2015年5月 9日

変わらない「自分」と変わる「自分」

「自分」を意識し始めたのは、一般的な人より遅いといます。
大学の頃だと思いますが、それまでは、「自分」というものを考えたこともありませんでした。
ただ、社会人、特に独立してからは人一倍「自分」ってなんだろう、と考える毎日が続いています。。

俗な言い方だが「自分探しの旅に終わりはない」とい言われ、私もそう思います。
なぜなら「自分」は変わらなくても周囲の環境は変わっていきます。
周囲の環境が変われば、また「自分」を見つめなおさなければならないからです。

ただ、周囲に流されてばかりで「自分」が存在しないと、生きていくのはとても苦しいと思います。
「自分」というものはしっかり存在しながら、「自分」は変わらないといけないと感じます。

「自分」を見つけることと、「企業」の経営は似ていると思います。
「企業」は環境適応業といわれ、日々変わる環境に合わせていった企業が生き残っています。
しかし、生き残っている企業には、また「変わらない自分」をもっていることも事実であると感じることが多いです。

変わらない「自分」と変わる「自分」の両面で「不易流行」を常に意識したいと思います。

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2015年5月 5日

これまでの「信用」がこれからの「信頼」になる

何かの本で読んだ言葉か、経営者の誰かに教わった言葉だと思います。
例によって私のEvernoteの備忘メモにありました。

そもそも「信用」と「信頼」って似た言葉なので、その違いが判らなくていろいろと見ていた時だと思います。
いろんな説明があったのですが、この言葉が一番しっくりきました。

これまでの「信用」がこれからの「信頼」になる...です。
つまり「信用」とは過去からの積み重ね、「信頼」は未来の心の拠所だということことです。

だれかと一緒にこれから仕事をする場合、「契約」とか「ルール」といった決まりごとはもちろん大切です。
ただ、その時に一番大切なのが「その人を信頼できるか」だと思います。

理由もなく「信頼」するとはできません。
「実績」だとか「経験」だとかはわかりやすいのですが、それは他人の評価です。
自分がその人と積み上げてきた「信用」があれば、無条件で「信頼」できると思います。

たしかに、これまでの「信用」がこれからの「信頼」になる...だと思いました。

...いかん、こんなことを書いている場合でないです。
資料がGW明けが納期の資料が遅れており、俺、終わるのか...と不安です。

なんか、自分を一番「信頼」していない気がしてきました。
過去に納期を守れなかったことはないと思うので、もっと自分を「信用」していい気がしますが...

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2015年4月19日

心と体のバランスが崩れると...

心と体のバランスは大切です。
心が疲れると思うように体は動かず、体が疲れれば心での感じ方がいびつになるからです。

自分は多くの場合が「体が疲れれば心での感じ方がいびつになる」方で悩んでいました。
自分の心ほどよくわからないものはないからです。

ところが4月になってからは、「心が疲れると思うように体は動かず...」に四苦八苦しています。

4月からいろいろなことが始まり、休日作業や深夜作業が当たり前になっています。
歓送迎会や期の切り替えの懇親会も多く、知らない間に疲れが溜まっていたようです。

ふと、研修・セミナー、コンサルが終わって、ふと気を抜くとそのまま寝ていることがあります。

先日、知らない間に意識が飛んでしまいまい、壁に額をぶつけて流血しましたが、こんなこと初めての体験です。
道を歩いていて仏にぶつかっての流血はありましたが...。

少し休まないといけないと思いつつも、資料やテキストの納期が日々やってきて「時間の自転車操業」状態です。
こうなったら、ちょっと散歩したり、ちょっと外食しやりしたりして少しづつ気分転換をしようと思います。

