2006年7月 4日

自分の過去は否定をせず肯定してください

 最近、無性に不安になることがあります。これは私の性格なので仕方が無いと思います。不安になる自分が嫌で、いろいろ考えて余計に自己嫌悪に陥ったりしてしまいます。自分が自分にとって好ましくない状況と付き合わなくてはならない場面になった場合、3つの選択肢があると思います。

 一つは、徹底的にその状況から逃げること、もしくは徹底的に立ち向かうこと。最後は、その状況を受け入れてしまうことです。どれがが正しいかは私にはわかりません。

 以前は「徹底的にその状況から逃げること」はやってはいけないことと自分に言い聞かせていました。どんなに辛いことがあっても、それに向かっていっていたと思います。これを書くと素晴らしいように見えますが、逆に「向かっていかないこと」が怖かったのです。ですから、自分の本意とは関係なくその状況に対して向かっていきました。

 結果は、重度の「うつ病」です。どんな状況にも向かっていける人がいます。その人たちは自分を鍛錬し、そのような訓練をしているのだと思います。中にはそのような資質をもって生まれた人がいるかもしれません。そのような方々を私は尊敬します。ただ、私には出来ないことがわかりました。今から自分を変えて、どんな困難にも耐えられるような強い人間に鍛錬していくのは、物理的には可能ですが、効果がどれほどあるかはわかりません。

 自分に「徹底抗戦」が出来ないこととわかったとき、「徹底的にその状況から逃げること」をしているヒトをみても、それはその人なりの努力だと思うようになりました。徹底的にその状況から逃げること、もしくは徹底的に立ち向かうことは表裏一体で根本的には似ているのではないかと思います。

 最後の「その状況を受け入れてしまう」ことの出来るヒトを見ると、これまた尊敬してしまいます。自分自身で様々な状況の変化に対応しながら、困難を受け流していくヒトをみると、本当に凄いと思ってしまいます。

 世の中は不確実は要素が多すぎます。その不確実な要素に敢然と立ち向かっていく人たち、そして、不確実な要素をうまく受け流していく人たち、どちらも処世術に長けた素晴らしい人たちです。

 一方私はこれらのどれでもなく、知らず知らずのうちに折衷案をとっていることが多いように感じます。不確実な要素がすなわち不安です。つまり、私は3つの対応策のうちどちらでもない中途半端な方法を選択しているのです。

 でも、この中途半端な選択を行なっていることを恥じてはいません。私は「徹底抗戦」をすることによって、大きな挫折を味わいました。でもその挫折があるから「今」の私がいるのです。今、私が「不安」をよく感じるようになったのは、それだけ危険察知のアンテナが敏感になったのだと思います。

 自分の過去は否定をせず、肯定してください。それがどんなにつらい過去だととしてもそれは「自分」です。そして「自分」を支えてくれた多くの人たちの「努力の結晶」です。無駄な過去なんてありません。

 常に不安を感じ、中途半端な方法を選択している私ですが、それも「私」です。過去から学んで、「今」選択をしているのです。中途半端な選択でも、そんな選択ができるようになった自分に誇りを持ちたいと思います。そしてその選択ができるようにしてくださったみなさんに感謝したいと思います。

 また、明日から殺人的に忙しくなるので、自分を見失わないように記事を投稿させていただきました。

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comments

中途半端な選択をしている私も私。
どうしてもマイナス、否定的な気持ちをもっています。でも「恥じない」ことは、できそうです。

ご無理のないように。

  • a-nother
  • 2007年1月 1日 23:22

a-nother様、お久しぶりです。

最近時々、疲れて気弱になる事があります。
そんな時は、自分に向けてこのブログを書いているのかもしれませんね。

  • やど
  • 2007年1月 1日 23:25
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