。

それは忙しい時ほど成長につながることも多いからです。
そういう時間を有効に使って自分が見習いたいと思う人達に近づきたいものです。

ただ、最近は疲れが抜けるのに時間がかかるようになってきたのは、なんか悲しいです...。

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2015年2月20日

自分の苦手な仕事がやってくる

自分には仕事上苦手なテーマがたくさんあります。
しかし、苦手なテーマから逃げていると、必ずその苦手なテーマがやってきます。

「そのテーマは苦手だから...」と断り続けていると、やがて苦手なテーマの仕事は来なくなります。
一件落着チャンチャンと思っていると、その苦手なテーマ絡みでトラブルがおきたりします。

つまり、やってきた苦手なテーマは、今チャレンジすべきテーマというシグナルなのだと思います。

逃げていると、そこから火を噴きます。
しかし、逃げずに苦手なテーマでも仕事を受けてそれをクリアすれば一段ステップアップします。

考えてみると、最初から得意なテーマなんてありません。
最初はどれもやったことがないので苦手なテーマなはずです。

それをクリアする度に少しずつ事業領域が広がっているのだと思います。
苦手なテーマも逃げずに引き受けていきたいものです。

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2015年2月19日

なんでじぶんばかりが損をする...

「なんで自分ばかりが損をする...」って思ううちは状況は改善されないと思います。

たしかにコンサルをしていると「言いだしっぺが損をする」組織は実在します。
しかし、そこで損をした人が「なんで自分ばかりが損をする...」と思うか、「自分がいやすい組織にかえてやる!」と思うかが大きな違いです。

「なんで自分ばかりが損をする...」と思っているうちは、周囲が変わるのを待ってしまいます。
しかし「言いだしっぺが損をする」組織風土が出来上がっているのに周囲が自然に変わっていくことなんてないと思います。
むしろ悪化していく傾向がある気がします。

一方「自分がいやすい組織にかえてやる!」もいばらの道です。
ただ、少なくとも自分で動いていくので前向きになれます。
上手く組織の流れが変わればよいですし、何もせず待つよりは何かして失敗した方が次につながります。

少なくとも「なんで自分ばかりが損をする...」という言葉は、もっと自分を不幸にする言葉のように感じます。

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2015年2月16日

講師がだらしなくても受講生が研修を救う

名古屋ソフトウェアセンターで「システム開発と運用(要件定義から運用・プロマネ基礎まで)」という三日の研修が始まりました。
SEの仕事を三日間ですべて演習をからめて抑えるという欲張りな研修です。
まぁ、海鮮丼やつけ麺でいえば全部のせみたいなものですね。

ただその分スケジュールがタイトです。
どうやって終わらせればよいか一生懸命に考えましたが、予想通りどんどん順調に遅れていきました。

そんな時に天からの助けが...。
これまでの実績から演習の時間を設定したいたのですが、とても優秀な受講生がそろっていたので演習時間が予想よりかなり短くなりました。

その結果、なんとオンスケジュール。
さらに、用意した「追加演習」までできました。

講師がだらしなくても受講生の優秀さが研修を救うとう奇跡の体験をしたのでした。
ありがたや、ありがたや。

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2015年2月15日

タクシーの運転手さんはお客をよく見ているなぁ

たわいない独り言でスミマセン。

会合や飲み会で最終バスにほとんど間に合わない私はよくタクシーを使わざるを得ないことがあります。
よく使うのは「有松」です。
最高で5日連続で使ったことがありますが、平均して週に3回~4回は使います。

「有松」は人もそんなに多くないためか、通常は3~4台で廻していることが多いそうです。
自分はあまりタクシーの運転手さんと話すのが得意ではありません。

しかし、これだけ使っていると「有松」で乗るすべてのタクシーの運転手さんに顔を覚えられるようです。
最近はタクシーに乗るだけで行先を告げなくても「あ、公園の前のお客さんですね」って言われます。