...てなわけで公園で少しボーとしていたら気分転換ができました。
外で自然と触れるのはとても気持ちいいです。

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2015年4月16日

「過去の結果としての今」と「未来の原因としての今」

今という時間を考えたとき二つの視点があるとと思います。

ひとつは「過去の結果としての今」で、もうひとつは「未来の原因としての今」です。
偉お人の言葉や格言では「未来の原因としての今」を大切にすることを勧める言葉圧倒的に多いと思います。

中には「過去を振り返らない」ってのもあります。
前に進むという激励では、それが大切だと思うことも多いです。

わたしも基本的には「未来の原因としての今」が大切だと思います。
つまり、未来にむけて今、何をするかを考えることです。

ただ、過去の流れで今の自分が存在することも忘れてはいけないと思います。
それが「過去の結果としての今」です。

過去に試行錯誤したことが必ず自分の役に立っています。
経験は必ず積み上がっていきます。

不要な過去なんてないと思います。
不要だと思う過去も、その当時の自分と対話し、それを前向きにとらえる努力をすることが大切だと思います。

当然ですが、過去、今、未来はつながっていますものね。

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2015年4月14日

今の時間の使い方は「本当に無為なのか?」

私の悪い癖の一つが「つい理想を求めて慌てて進める」ことです。
物事を進めるには、スピード感とタイミングが大切だと頭ではわかっています。

ただ、無為に時間を過ごすのがつらい性格なので、ついつい前に前に進もうとします。
どんどん焦ってきます。

そして、ふと気が付くと足元がグラグラのまま、内容もなく形だけ前に進んでいることに気が付きます。
その時、ほんとうに今の時間の使い方は「本当に無為なのか?」を問いかけます。

物事を着実に進めるための試行錯誤の時間なのではないか・・・
もっとも効果的に伝えるべきタイミングを待っている時間なのではないか・・・

意外と、物事が進んでいないように感じても、後から考えると「あの時に無為に感じた時間で今がある」と振り返えれることが多くあります。

ただ単に「ゆっくりやっていきましょう」という意味ではありません。
「自覚なき無為」はやっぱり何も生み出さないと思います。

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2015年4月 6日

クライアントが一歩踏み出せたときの嬉しさ

コンサルタント、カウンセラーは一見似ていますが、微妙に異なります。

コンサルティングとは、専門知識を持って客観的に問題点を指摘し、原因を探り解決策を示す業務を目的とします。
つまり、いま抱えている問題に対して最善の答えを提供するのがコンサルタントの役目です。

一方のカウンセラーは心理療法や心理カウンセリングの手法を用いて、癒しまたは治療することが目的です。
その目的をサポートするのがカウンセラーの役目です。
コンサルタントと違って、解決策を押し付けない特徴があります。

クライアントの感覚として、カウンセリングは心に傷を負った人が受けるものであり、抵抗感がある場合があります。
かなり減ってきていますが、日本ではその傾向があるように感じます。

一方のコンサルティングは、かなり一般化してそれを必要としてくださる経営者の方は多いです。
コンサルティングの抵抗感もないように感じます。

ならば、名目はコンサルティングを行いながら、実際はカウンセリングを行うという方法も必要だと感じています。

経営者の悩みは尽きません。
しかし、経営者である以上(私も含めて)自分で解決策を見つけていくしかありません。

ただ、悩みに心を支配されている間は、冷静な思考をするのが難しい現実があります。
悩んで思考が堂々巡りしている状況で、コンサルティングの手法で「原因を探り解決策を示す」を行ってもクライアントは受けいる心余裕がなくなっているのです。

そんな時、まず先にカウンセリングを行います。
それで心を落ち着けて冷静になってもらうことで、コンサルティングの手法が生きてきます。

「光が見えてきました」「やるべきことがわかりました」その言葉をクライアントから聴けたとき、それを見つけたのはクライアントの力ですが、その少しの力になれたと思うと嬉しいです。

