Search




Archives

2012年9月 8日

自分は「先生」だと上から目線で話す愚かさ

「自分は『先生』だと上から目線で話す愚かさ」という言葉は、以前に研修を行ったときに、その担当の方が言っていたことです。
この担当の方は、少し前に病気をしてしまい、「先生」という仕事の第一線からは退いています。
しかし、この方の経歴を聴くと、年間数百の企業研修を行い、教えを乞うたり、コラボしたりした方の名前もすごい方ばかりでした。
私の研修に関する指摘やアドバイスも的確なものばかりでした。

その方がいうには、「先生」と言われる人は、上から目線で話す人が多く、その多くの方はその「愚かさ」に気付いていないとのことです。
その方自身「先生」として企業研修の場数を踏み、今は「先生」の仕事の一線を離れ冷静に先生たちを見れる立場だから、言えることだと思います。

その方は「先生」という立場の人間に関して、様々なことを私の様な若造に話してくれました。
それを私なりの解釈で3つに整理をしてみました。

ひとつ目は、「自分と違う相手の考えは間違い」と断定してしまう「先生」についてです。
教える立場として自分の考えに信念を持つことは絶対的に必要です。
しかし、それに対して受講生の方がアンチテーゼを唱えたとします。
そのアンチテーゼを全否定するのではなく、「講師」「受講生」の関係を越えて、同じ「人」として、そこからよい意見を取り上げていく大切さを話していました。

ふたつ目は、自分の成功体験を「押し付ける先生」についてです。
その「先生」と言われる人たちが成功した時とは、外部環境が変化している場合があります。
しかし、その変化する前の外部環境で成功した自分の手法を、「受講生」の声を取り上げることなく、ひたすら押し付けてしまうとのことでした。
「受講生」の声に耳を傾けて、自分の成功体験の中から伝えるべきことと、今は伝えない方がよい事を判断する大切さを教えられました。

最期に教えられたのは、今の「先生」は必ずしも「人格者」ではない場合もあるということです。
「先生」「先生」と呼ばれているうちに、自分が「人格者」だと勘違いしてしまう人もいるそうです。
「優れたスキルや能力」「有益な情報」を持っており、それを伝えれれば、「先生」と呼ばれます。
ただ、「人格者」の定義がよく理解できませんでしたが、「受講生の人がこの人から学びたい」と思わないと、どんなに「優れたスキルや能力」「有益な情報」を持っている人でも、その声は相手に届きません。

3つとも、とても難しいテーマで、自分が反省すべきところも、とても多くあると思います。
そのテーマを私に伝えてくださった方に、感謝をしたいと思います。
また、次の研修を依頼して下さったので、お会いできることが楽しみとともに、身が引き締まる思いです。