2005年5月26日

裏返して物事を考えると・・・

 自分はよく悩む。「悩むなら、考える」と言いながらも、悩んでいる。よく妻に言われる。「悩むことがないときは、悩むことを探してるんじゃないの?」と。結構、当たっているかもしれない。自分は常に不安で、いつも最悪を想定してしまう性格らしい・・・。

 できれば、こんな性格とはおさらばしたい。だけど、先天的なものは、一生付き合っていかなくてはいけない。なら上手に付き合ったほうがいい。世の中のことはすべてが表裏一体である。悪い面の裏には、必ず良い面が隠されているはずである。それを探してみよう。「いつも悩む」人は、「いつもリスクを考えている」人とも言える。なら一歩進んで、そのリスクへの対策を考えたなら、「いつも悩む人」が「とても慎重な人」に、早替りする。

 ならば、自分のように「自分が嫌いな人」の裏返しはなんだろう? 「なぜ、嫌いなのか」を考えれば、「自分をよくわかっている人」に早替りするのではないだろうか? 「うつ病」の人は、「自分が嫌いな人」、「周囲が嫌いな人」・・・、その他「○○が嫌いな人」が多い。これは、嫌いな対象物に対して、よく考えている結果だと思う。だから言い替えると、「自分をよくわかっている人」、「周囲をよくわかっている人」・・・、その他「○○をよくわかっている人」と言い替えれると思う。

 「うつ病の人」も「以前、うつ病だった人」も、いろいろ自分が感じたり、思ったりして辛いことがあったら、一回、裏返して考えたらどうだろうか? もしかしたら、「辛い」と思っていることが、「良い」ことに見えてきたり、「将来的に良い」ことになるかもしれないと考えられたりするかもしれない。

 世の中は非常に複雑である。ただ、裏返すと単純でもある。複雑な世の中に揉まれて「うつ」になってしまったのなら、単純に世の中を見つめて、立ち直るきっかけになるといいな、と思う。

2005年5月16日

快方に向かってきたら、何か始めると気が紛れる

 少し、病気が快方に向かってきたら、何か始めると気が紛れる。私の場合は、「釣り」と「資格取得(?)」だった。

 「釣り」は堤防でのんびり針をたらしているだけである。釣れようが、釣れまいが全く関係ない。妻なんか「蛸」や「ふぐ」を釣り上げている。五目釣りもいいところである。私に至っては「名称不明」な魚がよくかかる。でもボーと空と海を眺めていると、少し気持ちが楽になる。

 「資格取得」のほうは、生きていくうえではそれにチャレンジしなければいけないと考えていた。そして、自分で事業を始めると、今まで、いかに自分が勉強を怠けていたかがわかる。ここで自分にプレッシャーをかけてはいけない。だから、必要ではあるけれど、ゲーム感覚で受験している。無論、負けたとき(落ちたとき)は悔しい。

 話はそれてしまうが、昨日の日曜日(5/15)、ファイナンシャルプランニング技能士2級の試験を受けてきた。過去問や、模擬試験では、一度も合格点を下まわったことがなかったので、自信満々で受けに行った。その結果、学科が2点足りなそうである。「…そうである」というのは、慌てて見直して直した箇所なので、マークシートまで書き直せたか分からないのでる。実技のほうは配点が分からないのが、8割近く(6割合格)とれているので、受かっていると思う。ITコンサルとしてはファイナンシャルプランニング技能士は2級がゴールだと思っている。9月に2級の学科のリベンジをしようと思っている。リプレイだ。

 私は、簿記2級のとき69点(70点合格)だった。実はファイナンシャルプランニング技能士3級も実技があと1問で落ちている。なんとなく、そういう星の元に生まれちゃったのかなと自分を納得させている。ゲームのプレイヤーとしては詰めが甘いのであろう。ただ、そうやってギリギリでおちると2回分必死になって勉強する。そうすると、格段に知識の定着がよくなる。こうやってギリギリでおちることが多いのは、「まだ、受かるには早い、もっと勉強しないと実務で役にたたないよ」といわれている気がする。

 少し、話がそれてしまったが、これはあくまでも快方に向かった後の話である。あわてて、何かをしなくてはいけないと考えると逆効果である。私も何かしようと思うまで半年ぐらいかかった。やはりうつ病は「あせらない、慌てない」が基本である。「何かしようかな」と思ったら、それはかなり快方に向かっていると思っていいと思う。もちろん波があるので、そんなにストレートには快方に向かわないと思うが、波は有るものの、確実に上昇傾向になっている証拠だと思う。

2005年5月 6日

自分が大好きな人たちは、相手も自分を好いてくれている

 私には大好きな人が、そんなに多くはないけど確実にいる。「そんなに多くはないけど」が私にとっては大切なキーワードである。私は人と付き合うのが苦手である。不特定多数と付き合っていくのは、まず無理である。営業にはつくづく向いていないと思う。でも、独立して、その「大好きな数少ない大切な人」から励ましや、場合によっては仕事の話を頂いたりしている。

