2005年6月29日

うつ病を治す完全マニュアル本なんてないと思う

 世の中にはいろいろな本がでていますね。うつ病関係の本は自分が直面している問題だけに非常に関心があり、よく読みます。ただ、そこの中には、「うつ病」の人には絶対に読んで欲しくない本が結構あります。それは、「気持ちを強く持とう」「辛いことに耐えよう」、そして中には「頑張って克服しよう」なんていう酷い本もあります。このような本を書いている人たちは、本当に「うつ病」を理解しているのでしょうか? 実際にうつ病にかかっていた私も、感情のコントロールとともに、うつ病が理解できていません。今、ブログに書いていることはあくまでも自分の体験談です。このような体験談的な本は「ああ、いろいろな感じ方があるのだな」とか「あ、自分と似ている」と客観的に読むことが出来る思います。人の体験は、工夫することによって、自分の立ち直りのきっかけになることがあると思います。

 ただ、「うつ病」の人は苦しくて、辛くて、藁にもすがりたい思いの人が多いと思います。場合によってはその気力すら出ず、自分が立ち直るイメージすら沸かない人もいると思います。そんな時にやはり頼るのは精神科の先生と、「うつ病関係の本」だと思います。私の場合はたまたまですが、とてもよい先生にめぐり合うことが出来ました。少しずつよくなったときに、ようやく「うつ病関係の本」を読む気力が出てきたと思います。

 少しずつよくなってきたとはいえ、まだ「藁にもすがりたい」気持ちです。タイトルはもう忘れましたが「藁にもすがりたい」気持ちで最初に手にとった本の最初に書いてありました「うつ病は気合で治す!」と。その本は「私は、非常にハードな仕事を精力的にこなしてきた。ところがある日、うつ病になってしまった。私は、その病気に一旦負けたことを恥じて、気合で治した。」と書いてありました。私のブログを読んでくださっている方なら分かっていただけると思いますが、まさに突っ込みどころ満載の文章です。この文章を読んで「うつ」が悪化してしまった人が少ないことを祈ります。

 そもそも「気合で治るようなもの」は「うつ病」ではありません。それは、仕事で疲れて気分が沈んでいただけだと思います。また、「その病気に一旦負けたことを恥じて」ともありましたが、何も恥じる必要はないです。うつ病で自分自身を責め続けている人たちが、こんな文章を読んだら、いっそう自分を責めてしまうでしょう。頑張って、頑張って、少し息切れしてうつ病になった人は、「なにも恥じることはない」です。

 「こうすればうつ病は治る!」「うつ病完治マニュアル」なんてタイトルがあるかどうか分かりませんが、こういうタイトルは危うさを感じます。もちろん、それでも良い内容の本はあると思います。ただ、いろいろな家庭状況、職場状況、それぞれの性格など複雑な要因が重なって発病するうつ病を一冊の本で語り尽くすことは大変難しいと思います。著者の方はそこに気をつかってみえると思いますが、読み手はそれをマニュアル本としてみてしまい。本人はそれを無理をしながらでも実践し、また家族は、本人を見ずに本に書いてあることを実践してしまうことで、余計にうつ病が悪化してしまう場合があるのではないかと懸念しています。

 じゃ、何に頼ればいいのだ? と聞かれるかもしれませんが、本当に難しい質問です。もし一つ答えるならそれは「時間」です。これも人によるところで、また、時間の過ごし方も人によって違いますので、一つ答えるのは本当に難しいです。しかし、それでも「時間」はかなりよい薬だと思います。家庭の事情もあるので「時間」とることが困難な方も多いと思いますが、こういう苦しいときこそ、家族が支え合って、「うつ病」になっている大切な家族の一員に「時間」与える事がよいのではないかと思います。