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2015年4月 5日

大切な人たちの相談に鈍感にならないように

大切な人たちの相談に鈍感にならないように

仕事柄、人の相談にのらせて頂く機会は多いです。
その数が多いために、人の相談にのらせていただくのを、つい日常化させないように気をつけたいです。

相談の内容は当たり前かもしれませんが比較的重いものが多いと感じます。
昔は特に重たい相談内容に自分がつぶれそうになったことがありました。

以前の私のように人生経験が浅い人間にとって、重たい内容の相談は受け止められないと思うものが多かったのが事実です。
それでも、多少の人生経験を積むことで重い内容の相談でも自分の出来る範囲で受け止められるようになってきました。

ただ、ここ最近は相談の回数が増えることで、重たい相談でもその重さに鈍感になってきているのかもしれないと思うときがあります
鈍感にならないと自分の心がもたなくての自己防衛本能かもしれません。

ただ、相談される方は軽い相談なんてありません。
どれも真剣で、中にはギリギリのところでの相談も多いです。

自分が大切な人たちの相談に対して、その重さに鈍感にならないようにしたいと改めて思います。

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2015年4月 1日

人生理念の明確化が経営をよくする

同友会天白地区のグループ会に参加しました。

最初はグループ会運営の打合せでしたが、いつの間にか「経営指針」の話、そして「人生理念」の話まで発展しました。

私は「産業カウンセラー」としても活動しているつもりですが、これには理由があります。
経営コンサルとして、経営がどんなによい仕組みの会社になったとしても、社員のみなさんが心の悩みを持っていると経営はよくなっていかないという壁にぶつかったことがあります。

以前、コンサルタントとしては「助言のためのスキル」とかは勉強するする機会がありますが、やはり心に寄り添うまでは難しいと感じていました。
そこで「産業カウンセラー」の訓練をしたのですが、経営者や社員の相談の多くは、心に寄り添うことで自ら解決策に気づいていただける場合も多いです。

グループでは、自社の経営についての話をお互いしていましたが、いつのまにか自分の人生での想いに発展しました。
この自分の人生での想いがしっかり自分で把握できればよい経営にもつながっていきます。

こういう話は仲間を信頼してぶっちゃけないと恥ずかしくてできません。
今、同友会に限らずいろんな場面で自分のことをぶっちゃけらっれるようになっているのが嬉しいし、聴いてくれる仲間の存在に感謝です。

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2015年3月31日

ようやく厳しい事も言える感じ

相手に配慮しながら伝える...と言うことは相手が傷つかないように優しく伝える事ではないと思います。
優しく伝える事で、大切なポイントが曖昧に伝わり混乱させては「相手に配慮」とは真逆の結果と言えます。

相手へ優しく伝えるのは、相手に厳しいことが言えない場合も多々あるようです。
相手に優しく伝えるのことが、相手のためを思ってのことならば大切なことです。
しかし、相手に嫌われるのが嫌で、厳しいことが言えないのは自分自身の都合です。

嫌われるのが嫌で相手に厳しい事が言えない人は、嫌いな人には執拗に厳しい事を言います。
なぜなら、嫌われてもいいからです。

自分も嫌われるのが嫌で相手に厳しい事が言えない性分です。
「宿澤さんが厳しいことを言うときは視線があっち向いていますね」と言われたこともあります。

でも、最近はようやく反省して好きな人にも厳しい事が言えるようになりつつある気がします。

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2015年3月29日

働くこととは職業ではなく生き様

ナビのテレビから、「働くこととは職業ではなく生き様である...」なんて言葉が聞こえてきました。
車での移動中だったので詳しい内容はよくわかりませんが、ちょっと「ハッとする」言葉でした。

テレビの内容はお寺さんの役割が変わりつつあり、檀家からの収益だけではなく、悩みを聴くことを新たな収入源にしている話だったと思います。
実際には「僧侶は生き様、間違っても職業ではない」と言っていた気がします。