会話も楽しんでいる感じです。
「今日も遠方の出張からの帰りですか?」
「あれ、今日は意外と早いお帰りですね(夜9時ごろ)」
「今日も飲んでいますね。仕事順調なんですね~。」
...なんて会話をしています。

先日、タクシーに乗ったとき「あ、公園の前のお客さんですね。あれ? ちょっと太りましたか?」と言われました。
おっしゃる通り長崎で「〆のチャンポン」「朝からの皿うどん」をした直後で体重もビッグになっていました。
お客さんをよく見ているなぁ...と感心をさせていただきました。

お客商売の基本「お客さんを見る」の大切さを再度認識しました。

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2015年2月10日

一緒に仕事をしていると元気になる人たち

一緒に仕事をしていると元気になる人たちがいます。
その理由は何だろうとしばし考えてしまいました。

ただ単にポジティブというわけでもなさそうですし、元気がとってもいいという感じでもありません。
ただ、なんとなく気づいたことがあります。

それは、仕事や役割に対しての責任感と前向きさだと思いました。
方向性で悩んだり、課題を熟考したり、お客さんと交渉したり、相手に配慮をしたり...高い壁に真摯に向かう姿に元気付けられるのだと思います。

今、私にはそういう仕事のパートナーが増えてきています。
これは自分がとても恵まれていることだと思います。

どれだけ元気な人でも仕事や役割に対しての責任感と前向きさがない人と一緒にいると、元気を吸われてしまう気がします。

自分が無条件に「この人といると元気になる」って人たちを大切にしたいと思います。

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2015年2月 9日

網羅的に深掘りをしてから仕事だな

長崎から帰ってきてたまっている宿題を何とかしようと思っています。

何から手をつけようか...って時は、やっぱり紙に書き出しての棚卸ですね。
紙に書き出すと脳が活性化するのを感じます。

知らないうちに、連想力と疑問力が働き出す感じです。

連想力は「今の書き出し ている項目を深掘り」します。
深掘りすることで作業が具体的になっていきます。
具体的になれば、何から手をつけようか...という惑いは減少します。

ただし、深掘りの過程で起きる問題があります。
これが近視眼的になってしまうことです。

...なので深掘りしつつ「本当に今の書き出しは作業を網羅している?」と疑問を自分に投げかけます。
すると、網羅的に深掘りができます。

まずは紙の上に網羅的に深掘りをして書き出してから、順に終わらせていきたいと思います。

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2015年2月 2日

情報収集力だけ上がっても・・・

スマホという便利な道具が一般化して多くの人の情報収集力は上がっていると思います。
ただ、この便利な力で人としての能力が上がったかというと、怪しいものです。

いつでもどこでも自分の必要な情報を探し手に入れることができて、時には情報を通知までしてくれるようにまでなっています。

ある勉強会に参加した時、問いかけに対して「チョット待って下さい」とタブレットで調べて、そのまま答えている人がいました。
「それはあなたの答えではなく、Google先生の答えでしょ」と突っ込みたくなりました。
でも、振り返ると自分も無意識にやっている時があります。

自戒の念も込めて、大切なのは情報収集からの情報分析と情報発信だとメモをしておきます。

もちろん情報収集してこそ次の分析と発信があります。
ただ、収集で止まってしまい、そこで人としての能力全体が上がったと思ってしまうのはもったいないですね。

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2015年2月 1日

人が「前にあった時のまま」のはずがない

人は常に変わっています。
自分の意志で変わらなければならない時もあれば、嫌でも周囲の環境が変わって自然と変わっていくこともあります。

ただ、その時に、すでに付いてしまっている周囲のイメージを壊しながらスピード感をもって、変化を続けているのは、なかなか気合がいりますね。
人の印象というのはなかなか覆りません。

いつまでたっても「前にあった時のまま」と考えてしまいます。
魯粛が呂蒙に「呉下の阿蒙に非ず」と言った言葉に対して呂蒙が「士別れて三日、即ち更に刮目して相待すべし」といったそうです。

