2005年8月26日

安定は不安定、不安定は安定

 私がサラリーマンをしていた当時の上司で、現在はある大学で教授をされている方がいる。私の恩人の一人である。この方が、私に教えてくれた言葉で、今とても大切にしている言葉がある。それが、「安定は不安定、不安定は安定」という言葉である。サラリーマン当時に教えていただいたのだが、その時はこの言葉の大切さに気づかなかった。

 今、この言葉の大切さがとてもよくわかる。最初に聞いたときは「安定は不安定、不安定は安定? 禅問答みたいだな。」と思った。「安定は安定、不安定はやっぱり不安定ないのでは?」と思ったものである。当時、サラリーマンは安定の職業と言われていた。ところが、今ではリストラや会社の倒産など不安定な要素が多分にある。リストラや倒産などはなくても、人事異動や、成果主義など、不安定になりうる要素はいくらでも考えられる。

 一方、私のような個人事業主、会社経営者は、・・・もっと不安定だ。やっぱりどう考えてもサラリーマンより不安定だ。「事業」という単位で考えると、これ以上不安定はない。しかし、「生き方」というものに、視野を大きくすると意外と安定しているかもしれないと思う。個人事業主の場合、ある意味で廃業も視野のうちである。他にやりたいことが見つかれば、その新しい事にチャレンジするのは自由である。もともとが揺れている状態だから、その状態が普通、つまり安定の状態なのである。

 サラリーマンの方でも、自分に正直に生きている人を何人も知っている。そういう人は、サラリーマンであっても、自分で考え、揺れた生活を楽しんでいる。そういう人も、やはり揺れている状態が普通なので、それが安定の状態なのである。ただ、会社に属して、今後もその状態が続くと想定して人生設計をしている場合、本人に責任がなくても、会社に万が一の事があると、いきなり揺れ始める。この揺れにより、とたんに不安定になってしまう。つまり揺れに慣れていないので、揺れ始めるとその揺れがとても大きなものに感じてしまうと思う。

 この言葉にはもう一つの意味も考えられると思う。今までの話は、サラリーマンと経営者の切り口である。しかしサラリーマンでも、個人事業主、会社経営者でも、「人生が不安定だ」と弱気になる時は共通的に必ずあると思う。そんな時にこの言葉を思い出す。「安定は不安定、不安定は安定」であると。すると不安定の状態を少し距離をおいて見ると、その裏側には安定の要素が必ず隠れていることに気づく。その瞬間は分からなくても、先になって、「今の安定は、あの時の不安定が礎になっている」と思う事がある。つまり「今が不安定でも、その不安定はずっとは続かない」という事である。ずっとは続かないという意味には、「不安定の状態ではなくなる」という意味と、「不安定に慣れてしまう」という意味がある。「不安定な、不透明な境遇で辛い」と思っても、それは長くは続かないはずである。

  「安定は不安定、不安定は安定」という私が大切にしている言葉と、その2つの意味について紹介させていただいた。 

2005年8月19日

「人に振りまわされずに生きる13の法則」より (ヨーゼフ・キルシュナー著)

 かなり前の本だが、「人に振り回されずに生きる13の法則」という本を読んだ。「うつ」の時に読んだら、少し、きついことも書いてあるなと思ったが、私がそうでありたいと願うこともいくつか書いてあった。

★変なこだわりを捨てたからこそ、彼はストレスから開放され、ゆったりと充実した生活を送れるようになったのだ。

 「うつ病」の後は、地位も名誉もあまり大切なものではないと感じるようになった。人生どうでも良いというわけではなく、もっと大切なことがあると思うようになった。今は、自分のやりたいことを、やりたいペースで出来始めている。自分に余裕が出来てくると、不思議と人と会う機会も増えてくる。今は、この「人に会う機会」がもっとも大切であると思う。

★「人に振り回されないで成功をおさめよう」としている人には、「負け」はありえないのだ。何故かといえば、世間の目には「負けた」ように見える瞬間があったとしても、その経験が次の勝利に結びつけばいいのである。