 これも私の経験上の話ですので、「ゆっくり、あせらず」考えてみてください。

2005年6月23日

人の思いやりの一言が人を幸せにする

 ここしばらく、仕事の面で順調でなく、気分が沈んでいた。個人で事業をしていれば、いいときも悪いときもあるのが当然で、開業4ヵ月半で黒字になっている今の事業は十分及第点であると思う。しかし、なにかうまくいかないことがあると、もうこのまま、永久に受注できないのではなかろうかと不安になってしまう。もちろん気分的な波もある。今週は月曜日からなんとなく気分が沈んでいたようだ。

 今日は、2ヶ月に一回病院に行く日である。最近は2ヶ月に一回、この病院に行く日も、まるで友人(先生ごめんなさい)と話をするような、気楽な気分で行っていたが、今日は重い気分で、精神科へ向かった。なぜか大きな病院の精神科は地下にあるような気がする。なかなか賑やかな一階の病棟を抜けると、暗い地下一階の精神科へいく階段がある。最近は、この階段を「暗い階段」なんて思ったことはなかった。しかし、今日は久々にこの階段を「暗い階段」と思った。

 待合室で順番を待ち、しばらくして呼ばれた。もう、先生とは長い付き合いである。おそらく先生は自分の顔をみて調子が悪いと思ったのであろう。「ちょっと調子が悪そうですね。」これだけである。今日のうつ病に関してのお話は…。先生は続けてこう言った。「見てください、これが電子カルテですよ。入力が大変なんですよ。」 ここからは、電子カルテについてコンサルをしている自分がペラペラと話し始めた。調子が悪いはずなのにペラペラと話し始めた。診察の最後に先生は仰った。「なるほど、電子カルテの導入にはそういう意味合いもあるのですね。ありがとうございます。」 私はコンサルとして「傾聴のスキル」ができていないことを恥じながらも、今日はカウンセリングの先生に患者として甘えようと思った。 
 
 先生の一言で、私の心の雲はかなり晴れたと思う。先生の「ありがとうございます」に「こちらこそ本当にありがとうございます」と答えるのが精一杯だった。診察が終わって、今度は「暗い階段」を上ったのだが、上りきったときに振り返ったが、もうそれは「暗い階段」ではなく、いつもの階段になっていた。

 カウンセリングというよりコーチングだと思うが、「解決策は自分の中にある」の通りである。自分の気の持ちようが、自分のあせりが、自分の理想とのギャップが自分を苦しめる。波があるのは仕方がないが、いろいろなことがうまくいかなくて疲れている時には、自分へのハードルを下げて、自分に優しくすることが必要であると再認識した。

 少し、事業が順調な時期が続いて、自分へのハードルを知らず知らずのうちにあげていた様だ。いつものようにもがいて苦しんで疲れていたようだが、先生が自分の得意分野の話をさせてくれることで、自分の活力を戻してくれた。すると冷静に自分が見えるようになる。多分自分は、少し「お疲れ」だったのであろう。少しペースダウンをするようにする。

2005年6月18日

この世から自分の存在を消してしまいたい

 読んでいる最中なので、読み終わったら、徐々に感想を書きたいと思いますが、あまりにうつになっていく過程、うつになってからの考え方、そして現在の状況が似ているので、怖いぐらいです。それは「僕のうつうつ生活(上野玲著)」という本です。感じ方が本当に似ているので、この本の内容について、今後も私の考えを書くことがあると思います。

 この本の中で、特に印象に残った表現で「この世から自分の存在を消してしまいたい」という表現がありました。これは、自分が病気のときに、口癖のようにつぶやいていた言葉です。この言葉をそのまま受け取ると、自殺願望のように聞こえますが、ちょっと違います。別に死にたいわけではないのです。人生をリセットしたいのです。そのためには自分の存在を一旦消す必要があると思い込んでいるのす。

 うつ病の時は、自分のしてきたことの、すべてがダメな成果しか残せてないように感じ、そして、そんなことしかできない自分を完全に否定してしまいます。自分を完全に否定するということは、自分がこれまで残してきた、生きた証や軌跡は全てに中途半端なものに感じて、全てを抹消したくなります。それが私の口癖だった「この世から自分の存在を消してしまいたい」ということなのです。物事を完璧にしたいという性格が災いしていた、と思います。

