2006年8月21日

思う通りにいかなくても大丈夫

 最近「世の中、思う通りにいかないなぁ」と感じてしまうことが多いです。でも「思う通り」とは何でしょうか? 目標がハッキリしているならば、その目標にたどり着けないということで「思う通りにいっていない」と言えるかもしれません。

 でも、今の私の明確な目標ってなんだろうと考えてしまいました。自分は「こうありたい」という願望でも良いと思います。いろいろあると思うのですが、どうも明確になっていません。

 こう考えると「世の中、思う通りにいかないなぁ」と思ってしまうのは、ただ単なる愚痴なのかもしれません。実際にそのように指摘された事もあります。「世の中、思う通りにいかないなぁ」と呟く都度、少し自己嫌悪に陥ってしまいます。

 ただ、最近「人間はそれほど強くない」と思うことも事実です。明確な目標に向かって強い意思で行動できる人は多くいると思います。でもそうでない人もいます。世の中の「人の多様性」は最近よく通感する事です。

 私もそうですが、途中で挫けたり、悩んだり、考え込んだり、泣けてきたりする事があります。そんな時は「世の中、思う通りにいかないなぁ」と呟く事で少し心の疲れが取れることがあります。

 「世の中、思う通りにいかないなぁ」と呟いて、悩んだり、考えたりする事自体が実は前進なのではないかと思います。ただ、目標が明確に描けていないだけで、感覚として、「目標を感じれている」のではないかと、私は思います。

 「世の中、思う通りにいかないなぁ」と呟いて、少し心が軽くなったら、少しずつ自分のペースで前進してみようと思います。

2006年8月14日

自分の感じた方で世界は変わる

 世の中は思うとおりにいかないことが本当に多いですね。思うとおりにならないことに人は焦りや、恐怖、自己嫌悪を感じたりしてしまう事があると思います。でも自分を辛い思いにさせているのはやっぱり自分の想いです。

 ある人に教えていただいたことがあります。「天国」と「地獄」についてです。「天国」と「地獄」という言葉ありますが、それは同じ場所だというのです。でも、そこを「天国」と感じることが出来る人と、そこを「地獄」と感じてしまう人がいるとのことです。

 その場所は、清らかな音楽が流れ、とても美しい風景、食べきれない程の美味しい食べ物で溢れている場所だそうです。その場所にみんな集まるのですが、その人たちはとても手が長いそうです。つまり、美味しい食べ物を掴んでも手が長いので自分の口に入れることは出来ない。でも他人の口に運ぶことはできる。

 ただ、美味しい食べ物を長い手で独り占めにしようとしても結局は自分の口に入れることはできない。このように行動してしまう人にとっては「地獄」ですよね。もちろん、前者の方が「天国」と感じられる人です。他人を信頼し、自分の食べ物を他人に渡し、そして他人から渡されるのです。

 この例は、辛いと思うのも、楽しいと思うのも、自分の心の投影だという例です。少し現実離れの例えですが、自分がどう思うかで世の中は「天国」と「地獄」にもなるということは忘れてはいけないことのような気がします。

 だからといって「辛い」と感じてはいけないとはおもいません。辛い想いを感じれるということは、現状ではいけないと感じることです。現状と目標(自分のあるべき姿)とのギャップが、いわゆる「問題」です。この問題を解決することによって、問題解決ができるのです。人は生きていく上でこの感情は大切です。それが、「人の進歩」と言えると思います。

 ただ、自分の考え方を変えると見えてくる風景も変わるということは頭の片隅においておいても良いと思います。