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2013年7月20日

自分の「記憶」は結構あてにならない

自分は友人と話していて「あれ?そうだっけ?」ってことがよくあります。
友人と一緒にその出来事に遭遇しているはずなのに、何か食い違っているのです。

単純に歳をとって記憶力が落ちてきていると、片付けることもできます。
ただ、そうもいってられない時があります。

特に仕事に関して同じ「事実」をそれぞれが別の内容の出来事と「記憶」しており、話が食い違っていることややこしいことになります。

先日、読んでいた本に、人が記憶するのは「事実」ではなく「印象」である...と書いてありました。

つまり、「事実」はその人の持つ価値観のフィルターを通った「印象」として記憶されており、だれも正確な事実を記憶していないとのことでした。
「事実」を記録するはずの「議事録」ですら、人の価値観のフィルターを通った記録である...。

こうなると、友人と一緒に遭遇た出来事であっても、何か食い違っていても当たり前になってきます。
大切なことは「記憶が何か食い違っていても当たり前」であることを知ることだと思います。
そうすれば、記憶が食い違っていても、相手の記憶を尊重することもできます。

自分の「記憶」って、結構あてにならないものかもしれないですね。

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