人はすごいスピードで変化しているはずなのです。
その変化がプラスに向いての変化か、マイナスに向いての変化かはわかりません。

でも少なくとも「前にあった時のまま」であるはずがないですよね。
しばらく時間をおいてあった人とは、偏見を排除してまっさらな目で見ることが大切だと思います。

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2015年1月31日

「しくじり先生」って勉強にります

あまりテレビの話題はブログにしないのですが・・・
「しくじり先生」って番組が今の自分のマイブームです。

芸能界でしくじっちゃた先生が、そのしくじりの原因を分析しながら、「みんなはこうなるなよ!」って訴える番組です。
天狗になっちゃっちゃた「オリラジ先生」や失言し続けてしまった「杉村太蔵先生」は本当に勉強になりました。

先日の「しくじり先生」では、大事MANブラザーズバンドの立川先生が、「それが大事」を24年間歌い続けたところ、歌いすぎて「何が大事かわからなくなった」といっていました。

でも、たどり着いたのが歌詞にある「負けない事」「投げ出さない事」「逃げ出さない事」「信じ抜く事」から「結局、何が一番大事なのか」と考えた結果が「どれも大事じゃない」という結論とのこと。。
大切なことは、「自分にとって、何が一番大事か考えていく事が大事」ということに行き着いたそうです。

うだうだ悩んでばかりの自分ですが、その都度なんらかの小さなゴールを見つけて軌道修正しています。
私にとって大切なことは「自分への疑問をなくさず、つねに考えていく事が大事」です。
「自分への疑問」がなくなったら、そこで成長は止まります。

「自分にとって、何が一番大事か考えていく事」と「自分への疑問をなくさず、つねに考えていく事」はちょっとかぶっていて共感してしまいました。

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2015年1月25日

「嫌な予感ほどよく当たる」の理由って

一般的にいわれることですが、私も嫌な予感ほどよく当たります。
これには理由があるように感じます。
私がパッと思いつくのは二つです。

ひとつは「嫌な予感がぴたりと当った時は記憶に残る」、もうひとつは「嫌な予感がしたことを放っておくと事態が悪化する」です。

嫌な予感がぴたりと当った時はとても強烈に記憶に残ります。
そのあと「反省」とか「後悔」とかがあって、いろいろと考えるからだと思います。

逆に、よい予感が当たったときは私の場合はあまり記憶に残らないです。
...なので、忘れないために楽しいことがあった時には必ずブログに書くようにしています。

そうな努力を凌駕するように嫌な予感があった時の記憶は鮮明に残るのです。

もうひとつの「嫌な予感がしたことを放っておくと事態が悪化する」は、教訓だと考えています。
嫌な予感がした時には、経験からの予測といった「リスクアンテナ」が働いている状態です。

それを漠然とした「嫌な予感」で片付てしまうと、リスクが現実化してしまいます。
嫌な予感がした時は、その予感の原因は何だろう?って深く考えることが大切だと感じています。

「嫌な予感ほどよく当たる」っていう後悔を少しでも減らしたいですね。

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2015年1月24日

やる気が出ない時は一番楽な目標を設定

どうしてもやる気が出ない時がありませんか?
別に疲れているわけではなく、意味もなくやる気が出ない時のことです。

夕方ぐらいから、突然やる気がおきなくなりました^^;
とくにパソコンの前に座って一日ずっと事務仕事をしている時に、こういうダラけた感じになってしまうようです。

どうしてもやる気が出ない時は、いっそのこと仕事を先延ばしをして気分を切り替えるのが一番よい方法だと思います。
ただ、自分は気持ちの切り替えがとても下手で、いきなり「もう今日は仕事やーめた!」と決断するのが苦手です。

