2005年4月23日

飛ばしすぎて、挫折してしまっても仕方がない

 「うつ病が治ったとしても無能者の烙印を押されるのではないか…」と言う心配は、うつ病にかかった人はだれでも、考えてしまうことである。特に日本では、うつ病に対する理解はとても遅れており、公然と無能者と烙印を押す人も、まだ依然としている。もっと酷い人は、公然といわず、影でうつ病の人を誹謗して、そのきっかけの芽をつぶす人もいる。私はこれまで、ネットを通じて、また直接会って、いろいろなうつ病の人と話したが、うつ病になる人は責任感が強く、仕事ができる人が多い。ただ、その責任感が強すぎて、頑張るあまり、疲れてしまった人たちである。

 「自分のペースが見えず、飛ばしすぎて、挫折してしまったのは無能者だからだろう」と言う人も多い。確かにもっともよいのは、自分のペースを把握して、人生の様々な出来事にきっちり対応できる人だろう。ただ、のうのうと人生に対して真剣さを持たずに生きている人には、言われたくない。この「のうのう」と言うのは、自分の考えで、ゆっくりした人生を送っている人は当てはまらない。他人の言われるままに、自分の考えもなく、流れに任せ、それでいて人生が裕福にならないと不平・不満ばかり漏らしている人たちのことである。このような人たちは、おそらく「うつ病」にはならないと思う。

 自分のペースを理解することは大切なことである。しかし、非常に難しいことである。その時の体調や環境によっても違う。一流のスポーツ選手だって、ペース配分を間違えることがある。現代社会は不確定要素の集まりで、経験のないことでも、こなしていかなければならないのが現状である。この状態で、自分のペースをちゃんと理解して、それにあわせて行動しろ、と言うのはかなり過酷な要求である。

 だから、自分のペースが見えず、飛ばしすぎて、挫折してしまっても仕方がないと思う。野球選手で先発ピッチャーが初回から飛ばし、途中でバテることがある。でもそんな時、ちゃんとリリーフのピッチャーが後を受け継いでくれる。これは一般社会でも同じではなかろうか。いつかリリーフしてくれたピッチャーに恩返しする機会が必ず来る。それで、いいと思う。リリーフのピッチャーは、先発のピッチャーが必死に投げているところを見ていたら、その努力を無駄にしないように、頑張ってくれるはずだ。もし、先発のピッチャーに気迫が感じられないときは、その後をうけるリリーフピッチャーは、自分のモチベーションをあげることも大変だろう。

 繰り返すが、自分のペースを理解しようと努力することは大切だ。しかし、その時の体調や環境で必ずしも自分の適正なペースでできるとは限らない。努力してもうまくいかない時は、周りに助けを求めてみる。それが、組織であり、社会である。この助けがうまく求められない人がいる。それは、周囲に迷惑をかけたくないという責任感の強い人だ。しかし勇気をもって周囲に助けを求めてみよう。今は周囲に例え迷惑をかけたとしても、いつかその恩返しをすればよい。自分で人生を終わらせないかぎりは、そのチャンスは必ずやってくる。そして、周囲に助けを求めた場合、その行為自体が「好意」をもって、迎えられることが多いことも忘れてはいけない。

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やど様 
今日もコメントをいただきありがとうございます。

私も前職の仕事柄、精神疾患を患った方々が社会へかかわっていく時の現実の厳しさを痛感していました。その上、私自身がうつ病になり、回復基調にあるとはいえ、「a-nother」などとニックネームでwebの匿名性に甘んじている次第です。

前にも書いたと思いますが、前職場でもホームヘルパーさんたちは、経験上あるいは感覚的に負担を感じさせない「間」をもって接してくださいましたが、上司たちは、仕事上、病気の知識的な理解はあっても、いざ身内(という言い方も変ですが)の者がうつ病になり困り果てていたとおもいます。
今思い返してみると、もっと応援をたのんだり、同じ指示を受けるにしても、「こうゆう言い方をしてもらたほうが負担が軽く感じます。」とか、積極的に私の思いを理解してもらう努力、工夫ができていれば違っていたのかもしれません。それよりも自分でやってしまうことを選んでばかりしていたのだと思います。

いつも客観的で適格に表現されているやど様を素晴らしく思います。
私も、もっと表現力を高めていきたいと思います。

  • a-nother
  • 2007年1月 2日 00:42

 a-nother様。コメントありがとうございます。

 a-nother様のブログを拝見させていただいていますが、とても着実な方だと感心しております。a-nother様のブログのコメントにも書かせていただきましたが、あまり無理をせず、ゆっくり進めるといいですね。