 では、今はどう感じているかというと、ダメな自分がいたから、今の自分がいると思えるようになってきました。ダメで、どうしょうもなく、役立たずな自分から脱皮しようと、もがいて、もがいていたら、いつのまにか、光が見えてきたという感じです。でも、今でも自分はダメ人間と感じることがよくあります。自分はそういうふうに感じてしまう人間なのです。でも、うつ病を経験したことによって、自分のできる範囲とペースでもがけば、いつか前進できることを、身をもってわかってきています。ですから、今でも、もがきまくっています。

 そんな苦しんで、もがいている様子は全て日記につけています。本当にひどいときは、この日記すらやめようと思ったことがありました。まさしく「この世から自分の存在を消してしまいたい」と思っているときです。何を好き好んで自分の痕跡を残しているんだ、と思ったときもありました。実際4ヶ月ほど私の日記には空白の期間があります。私は幸い、4ヶ月だけ「自分の存在を消す」ことで、また自分の存在を認めれるようになりました。この後は、日記も再開し、以前書いた自分の体調を点数化することで自分を客観的に見えるようになり、紆余曲折しながらも、回復に向かいました。

 今思えば、4ヶ月の人生のリセット期間は、長い人生の中で、いろいろ意味のある4ヶ月だったのではないかと振り返っています。

2005年6月14日

うつ病から復帰した人に接する職場の方へのお願い

 「うつ病が治って」もしくは「ほぼ、うつ病が治って」職場に復帰した場合、職場の方にも理解のある行動をお願いしたいと思います。特に休職をして復帰した場合には、接し方に留意をしていただきたいです。「職場に戻ったのだから、普通の人と同じように扱う」これは、ある意味正しいです。しかし、それは、本人にはそのように伝えても、仕事のペースや伝える言葉には、注意をしていただきたいと思います。

 私の場合は、職場での復帰後の対応はとてもよかったです。それでも、父の死や仕事に対する疑問(職場に対する疑問ではない)があり、結局は辞めることにしました。あくまでも、自分の判断です。そんな私でも、職場への復帰後、しばらく感じたのは「腫れ物にさわるような対応」です。これは、職場の人が「うつ病から戻った人」にどう接していいかわからない為に、そのような対応になってしまうので、職場の人は責められません。「うつ病」に関しては、うつ病と闘った本人が一番よくわかっているので、私は、職場の人にいろいろ話しました。すると職場の人は、うつ病に対しての理解が深まり、だんだん「普通に接してくれる」ようになってきました。今でもお付き合いがあるように、この恩は一生忘れることはないと思います。

 こんな職場は非常にラッキーだと思います。多くは「うつ病」に対しての理解がなく、平気で「うつ病と闘った人に対して」止めをさすような、言動があるという話をよく聞きます。最近ではカウンセラーをおく企業も増えてきています。ただ、そのカウンセラーは「うつ病の人」に対してのカウンセラーであることも必要ですが、「うつ病の人」の上司や仲間に対して、アドバイスを行うカウンセラーである必要があると思います。

 悪意が無くても、あまり気を使いすぎるとかえって「うつ病の人」を傷つけます。「うつ病の人」もしくは「うつ病が治りかけの人」はとても敏感になっています。それは、人一倍責任感が強いからうつ病になってしまったので、「今、自分が職場にいることが、自分にとっても、他人にとっても良い事なのか?」と、常に自問自答しています。そんな時に、周囲が自分に気を使っていると敏感に感じてしまうと、「自分が職場の足をひっぱているのではないか」と、また自分を責め始める可能性があります。

 このようなお願いを書くと「うつ病の人はそんなに偉い特権階級なのか!」と言う人がいるかもしれません。そんなことは全くありません。ただ、「うつ病の人」は病気になる前、仕事のできる人ではありませんでしたか? やるべきことをきちんとやる人ではありませんでしたか? 頑張りすぎて「うつ病」になってしまったのではありませんか? そのような「職場の戦力であった人」を、再び「職場の戦力」に戻すのです。それには職場の方の理解が不可欠です。できる限り普通に接して、時々はオーバーペースになっていないかフォローをしてください。