ただ、やる気が出なくてグダグダ仕事しても進捗はありません。
...かと言って「もう今日は仕事やーめた!」もできないのです。

こういう時は「一番楽な目標」を設定するのが自分には向いています。
「一番楽な目標」をクリアすれば、一応納得して「今日の仕事は完了した!」と思えるのです。

毎度のことですが、自分は「実に面倒くさい奴」だと思います。

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2015年1月23日

まず決断し、まずはやり抜く

「まず決断し、まずはやり抜く」って当たり前すぎることですが、とても大切だと思います。

自分で決断をせずに「何かをやり始める」と途中で迷いが生じます。
迷いながら何かを行うのは、とても非効率になることが多いです。

「他によい方法があったのではないか?」「本当にこのままでよいのだろうか?」...。
そうふと心に過るだけで、迷いが集中力を奪います。

どこかのタイミングて「チェック」して「見直しする」ことは大切です。
ただ、一度計画したら、一旦は迷わずに「実行する」事だと思います。

私の場合も、心は弱く自分で決断したつもりが、実行する段階で「迷ってしまう」ことはよくあります。
その都度、反省してやり抜くことに集中するようにしていますが、自分の未熟さをとても感じる一瞬です。

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2015年1月22日

頑張らないために少しの「頑張る力」

時々、もう少し「頑張る力」が欲しいと思うときがあります。
もう少し頑張れれば目標まで行けるのに...と思うことは多々あります。

幸い「諦めは悪い」ほうなので、努力をやめてしまうことはありません。
「継続力」は自分の強みだと思っています。

しかし、頑張って目標まで到達していれば、こんな遠回りしなく済んだのにとはよく思います。
「頑張る力」が足りないために翌日回しにした結果、残り1時間の頑張りで完了していた仕事が、翌日の半日を使ってしまう...なんてことがあります。

もうダメだって思ってからのもう一頑張りが仕事自体の効率をあげて、全体としては楽ができるのですね。
最近、そんな時間の無駄使いをよく反省する場面に遭遇します。

頑張らなくてもいいように、もう少しの「頑張る力」が欲しいです。

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2015年1月21日

できるのと教えるのは大違い

普段から実践しているつもりのヒューマン系スキルのテーマがあります。
そのテーマの研修の依頼を頂きました。
普段から実践しているつもりのテーマなので仕事を受けさせて頂くことにしました。

自分はそのテーマに関して実践できていると思っています。
ただ、以前に系統だって勉強して以来は、我流で鍛えている部分も多いという認識は持っていました。

そんな状態で、早速研修資料を作っていますが、ここで感じたことがあります。

当たり前ですが「できるのと教えるのは大違い」ということです。
特にヒューマン系スキルはそうですね。

できることはできます。
しかし、その中で無意識にやっていることも多いことを感じました。
無意識の部分(暗黙知)は見える(形式知)ようにしないと教えられません。

我流で無意識にできてしまっている部分の棚卸しと資料化を頑張らないといけないと気持ちを引き締まました。
自分の無意識の部分は、自分だけのノウハウなので資料化ができたときは、自分のためにもなりますしね。

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2015年1月20日

時にはノープランもいいかも

時にはノープランもいいかもと思うことがありました。

ノープランというとあまりいいイメージがないかもしれません。
ただ、「どんな要求も柔軟に対応する」というと一気にレベルが上がったと感じます。

御用聞きというと、言われたことだけ対応するというイメージがあります。
でも、御用聞きで信頼を得る人たちはすごいノウハウを持っています。

ノープランで顧客に飛び込み、要望に誰よりも早く応えるというのは並大抵のことではありません。
自分のようにアドリブが苦手な人間にとっては難易度がたかいです。

ノープランで顧客を訪問し、ディスカッションをして「いいねえ」って言われたとします。
こういう場合は、自分の柔軟性をたかめれた証として大切にしたいですね。

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2015年1月17日

「根暗でも前向きな人」を目指す

客さんからからある相談を受けました。
「組織を元気にするにはリーダーである自分が無理をして明るくふるまった方がよいのでしょうか?」と言うものです。

リーダーの明るさが組織に伝搬することは往々にしてあります。
その意味では時にはリーダーは無理をしてでも明るくふるまう必要はあると思います。

ただ、リーダーも人間です。
無理して明るくふるまうことで、その反動が来てしまうことがあります。

もちろんリーダーの心得として、常にネガティブ、常に後ろ向きでは組織は運用できないと思います。
ただ、無理をして明るくふるまってもそれはメンバーに伝わります。

無理をして「明るく」ふるまうのであれば、自分のできる範囲で「前向き」にふるまうのがよいと思います。
「明るく」ふるまうのと「前向き」にふるまうのは全く異なります。

