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2011年10月 8日

「無駄」かどうかは、自分自身が決める

日行った「クラウド」研修では、そのために準備したことの半分もできませんでした。
準備してもできなかった部分は「無駄」だったのでしょうか? それは、決して「無駄」では、ありません。
生きていく上で「無駄」なものなんてないと思います。

今回、演習つきのクラウド研修というものを初めてしましたが、その際のさまざまな課題に気付くことができました。。
例えば...

・テキストを「永遠のβ版」に対応させないといけないこと
・同時にクラウドサービスにアクセスする通信負荷のこと
・事前準備としてのサービスアカウントの取得すること など...

挙げればキリがありませんが、どれも次にいかせる教訓ばかりです。

「無駄かどうか」の判断は、いろいろな考え方があると思いますが、「目標の設定レベル」や「達成までの期間」などで考えられると思います。
特に「達成までの期間」によって「無駄かどうか」の判断が大きく左右される気がします。

「達成までの期間」をとても長く設定すると、限りなく無駄なものがなくなっていくと感じます。
長い人生、どこかで役に立つだろうっていう考えです。
言い替えれば、その時は「無駄」だと思っていても、長い期間で考えると「どこかで役に立つ」と発想の転換がしやすくなります。

逆に達成までの機関が短いと「無駄」なものばかりになってしまうように感じます。
例えば、「明日までに1時間のセミナー資料をつくって」と頼まれた場合、資料完成まで最短距離で仕事を進めなければなりません。
そこには「どこかで役に立つ」という発想は入る余地はありません。
いつか役に立っても、資料完成がセミナーの後では、正しく「後の祭(無駄)」と考えられてしまいます。
ただ、その次のセミナーまで視野に入れれば、「無駄」ではないことがたくさん見えてくるはずです。
「身体を休める」ために一日ボーとするのも「長い視点」で見れば「無駄」ではないのですよね。

我々は、いろいろな体験を「無駄」と考えてしまわないような発想が大切であると思います。
そのためにも、長い期間で物事を考える視点を忘れないようにしたいです。
「無駄」かどうかということは、自分自身が決めるということですね。