 逆に「うつ病の人」もしくは「うつ病が治りかけの人」の方へ、伝えたいことがあります。人生の視野を広く持ってください。人生にはいろいろな選択肢があります。「職場に残る」のも一つの選択、「職場を変える」のも一つの選択、私のように「独立する」のも一つの選択です。ちなみに私の選択はしばらく収入がなくなりますので、決意と家族の協力が要ります。「自分の幸せって何だろう?」ということを、周囲の縛りなく一度考えてみるといいと思います。

2005年6月 9日

うつ病は決して「情けなくない」です

 心-心さんからコメントを頂きました。この感情は、私が感じていた時の苦しみそのものです。コメントを読んでいて、「うつ病」で苦しかった当時を思い出しました。おそらく当時の私や、心-心さんのように考えて、苦しんでいる人は多いと思います。そのような人にも読んで頂きたく思い、コメントへの返信ではなく、記事として投稿させていただきます。


 私にも難しかったことで申し訳ありませんが、このような状態のときは「とにかく休むこと」が必要だと思います。私は精神科医ではないので、自分の体験談しか書けませんが、体験談からでも「休む」ことが必要だと感じます。

 その「休む」ことは、「ただ単に仕事を減らす」ことでは難しいかもしれません。勇気を持って、しばらくは「うつ病なった原因が見えない環境を、自分でつくるようにする」ことが望まれると思います。それぞれの人にはそれぞれの事情があると思うので、単純に「こうしたほうがよい」とは断定的には言えません。ただ、私もそうでしたが、辛いことの原因が目に見える状態にあるうちは、すぐに辛いことを思い出し、すべてを自分のせいにして、自分を責めます。これをしている限り、なかなかうつ病はよくなっていかなかったことを覚えています。「休む」ことは決して罪ではありません。これまで頑張ってきた自分に対しての「勇気ある決断」だと思います。

 前にも書きましたが、「うつ病」は、仕事のできる人が、自分のペース以上に頑張ってしまい、息切れをしてしまった人生のアクシデントだと思います。決して「情けなくない」のです。一流のスポーツ選手でも、ペース配分を間違えることはあります。私たちは、人生という、複雑怪奇な難コースに挑んでいるのです。ですから、長い人生の中でペースを間違えることがあっても、それはしかたがないことだ、と思います。休んで息を整えれば、また歩き出すことができます。そして、その際に息切れのアクシデントを経験したことが役立ちます。次は自分のペースで人生を歩いていけるのです。今の苦しみは本当に苦しいと思います。でも、それは、永遠に続くことはありません。

 最後にもう一回だけ、繰り返させてください。あなたは決して情けなくなんてありません。人生を真剣に考える素晴らしい方だと思います。あなたを必要とする人は、あなたの周囲に必ずいます。ですから再び歩き始めるために、今は勇気をもって少しだけ休んでください。

2005年6月 7日

「暖かい人」といることを選べる自由

 「うつ病」の時は人と会うのがとても辛かった。しかし、少数ではあるが「暖かい人」と接することで、自分の心の氷がとけていくのがわかった。この「氷のとけること」が、すなわち「うつ病からの回復」だったのであろうと、今では思う。

 この、暖かい人たちは今でも周囲にいる。個人事務所を立ち上げてから、いろいろな人に接して、この「暖かい人」たちがたくさん増えてきたような気がする。カッターで自分を切って血まみれになったり、壁に何回もぶつけて額を割ったりして、自分としては一回、どん底に落ち、地獄をみたと思っている。そういう自分にとっての宝物は、「金」ではない。もちろん「地位」でもない。間違いなく自分を救った「暖かい人」、うつ病後に出会った「暖かい人」たちこそ、自分の宝物である。

