名古屋商工会議所でIT専門相談でした。今週はいろいろな予期せぬことが起きています。
自分は想定外の出来事に対して妄想を膨らませ、勝手に「心配事」を大きくしてしまう傾向があります。

それは「心配性」というより、病的な「心配症」の状態であると思っています。
普通に使われている「心配性」よりももっと重症な状態だと思います。

「心配事」がないと、自分で「心配事」を探して「心配」している気がします。
本当に面倒くさい気質だといつも呆れてしまいます。

自分は「心配事」があるとき、本気でその解決に向かい合っているのか…思う時があります。
「困った、困った」と「心配」をしているのは確かです。

しかし、解決に使うべき頭は「心配すること」に埋め尽くされ、本気で考える余裕がないのではないかということです。
つまり「心配」はしても「思案」はしていないということです。

「心配」していない状態が不安な「心配症」という病気なのでしょうね。
更に自分は「完璧主義者」というより「完璧中毒症」の傾向もあります。

こちらも「完璧を目指す」というより、自分の思う完璧でない状態に耐えられない病的な感じです。
「心配症」に「完璧中毒症」という、自分を見つめたことで、見つかった自分です。

自分を見つめれば見つめる程、見えてくる「面倒くさい自分」がいます。
しかし、自分のダメところが見えれば、何らかの対策が打てる可能性があるからです。

現に「心配症」「完璧中毒症」も自分を見つめ直して認めたところ、その対策が出来るようになりました。
この対策の習慣のおかげで、少しずつ「心配症」「完璧中毒症」に鈍感になれている気がします。