2005年5月 6日

自分が大好きな人たちは、相手も自分を好いてくれている

 私には大好きな人が、そんなに多くはないけど確実にいる。「そんなに多くはないけど」が私にとっては大切なキーワードである。私は人と付き合うのが苦手である。不特定多数と付き合っていくのは、まず無理である。営業にはつくづく向いていないと思う。でも、独立して、その「大好きな数少ない大切な人」から励ましや、場合によっては仕事の話を頂いたりしている。

 私が大好きで、大切と思っている人は、人数がそんなに多くない分、「本当に大切」である。それは、距離や付き合った期間の長さとは関係ない。これまでの人生で、様々な人と出会えている。その中で「自分が大好き」と感じた人は、相手も「私のことを大切」に思ってくれるようである。

 うつ病になってから、疎遠になってしまった人がいる。それは決して相手のせいではない。「うつ病」の人と付き合うのは難しい。正しい理解がないと、かえって「うつ病」の人を傷つけてしまう。そのことを知っているので、疎遠になってしまた人も多い。そんな人たちには申し訳ないと思っている。こちらから、「侘び」と「お礼」を言わなくてはいけないのだろうが、なかなか私には高い壁のようだ…。

 そんな中で、「うつ病」になって、難しくなっていた私と、正面から向かい合ってくれた人たちがいる。この人たちは私にとっては本当に「大好きな人」である。今、この人たちがいてくれることが、私の財産である。「うつ病」という苦しみとの代償で得た宝物でであると思う。「うつ病」後に出会った人も、もちろん多い。その人たち中にも、本当に「大好きな人」がいる。その人たちは、私がうつ病であることを知って、付き合ってくれている。それが嬉しい。

 人付き合いは今でも苦手である。でも「自分が大好きな人とつきあう」という基準をもてたことは、人付き合いの複雑さを、少し単純化してくれた。もちろん、この複雑な社会の中、「大好きな人とだけつきあう」のは難しい。でも、この基準があるのとないのでは、気の持ち方が全く違う。ここでも自分のペースを考えればよい。このペースとは人と付き合う密度であると思う。自分の付き合いが可能な範囲で、人と付き合っていれば、よいと思う。ここでも無理はいけない。
 
 本来、周囲の人を線引きするのは良くないことで、その資格なんて私にはないことは、わかっている。でも、対人のストレスは、ストレスの中でもっとも重い。ならば、それを軽くするような、自分にあった工夫を、何かせざるを得ないのでないかと考えてしまう。

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