2005年11月25日

疲れたときは、疲れたと思えばよい

 最近、土日も仕事が入るようになった。とても嬉しいことである。ただ、少し体は疲れているようだ。今は、好きな仕事をしているので、ストレスは少ないと思う。でも、やっぱり体が疲れてくると、心も疲れてしまうようだ。

 私の場合、毎日出勤ということがない。最近は減ってしまったが、今日のように家で打合せ資料を一日中作っているということもある。そう言えば、うつ病で苦しいとき、外にも出られず、一日家で悶々としていたことを思い出した。今考えると、とても苦しかったと思う。

 でも、そんな時は妻が無理やり外に連れ出してくれた。それは近所の公園でもよい。もしくは家の前でもよい。そして「少し視点を上げる」ように言った。すると、毎日通っている道なのに、毎日いる自宅の前なのに、全く違う風景が見えてくる。

 視点を下に落とした場合は、いつもうつむいて歩いていた自分にとって、風景は変わらなかった。でも視点を上に向けたときは、とても新鮮な風景がとびこんできた。それは木々の緑、空の青、雲の白、夕暮れのオレンジ、月の黄金色・・・ どれもとても綺麗な色である。そんな色を見ていると心が洗われる。そして心の疲れがとれるのだ。

 これは、今でもしている。とても疲れたとき、外に出て意識的に少し視点を上に上げてみる。すると、その時に自分に必要な風景、その色が目に飛び込んでくる。少しイラついたときには冷静になれと空の「青」が、少し落ち込んだときには元気を出せと木々の生き生きとした「緑」が・・・。そして、今度は耳を澄ましてみる。すると今度は自然が奏でるやさしい音が耳に入ってくる。そしてまた心が元気になる。

 うつ病になる人は、私のようにいろいろ考える人が多いと思う。そのような人にとって、自分にあった大切な言葉を胸に抱くことは生きていくとき上でとても大切であると思う。現に私も、いくかの大切な言葉を書いた紙を壁に貼っている。

 ただ、その大切な言葉でも自分を救えないときがある。そんな時は、外に出て少し自然の力を借りるとよいと思う。そこで少し元気をもらえば、また自分の抱く大切な言葉たちがちゃんと機能し始める。

 ゆっくり、ゆっくり、あわてず、あわてず、そして、自分を助けてくれるいろいろな人、自然、言葉と語り合うと、少し疲れが取れてくる。疲れたときは、疲れたと思えばよい。疲れることは決して悪いことではない。自分なりの疲れを癒す方法が見つかるとよいと思う。

2005年11月19日

無駄な経験なんてひとつもない

 「一度も病気をしていない人間とは付き合うな」この言葉はロシアの文豪トルストイの言葉です。ある有名な医師が「がん」にかかったそうです。その医師には社会的名地位も名誉もあったのですが、「がん」にかかってしまった恐怖が、これまで名士であった彼を変えてしまったそうです。周囲に当たるようになり、自暴自棄になってしまいました。しかし、様々な治療を試すことで、やがて「がん」を運よく直すことができたそうです。そして彼は、「がん」のと闘病生活の間に様々なことを考えました。

 自分を支えてくれる家族のこと、自分のこれまでの人生のこと、そして自分がこれまで看てきた患者のこと。そして彼は名言を残しています。「私はがんになったことにより、医師から人間になれた・・・」

 先日、顧問先の社長といろいろ話す時間ができました。中小企業診断士の私の顧客の中では大きな企業の社長さんです。その社長さんがおっしゃいました。「実は、私は30~40代は意外と苦労しているんですよ。でも最近それがすべて今の自分の糧になっていることに気づきました。無駄な苦労と言うものは無いのですね。」この社長とは、まだ出会って4ヶ月ぐらいです。会社への訪問も4回程度させていただいただけなのですが、とても感覚が合い、お話をしていると、とても楽しいです。

