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2013年10月 7日

心配や思考のボリュームの限界と配分

自分って不思議なことがよくおきます。

いつも心配事と二人三脚で走り回っている私です。
しかし、何かを心配しているときは、たいていその心配事は問題解決していきます。

その問題解決のされ方が、決して自分の対策によるものではなく、「見えない手」によって解決されていくことが多いです。
まるで、「そんなに悩むなよ、代わりに俺(わたし)が解決してやるから...」って感じです。

ところが、問題を軽く見ているときは、たいていこじれます。
しかも、そのこじれ方は「ああ、不運が重なったなぁ」というこじれ方なのです。
まるで、「そんなに軽く見ているなら、こじらせて目を覚ましてやる」って感じなのです。

今日も、ここ最近ずっと心配していたことが、ひとつ解決しました。
「あー、少し気持ちが楽になった...」と、安堵していると一通のメールが入りました。
そのメールは、ダブルブッキングで私の日程調整のミスを気付かせるものでした。

大きな心配事があると、その他の心配事が見えなくなります。
人間が心配や思考できるボリュームには限界があって、そのボリュームの中で心配や思考のボリュームを配分しているのかもしれません。

...ということは、たくさん心配してることは、たくさん思考しているので問題解決につながり、心配しないことは、思考していないので落とし穴にちゃんと落ちるのでしょうね。

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