つまり、お寺さん(僧侶)は人を助け導くための役割を担っており、それは「職業」という言葉ではかたずけられず「生き様」そのものである...とのことでした。

自分にはお寺さんの友人がいます。
また最近は、お寺や神社専門の経営塾があることも聞いたことがあります。
お寺さんも生きていくためには必死だと思います。

そこを「職業ではなく...」と言われてしまうと違和感を感じました。

ただ、お寺さんやその他聖職者に限らず、コンサルタントやカウンセラーといった人を支援する職業は自分の生き様と重ねるぐらいの覚悟が必要だということも感じました。

最近、「仕事が嫌だ」「働きたくない」という声を聴くことが多々あります。
難しいかもしれませんが「働く意味」は自分で腹に落とさないと納得ができないと思います。

自分の「生き様の一つ」が「働くこと」と考えることができれば、「仕事が嫌だ」「働きたくない」という声ももう少し減るのではなないかと...と思いました。
どんな仕事でも自分の生き様と重ねることができれば、もっと仕事に前向きになれる気がします。

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2015年3月28日

仕事ができるけど不器用な人

仕事ができるけど不器用な人

どうしても仕事ができる人に業務が集中する事ってありますね。
これは、組織の大小、成熟未成熟関係ないと感じます。
そして、困ったことに、仕事ができる人は業務が集中してもそれをこなしてしまうということです。

ただ忘れていけないのは、仕事ができる人は、必ずしも「器用な人」ではないということです。
むしろ真面目にきっちり仕事をする人は「不器用な人」が多いと感じることが多いです。
真面目にきっちり仕事をすることで、そのオーバーワークを周囲に伝えることもできずに「こころがポッキリ」なんてこともあります。

自分自身も真面目に仕事をこなす不器用な人だと思います。
そして、かつて心がポッキリ折れて2年ほど廃人化していました。

コンサル、カウンセリングをしていると「真面目に仕事をして、そして不器用な人」の多く出会い、その人たちの役に立ちたいと思います。

自分は、こういう人たちが大好きみたいです。
自分みたいに「心が折れる」前に、できることをサポートでしていきたいと思います。

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2015年3月26日

自分たちの心が創りだしたもの

時々思いますが、自分たちが見える世界は自分たちの心が創りだしたもなんですよね。
心に余裕があるときは、いろいろなものが幸せな世界に見えてきますし、心が苦しい時は、いろいろなものが不幸に見えてきます。

ただ、不幸に見えているとしても、それは自分のフィルタを通してだけなので、実際は必ずしも不幸ではない場合が多いです。
ただ残念ながら、心が苦しい時は「実際は不幸だけではない」と気づくことも難しいです。

自分たちの心を鍛えて「実際は不幸だけではない」と気付けるようになるか。
周りの人たちの言葉に耳を傾けて「実際は不幸だけではない」と気付けるようになるか。
周囲の様々な存在自らに気づいて「実際は不幸だけではない」と気付けるようになるか。

心は、天国を作り出すことも、地獄を作り出すこともできる...ってどこかで読んだ記憶があります。
「実際は不幸だけではない」と気付けるようになれる方法を自分なりに探すことが成長のような気がします。

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2015年3月23日

自分が話を聞くのが苦手な人たち

自分と全く別の世界に生きる人の話はとっても面白い。
相手にとって些細なことでも、聴き手の自分にとってはどれも新鮮で刺激的です。

ただ自分と全く同じ人なんかいません。
つまり自分以外のどんな相手の話でも興味をもって聴けばすべて面白いのです。

自分との離れ具合の程度の大きさはあるのかもしれません。
離れ具合が大きい人の話ほど面白いと思います。

ただ、自分には2パターン程、どれだけ興味をもって聞いても苦手な場合があるようです。
「自分の話以外興味をもたない人」と「自分の意見がなく他人に迎合するすることしかしない人」です。

