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2012年12月29日

自分の耳に痛いことこそ気づき

自分の未熟さは分かっているようで、わかっていない部分が実に多くあります。
そして、自分で未熟さに気づかず、そして誰にも指摘をされないと、そのまま間違いにも気づかず、一生直すこともできずに過ごしてしまうことになってしまいます。

この年齢になると自分の耳に痛いことことを言ってくれる人の数は減ってきます。
それでも、言ってくれる人はいます。
なにも、あえて人の耳に痛がることを言いたい人はいません。
それでも言ってくれるのは、相手のことを心配し、心を痛めて言っていることが多いです。

だから、間違いや未熟なとことを指摘してくれることは、本当にありがたいことです。

耳に快いことを言うのはある意味簡単です。
相手のことを喜びそうなことを、言っていれば済むからです。
そして、褒められた人は無条件で相手の言葉を喜んで受け入れます。

しかし、相手にとって耳に痛いことを言うのは、相手の心に届くことを意識して話さないといけません。
相手にとって耳に痛いことは、相手もできれば耳をふさぎたいことが多いと思います。
だから、相手にとって耳に痛いことが、相手の心に届くには、相手の価値観と相手の心の余裕を意識しないと難しいです。
だから、耳に痛いことは、相手のことを想って知らないと言うことができないのです。

耳に痛い言葉こそ、本当の意味での自分に気づきを与えてくれる大切な言葉なのだと思います。