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2012年8月14日

終戦記念日に思い出す「水とり観音様」

明日は終戦記念日です。そして今日は伯母さんの命日です。
私の伯母さん(父の姉)は、終戦の1日前に岡崎市の高野精密(現リコー)で働いていたところ、機銃掃射を浴びて亡くなりました。

最期の時、たまたま近くにいた男性に「水が飲みたい」と言って最期亡くなったそうです。
しかし、戦争の混乱の中、身内の誰にも、その事を知らされる事なく、空襲で亡くなったという事実だけが伝えられました。

一方、伯母さんの最期を看取った男性は、「水が飲みたい」と亡くなった、その姿が忘れられず観音像を彫り続けました。
その数は500体以上、みな手に水つぼを持った姿です。
その観音様は伯母さんの最期の言葉から「水とり観音様」と名付けられました。

戦争が終って50年程たった時、「水とり観音様」の記事が豊田の地方新聞に取り上げられました。
豐田の刑事さんが、「水とり観音」の話を聞き、長い時間をかけて、親族を探してくれていたのです。
そのことが新聞に紹介されました。

その新聞をたまたま見つけた豐田の親戚が「これは伯母さんのことではないか?」と連絡をくれました。
早速、お礼に伺い一体の「水とり観音」を譲り受けました。
こうして終戦50年近くたって、伯母さんは家に帰ってこれました。

ただ、不思議なのはここからです。

最初に家に帰ってきた時の観音様は、全身が正しく木彫りで乾いた木の感じでした。
しかし、しばらくすると表面を水で濡らしたように綺麗なツヤが出てきました。

水取観音.jpg

もともとは、全身台座のところのような、乾いた木の色だったのです。

もう、15年以上経ちますが、一度も乾くことなく、いつもツヤツヤで輝いています。
以前、お寺さんに見てもらったところ「伯母さんの魂が入ったのかのう」とおっしゃっていました。

今では神棚、仏壇と一緒に一族を護ってくれています。
ありがたいことです。