9月に行われる研修資料を見返して、情報を再収集などしてアップデートをしていました。
その再収集した情報の中に面白い言葉がありました。

フランスの哲学者、精神科医ジャック・ラカンの言葉で「人の欲望は他者のものである」という言葉です。
自分自身の欲望だと思っていることが、実は他人の欲望を写したものであるという意味です。

たしかに、他者からのフィードバックで人は変化します。
自分は、自分自身が「一反木綿」のようにフワフワしているので他人の意見に影響されやすいです。

自分自身で「こうありたい」と思っている望みが、本当に自分のものなのかわからなくなることがあります。
なぜ、自分は「こうありたい」と思ったのであろう…と迷ってしまう時です。

もしかしたら、そこには誰かの「期待」や「欲望」が入っているのかもしれません。
悪く言えば「操作」や「扇動」もそうかもしれません(場合によっては「洗脳」も…)。

心理学的な難しいことはわかりません。
ただ、一度自分の中で受け入れたら、それはやっぱり自分の欲望なのだと思います(洗脳とかは、わかりませんが…)。
他人からの欲望が知らない間に自分に移り、その実行で何か問題があったとしても自分の責任です。

それに、自分の欲望だけで人は成長することなんてありえません。
他人からの刺激をうけて成長していきます。
そういう意味では「人の欲望は他者のものである」という言葉もうなづけます。
他人の期待に応えたい気持ちで自分が成長できるのであれば、それは歓迎ですね。

現に自分ではない別の誰かの期待に応えたいという気持ちは、自分の根底に間違いなくあります。
ただ、他者の言いなりになるのではなく、自分の意志で決定をして納得して行動できればよいと思います。
何か問題が起きて、自分の行動の結果を他者のせいにしている時ほど、自分が救われないことはないと思います。

例え他人の欲望であっても、それが自分の欲望と一致融合するのであれば、それは自分の「あるべき姿」をアップデートする意志だと考えたいです。
そして、他人の欲望も受け入れれるように、自分の「あるべき姿」を描くことに余裕をもちたいものです。