「自分の話以外興味をもたない人」は、相手の話を遮ります。
自分の話を遮られるのはあまり苦にならないのですが、自分が興味をもって聞いている話を遮られると「ちょっと待て!」という気になります。

「自分の意見がなく他人に迎合するすることしかしない人」はその人の意見はないので話が薄っぺらく聞こえます。
常に「○○に書いてあった内容ですが...」「△△が言っていたのですが...」「...って言うことを□□が言っています」という話始めだと「あなたの意見は...」と聞き返したくなります。

こういう苦手なパターンでもちゃんと話を聞けるようになるのが大切のかもしれないですね。

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自分を好きになれない人は・・・

「自分を好きになれない人は幸せになれない」ってよくいろんな人に言われることがあります。
自分は自分が大嫌いです。
でも、自分が嫌いなのですが、「幸せ」と思うことも時々はあります。

多分、それは「本気で嫌っているわけじゃないよ」と言われそうです。
しかし、少なくとも自分は「自分が好き」とは口が裂けて言えません。
「自分が好き」と口に出して言えないということは、やっぱり自分のことが好きではないのだと思います。

特に「口にした言葉」や「とった行動」が自分で理解できない時は「なんで?」と「自己嫌悪」に陥ります。
自分で自分のことがわかならない時はよくありますが、その都度感じる違和感は自分だから感じされるのだと思います。

自分を理解しようという努力は最近は疲れたのであまりしていません。
また、明らかな不器用(失言や失敗)も悲しいかな自分の大切な要素です。
その結果、違和感を感じつつも、自分に対する許容範囲が広くなってきているのだと思います。

基本的には自分が大嫌いだが、そういうやつもいるのでイライラするのをやめよう...というのが「幸せ」と思うことも時と増やしているのでしょうね。

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2007年3月18日

人は努力する限り迷うものだ

 ゲーテの言葉です。私もこれまでの人生を振り返ると悩んでばかりです。その時は苦しくて辛くてどうしていいかわからないのですが、それでも悩んで、考えて何とか打開策を見つけてこれました。果たして打開策といえるかどうかは微妙なときもありましたが、とりあえず今もなんとか努力を続けられています。そして悩んで考えられています。これだけで十分生きている実感を味わえている気がします。

 よく、「努力を続けられることも才能だ」といわれる事があります。そこでは結果や成果は見られていません。ビジネスの場合は成果を求められますが、人生の場合はその過程こそが大切でだと思います。成果は過程そのものだと思います。言い換えれば、「どのような過程の人生を送っているか」ということ自体が成果だと言えるのではないかと思います。

 つまり、人生においては、努力するという過程自体が成果と考えられるのです。努力には試行錯誤が付き物です。そこで試行錯誤したことが、次の壁にぶつかったときに役に立つことがよくあります。この試行錯誤、つまり「迷った経験」こそが人生の経験値を高め、価値を生み出すと私は考えています。

 うつ病の時は「こんな人生」と何回も思いました。しかし、振り返ってみるとその時の試行錯誤が、今の不安定な人生でも、その波を吸収し安定している人生のように考えられる知恵を与えてくれました。

 人生はストレートな道ばかり歩いているとそこから外れたときに対応ができません。迷って迷ってジグザグな道を歩くことこそ長い目で人生を見たときの一番真っ直な道のりかもしれませんね。

2007年2月 1日

失敗は、なお無為にまさる

 先日、コンビニである本を手に取りました。タイトルも「『もうダメだ!』と思ったら読む本」です。心配性の私はよく「もうダメだ!」と思う事があります。その時も、仕事が詰って、準備する時間がなく「もうダメだ!」と思っていました。

 よくよく考えてみると、心配性の私は年がら年中「もうダメだ!」と思っているので、客観的に、本当に「もうダメだ!」という状態になっている事はほんとんどないのですが、それが分かっていても、自分でそう思ってしまうようです。

