2015年3月31日

ようやく厳しい事も言える感じ

相手に配慮しながら伝える...と言うことは相手が傷つかないように優しく伝える事ではないと思います。
優しく伝える事で、大切なポイントが曖昧に伝わり混乱させては「相手に配慮」とは真逆の結果と言えます。

相手へ優しく伝えるのは、相手に厳しいことが言えない場合も多々あるようです。
相手に優しく伝えるのことが、相手のためを思ってのことならば大切なことです。
しかし、相手に嫌われるのが嫌で、厳しいことが言えないのは自分自身の都合です。

嫌われるのが嫌で相手に厳しい事が言えない人は、嫌いな人には執拗に厳しい事を言います。
なぜなら、嫌われてもいいからです。

自分も嫌われるのが嫌で相手に厳しい事が言えない性分です。
「宿澤さんが厳しいことを言うときは視線があっち向いていますね」と言われたこともあります。

でも、最近はようやく反省して好きな人にも厳しい事が言えるようになりつつある気がします。

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2015年3月29日

働くこととは職業ではなく生き様

ナビのテレビから、「働くこととは職業ではなく生き様である...」なんて言葉が聞こえてきました。
車での移動中だったので詳しい内容はよくわかりませんが、ちょっと「ハッとする」言葉でした。

テレビの内容はお寺さんの役割が変わりつつあり、檀家からの収益だけではなく、悩みを聴くことを新たな収入源にしている話だったと思います。
実際には「僧侶は生き様、間違っても職業ではない」と言っていた気がします。

つまり、お寺さん(僧侶)は人を助け導くための役割を担っており、それは「職業」という言葉ではかたずけられず「生き様」そのものである...とのことでした。

自分にはお寺さんの友人がいます。
また最近は、お寺や神社専門の経営塾があることも聞いたことがあります。
お寺さんも生きていくためには必死だと思います。

そこを「職業ではなく...」と言われてしまうと違和感を感じました。

ただ、お寺さんやその他聖職者に限らず、コンサルタントやカウンセラーといった人を支援する職業は自分の生き様と重ねるぐらいの覚悟が必要だということも感じました。

最近、「仕事が嫌だ」「働きたくない」という声を聴くことが多々あります。
難しいかもしれませんが「働く意味」は自分で腹に落とさないと納得ができないと思います。

自分の「生き様の一つ」が「働くこと」と考えることができれば、「仕事が嫌だ」「働きたくない」という声ももう少し減るのではなないかと...と思いました。
どんな仕事でも自分の生き様と重ねることができれば、もっと仕事に前向きになれる気がします。

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2015年3月28日

仕事ができるけど不器用な人

仕事ができるけど不器用な人

どうしても仕事ができる人に業務が集中する事ってありますね。
これは、組織の大小、成熟未成熟関係ないと感じます。
そして、困ったことに、仕事ができる人は業務が集中してもそれをこなしてしまうということです。

ただ忘れていけないのは、仕事ができる人は、必ずしも「器用な人」ではないということです。
むしろ真面目にきっちり仕事をする人は「不器用な人」が多いと感じることが多いです。
真面目にきっちり仕事をすることで、そのオーバーワークを周囲に伝えることもできずに「こころがポッキリ」なんてこともあります。

自分自身も真面目に仕事をこなす不器用な人だと思います。
そして、かつて心がポッキリ折れて2年ほど廃人化していました。

コンサル、カウンセリングをしていると「真面目に仕事をして、そして不器用な人」の多く出会い、その人たちの役に立ちたいと思います。

自分は、こういう人たちが大好きみたいです。
自分みたいに「心が折れる」前に、できることをサポートでしていきたいと思います。

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2015年3月26日

自分たちの心が創りだしたもの

時々思いますが、自分たちが見える世界は自分たちの心が創りだしたもなんですよね。
心に余裕があるときは、いろいろなものが幸せな世界に見えてきますし、心が苦しい時は、いろいろなものが不幸に見えてきます。

ただ、不幸に見えているとしても、それは自分のフィルタを通してだけなので、実際は必ずしも不幸ではない場合が多いです。
ただ残念ながら、心が苦しい時は「実際は不幸だけではない」と気づくことも難しいです。

自分たちの心を鍛えて「実際は不幸だけではない」と気付けるようになるか。
周りの人たちの言葉に耳を傾けて「実際は不幸だけではない」と気付けるようになるか。
周囲の様々な存在自らに気づいて「実際は不幸だけではない」と気付けるようになるか。

心は、天国を作り出すことも、地獄を作り出すこともできる...ってどこかで読んだ記憶があります。
「実際は不幸だけではない」と気付けるようになれる方法を自分なりに探すことが成長のような気がします。

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2015年3月23日

自分が話を聞くのが苦手な人たち

自分と全く別の世界に生きる人の話はとっても面白い。
相手にとって些細なことでも、聴き手の自分にとってはどれも新鮮で刺激的です。

ただ自分と全く同じ人なんかいません。
つまり自分以外のどんな相手の話でも興味をもって聴けばすべて面白いのです。

自分との離れ具合の程度の大きさはあるのかもしれません。
離れ具合が大きい人の話ほど面白いと思います。

ただ、自分には2パターン程、どれだけ興味をもって聞いても苦手な場合があるようです。
「自分の話以外興味をもたない人」と「自分の意見がなく他人に迎合するすることしかしない人」です。

「自分の話以外興味をもたない人」は、相手の話を遮ります。
自分の話を遮られるのはあまり苦にならないのですが、自分が興味をもって聞いている話を遮られると「ちょっと待て!」という気になります。

「自分の意見がなく他人に迎合するすることしかしない人」はその人の意見はないので話が薄っぺらく聞こえます。
常に「○○に書いてあった内容ですが...」「△△が言っていたのですが...」「...って言うことを□□が言っています」という話始めだと「あなたの意見は...」と聞き返したくなります。

こういう苦手なパターンでもちゃんと話を聞けるようになるのが大切のかもしれないですね。

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自分を好きになれない人は・・・

「自分を好きになれない人は幸せになれない」ってよくいろんな人に言われることがあります。
自分は自分が大嫌いです。
でも、自分が嫌いなのですが、「幸せ」と思うことも時々はあります。

多分、それは「本気で嫌っているわけじゃないよ」と言われそうです。
しかし、少なくとも自分は「自分が好き」とは口が裂けて言えません。
「自分が好き」と口に出して言えないということは、やっぱり自分のことが好きではないのだと思います。

特に「口にした言葉」や「とった行動」が自分で理解できない時は「なんで?」と「自己嫌悪」に陥ります。
自分で自分のことがわかならない時はよくありますが、その都度感じる違和感は自分だから感じされるのだと思います。

自分を理解しようという努力は最近は疲れたのであまりしていません。
また、明らかな不器用(失言や失敗)も悲しいかな自分の大切な要素です。
その結果、違和感を感じつつも、自分に対する許容範囲が広くなってきているのだと思います。

基本的には自分が大嫌いだが、そういうやつもいるのでイライラするのをやめよう...というのが「幸せ」と思うことも時と増やしているのでしょうね。

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