あいち機構でマネージャ業務でした。
その相談時にある方に言われた嬉しい言葉が「ボソッが的確で、ボソッを求めている」です。
初めて言われた言葉です。
本当に困った時は、相談時に「小手先のテクニック」を聞きたいわけではなく、まずはじっくり話を聴いてほしいとのことでした。
そんなときに、一方的に「小手先のテクニック」を押し付けられても、耳に入ってこないし、納得もできないそうです。
そんなときに、「ボソッが的確で、ボソッを求めている」って言葉が出ました。
自分の相談では、まずは「じっくり聴いてくれる」ことが嬉しいそうです。
それだけで、問題が整理されて、方向性が見えてくるときも多いらしいです。
その「じっくり聴いてくれる」中で、自分は「ボソッ」と呟くそうです。
その相談者の方は、この「ボソッ」が的確で、この「ボソッ」を求めて、相談に来ている…と言ってくださいました。
確かに、自分も傾聴の反応だけして、まずはじっくり聴きます。
すると、大切なキーワードをたくさん聴くことができます。
これらのキーワードの中には、相手の「大切に想っている」ことが含まれていることが多いので、なるべくその言葉を拾うようにしています。
そして、言葉を拾いながら無意識に何かを「ボソッ」って呟いているのでしょうね。
自分もコンサルタントの端くれなので、伝えるときには頭の中で整理して論理的に話すように努力しています。
ただ、「ボソッ」は無意識で、後々に「え?そんなこと言いました?」ってことも多いです。
つまり「ボソッ」は論理的に考えているのではなく、自分の感情面からの言葉が漏れたって感じです。
ただ、この言葉に価値を見出してくれるのは、嬉しいような、照れくさいような感じがしました。
多分、これは意識して言葉を発したとしたら、価値がなくなってしまうのでしょうね。
夜は若手診断士の勉強会「施策研究会」でした。
「アジャイル的」発想の大切さ、「アジャイル的」発想が世に広まっていることを改めて感じました。
ありがとうございます。