 私が大好きで、大切と思っている人は、人数がそんなに多くない分、「本当に大切」である。それは、距離や付き合った期間の長さとは関係ない。これまでの人生で、様々な人と出会えている。その中で「自分が大好き」と感じた人は、相手も「私のことを大切」に思ってくれるようである。

 うつ病になってから、疎遠になってしまった人がいる。それは決して相手のせいではない。「うつ病」の人と付き合うのは難しい。正しい理解がないと、かえって「うつ病」の人を傷つけてしまう。そのことを知っているので、疎遠になってしまた人も多い。そんな人たちには申し訳ないと思っている。こちらから、「侘び」と「お礼」を言わなくてはいけないのだろうが、なかなか私には高い壁のようだ…。

 そんな中で、「うつ病」になって、難しくなっていた私と、正面から向かい合ってくれた人たちがいる。この人たちは私にとっては本当に「大好きな人」である。今、この人たちがいてくれることが、私の財産である。「うつ病」という苦しみとの代償で得た宝物でであると思う。「うつ病」後に出会った人も、もちろん多い。その人たち中にも、本当に「大好きな人」がいる。その人たちは、私がうつ病であることを知って、付き合ってくれている。それが嬉しい。

 人付き合いは今でも苦手である。でも「自分が大好きな人とつきあう」という基準をもてたことは、人付き合いの複雑さを、少し単純化してくれた。もちろん、この複雑な社会の中、「大好きな人とだけつきあう」のは難しい。でも、この基準があるのとないのでは、気の持ち方が全く違う。ここでも自分のペースを考えればよい。このペースとは人と付き合う密度であると思う。自分の付き合いが可能な範囲で、人と付き合っていれば、よいと思う。ここでも無理はいけない。
 
 本来、周囲の人を線引きするのは良くないことで、その資格なんて私にはないことは、わかっている。でも、対人のストレスは、ストレスの中でもっとも重い。ならば、それを軽くするような、自分にあった工夫を、何かせざるを得ないのでないかと考えてしまう。

2005年5月 2日

自分を客観的に見つめる方法

 先日、2ヶ月ぶりに精神科に行ってきた。この病気に完治という言葉はあてはまらず、常に再発する可能性がある、とは言っても、一度「うつ病」を経験した人は、自分自身を、見つめなおしており、自分について、より深く考えている分、再発したとしても重度になる前に対処が可能であると思う。

 逆に、「うつになんかなったことがない。俺の精神力は鉄壁だ」と思っている人のほうが危うさを感じる。私も以前そう思っていた。しかし、人間は辛いことが重なると、だんだん弱気になるものである。中には本当に鉄壁の心を持った人がいる。このような人たちは尊敬に値するが、私は真似ができない。その人は私ではないのだから、真似が出来ないのは当たり前である。だから、他人を羨ましがっていてもしかたがない。そういう時間があったら、自分をみつめることが、大切である。

 話は元に戻るが、2ヶ月ぶりに精神科の先生に会ってきた。私はいろいろな人のおかげでこの病気と向き合うことができていると思う。家族、友人、そして、この精神科の先生の存在も非常に大きい。たまたま出会えた先生だが、本当に感謝している。

 この先生の治療方法はまさしく「自分自身を客観的にみつめる方法をアドバイスすること」であった。もちろん、薬も頂いたが、薬が効くのは当たり前だが、効能時間の間だけである。ただ、自分を客観的に見つめる方法は、効能時間が非常に長い。そして、効能時間が切れたらまた、自分を客観的に見つめてみればよい。そして何よりもよいのは副作用がない。

 先生がアドバイスしてくれた「自分を客観的に見つめる方法」は、毎日、短い日記をつけることである。そして、その日の気分を、自分勝手に点数化して記録するのである。ただ、この作業自体がストレスになってはいけない。先生は、私が几帳面な性格なことを見抜いて(うつ病になる人は几帳面な人が多いが)、この方法を薦めてくれた。もともと毎日日記をつけていたので、この作業は全く苦ではなかった。

 私のつけた点数を後でEXCELでグラフ化してみると、一目瞭然のことがある。それは「私はうつの時ばかりではない」ということである。グラフは、0点に近いところからスタートしている。しかし、低いときは低いなりに、波があり、低いレベルの山ができている。逆に当然谷もある。低いレベルでの谷は、何もできずただ屍のようにボーと天井を見つめていた時であろうか、それともカッターで体中切り刻んで血だらけになっていたときだろか。それは短い日記をみればわかる。

 先生に「もう殆ど良くなったね」と言われた最近は50点前後で、グラフが上下している。当然波がある。ただ、このグラフを見ると気分がどん底の「うつ」にあるときでも、あと数日待てば、気分が上向きになるのがわかる。これが「自分を客観的にみている」ということなのだろう。

 とかく「うつ病」の時は、自分の最悪の状態が永遠に続くと感じてしまう。でも生きているかぎり、「いいときも悪いときも」ある。この際「悪いときも」あるよりは、「いいときも」あるの方に重点をおいて考えてみたらどうだろうか?