 私も無理をせず、ゆっくり進むように努力しています。すると不思議なことに、自分と波長のあう人と出会う機会が増えてきます。進むペースが似ているからでしょうか。この自分と波長の合う人たちは私にとって「宝物」です。

 a-nother様のように、私の「ひとりよがり」で、「思ったことを書き殴っている」ブログを読んでくださっている人がいるのは、とても嬉しいです。今後もよろしくお願いいたします。

  • やど
  • 2007年1月 2日 00:43

今の想いを、書かせてください。

弟を亡くした後、考えることは・・・
病気に対しての理解は、本当に皆無。
本も斜め読みはしたものの、やはり本人ほどの共感を持って読めるわけでもなく、
理解というところまで、飲み下してはいません。
周りのものにとって、本当にどうすればよいのか・・・本人よりも、もしかして焦るのかもしれません。

家族も、今更ながら病気について、もっと理解しておくんだったと、後悔の連続です。

しかし、あの自殺する数週間前は、嵐のような日々でした。あんな嵐の日々で、どうやって理解できたのだろう?そんな心のゆとりなんて、まるで無かった気がします。

今、振り返って・・・
本人と親や家族の間に入って、冷静に語れるカウンセラーと出会えていたら・・・と思います。

  • まりあ
  • 2007年1月 2日 00:43

私には、その役目は果たせませんでした。

弟と親との口に出さずに掛け違えたボタンを
うまく架け替え直せるほど、冷静には話せませんでした。
時には親よりにゆれてみたり、時には弟の代弁者になってみたり・・・。
しかし、どうやっても、姉の私が勝手に考えて話していることのようにしか、受け取ってもらえませんでした。

本にも書いてある。
インターネットで載っていたとプリントアウトしても・・・
結局のところ、もとのわだかまりのまま。

私一人が悪者になったこともありました。

そして・・・
最後の時、弟は私に恨み節をたった2行書き残して、旅立ったのです。

根本的なところは、弟と親のあり方だった。
でも、そこにクッションに入ったことも、弟には邪魔な存在だったのかもしれません。
結局、母親に向ける憎悪は、私への憎悪にリンクし、恨んだまま、旅立ちました。

  • まりあ
  • 2007年1月 2日 00:44

そして、母へは憧憬の想いをつらつらと書き残しました。
姉として、私はいったい何ができたのでしょう?
話を聞き、Yesばかりを答え、
弟の心を、母の心に届く言葉に置き換えて伝え
何とか、関係を修復したくて頑張ったけど。

暴力と暴言で、傷つけあう母子の間に、もつれないようにと、見守りながら・・・
母は、逃げてしまいました。
没交渉です。
母は声も心も、直接届けようとはしませんでした。
それをさせたのが、私なのだそうです。

ぶつかるのが怖くて籠もる母を、
あのときの弟に向き合えとは、言えなかった。
言葉ひとつで、かっと切れて、未遂事件を数回起こし、そのたびに心かき回されて、傷つき、かたくなになる母に、酷なことです。

  • まりあ
  • 2007年1月 2日 00:44

時間を掛けて・・・と思っていた矢先、
弟は突然逝ってしまいました。

悔いだらけです。

数日前、弟の35回目の誕生日がきました。
お墓に花を飾りながら・・・
なんで?なんで?
繰り返し、つぶやきました。

今日、母が来て、また泣かれました。

繰り返し、襲ってくる悲しみの波は、まだ収まることを知りません。
この波は、いつか・・・小波になるのでしょうかね?

病気にかかったことは、本人も苦痛でしょう。
しかし、同じように愛する周りのものも、同じように苦しんでいるんだと・・・わかってほしいです。
そして、家族に向けてのカウンセラーをしてくれる、そんなカウンセラーが、どんどん増えてほしいと思います。

患者じゃなければ、くぐれない病院の門を開放してほしいです。
本人じゃなくても、カウンセラーって受けれたのですか?

保健所の心の相談室を勧めてくれた人もいましたが・・・
地位と名誉に縛られた両親は、足を運ぶことはありませんでした。世間体は親の世代にはとっても大切な守り神だったのでしょう。

本当に、難しい病気です。

  • まりあ
  • 2007年1月 2日 00:44
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