 それで、ふとこの本を手に取ったのかもしれません。その本は、いわゆる解説本ではなく、ただ単に、いろいろな人が話した「もうダメだ!」と思った時に役立ちそうな言葉が延々と掲載されています。その言葉に対する解説は一切ありません。

 このスタイルがとても気に入ってしまいました。いろいろと著者の価値観で解説が書いてあっても、その人との価値観があっていないと、私の心には響きません。ですから、「言葉だけが延々と書いてある」というスタイルは、自分でその言葉を自由に解釈できるので、とても楽に読む事ができました。

 その言葉の中に大杉栄という人の「失敗は、なお無為にまさる」というものがありました。これは「例え失敗したとしても、何もしないよりは遥かに実りがあるよ」ということです。

 以前は、とても考えられませんでしたが、最近は「失敗したっていいさ」と少しは考えられるようになりました。世間的に見れば、大きな失敗とも言えるかもしれない、うつ病を経験しました。を経験してしまったので、それと比べれば、大抵の失敗は乗り越えられそうな気がしています。

 でも、今考えると、うつ病も、決して失敗じゃなかったです。その時にいろいろ考えて、人生観を変えれた事が、大変役に立っています。もし、あの時、病気にならなくても、「いろいろ考える時間がなかったら」いつかは病気になっていたような気がします。

 ということで、日常的に私が思っている「もうダメだ!」ということは、あまり気にしないようにしていこうと思います。

 話は、変わりますが、産業カウンセラーになりたくて、その養成講座に申し込みました。ところが既に定員一杯で、キャンセル待ちになってしまいました。産業カウンセラーを目指すことは、ゆっくりのペースでしていきたいので、キャンセル待ちもよいかなと思いました。それでも順番が回ってきたら、それは「声」として受け止めて頑張りたいです。順番が回ってこない場合は、来年すぐに申し込もうと思います。

2007年1月 6日

「心が疲れたときありませんか?」移転の意味

 これまでBiglobeで運営してきた「心が疲れたときありませんか?」を自分のサイト内に移転をしました。これには当然ですが意味があります。

 これまでは、事務所の仕事はIT活用に関してのコンサルが中心でしたが、昨年の途中ぐらいから顧問先などでもモチベーションアップ、組織力強化、ヒューマンスキルといったテーマが増えてきました。もともとは情報共有がらみの仕事でしたが「情報共有の仕組みを導入しても、リアルなコミュニケーションが不十分な組織だと効果がでない」事に気付いたことが発端です。

 モチベーションアップ、組織力強化、ヒューマンスキルといったテーマに取り組んでいるとメンタルヘルスの話題が関連してきます。ここで自分のしたかった「IT活用コンサル」と「メンタルヘルス」の2つのテーマが結びついてきました。考えてみれば自分はIT業界にいて「うつ病」になったのだから、関連があるのは当たり前ですよね。

 IT業界だけではありませんが、今時代はとても変化が激しいです。変化の激しさが、様々な不安を招いています。今週の事務所のコラムに書く予定ですが、今、時代は「みんなが自分で考え、自分で判断して、自分で行動する」時代になっていると感じます。これが大きな時代の変化だと思います。決まったやり方がない、これまでの事例が使えないことで、自分で道を創り、それを進んでいかなければならないです。それは大変な事です。当然、失敗も付きまといます。これが、今のストレス社会の大きな原因だと思います。

 このようなストレス社会の弊害が「心の病気」です。身体的な病気では「早期発見」「早期治療」が大切です。これは「心の病気」も同じです。しかし、身体的な病気は全てではないにしても、定期健診や人間ドックで発見する事ができます。しかし、心の病気にはそういうものはありません。

 最近では企業にカウンセラーを設置している例も増えてきましたが、整備が網羅的に進んでいるとはいえません。カウンセラーを組織において社員の心を恒常的にケアするには、当然コストがかかります。企業からすれば「そんな余裕はないよ」という声が聞こえてきそうです。しかし、カウンセラーをおくだけのコストがかかっても、社員の心の元気が保てれば、それが会社の為になります。社員が心の健康を崩した場合、会社にとって様々なリスクが考えられます。カウンセラーをおくことは会社経営におけるリスクへの対処の一つだといえるのです。