 私も「以前、うつ病にかかっていた」話をして、そのときの体験が今のコンサル活動に役立っている話をしました。社長は大きくうなずいて下さり、「本当に無駄と言う経験はないですね」と言ってくださった。

 「一度も病気をしていない人間とは付き合うな」というトルストイの言葉は少し行き過ぎかなという気もしますが、病気や挫折は、その人にとって、「自分の人生とはなんだろうか?」という疑問に真正面からぶつかることになります。

 私は病気のときいろいろ感じたことで、「可能ならば自分の尊敬できる人と付き合いたい」と思うようになりました。組織にいるときは、その希望は「単なるわがまま」なので、実現しませんでした。しかし今は、「自分の尊敬できる人」と極力付き合うようにしています。この「自分の尊敬できる人」は地位や名誉、お金ではありません。そういう世間の評価とはまったく別のものです。自分が話して「尊敬できるか、できないか」を自分で判断します。

 「尊敬できるか、できないか」は相対的なもので、別に私が「尊敬できない人」でも、別の人にとっては「尊敬できる人」と感じるものです。つまり世の中に本当に多様な人が存在しているということです。何が善で何が悪という問題ではありません。ただ、不思議と私が「尊敬できる」と感じる人は、病気や挫折を経験している人が多いです。それは、私が同じように病気や挫折を経験しているからだと思います。

 独立してから、多くの私の価値感覚で「尊敬できる人」に出会えました。そのような方とは、相手もそう思ってくださるようで、楽しく付き合っています。これだけでもストレスは大幅に軽減されていると思います。

 このように、あの苦しかった「うつ病」も今では自分を構成する要素の一つであり、とても大切な時間だったと思っています。

2005年11月 6日

辛い時間は必ず過ぎ去る

 今でも、とても辛い時間がある。しかし、今では辛い時間が必ず過ぎ去る事が分かっている。それも辛い時間の渦中にいるときはそのことを忘れそうになる事がある。でもこの辛い時間は必ず過ぎ去る事を、忘れないように、自分で自分に合ったよい方法を考えるとよい。私は何回も書いているが、そのように忘れてしまいそうで、思い出す事で元気になる事は紙に書いて壁に貼ってある。

 他にもきっとよい方法があると思う。最近、とても辛い時期があった。個人で事業をしている以上、そして生きている以上、イロイロな出来事が起きるのは仕方がないことである。ただ、最近はかなり辛い時間でも「やがて過ぎ去るだろう」と思えるようになっていた。しかし、最近、イロイロ重なってしまった辛さは「やがて過ぎ去るだろう」と思う心の余裕すら、覆い隠してしまった。

 ただ、それでも、今は辛い時間が過ぎて平穏な時間が訪れている。辛い時間は、台風のようなものである。しかし、辛い時間は、台風のようにいつ自分がその嵐に襲われるのか予測は出来ない。ただ、思考を訓練する事によって、「自分が、今、台風の嵐の中にいる」と分かるようになることは出来ると思う。

 「自分が、今、台風の嵐の中にいる」と分かるようになること」さえ出来るようになれば、「台風はやがて過ぎ去る」と思う事ができる。時間の長い短い、規模の大きい小さい、遺した傷跡の深い浅いの違いはあっても、その嵐は必ず過ぎ去る。ただ、台風と考えたとき、一度通り過ぎても、また次の台風が来ると思う。しかし、それが自然の摂理であり、人生である。ただ、通り過ぎない台風はないという自然の摂理も思い出していただきたい。

 私も、一つの台風が過ぎ去ったと思う。生きている以上、また次の台風が来るであろう。しかし、その台風は必ず過ぎ去る。今回の台風は振り返ったところそんなに大きくなかったが、過去に経験した「うつ病」という大きな台風もやがて過ぎ去っていった。その渦中にいるときは、周囲が見えなくなってしまうものだが、「やがて通り過ぎる」と耐えることで道が開けるのかもしれない。