2005年3月18日

うつ病は単なる突発的な事故なので、早く処置したほうが楽

 うつ病になると様々な苦しいことがある。しかし、その苦しさは、うつ病本人の感じる苦しさと、うつ病を見ている人(家族、友人)の苦しさは残念ながら大きく異なる。

 私の場合は、自分の体を傷つけることがやめれなかった。「もうどうにでもなれ、このまま出血多量で死んだほうがいい!」とまで考えていたようだ。額を毎日柱の角にぶつけて、流血していた。ぶつけてというのは、1回や2回ではない。自分の気がすむまでぶつける。しばらくすると目まいがしてきて、自然とぶつけるのをやめる。また、カッターで腕や足を切っていた。これも何回も何回もカッターで切り、傷と傷がクロスしている箇所は出血も多く酷い状態に見えてしまう。一度、太ももにカッターをさして、動けなくなったときは「もう死ぬのかなぁ」と思った。

 非常に痛そうなことをリアルに書いているが、それは、私にとってまったく苦しいことではなかったためだ。むしろこの行為で落ち着いたりする。うつ病になってしまった自分への戒めの行為のように感じていたのかもしれない。他のうつ病の人もそうなのだろうか? それは私にはわからない。しかし、私の周囲の人にとって私のこの行為を見るのは非常に苦しいと思う。現に止めに入った妻を振りほどいて壁に額を打ち続けていたことがある。このような姿を見ている妻の心を私はまた傷つけていたのであろう。

 ただ、うつ病であった私が一番苦しかったのは、心の痛みである。何かから何かを連想し、その連想が連鎖し、最終的には最悪だった頃を思い出してしまう。すると心臓の鼓動が激しくなり、胸が苦しくなる。もっと酷いときは心の痛みすら感じない。ただ生きた屍のようにボーとしている。

 こんなことを書いたのは、今現在、軽度のうつ病にかかっている人に、私のようになって欲しくないのである。うつ病は病気である。うつ病は早期の治療で早く治る場合が多い。その治療は病院であったり、職場の対応であったりする。うつ病は何も恥ずかしいことではない。まじめに一生懸命仕事をしようと頑張った結果、責任感に押しつぶされてしまった単なる事故である。単なる事故なのだから、軽いうちに処置を済ましてしまった方がよい。私のように大事故になってしまうと、後処理も大変である。

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comments

はじめまして。私の弟は昨年の夏、病気に負けて他界しました。
地獄は病気を抱えた頃よりも、より一層深まりました。
「どうすればよかったのか?」「何ができたのか?」
「あの時、ああしておけば・・・・」「あのときの私の言葉が・・・」
すべては答えてくれない弟の心の中・・・。
答えの出ない闇の中・・・。
残った現実は、幼い3人の子供たちの行く末と若妻の今後。
悲しみから自責の念へと追い詰められる両親・兄弟・・・。
世間の「腫れ物を触る」かのような対応・・。
これが望みなの?これが求めた結果なの?
弟に聞いても、答えは返ってこない。 それが現実。
ピリオドを打って、弟は、楽になったかもしれない。
とどまる私たちは、弟の紡げない先の物語を悲しく紡いでいる。
後悔と自責と恨みと悲しみと空虚感と・・・なお深まる愛情とともに。
ともに生きた30数年を振り返りながら・・・。
こんな思いを、これ以上抱える人が増えないことを祈って・・・
ピリオドを打つ前に、もう一度周りを見て!悲しむ人がいるよ。
苦しむ人が居るよ。あなたとともに生きた人が居るよと叫びたいです。

  • maria
  • 2007年1月 2日 00:47

このブログを書いている者です。

 弟さんのことは、私にコメントすることはできません。弟さんがどのような苦しみを、内に抱えていて、何に苦しんでいたかは弟さんにしか、わからないからです。

 ただ感じるのは、うつ病に対する本人の苦しみはいろいろな報道などで紹介され、認知されてきていても、彼らをとりまく人たちの苦しみは、あまり紹介されることはありません。私もうつ病になっていたときは、自分のことで精一杯(…と考えられていたかも怪しいですが)で、私を支えてくれる人たちの心の痛みまでは考えられませんでした。

 今では、私を支えてくれてた人たちは、自分の心を傷つけながら、私を支えてくれていたのだなと感じます。私は病気だったため周囲がまったく見えませんでしたが、健常である周囲の人たちは、おそらく私よりももっと心を傷つけていたのではないかと思います。今、mariaさんのコメントを読まさせていただき、そのことをより深く考えることができました。

  • やど
  • 2007年1月 2日 00:48

少しでも、周りの心に目を向けることができて、よかったです。

私のような想いを抱いているヒトは、たくさんいると思います。

少しでも、病気のヒトの心の孤独な叫びに、
届くことができたら・・・と思って書かせてもらいました。

お返事してくれて、ありがとうございました。

  • maria
  • 2007年1月 2日 00:48
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