2012年7月31日
「感謝」の反対の言葉「当然」
今日、研修資料を作っていて、その資料に盛り込みながら、深く考えてしまったことを書きます。
(こういうことを考えているから、資料作りが遅くなるのでしょうね...)
世の中にはいろんな対義語がありますよね。
そんな中で、自分の気になったのが「感謝」の対義語はなんだろうです。
ネットで調べると、「感謝」には、明確な対義語はないそうです。
「感謝」という絶対的な意識を表す言葉には、対義語は存在しないとのことです。
それでも更に調べると、「心配」「当然」「不平」「迷惑」...色々出てきました。
どうやら有力なのは「怨嗟」だそうです。
「感謝」は「ありがたいと思うこと」、「怨嗟」は「抑え切れない恨み」です。
ただ、イマイチしっくりきません。
私の中では、「感謝」の対義語は「怨嗟」ではないようです。
いろいろと考えて、いろいろと出てきた中で、自分として一番しっくりきたのは「当然」という言葉です。
「人に対してありがたいと思うこと」が「感謝」ですが、「人に対してありがたいと思わなくなること」が「当然」です。
「感謝」と「当然」が対義語として正しいかどうかはおいておいて、人の意識から生まれる結果としては真逆だと感じます。
人の行為に対して「~やって当然」「~できて当然」と思っていると、その人に「感謝」することができなくなってしまいます。
「感謝」ができない状態では、人と人との信頼関係は生まれません。
人は社会の中で生きています。
そして、人は社会の中で一人では生きていけません。
いろいろな人と信頼関係で結ばれながら、助けられて生きています。
どんな時も、自分がいろいろな人に助けられていることを忘れてはいけないと思います。
社会の中で、生きていけることに「感謝」したいです。
一方、自分一人の力で世の中を生きていると考えている人がいたとします。
それは周囲の助けが見えていない状態です。
周囲の助けが「当然」となり、「当然」だから見えなくなってしまっているのだと思います。
そういう状態だと、きっと横暴、傲慢になってしまうのでしょうね。