 個人事務所を立ち上げてから、懸命にもがいている。将来もよくわからない。とても不安である。でも、「暖かい人」をパートナーとして選ぶ自由という特権を得た。サラリーマンの方が仕事の中で、この「自由」を得ることは難しいことだと思う。しかし、サラリーマンの方には私が望んでも得られない「安定」がある。この「安定」は微妙になりつつあるが、個人事業主よりは絶対に「安定」があると思う。人の幸せの基準にはいろいろなものがある。それは、それぞれ人が決めることである。今、私にとって幸せの基準は「金」「地位」ではない。「暖かい人」と話し、仕事をし、共にいることが幸せの基準である。それならば、今の私は、かなり幸せなのだろう。

 なぜ、こんなことを書いたかというと、最近、「暖かい人」と話して、幸せを感じる機会が多かったからである。またしばらくすると、気分が「うつ」になってくる時があると思う。「自分は何をやっているのだ」と苦しみ、悩む時が気分の波の中で必ずやってくる。そんな時に、「幸せを感じる時もある」ということの備忘録として、書いててみた。また、今日、明日とそれぞれ「暖かい人」と会って話す機会がある。それがとても嬉しい。

2005年6月 5日

自分の、オーバーペースをとめたもの

 自分は、このブログでえらそうなことを書いているが、自分でもできないことがたくさんある。「こうできたらいいなぁ」なんて気持ちで書いていることも多い。もちろん、自分を客観的に見るために、毎日日記を書き、点数をつけている。そういう習慣的なものはできるのだが、「気持ちの持ち方」はなかなか上手くいかないというのが、本音である。

 いろいろ忙しくなってくると、このブログで何回も書いている「自分のペースで・・・、あせらずに・・・、悩まない・・・」なんてことは、すっかり忘却の彼方だ。「ひたすらがむしゃらに!、額に脂汗をかいて!、悩む!、悩む!」という状態になる。5月の中旬ぐらいから、仕事が急にいろいろ入ってきて、休日や寝る時間が極端に減った。個人事業主としてはうれしい悲鳴だが、自分の体は悲しい悲鳴をあげている。自分の体の悲鳴を聞いてか、今度は、自分の脳が苦悩の悲鳴を上げている・・・。

 とりあえず、昨日、仕事がひと段落着いたので、今日は一日何も考えず、休もうと思っている。実は、明日からまた仕事と格闘の日々が始まる。いつもの自分なら、「少しでも前倒しに!」と恐らく明日からの仕事の資料づくりに入っているだろう。今日はそれを止めてくれたものがある。

 それは、部屋に貼ってある、「自分の行動理念」の紙である。それは、どこでも目に付くように部屋の何箇所かに貼ってある。また、タイミングによって重要度や内容が変わるので、ときどき書き替えて、貼りなおしたりする。今書いてある自分の行動理念は5カ条だけである。

■あせらない、あわてない。
■悩まない、考える。
■自分は、きっとでききる。
■他人の動きより、自分の動き。
■自分に文句を言うのは自分だけ。

このブログで書いていることばかりだと思う。この中の「あせらない、あわてない」が今日の自分を止めてくれた。「止まった自分」は脳と体がとても心地よい。
 
 そういえば、こうやって大切なことを紙に書いて貼っておく方法は、コンサルタントにとっては当たり前の方法 (よく「経営理念」とか「5Sの実践」とか会社の壁に貼ってありませんか?) なのだが、最初は精神科の先生に教えてもらった気がする。もっとも「行動理念」の内容は今のものとは若干異なり、マイナスの事ばかり考えていた自分が、プラス思考になったときに、そのプラスの考えを紙に書いて貼っておく方法だった。ただ、原理は一緒である。うつ病もある意味でオーバーペースが招くと思う。そして、悪いことはずっと覚えているのに、良かったことはその場で忘れてしまう、たちの悪い病気である。

 自分にとってよくない考えは、それを断ち切る方法を、自分なりに見つけ、それに手直ししながら、継続していくと良いと思う。

 とりあえず、今日はちょっと休もう。