来週以降、秋にかけて「トリプルシンキング」の研修がいくつか行われます。
実際は、「トリプルシンキング」を構成する「クリティカルシンキング」「ラテラルシンキング」「ロジカルシンキング」個々の研修もあります。
こういう「なんとかシンキング」などのキーワードをみると思い出す言葉あります。
それは、マザー・テレサさんの「人はしばしば不合理で、 非論理的で、自己中心的です。 それでも許しなさい。」 という言葉です。
自分は「トリプルシンキング」研修もしていますが、間違いなく「人は不合理で、非論理的で、自己中心的」です。
こんな人間が、そんな研修してすみません…。
「不合理」は道理に合わず、また論理的にも筋が通らない矛盾のことで、そんなの人ととして当たり前です。
いつも、冷静に論理的に思考でき、判断できる人は、自分は想像もつきません。
「非論理的」は、論理に合っていないさま、筋道が通っていないさまです。
例え、頭の中ではある程度は論理的、公理的に思考できたとしても、それを表現して伝える際に感情で飛んじゃうのも人だと思います。
「自己中心的」は自分を客観視することや、自分とは異なる価値観があることを理解することが苦手な状態です。
そうではないけないと思いつつも、いつの間にか自分の価値観を中心に据えてしまっています。
自分も振り返ると「不合理で、非論理的で、自己中心的」の部分がやたらと目につきます。
嫌になっちゃいます。
…なので、マザー・テレサさんの言葉ちょっと変えて「 自分はしばしば不合理で、 非論理的で、自己中心的です。 それでも自分を許しなさい。みなさんも許してください。」と心で繰り返しています。
完璧でないから人間なんですよね。
例えば、完璧な論理的、合理的な思考をすることができたら、すべての人の答えが同じ答えに収束する恐ろしい状態になってしまいます。
それに「自己中心的」のキーワードも、「自分の価値観」から自分を大切にする…と考えれば、さまざまな答えが出て当たり前です。
「トリプルシンキング」を学ぶ意味は「自分勝手な言葉の応酬でノーガードの殴り合いをしないこと」だと思っています。
できる範囲で、論理的・合理的な思考をすることで、自分と相手の論理の違いをより理解し、相手の価値観も尊重できるようになると思っています。
特に思考が止まった訳ではありませんが、頭を刈ってきました。
あまりに暑いので、いつもの「3mm刈り」から「2mm刈り」にバージョンアップです。
その後、近くの「水広公園」で少しリフレッシュです。