2005年6月 7日

「暖かい人」といることを選べる自由

 「うつ病」の時は人と会うのがとても辛かった。しかし、少数ではあるが「暖かい人」と接することで、自分の心の氷がとけていくのがわかった。この「氷のとけること」が、すなわち「うつ病からの回復」だったのであろうと、今では思う。

 この、暖かい人たちは今でも周囲にいる。個人事務所を立ち上げてから、いろいろな人に接して、この「暖かい人」たちがたくさん増えてきたような気がする。カッターで自分を切って血まみれになったり、壁に何回もぶつけて額を割ったりして、自分としては一回、どん底に落ち、地獄をみたと思っている。そういう自分にとっての宝物は、「金」ではない。もちろん「地位」でもない。間違いなく自分を救った「暖かい人」、うつ病後に出会った「暖かい人」たちこそ、自分の宝物である。

 個人事務所を立ち上げてから、懸命にもがいている。将来もよくわからない。とても不安である。でも、「暖かい人」をパートナーとして選ぶ自由という特権を得た。サラリーマンの方が仕事の中で、この「自由」を得ることは難しいことだと思う。しかし、サラリーマンの方には私が望んでも得られない「安定」がある。この「安定」は微妙になりつつあるが、個人事業主よりは絶対に「安定」があると思う。人の幸せの基準にはいろいろなものがある。それは、それぞれ人が決めることである。今、私にとって幸せの基準は「金」「地位」ではない。「暖かい人」と話し、仕事をし、共にいることが幸せの基準である。それならば、今の私は、かなり幸せなのだろう。

 なぜ、こんなことを書いたかというと、最近、「暖かい人」と話して、幸せを感じる機会が多かったからである。またしばらくすると、気分が「うつ」になってくる時があると思う。「自分は何をやっているのだ」と苦しみ、悩む時が気分の波の中で必ずやってくる。そんな時に、「幸せを感じる時もある」ということの備忘録として、書いててみた。また、今日、明日とそれぞれ「暖かい人」と会って話す機会がある。それがとても嬉しい。

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私は何をしているのだろう……
突然、メンタルの病にかかり、第一線を外され、エリートばかり集まっている部署の片隅で、これといった仕事もなく、ただ、時間が過ぎるのを待っている……。

無味乾燥な毎日が過ぎていく……。
何でこんなことになってしまったのだろう。一生懸命、真面目にやってきた結果がこれだ。

物を考えるのが億劫、楽しいこともない、物事の判断力も極端に低下してしまった。

情けない……。遣り甲斐、生き甲斐を取り戻したい、欲しい。
休日、外出する意欲も湧いてこない……。

気持ちいいそよ風が吹く木陰で、晴れ晴れとした気持ちになりたい………。

情けない…………。

  • 心-心
  • 2007年1月 2日 00:31
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