あいち機構でのマネージャ業務でした。
ブログの影響もあって、相談後に「自由に生きる」についての意見交換をする場面が何回かありました。

「自由に生きる」は、漫画とかアニメもありがちなセリフです。
自由奔放なキャラクターが、魅力的なのはいつの時代も変わらないですね。

ただ「自由に生きる」と「わがままに生きる」は、全く異なります(当たり前)。
現実的には「自由に生きる」は、とても難しいと感じます。

「自由に生きる」には、周囲に「調和する配慮」が必要だと感じています。
自分も「調和する配慮」をしているつもりですが、「失敗した」はとても多いです。

「調和」は、「卑屈になる」こともないし「誰かの顔色」を伺う必要もないです。
これが「自由に生きる」ということではないかと思います。

もしかして「自由に生きる」っていうことは、自分の価値観を赤裸々に発信する(自分の立ち位置を明確にする)ことかもしれません。
それによって、「自分の大切な人」とつながることができます。

赤裸々な自分の価値観を理解してくれる人が「自分の大切な人」です。
「自由に生きる」ためには、そういう人とつながっていく「環境作り」なのだと思います。

そして誰かとつながる自由があるということは、誰かに切り捨てられることも同量あるわけです。
「選んでいる」つもりが「選ばれている」わけで、「切り捨てている」つもりが「切り捨てられている」との覚悟は必要です。
「自由に生きる」ためには、よく言われる「嫌われる勇気」が必要なのでしょうね。

歳をとると時間が無くなっていきます。
そして、ますます残された時間を誰と過ごすかが大事になります。

「自由に生きる」というのは、周囲と調和しつつ、自分の考えを赤裸々に述べ、なおかつ大切な人とつながる…やはり簡単ではないです。
とてつもなく「大きな目標」だと改めて思いました。