2006年1月27日

自分にとってのプラス面に目を向けてくれる方々

 世の中には、必ず裏と表があります。更に言うのであれば、世の中は単に2面性だけでは語りつくせないほど複雑怪奇であると感じる事も最近は多いです。でも、あまり世の中を難しく考えすぎると、私は立ち尽くして動けなくなってしまいます。

 2面以上に複雑になってしまった状態は、なかなか正しく人に伝えることができません。伝えられる側もそんなに複雑になったことを説明されても辛いだけでしょう。そして、なによりこちらの伝えたいことが正確に伝わらないこともあります、

 ですから、私はなるべく、2面に解きほぐして考えて、それを伝えるように努力しています。どうしても2面以上に複雑になってしまった場合は、2面ずつのセットにできないか努力します。これが自分の理解を深くし、正しく相手に伝える一番の早道だと今は思っています。

 何を回りくどい事を言っているのかというと、自分が「うつ病」だった事に対する人の反応です。私はホームページで「私が以前うつ病だった」と公開しているので、私が言わなくて、その事実を知っている人がいます。

 その時の反応は、本当にプラスと取る人と、マイナスと取る人に分れます。どちらが良い人で、どちらが悪い人なんてことを論ずるのは愚の骨頂です。人にはその人の正義があります。そして、その人の価値観があります。それは、他人の誰も侵すことのできない聖域です。世の中は、そのような多様な人がいるからこそ、進歩したり、発展したり、後戻りしたり、いろいろなことが起きるのでしょう。

 ただ、それでも「うつ病であった」という事実は、一生涯の足かせになると思っていました。事実「うつ病になんかなる人は、心の弱い人」や「うつ病であったと公開している人とは付き合えない」なんて事も言われたことがあります。でもそれはその人の正義、信念の下で発した言葉であり、その言葉は、その言葉として、尊重しないといけないと思います。

 ただ「うつ病を克服した人」と逆に評価を高めてくれる人が私の予想以上に多いことも事実です。私は先にも述べたように、事務所のホームページから、この「心が疲れたときありませんか?」のブログにリンクがはってあります。最初はリンクをはろうか迷いました。しかし、ありのままの自分をしってもらうため、あえてリンクしました。

 驚いた事に「サイト見せてもらいました、うつ病のページも読ませてもらいました。ですから、仕事を頼みたいです。」といってくださる方が多いのです。そういう時、私は本当に嬉しいです。

 このブログを立ち上げたのは、ブログの最初に書いてあるように「うつ病の先には未来があるよ」と語り続けていきたい、というものです。まだ、試行錯誤の途中である私にとって、本当に「うつ病の先には未来があるのか」断言はできません。でも最近、出会う多くの人と話していると、「うつ病の先には未来があるよ」と本当に自信をもって言えるような気になってくる時があります。

 独立してから、人の温かさに触れさせていただいています。ですから、今「うつ」で苦しんでいる方に伝えたいです。世の中は辛い事だけがずっと続くものでは決してありません。今は、辛いかもしれませんが、必ず風向きは変わります。焦らないでください。あなたのプラスの面をしっかり見てくれる人が必ず現れます。

2006年1月23日

忙しいときほど、冷静に

 今、正直本当に忙しいです。正月2日は休みましたが、それ以降は土日も含めて、ほんんど外出が入っています。外出で無い日は朝から必死になって訪問の資料を作っています。個人事業主として忙しい事を誇っているのではありません。あまりに忙しくて、自分を見失っている事に昨日の夜に気がついたのです。本当は、今日も忙しく朝の5時におきて資料を作り始めました。今、午前中の予定が終わりました。午後からは別の仕事が入っています。でも、そんな状態だからこそ、今、少し立ち止まってこのブログを自分に向けて書いています。

 今、少し周囲が見えない状態になっていました。もちろん、客先に出れば、冷静を装い、そして冷静な判断ができています。周囲の人はだれも私の状態に気づいていないでしょう。でも妻だけは、この状態に気づきました。

 ずっと、「うつ病」だった私を見守ってきた妻は敏感に私の精神の不安定さに気づいたのでしょう。私に「無理してでも休むように」と言いました。それに反発した私は「自分がしなければいけない仕事、休んでもたまるだけ」と言いました。妻は悲しそうに「自分ひとりで生きているつもり?」と言いました。

 ここで、少し冷静になれました。私は独立以降、いろいろな人に助けられています。その私を助けてくれる人の数は、会社に勤めていたときより数倍になったと感じています。会社にいたときは、おそらく人に助けられている事に気づいていなかったのだと思います。

 独立して、「人は人に助けられて生きていける。人は人を助けてこそ生きる価値がある」ということがわかったことは大きな収穫です。なのに、忙しくなってくるとやっぱり自分を助けてくれる周りが見えなくなって、勝手に自分を孤独に陥れていまうのです。思い返すと、私が「うつ病」になったときも、「自分が何とかしなければ」という思いが病気をひどくしていきました。同じ轍を踏むところでした。

 いま、1秒でも時間が欲しい状況でこのブログを書いているのは、冷静に自分のペースを思い出したいのです。「忙しいときほど、冷静になれ」だと思います。妻のおかげで、少し冷静になれました。仕事もたな卸しを冷静にしました。大変だけど自分のペースでしっかり予定を守れば、ちゃんと終わるスケジュールです。焦って、悩んでいてはやはり前に進めないのですね。焦って、悩みながらも、どこかで冷静に考えることが大切だと再認識しました。

 冷静に考えて、仕事の優先順位をつけ、その順位に従って清々とこなしていく。この基本を忘れないように、今日はこの記事をかきました。

2006年1月 1日

明けましておめでとうございます

 明けましておめでとうございます。私の場合は、うつ病がひどいときは、新年になっても気持ちがあらたまることがなく、ただ、何も前進していない自分に焦っていました。テレビで放送される賑やかな正月番組をみても、自分が世の中から取り残された気がしてとても辛かったのを覚えています。

 難しいかもしれませんが「焦らない」でください。今、積み重ねている時は、将来必ずあなたの経験として、あたなを助けるはずです。決して無駄な時間をすごしているわけではないのです。

 私の今大切にしている言葉は「戒驕戒躁(かいきょうかいそう)」です。難しそうな言葉ですが、2文字ずつ分解すると、「戒驕」は「驕ることを戒める」、「戒躁」は「躁ぐことを戒める」です。つまり意味は「驕らず焦らず騒がず、慎んで静かに堅実にやりなさい」ということです。

 「戒驕」は仕事面、「戒躁」は生活面の言葉として大切にしています。このブログを読んでいる方が驕っていることはないと思いますが、「焦躁の念」にかられている人は多いのではないかと思います。「焦躁(焦燥)の念」とは思うように事が運ばなくていらいらすること、あせることです。

 前回の記事で「思い通りにならないこと」というタイトルで、世の中の思い通りにならない事について、私なりの考えを書いてみました。もし興味があったら覗いてみてください。

 では、皆さんの新しい年が、皆さんにとって良い年でありますように。焦らず、ゆっくり、自分のペースですごしてください。