 前回書いた「成功と失敗の境目は?」と少し似ている。成功も失敗もその瞬間で見れば、どちらかの要素が強いかもしれないが、長い目で見れば、わからない。成功と思えば成功だし、失敗と思えば失敗である。ただそれを決めるのは、「自分である」ということ。

★実際に自分の身に危険がせまっている場合には、モラルなど気にしてはいけない。何が何でも身を守ることが再優先である。

 少し、笑ってしまったが、意外と大切と思う。

★自分の考えで行動し、その行動の良し悪しを自分の考えで評価すればいいのだ。そうすれば、他の人の批判が怖くなくなる。

 結局、この本が言いたいことはこの一文に尽きると思う。自分も偉そうに感想を書いているけど、なかなかこれが思うように出来ないのが正直な感想である。

★人を信用してそれで安心しているようなら、それは「落ち着かない生活」「見せかけの安心」に過ぎない。もしその人があなたを裏切ればその安心は消えてしまうからだ。

 これも大事だと思う。以前の上司が話してくれた言葉をいつも自分は忘れないようにしている。それは「安定は不安定、不安定は安定」という言葉である。この言葉に関しては、また今度、記事に書きたいと思う。

★私たちがいろいろ悩んだりするのは、過去や将来のことを「今」考えてしまうからだ。

 まさしく、その通り。過去の事は考えても決して過去の事実は変わらない。私は、同じ失敗をしない程度の反省をしたら、なるべく早く忘れる努力をとりあえず実践している。将来のことは考えることが無駄だとは思わない。リスクマネジメントが重要なように、将来起きるであろう不測の事態に対して対策をうっておくことは重要である。しかし、それも限度がある。ほとんど実現可能性のない将来の出来事を真剣に悩んでも仕方がない。

 昔の本を引っ張りだして読むと結構面白い。私は癖でかならずマーカーで気になった箇所に線を引きながら読んでいるが、昔と今では線を引く場所が、違うことが多い。成長したのか、退化したのかわからないが、自分が変わっていることだけは確かだ。

2005年8月12日

成功と失敗の境目って?

 「成功」と「失敗」って言葉があるけど、これの定義ってなんだろう? よく「失敗が怖い」って思うけど、後でよく考えると、「あの時の失敗がなければ、この成功はないなぁ」と思うことが、よくある。つまり「あの時の出来事」は決して「失敗」ではなく、「成功」だったのかもしれないと考えてみるのだ。だけど、今が順調で「成功」しているように感じるからといって、いつか、今を振り返ると「失敗」だったと悔やむ事がくるかもしれない。

 「成功」と「失敗」といった言葉は、ただ単にその時の人の感情を表す言葉と割り切った方がよいかもしれない。あまり、その言葉自体に意味はない。だから、その言葉に一喜一憂すると疲れてしまう。ただ、それらの言葉を自分で発することにより、未来への「きっかけ」や「足がかり」になるのなら、大変意味がある言葉だと思う。

 前回の記事で、自分のその日の採点方法を書いた。その中で「失敗は採点外」「点数は自分へのご褒美」なんて事を偉そうに書かせていただいたが、まさしく、「成功」と「失敗」の言葉の定義や持つ意味は曖昧で、長い目で見るとあまり意味がないという事を書きたかったのかもしれない。

 ただ、自分はどうしても「成功は忘れ、失敗は引きずる」性格なので、自分の採点にカラクリを施し、自分で納得しているのだと思う。本当に自己満足の世界だと思う。ただ、「自分で納得」する事が大切であることも理解しているつもりだ。その納得の結果、「自分を前向にできる」といった効果がある。それによって少しでも「失敗を引きずる」ことをなくしたいと思う。失敗を引きずっても、良いことは何もない。「失敗した」と思ったら、とりあえず繰り返さないように反省だけして「失敗した」事は忘れてしまおう。

 経営や経済では「機会損失」という考え方がある。「機会損失」とは簡単に言うと、何かをしなかったことによって、もしくは何か別のことをして、本来得られるものが得られなかった損失である。学問的には大切な要素である。経営判断をするときは必ず考慮すべきであろう。でも、人生においては「機会損失」なんて言葉は存在しないのではないかと思う。生きている以上、何らかは考え、学んでいると思う。その時は何の糧にもならない、人生の大きな失敗である、と感じても未来では「そうではない」と感じるかもしれない。もし、今は辛くても、その辛かった事自体が、将来振り返った時、自分にとって「よかった」と思えることになることが十分考えられるのである。

 自分で自分の人生をもっと客観的に見られるようになれば、もっと楽なのかもしれないなぁと思う。

2005年8月 5日

みなさんの満点は何点ですか?

