2005年8月12日

成功と失敗の境目って?

 「成功」と「失敗」って言葉があるけど、これの定義ってなんだろう? よく「失敗が怖い」って思うけど、後でよく考えると、「あの時の失敗がなければ、この成功はないなぁ」と思うことが、よくある。つまり「あの時の出来事」は決して「失敗」ではなく、「成功」だったのかもしれないと考えてみるのだ。だけど、今が順調で「成功」しているように感じるからといって、いつか、今を振り返ると「失敗」だったと悔やむ事がくるかもしれない。

 「成功」と「失敗」といった言葉は、ただ単にその時の人の感情を表す言葉と割り切った方がよいかもしれない。あまり、その言葉自体に意味はない。だから、その言葉に一喜一憂すると疲れてしまう。ただ、それらの言葉を自分で発することにより、未来への「きっかけ」や「足がかり」になるのなら、大変意味がある言葉だと思う。

 前回の記事で、自分のその日の採点方法を書いた。その中で「失敗は採点外」「点数は自分へのご褒美」なんて事を偉そうに書かせていただいたが、まさしく、「成功」と「失敗」の言葉の定義や持つ意味は曖昧で、長い目で見るとあまり意味がないという事を書きたかったのかもしれない。

 ただ、自分はどうしても「成功は忘れ、失敗は引きずる」性格なので、自分の採点にカラクリを施し、自分で納得しているのだと思う。本当に自己満足の世界だと思う。ただ、「自分で納得」する事が大切であることも理解しているつもりだ。その納得の結果、「自分を前向にできる」といった効果がある。それによって少しでも「失敗を引きずる」ことをなくしたいと思う。失敗を引きずっても、良いことは何もない。「失敗した」と思ったら、とりあえず繰り返さないように反省だけして「失敗した」事は忘れてしまおう。

 経営や経済では「機会損失」という考え方がある。「機会損失」とは簡単に言うと、何かをしなかったことによって、もしくは何か別のことをして、本来得られるものが得られなかった損失である。学問的には大切な要素である。経営判断をするときは必ず考慮すべきであろう。でも、人生においては「機会損失」なんて言葉は存在しないのではないかと思う。生きている以上、何らかは考え、学んでいると思う。その時は何の糧にもならない、人生の大きな失敗である、と感じても未来では「そうではない」と感じるかもしれない。もし、今は辛くても、その辛かった事自体が、将来振り返った時、自分にとって「よかった」と思えることになることが十分考えられるのである。

 自分で自分の人生をもっと客観的に見られるようになれば、もっと楽なのかもしれないなぁと思う。

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