無理をせず自分らしく「前向き」な言葉や行動を行うのがリーダーとして必要なことではないかと思います。

「自分は根暗だからリーダーに向いていない」って相談を受けたこともあります。
そんなことはないと思います。
「根暗でも前向きな人」を目指せばいいのだと思います。

お客さんにこんな話をしていたら、自分自身が「根暗でも前向きな人」を目指していると気付きました。

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2015年1月14日

「断る勇気」もちゃんと持つ

「断る勇気を持つ」はよく言われることですが、なかなか自分にとってはハードルの高いことです。
「断る」と「嫌われんじゃないか?」「相手をガッカリさせるのではないか?」「もう付き合ってもらえないんじゃないか?」と思ってしまうのです。

ただ、心身健康な時にはこんなことは思いません。
忙しくなったり追い詰められたりすると心が弱って歪んだ考えに陥ってしまいます。

冷静に考えれば、ちゃんとした理由があって「断った」にもかかわらず、自分から離れていった人を追いかける必要はないのです。
「断った」っても理由をわざわざ言わなくても見守ってくれる人がたくさんいるからです。

自分の性格では断る勇気がもてずに、心がついつい無理をしてしまうことがあります。
そういう時は自分自身が自己嫌悪に陥って「断る」以上につらい思いをしてしまいます。

自分の周囲の見守ってくれる人たちは、自分が無理をしている時には敏感にわかるようです。
多分、やりたいこと(仕事)をやっているときは、きっと生き生きしているからだと思います。
顔に出やすくて、分かりやすい性格なのでしょうね。

見守ってくれる人たちにあまり心配をかけないように「断る勇気」をちゃんともちたいものです。

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2015年1月13日

相手への配慮のつもりが「壁」になる時

自分は人づきあいが苦手で、なかなか相手に気を使わずに接するということがうまくできないと思っています。
それでも最近は少しづつですが気を使わず接することができる人が増えている気がします。

ただ、相変わらず多くの方と接するときには、余計な配慮をしてしまっていると思います。
配慮は必要ですが、配慮自体を「壁」にしてしまう自分の性格はなんとかしたいです。

自分が「壁」を作っているだけではなく、相手にとっても「壁」になり、話していても妙な雰囲気になってしまいます。

救いは一度この「壁」を壊わすことができれば、とても親しくなることができるようです。
でも、なかなか「壁」を壊せないのが現状です...。
未だに、こういう人づきあいの初歩初歩で試行錯誤している自分が情けなく思えることがあります。

今年はできるだけたくさんの相手との「壁」を壊せるようになりたいですね。
ただ、こういう文章を書くということは、なんか凹んでいるんですね~。

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2015年1月11日

時間の有無は成果にあまり関係ないかな

時間の有る無しは、成果物の品質にあまり関係ないかもしれないですね。
もちろん最低限の時間は必要で、それすら取れない時はパニックになりますが...

...というのも、年が明けて自分の状況は結構バタバタしていると思います。
同時進行でいろんなことを考え実行しないといけないので、仕事が終わるか不安にもなります。

ただ、追い詰められた状態は思わぬ力を発揮します。
特に企画や提案のアイデアを考える時、集中力の続く最初の数時間で考えた内容がほとんどすべてだということがあります。
思考のための時間を時間を十分とったとしても、結局は十分な時間を使い果たした結果、思ったほど成果が上がらないということはよくありますね。

「時間がない、時間がない」とわめくのは簡単ですが、それは「することが整理されていない」「することの優先順位がみえていない」の言い訳だと言われたことがあります。

「時間がない」とわめく前に、「することが整理」「することの優先順位」の腹落としが大切だと改めて思いました。
そうすれば時間がなくても、よい成果物ができるのではないかと思います。