 ちょっと変なタイトルだと思います。普通は分かりやすいように、満点は100点とか10点とか十進数の分かりやすい数字ですよね。学生時代、よし、これは100点だ! と思っていたら、ケアレスミスで95点とかありませんでしたか? 100点って取るのが結構難しいと思います。しかし、私が大学に行っているとき、ある科目で採点上は120点満点の試験がありました。でも大学へ提出される成績は100点満点です。その教授は面白くて、120点満点の試験を実施し、100点以上取った学生は全員100点となるのです。これだとケアレスミスをしても100点を取ることができます。その当時は、このカラクリの大切さに気づきませんでした。でも今なら分かります。このミスをしても100点がとれるということが、社会においても大切なのではないかとわかってきました。
 
 社会において、全て完璧(満点)ということはとても難しいです。それは。その時点で完璧であっても、社会情勢が刻一刻と変わり、完璧であったものが翌日には完璧ではなくなることがあります。人間は全てのものが見えるものではありません。この流れの速い現代社会において、全ての事象の変化を把握できる人は皆無だと思います。ですから、人は100点満点の100点をとることは殆ど不可能だと思います。この部分は学生時の試験とは違いますが、大学のときに受けた120点満点の試験は、今、社会を生きて行く上でとても大切なことを教えてくれました。

 うつ病になった時、私は、100点満点の100点を常に追いかけていたように感じます。でも、自己採点でそんな点数はなかなかとれないので、いつも悶々としていました。悶々のうちは言いのですが、やがて自分を責めるようになり、病気になっていきました。点数の数え方は数字のマジックです。ルールによってどんな点でもつけることができます。

 社会に出てからは、採点者は自分なのですから自由にルールも設定できます。ですから自分でルールを設定して満点が出やすいようにすればいいと思います。「え?」と思われる方がいるかもしれません。その方は「採点者は上司なのではないか」と思っているのではありませんか。確かに社会ではその一面もあります。しかし、その点数は上司の視点で会社へ提出する点数です。あなたの上司が必ずしもあなたを十分理解しているかは、わかりません。もし、理解していない上司ならば、その採点は、あなたを採点したことになるでしょうか?

 あなたを採点するのはあなたです。ここだけは間違えないようにしないと、疲れてしまいます。上司が変われば上司視点での採点基準もかわります。いくら会社が公平な採点方法を設定しても、上司も人間ですから、人間によって点が変わるのは仕方が無いことだと思います。ですから、その点数で一喜一憂していたら、あなたが本当に疲れてしまいます。

 自分で点数をつけてみてください。私のよそくですが、「うつ病」というテーマからこの記事を読んでいる人は自分に厳しい点数をつけていると思います。自分で自分の点数をつけることができるようになったのなら、自分への点数は少し甘く採点してください。120点満点で100点以上はすべて満点でもいいです。100点満点で60点以上が満点でもいいです。減点法よりは加点法にしてください。自分に点数をつけるときは、点数を自分へのご褒美にしてください。採点が決して自分への戒めにはならないようにしてください。

 あくまでも一例ですが、私の採点方法はこんな感じです。失敗は採点外。自分でよいことをしたと思ったらプラス30点。つまり、一日で、4つほど、これは「よかった」と思うことがあれば、100点を超えて、その日は自分にとって満点の日だということです。ちなみに今日は午前中で90点です。午後にもう一つ「よし」と思うことがあれば、今日は満点になります。自己満足ですが、例え自己満足でも、それによって自分に少しでも自信を持てればよいと思います。