自分も一応は自分の事業を行っており、事業は小さいながらも自分の意思決定の積み上げで出来上がっています。
当然ですが最終的な判断の責任は自分にあります。なので他人を責める感情が生まれないので精神衛生上よいです。

本来であれば、その意思決定は「論理的」に行うべきです。
自分にも意思決定をする際に「論理的」な根拠となる優先順位はあります。

例えば仕事を受けさせてもらうかの判断では、まず「そもそも物理的な時間はあるか?」が最初です。
それ以降の判断の基準は「自分が成長できるか?」「社会的に意味があるか?」「儲かるか?」です。

ただ、その基準も吹き飛ばしてしまうような未熟さが自分にはあります。
それは「論理」的な判断基準が、「感情」に邪魔されてしまうことがあるということです。

「感情」は論理的には説明がつかないことが多く、その時の気分が大部分を占めてしまうと感じます。
論理的に考えて、ある基準でよりよい判断としてのな選択肢を選んだとします。

しかし、その後に「これは精神的にきついなぁ」「あの人と組むと気持ちが前向きになれない」なんていう「感情」が芽生えることがります。
それによって「論理」で意思決定を覆して後悔したりしています。未熟です。

自分はもともとは「論理」ではなく「感情」の人間です。
なので最終的に「感情」に支配されてしまうのは、自分としては当たり前の状態なのかもしれません。

ただ、理想は「論理的」に考えて、最後の意思決定で少し「感情」が背中を押すのがよいとわかっています。
今の自分は「論理的」に考えても、最後の意思決定で「感情」にひっくり返されることがあるので、大いに反省しないといけないです。