2005年9月18日

「待つ」は自分との戦い

 「待つ」というのは、本当に自分との戦いであると思います。「待つ」という遠大な戦略のおかげで天下をとった徳川家康や、中国戦国の覇者となった晋の文公(重耳)など、「待つ」ことで歴史上のヒーローとなった人は多いです。

 普通、「待つ」ということは苦手な人が多いです。私も待つことが苦手です。しかし、最近、「待つことの重要さ」がわかるようになってきました。逆説的に言えば、慌てるとろくな事がないということです。

 私も、独立してから苦手な営業をいろいろしています。苦手なのですが、不思議と「一緒に仕事をしましょう」という人が出てきてくれます。これは大変ありがたい事なのですが、その理由を考えることも大切だと考えてみました。凡庸な私にはよくわからないですが、以前頑張っても取れなかった仕事が、取れるようになってきたのは、ここ数ヶ月で自分が変わった事に原因があるはずです。この数ヶ月で自分が変わった事といえば、「慌てない」という事です。

 「慌てない」というのは、いろいろな事に当てはまります。「お客さんとの契約を慌てない」「仕事の話につなげるのを慌てない」「相手からの回等を慌てない」などいろいろです。これらは、すなわち「待つ」ということで、待つ方は意外ときついものです。やはりすぐに結果が欲しいのが「ヒト」というものです。

 以前書いた記事の「ま、いいか」と思うが勇気にもつながる事ですが、「ま、いいかと思うこと」や「待つこと」はとても勇気がいる事です。ですから、歴史上でも遠大な戦略として語り継がれるのだと思います。

 「うつ病」になると、殆どの人が将来に不安を感じて「あせって」しまいます。そして周囲のヒトも何とかうつ病を直してあげたいと「あせって」しまいます。このあせり」はとてもよくない事だと思います。「病気からの脱出」も「事業を起動に乗せるのも」どちらも、「待てる」ようになってから好転しています。「待つ」ということは、自分から見ても、他人から見ても「何もしていない」ように見えて、悪いときは「さぼっている」ようにさえ見えてしまうものです。でも、決してそうではないのです。

 「社会に属しているんだから。そんな悠長な事は言ってられないよ」と思わないでください。少なくとも私の場合は「待つ」ということがいろいろな事の解決への早道だったのです。待ってみればわかると思うのですが、「待つ」ことは自分との戦いです。本当に大変な事なのです。自分のあせり、周囲の視線などを考えると、大変な忍耐だと思います。だから価値があるのです。

 「がむしゃらに前進」だけではなく「待つ」ということにも一度チャレンジしてみてください。そして、じっくり周囲を見てください。いろいろ見えてきます。「がむしゃらに前進」している時は周囲が見えないものです。「待つ」ことによって周囲をみて、一度自分を客観的に見ることは、決して「さぼっている」ことではないと思います。

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