 そのリスクへの対処が「会社のため」にも「社員のため」にもなるのです。もちろんカウンセラーをおくことだけで、社員の心のケアに万全というわけにはいきません。大切なのは「現場」です。現場での「心の病の兆候を見つける」ことが最も大切な事です。しかし、ここが一番難しいところでもあります。私も自分自身で「うつ病」を経験しました。このような「心の病気」が少しでも減るよう、私も、いろいろ勉強していきたいと思います。

 今後も「心が疲れたときありませんか?」では、自分の想いを中心に書いていきます。重複する場合もあるかもしれませんが、事務所コラムにもメンタルヘルスをテーマに企業視点で書いていく事があると思います。

 よろしければ、今後とも「心が疲れたときありませんか?」をよろしくお願いいたします。

2006年8月21日

思う通りにいかなくても大丈夫

 最近「世の中、思う通りにいかないなぁ」と感じてしまうことが多いです。でも「思う通り」とは何でしょうか? 目標がハッキリしているならば、その目標にたどり着けないということで「思う通りにいっていない」と言えるかもしれません。

 でも、今の私の明確な目標ってなんだろうと考えてしまいました。自分は「こうありたい」という願望でも良いと思います。いろいろあると思うのですが、どうも明確になっていません。

 こう考えると「世の中、思う通りにいかないなぁ」と思ってしまうのは、ただ単なる愚痴なのかもしれません。実際にそのように指摘された事もあります。「世の中、思う通りにいかないなぁ」と呟く都度、少し自己嫌悪に陥ってしまいます。

 ただ、最近「人間はそれほど強くない」と思うことも事実です。明確な目標に向かって強い意思で行動できる人は多くいると思います。でもそうでない人もいます。世の中の「人の多様性」は最近よく通感する事です。

 私もそうですが、途中で挫けたり、悩んだり、考え込んだり、泣けてきたりする事があります。そんな時は「世の中、思う通りにいかないなぁ」と呟く事で少し心の疲れが取れることがあります。

 「世の中、思う通りにいかないなぁ」と呟いて、悩んだり、考えたりする事自体が実は前進なのではないかと思います。ただ、目標が明確に描けていないだけで、感覚として、「目標を感じれている」のではないかと、私は思います。

 「世の中、思う通りにいかないなぁ」と呟いて、少し心が軽くなったら、少しずつ自分のペースで前進してみようと思います。

2006年8月14日

自分の感じた方で世界は変わる

 世の中は思うとおりにいかないことが本当に多いですね。思うとおりにならないことに人は焦りや、恐怖、自己嫌悪を感じたりしてしまう事があると思います。でも自分を辛い思いにさせているのはやっぱり自分の想いです。

 ある人に教えていただいたことがあります。「天国」と「地獄」についてです。「天国」と「地獄」という言葉ありますが、それは同じ場所だというのです。でも、そこを「天国」と感じることが出来る人と、そこを「地獄」と感じてしまう人がいるとのことです。

 その場所は、清らかな音楽が流れ、とても美しい風景、食べきれない程の美味しい食べ物で溢れている場所だそうです。その場所にみんな集まるのですが、その人たちはとても手が長いそうです。つまり、美味しい食べ物を掴んでも手が長いので自分の口に入れることは出来ない。でも他人の口に運ぶことはできる。

 ただ、美味しい食べ物を長い手で独り占めにしようとしても結局は自分の口に入れることはできない。このように行動してしまう人にとっては「地獄」ですよね。もちろん、前者の方が「天国」と感じられる人です。他人を信頼し、自分の食べ物を他人に渡し、そして他人から渡されるのです。

