2006年7月 2日

自分で物事を判断していい自由

 しばらくぶりです。仕事の方が忙しく、正月の2日からほとんど休まず働き続けてきました。このブログは私にとってとても大切なブログであり、書きたい事も多く、書く時間が無いことに寂しさを感じていました。7月はおそらく開業以来の忙しさになるとおもいます。頑張って乗り切るしかないのですが、一度このブログにメッセージを残しておこうと思い記事を投稿させていただきます。

 心と体は切っても切り離せないものです。心が疲れると、体が疲れてきますし、体が疲れてくると心も疲れてきます。体が疲れるとは何のことでしょう? それは純粋に休み無しで働くことだと思います。そういう意味では、今の私は体が疲れてきていると思います。いかに「好きなことをやっている」といっても休み無しでは、体は正直に悲鳴を上げてきます。

 一方、心も少し疲れ気味です。小さな事務所ですが経営者としていろいろな場面に出会うことがあります。以前では考えられないような嬉しいこと、逆に屈辱が日常茶飯事です。自分にプライドを持ちながら、自分の決めた道を歩んでいるので「嬉しさ」も「悔しさ」も以前とは比べものになりません。

 でも、自分のしたいことを、自分の意思でしていることには間違いありません。自分の先には何がおきるかわからないのがこの世界です。とても神々しい光がさしているような、身の毛もよだつ悪魔が待ち構えているのかわかりません。でも自分の意思で歩めていることに「幸せ」を感じていることは間違いありません。

 「嬉しさ」も「悔しさ」も全てが自分の何らかの行動から発した、自分の中にある感情なのです。視点を変えると「嬉しさ」や「悔しさ」が違う姿に見えてくることもあります。

 私は基本的にまだ「精神的に不安定」だと思います。でも「精神的に不安定」だから「安定」を求めてバタバタしています。この世に「安定」なんて言葉はありません。「不安定」こそが世の常なのです。でも「安定」をもとめてもがくことはとても大切だと思います。それは、今より自分を良くしたいともがいていることだからです。

 「嬉しさ」や「悔しさ」を決めるもの、「安定」や「不安定」を決めるものそれは自分に許された「自由」です。それに気づけて、もがいている自分はやっぱり「幸せ者」だと思います。

 「自分で物事を判断していい自由」に気がつくと、少し心が楽になる気がします。

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