実際に同時進行でいろんなことを考え実行しないといけなくて、自分のキャパをオーバーした時はこんなこと冷静に考えていられませんが・・・

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2015年1月 9日

一歩進むと見える風景もかわる

なかなか思うようにいかない時ばっかりですが、とにかく立ち止まってしまうとそこまでですね。

わけもわからずに一歩踏み出すと、見える風景も変わります。
風景が変われば、気分も変わり、動けなかった制約も別の角度が見えてきます。

自分は何も変わっていないのですが、一歩踏み出したことで周りの環境が変わり、方向性が見えたりします。
動かなくて周りの環境が変わることもありますが、どうせなら自分の意思で動いて環境を変えた方がよいと思います。

よい方向に変われば自分の成功体験になりますし、悪い方向に変わったとしてもそれは自分の判断の結果だと受け入れることができます。

悩んだり、迷ったら、とりあえずは一歩進んで自分の見える風景を変えたいですね。

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2015年1月 6日

ドミノ式ケツカッチンは一呼吸おくのが難しい

仕事が始まっていきなり全開って感じです。

新年あけての追加の仕事の依頼もあるのですが、一気に気合を入れないと追いつかない理由は私のそれぞれの仕事の見積もりが少しずつ甘かったからです。
一つの仕事の見積もりが少し甘い程度であれば大した問題にはなりません。

「少しずつ甘い...」これって恐ろしい言葉ですね。
ドミノ式に計画がズレていってしまいます。

一つ計画がズレるとそれぞれの仕事が全部ケツカッチンになり、あわてて仕事をこなすため、今度はミスが増えていきます。
そのミスをリカバリするのに、また時間がかかりネガティブスパイラルに陥ってしまいます。

こういう時は次々と仕事をこなしていくのではなく、一旦立ち止まって「仕事を棚卸し」して落ち着いた方がよいですね。
よーく、わかっています。

でも、明日の締め切り、その翌日の締め切りとドミノ式ケツカッチンの場合は心がなかなか落ち着かないです。
修行がたりないといえばそれまでですけが、ドミノ式ケツカッチンは一呼吸おくのが難しいですね。

...とはいっても、まだまだ大丈夫な範囲なので、乗り切っていきます!

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2015年1月 1日

2015年、あけましておめでとうございます

あけまして、おめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

昨年の元旦には「視野を広く持ち」そして「変化にしっかり冷静に対応できること」を目指したいと書いていました。
様々な新しいチャレンジがあり、変化に対応することがとても大切だと実感した年でした。

昨年(...と言っても昨日ですが)に「本当に困ったとき、仲間から救いの手が差し伸べられる」と書きました。
不器用な私は変化に対応するときに、試行錯誤、四苦八苦してしまい道に迷うことも度々でした。
その中で「仲間から救いの手」は本当に心の支えになりました。

ただ「仲間から救いの手」を差し伸べてもらうには二つの条件があることにも気付きました。
「自分にできることを手を抜かずに真面目する」と「上手くいかない時、他人のせいにしない」です。

「自分が幸せになりたい。でも、一人では幸せになれない。だから、みんなで幸せになる...」というよくブログに書いていることがあります。
自分が真面目に他人のせいにせず動いていれば、周囲のみなさんによい影響が出る場合もあるようです。
周囲にでたよい影響は必ず、自分にも返ってくると感じます。

昨年は、とにかく「自分に一生懸命であれ」で、その結果「みなさんにとても助けられた一年」でした。
今年は「自分に一生懸命であれ」だけではなく、もっと「周囲に配慮をできる」ように成長したいです。

そうすれば、「自分が幸せになりたい。でも、一人では幸せになれない。だから、みんなで幸せになる...」が加速する気がしています。
「分け合った喜びは、分け合ったもののあいだで響きあいお互いのところに、何倍にもなってはね返ってくる」というアメリカインディアンの言葉があります。

「自分自身がまず一生懸命に動き、そして周囲のみんなに配慮をすることで、自分もみんなも幸せになる」を実践していきたいと思います。

今年もまたまたよろしくお願いいたします!

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