先週の相談や研修で何回か出てきた言葉で「弱みを見せた人こそ救われる」があります。
先々週に「『助けて』と弱音を吐けるのが強い人」と書きましたが、相談がそんな流れになることが多いです。

前も書きましたが「弱み」とかで「助けて」とかで、「敵前逃亡」とか「同情をひいたり」ましてや「やらない理由にする」のではないです。
むしろ真逆の行動です。

これも前に書きましたが、私は自分自身の「弱み」を見せることはむしろ苦手です。
カッコウをつけたいのではなく、「弱み」を見せられた相手が、私の扱いに困るのではないかと考えてしまうのです。

ただ、少し前に自分はどんな人を信頼できるかと考える機会がありました。
その際「自分の表面のことしか話さない人」はなかなか信頼ができず、自分も心を開けないことを再認識しました。

それは相手にとっても同じことだと思います。
私が自分のことを表面しか話せていないときは、相手も私のことを深くは信頼してくれないと思います。

「弱み」を見せることは、勇気のいることで、相手を信頼できているからできることだと思います。
相手を信頼することで、人との深いつながりができ、その結果「救われる」のだと思います。

ただ、「相手に助けてもらうこと」や「やらずに逃げること」だけを狙いとして「弱み」を見せたとします。
それは、逆に信頼関係を作れず「救われない」とも感じます。

本当の自分を知ってもらうために「弱み」を見せ、前に進むために「助けて」という…。
自分も上手くできているわけではないですが、大切であることは分かります。