2005年3月26日

「自分」の変わってはいけないところ、変わるべきところ

 「自分」を意識し始めたのは、人より遅いと思う。大学に入って一人暮らしをしてからであろうか。それまでは、「自分」というものを考えたこともなかった。それまで「自分」を考えなかったために罰が下ったのであろうか。社会人になってからは「自分」ってなんだろう、と考える毎日が続く。うつ病になってからは更に「自分」を見つめなおす日々が続く。前回書いたが、うつ病のときは当然回りも見えない。周りにつらい思いをさせただろう、と考えられるのは、少し「自分」が見えてきたからであろうか?

 俗な言い方だが「自分探しの旅に終わりはない」という。私もそう思う。なぜなら「自分」は変わらなくても周囲の環境は変わっていく。周囲の環境が変われば、また「自分」を見つめなおさなければならない。でも周囲に流されてばかりで「自分」が存在しないと、生きていくのはとても苦しい。流されて、苦しんでそれで一生が終わってしまうかもしれない。少なくとも、他人にうまく合わせて生きていく人は、出世(特に旧体制の企業)するのかもしれないが、幸せには見えない。「自分」というものはしっかり存在しながら、「自分」は変わらないといけないと、思う。そういう意味では、自分の変わらない部分をみつけるのが「自分探しの旅」の前半部分なのかもしれない。

 私は今経営コンサルタントとしているが、「自分」を見つけることと、「企業」の経営は似ていると思う。「企業」は環境適応業といわれる。日々変わる環境に合わせていった企業が生き残っている。しかし、生き残っている企業には、また「変わらない自分(専門用語だとコア・コンピタンス)」をもっていることも事実である。

 今の私は自分が大嫌いだ。よく自分を嫌いな人は他人も好きになれないという。しかしそんなことはなく、私には周囲に大好きな人が沢山いる。それでも、今の私は自分が大嫌いだ。いつか、自分の変わらなくてはいけない部分を変えることができ、「自分」を好きな自分になれる日がくるのだろうか。

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