2005年12月29日

思い通りにならないこと

 世の中には、思い通りにならないことがたくさんあると思います。人はそれを何とか思い通りにするように努力をします。でも、なかなか思い通りにものごとを進めるのは難しく、人は悩みます。逆説的にいうと悩むのが人です。私はうつ病のとき、そして今でもいつも悩んでいますが「最近は、それって人間らしくて、素晴らしいこと」と思うようになってきました。

 そして、何よりも自分がこうしたいという「思い」があることは素晴らしいことだと思います。「思い」があるから「現実」とのギャップに悩むのです。「私はなにがしたいかわからない。それって思いが無いのに悩んでいるのでは・・・」とおっしゃる方もいると思います。でも、それもやっぱり「思いがある自分」と「思いがみつかっていない自分」のギャップに悩んでいるので、その人は「思いをみつけたいという思い」がある素晴らしい人だと思います。

 ただ、きれいごとを言っても、私にとって、努力しても、努力しても「思い通りにならないこと」は、世の中本当にたくさんあります。さらに悪いことに「思い通りにならないこと」は次から次へと現れてきます。これを繰り返していると、だんだん心が疲れてきます。

 ここで、ひとつ出来たらいいなと思うことがあります。それは「思い通りにならないことを受け入れること」です。これは、「成り行きに任せる」の意味もありますが、少し違います。「思い通りにならないことの存在」を受け入れて、それを思い通りにするために、「何か小さなこと」を出来る範囲で積み上げるようにするのです。

 ここに、ひとつ時間という概念があります。「思い通りにならない」と思っていることは「すぐに思い通りにならない」のか「永久に思い通りにならない」のか、考えてみてください。世の中、変化が激しく、「今日の常識は、明日の非常識」といわれるように、価値観すら日々大きく変わっている世の中です。その世の中で「永久に思い通りにならない」と断言できることはあるでしょうか?

 私は「永久に思い通りにならない」なんてことは無いと思います。世の中どう転ぶか分りません。「永遠に生きたい」とか「宇宙の果てを見てみたい」とか「過去や未来に行ってみたい」とか、そんな突拍子も無いことも「永久に思い通りにならない」とは断言できないと思います。

 ただ「すぐに思い通りにならない」ことは、世の中にたくさんあります。焦ってはいけません。小さなできることを、出来る範囲で少しずつトライしてみてください。そして、「そうなりたい」と願ってください。これが「思い通りにならないこと」を「いつか思い通りにする」最も近道だと思います。
 
 ただ、もう一つ付け加えさせていただくなら、「自分の思い」に向かって少しずつ進もうとされている方は、もう既に「自分の思い通り」になっているとも言えると思います。

 今年の投稿はこれで最後です。お付き合いくださりありがとうございました。来年もマイペースで投稿していこうと思います。お時間があったらお付き合いください。それでは、よいお年をお迎えください。みなさんの新しい年が良い年でありますように。

2005年12月16日

いろいろな人からの呼びかけで救われる

 病気になって、その後、独立して、大変多くの人に出会いました。世の中にはこんなに多くの自分を助けてくれる人、心配してくれる人がいるんだと思うと嬉しくなってきます。その人たちは、今でも実際に会って、もしくはネットを通じて元気をくれています。人は人と通じ合えていると思う事で、少し強くなれます。そして人は少し強くなる事で、実に大きな事ができるようになります。大きな事というのは、別に高い地位について権力をもつとか、お金を稼いでなんでも自由に手に入れる事とは全く違います。大きな事というのは、その個人の価値観において大きな価値のあるものの事を指します。

 私にとって、独立して自分の考えで事業を進めている今は、実に大きな事をしていると感じています。でもそんなことは起業家精神にあふれる人にとっては大したことではないでしょう。でも、私にとっては、本当に大したことなのです。これは、多くの人の支えがなければ成し得ない事です。ですから、この記事を書きながらも、いろいろな人の顔や名前、ハンドルネームが浮かびます。そんな皆さんに感謝したいです。

 ただ、この状態になるまでは、この周囲の人のありがたい助けにすら気づけない時期がありました。「うつ病」がひどいときは、周囲には何も感じる事ができません。色も音も、もちろん感情も何も感じられないのです。「闇」という言葉がありますが、「闇」ですら今思うと優しいと感じます。当時の私が感じたのは「無」です。この状態に陥ってしまうと、遠くで聞こえる「助けの声」すら全く届かなくなります。「無」なのです。自分の人生が「無」だと感じたときの恐怖は言葉では言い表せません。しかし、「恐怖」を感じれるのですら、それは少し病気が良くなってからです。

 この「無」の時に支えになるのは、残念ながら「自分」だけだと思います。「無」でありながらも、そこになんとなく「自分」の存在だけは感じていました。ただ恐いのは「自分」の存在すら「無」にしたいと思ってしまう事です。

 私は病気と宣告され、その後直ぐに父が亡くなり、そのまま「無」の状態になりました。どうやって私は「無」の状態から脱出したのでしょうか…。よく覚えていません。でも妻の呼びかけ、友人の呼びかけ、様々な恩人の呼びかけが遠くで聞こえていた覚えがあります。そして「自分」の存在だけは「無」ではなかったのを覚えています。ぼんやりとした「自分」の存在を「自分」ではっきり認識できたとき、周囲がパッと明るくなり、いろいろな人の呼びかけがはっきり聞こえてくるようになりました。

 ここからが「病気との闘い」になるのですが、もう既に私の周りには、私を助けてくれる多くの仲間の存在がはっきりと感じられていました。そうすれば、人は強いものです。だんだんと病気は良くなっていき、気づけば自分で事業をするという「自分のとっての大きな事」に着手していたのです。

 例え「無」の状態になってしまっても、自分だけは自分を感じる事、そして必ずある助けの声に耳を澄ますことが、大切なのではないかと思います。今の私は「無」ではありませんが、自分だけは自分を感じる事、そして必ずある助けの声に耳を澄ますことは継続して行なっています。これが、「自分とっての大きな事」をなんとか進められている理由だと思っています。

 本当にありがとうございます。自分のできることしかできませんが、「自分とっての大きな事」を少しずつ清々と進めていきたいと思います。