Search




Archives

2012年3月 3日

「末期の身内」と過ごす大切な時間

少し湿った話になってしまいましたが、お許しください。

お会いした方の身内に不幸があったとのことで、その話は「人の死に接する」ことを深く考えさせられる内容でした。
特に「末期の身内」と過ごす時間に関しては、私も父を亡くしたときに深く感じたことです。

いくら「末期の身内」だと言っても、「危篤」ともなれば話は別ですが、仕事に穴をあけっぱなしというわけにはいきません。
しかし、多くの人が職場では周囲に気を使いながら、そして身内をやがて失うという精神的な苦痛とも戦いながら「末期の身内の介護」をしているのだと思います。

その点、私は恵まれていました。 なぜなら、自分自身が「うつ病」で休職していたこともあり、ずっと父の側にいることができました。

その当時、「本人は精神的に病んでいる中、お父さんは比較的若いのに亡くなって気の毒」と言って頂くことが多々ありました。
でも、そんなことは全くなくて、自分が病気だったから、父の側にずっといれたのです。 この時に、たくさんの話もでき、自分の今後の将来を見つめ直すことができました。

やっぱり、私は恵まれていたと実感しています。
「末期の身内」との間で、最も幸せなことは「残されたわずかな時間を共有」することだと思います。

私は、その最も幸せなその時間を過ごせたのです。
「忙しい仕事」や「今後の生活」「人間関係」「物理的な距離」などで、その「残されたわずかな時間を共有」することがいかに難しいかは、自分は病気になる前に体験しています。

もし、いろいろなしがらみがなく、可能であれば「末期の身内と残されたわずかな時間を共有」することを、何より優先してほしいと思いこのブログを書きました。