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2012年10月29日

得意な時こそ淡々と、失意の時こそは取り乱さない態度で

「得意」な時こそ、淡々としてさらりとした態度で、「失意」の時こそはゆったりと落ち着いて取り乱したりしない態度でふるまいたいですね。
私の人生は、たかが45年ですが、そこの中でも「得意」な時、「失意」な時がありました。

ふり返ってみると、「得意」な時に天狗になっていることほど恥ずかしいことはないですね。
世の中は広いです。
いくら自分が「得意になっていたとしても、それよりも上を行っている人は必ず存在します。
...というより、そもそも人と何かの基準で優劣をつけること自体がおかしいです。
基準が変れば、その「得意」なんて気持ちは「砂上の楼閣」ですものね。

自分も若いときに一時期ですが「得意になっていた時期があります。
「井の中の蛙」です。
思い返すだけでも恥ずかしいです。

一方、「失意」の時もありました。
「うつ病」で、自傷行為がひどくなり、会社も辞めなければならなくなった時です。
「得意」が一気に「失意」に変わった時期です。

この時の「失意」は人生で経験したことない失意でした。
自分は取り乱し、自分の将来に何の希望も無くなりました。
いろいろな人のおかげで運よく病気も治り、社会復帰できましたが、いろいろな人にかけた迷惑を考えると、こちらも恥ずかしくなります。
ただ、一旦大きな「失意」を経験して、少しは変れた(成長できた)気がします。

「得意」「失意」のどちらの時も、自分として恥ずかしい態度をとっていました。

「得意」な時こそ、淡々としてさらりとした態度で、「失意」の時こそはゆったりと落ち着いて取り乱したりしない態度でふるまえるようになれれば、それはすごい事です。

「いまだ木鶏たりえず」という心境です。
ただ、「動揺が顔に出る」のが、「宿澤さんらしくて信頼できる」と言う人もいるので、悩むところです。