ビジネスカウンセリング(個人コンサル)でした。
実に様々な方面に話が展開して楽しいです。
今回の相談者の方とは「本を読んで自分なりの意見に落とし込むアプローチ」に関する話になることがよくあります。
その相談者の方からすると、自分は「短い時間」で本を読んで、それを理解し、メッセージ構築まで行っているように見えるらしいです。
「どうしたら、そのようなことができるのか?」と問われましたが、ある意味、自分は本を読んでいるようで「読んでいない」とも言えます。
自分が本を読むのは、研修やセミナーを作るための「参考資料」として読むことが多いからです。
あくまでも読書の目的は研修やセミナーを作るための参考としての情報収集であり、その本の著者の言いたいことを深く理解する場合ではないことが多いです。
著者の方には大変失礼だと思っています。
自分の場合は、自分の言いたいこと(主張)があって、その主張の裏付け(論拠)としての情報を得たい訳です。
そのような情報を探しながら本を読み、自分の言いたいことを強化し、メッセージを作っている訳で、それをなるべく早い時間で行たいのです。
一方の相談者の方は、「本」を深く読んで理解をし、自分なりの考えを構築することが目的になります。
いわば、その本の内容をバラして組み上げて、自分の考え(主張)を作り出すので「思考」のプロセスそのものです。
相談者の方と自分とは「本」に向かい合う、目的も、深度も、活用形式も違います。
「本」に向かい合う時間が違っても当たり前だと思います。
ただ、どちらが「読書」という、人が「知識」を得るためのアプローチとして正しいかは、相談者の方のアプローチですね。
「本」の内容を深く理解し、自分の考えを作り述べる…これこそが、これまでの先達が「知識」をバトンリレーをして「知恵」として発展させた「人類の叡智」と言えます。
その表現が正しいかわかりませんが、「本」との向き合い方を整理すると、自分は「演繹法的アプローチ」であり、相談者の方は「帰納法的アプローチ」と言えるかもしれません。
もちろん、自分もどちらのアプローチもありますが、割合の問題だと思います。
著者の立場に立ったら、どちらが「幸せ」かは明らかです。
本を読んでそこから何かを感じて自分のメッセージを作り上げる「帰納法的アプローチ」ですね。
「演繹法的アプローチ」の論拠の材料として自分の書籍が使われるのは、当たり前ですが不本意ですよね(すみません…)。
ビジネスカウンセリング(個人コンサル)はいつも予想外の話に展開します。
いつもながら、刺激的で自分もワクワクする時間です。
家に帰ってきたら徳重で買ってきてくれた「お弁当」がありました。
お弁当を自分で選ばないと、とてもバランスの良いお弁当になりますね。