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2012年7月25日

同友会の支部役員会で不離一体シートの発表

一日、名古屋市新事業支援センターで相談業務を終えて、同友会第五支部役員会へ。
いまだに、同友会のことを良くわかっていない私には、難しい話が多いです。

ただ、支部役員会で「不離一体シート」の発表を行い、自分の事を伝えられたことが嬉しいです。
自分の事を伝えるとは自己開示です。
自分は自己開示をして、もっといろんな仲間と本当に信頼し合える仲間になってきたいです。

しばらく出張が続き、疲れていたのか目が閉じたような状態で話していたので、伝わったのか微妙な感じはあります。

本当はもっと詳しいしいのですが、抜粋します。
こっからです。

◆~2005(事務所設立まで)

順調な人生。NECの同期の中でもトップクラスの出世。「あれ、俺っていけているかも・・・」と勘違い。NECでの多忙なプロジェクトの連続、および父の肝臓がんによる死が重なり、精神的に参ってしまう。ある日、激しい自傷行為をおこし、精神科の病院へ。重度のうつ病と診断される。廃人状態・・・ 2003年末にNECを退社。

但し、この時期に中小企業診断士を目指してなることができた。同時期に上級システムアドミニストレータ、簿記2級、FP技能士2級、ISO9000審査員補など様々な勉強をし、資格を取得することができた。
2005年に宿澤経営情報事務所設立。最初の数か月は殆ど仕事なし。その焦りが顔に出ていたようで、ある社長に「まず人に会いない、運よく仕事がもらえたら誠実に行ういない、そして待ちなさい」と言われた。これ以降は、「受注を取る」成果ではなく、「経営者と会う」行動が目標にかわった。

◆2006~2009(事務所の黎明期)

仕事が急に増えてきた。できることはドンドン受注をして、こなしていた。まったく疑問を持たなかった。後で考えると上昇しているときは、なかなか「いろいろなことに気付けない」ことがわかった。忙しさが加速をしまたしても、自分を見失いつつある気がしはじめていた。

自分自身の価値観を見直す時期になっていたと思う。ただ、仕事の量は年々増えていき、日々の仕事をこなすのに懸命でなかなか見直しができない時期が続いた。

県外の中小企業支援機関から講演、セミナー、および雑誌への執筆依頼の声がかかり始めた。オーバーワークだが、独立診断士としては「安定」して仕事が入るようになる。しかし、「安定は不安定、不安定は安定」が頭をよぎる。

ある日、同友会で「士業こそ経営指針が必要だよ。それが差別化要因になるんだよ。」と教えられ、よくわからないながら、大切な言葉だと感じた。

◆2010~2012(事務所の理念明確化)

多忙な状態が続き、自分はこのままでよいのかと考え続ける。ただ問題意識を持ち続けたことで光明もみえる。前年に産業カウンセラーの資格を取得しており、カウンセリングのできるコンサルタントを目指すことを決意する

自分の仕事であるコンサルタントと自分の独立の原体験である「心の問題」を組み合わせて、自分の仕事を再構築していく決心ををする。

理由として、自分の「指針」がないのに、できる仕事を引き受けているのが問題ではないかと、同友会でで気付いたからである。自分は何がしたいのかを真剣に考え、遅まきながら、2011年度は、自分の指針を考えるのに同友会を利用させてもらった。以前言われた「士業こそ経営指針が必要だよ。それが差別化要因になるんだよ。」が本当の意味で腹におちる。

自分のあるべき姿(カウンセリングのできるコンサルタント)に向かって、仕事の依頼内容も変化しつつある。この自分の仕事の変化・再構築をふまえて、理念「人に寄り添うコンサルで『元気』を創る」で奮闘中

また、同友会の地区会長をすることで、テキスト的なリーダーシップの知識ではなく、生の体験をしている。人は「方針を打ち出して、ゴールを提示すれば、見づから動いて協力してくれる」...に気付いたことも大きい。リーダーシップなどのコンサルに重みが出てきた気がする。

ここまでです。長文、失礼いたしました。