2005年11月19日

無駄な経験なんてひとつもない

 「一度も病気をしていない人間とは付き合うな」この言葉はロシアの文豪トルストイの言葉です。ある有名な医師が「がん」にかかったそうです。その医師には社会的名地位も名誉もあったのですが、「がん」にかかってしまった恐怖が、これまで名士であった彼を変えてしまったそうです。周囲に当たるようになり、自暴自棄になってしまいました。しかし、様々な治療を試すことで、やがて「がん」を運よく直すことができたそうです。そして彼は、「がん」のと闘病生活の間に様々なことを考えました。

 自分を支えてくれる家族のこと、自分のこれまでの人生のこと、そして自分がこれまで看てきた患者のこと。そして彼は名言を残しています。「私はがんになったことにより、医師から人間になれた・・・」

 先日、顧問先の社長といろいろ話す時間ができました。中小企業診断士の私の顧客の中では大きな企業の社長さんです。その社長さんがおっしゃいました。「実は、私は30~40代は意外と苦労しているんですよ。でも最近それがすべて今の自分の糧になっていることに気づきました。無駄な苦労と言うものは無いのですね。」この社長とは、まだ出会って4ヶ月ぐらいです。会社への訪問も4回程度させていただいただけなのですが、とても感覚が合い、お話をしていると、とても楽しいです。

 私も「以前、うつ病にかかっていた」話をして、そのときの体験が今のコンサル活動に役立っている話をしました。社長は大きくうなずいて下さり、「本当に無駄と言う経験はないですね」と言ってくださった。

 「一度も病気をしていない人間とは付き合うな」というトルストイの言葉は少し行き過ぎかなという気もしますが、病気や挫折は、その人にとって、「自分の人生とはなんだろうか?」という疑問に真正面からぶつかることになります。

 私は病気のときいろいろ感じたことで、「可能ならば自分の尊敬できる人と付き合いたい」と思うようになりました。組織にいるときは、その希望は「単なるわがまま」なので、実現しませんでした。しかし今は、「自分の尊敬できる人」と極力付き合うようにしています。この「自分の尊敬できる人」は地位や名誉、お金ではありません。そういう世間の評価とはまったく別のものです。自分が話して「尊敬できるか、できないか」を自分で判断します。

 「尊敬できるか、できないか」は相対的なもので、別に私が「尊敬できない人」でも、別の人にとっては「尊敬できる人」と感じるものです。つまり世の中に本当に多様な人が存在しているということです。何が善で何が悪という問題ではありません。ただ、不思議と私が「尊敬できる」と感じる人は、病気や挫折を経験している人が多いです。それは、私が同じように病気や挫折を経験しているからだと思います。

 独立してから、多くの私の価値感覚で「尊敬できる人」に出会えました。そのような方とは、相手もそう思ってくださるようで、楽しく付き合っています。これだけでもストレスは大幅に軽減されていると思います。

 このように、あの苦しかった「うつ病」も今では自分を構成する要素の一つであり、とても大切な時間だったと思っています。

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私は進んだ。遮二無二、突き進んだ。
そして、挫折した。
それでも進もうとした。からガッツだけだった。そんな自分にも気がつかなかった。
ただただ、進もうとした。
確かに不安はあった。
しかし、そのときの私は前に進むことしかできなかった。
そんな中、とうとう、完膚なきまでに、叩き潰された。
私は倒れた。
しかし、にもかかわらず、しぶとい私は「これでもか!」というほどに、性懲りもなく突き進んでいこうとした。
しばらくして、また倒れた。
今度はさすがに体が動かなかった。
私は倒れ続けた。
葛藤と屈辱と迷いと後悔の、陰惨な日々が続いた。

そして1年。
私はなんとか生きている。
そもそも人生はろくでもないものなんだなぁ・・・と、ふと思えるようになったのである。

  • ディディエ・ドゥコワン
  • 2007年6月29日 11:52
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