 この例は、辛いと思うのも、楽しいと思うのも、自分の心の投影だという例です。少し現実離れの例えですが、自分がどう思うかで世の中は「天国」と「地獄」にもなるということは忘れてはいけないことのような気がします。

 だからといって「辛い」と感じてはいけないとはおもいません。辛い想いを感じれるということは、現状ではいけないと感じることです。現状と目標(自分のあるべき姿)とのギャップが、いわゆる「問題」です。この問題を解決することによって、問題解決ができるのです。人は生きていく上でこの感情は大切です。それが、「人の進歩」と言えると思います。

 ただ、自分の考え方を変えると見えてくる風景も変わるということは頭の片隅においておいても良いと思います。

2006年7月11日

「自分で決めた道」というのが救い

 世の中は本当に思うとおりに行かない事が多いですね。いろいろ悩んで、そして解決して、そしてまた悩んで・・・。そんな人生が楽しいとは思えませんが、でも自分に刺激を与えてくれることは間違いないです。

 自分はそうですが、刺激があることは、正の意味でも負の意味でも生きていく活力になっていきます。本当にいろいろもがいていると思います。でも、このもがいている事が「生きている実感」につながっているのかもしれません。

 もがいて、もがいて、自分の道かも知れないと思うことを懸命に進んでいる感じです。以前「思い通りにならなくても受け入れる」なんてことを書きましたが、一番思い通りにならないのは、「自分」かもしれないと最近思っています。「自分」で「自分」を受け入れる。意識しないとできませんが、自分というものを尊重して、紛いなりにも誇りを持って生きていくには、必要だと思います。

 今、少なくとも自分の判断基準では「自分のしていることは正しい」と信じて動いています。他人に基準のことまでは頭がまわりません・・・。思い通りに行かなくても、少なくとも自分を信じて、自分の道だと思っている道を進んでいます。

 思った以上に凸凹で、いろいろ怪我もしますけど、それはそれで生きていくうえでの刺激なのかもしれません。忙しさがピークになってきており、少し気持ちが不安定になっているのかもしれませんが、「自分で決めた道」というのが最大の救いになっています。

2006年7月 4日

自分の過去は否定をせず肯定してください

 最近、無性に不安になることがあります。これは私の性格なので仕方が無いと思います。不安になる自分が嫌で、いろいろ考えて余計に自己嫌悪に陥ったりしてしまいます。自分が自分にとって好ましくない状況と付き合わなくてはならない場面になった場合、3つの選択肢があると思います。

 一つは、徹底的にその状況から逃げること、もしくは徹底的に立ち向かうこと。最後は、その状況を受け入れてしまうことです。どれがが正しいかは私にはわかりません。

 以前は「徹底的にその状況から逃げること」はやってはいけないことと自分に言い聞かせていました。どんなに辛いことがあっても、それに向かっていっていたと思います。これを書くと素晴らしいように見えますが、逆に「向かっていかないこと」が怖かったのです。ですから、自分の本意とは関係なくその状況に対して向かっていきました。

 結果は、重度の「うつ病」です。どんな状況にも向かっていける人がいます。その人たちは自分を鍛錬し、そのような訓練をしているのだと思います。中にはそのような資質をもって生まれた人がいるかもしれません。そのような方々を私は尊敬します。ただ、私には出来ないことがわかりました。今から自分を変えて、どんな困難にも耐えられるような強い人間に鍛錬していくのは、物理的には可能ですが、効果がどれほどあるかはわかりません。

 自分に「徹底抗戦」が出来ないこととわかったとき、「徹底的にその状況から逃げること」をしているヒトをみても、それはその人なりの努力だと思うようになりました。徹底的にその状況から逃げること、もしくは徹底的に立ち向かうことは表裏一体で根本的には似ているのではないかと思います。

 最後の「その状況を受け入れてしまう」ことの出来るヒトを見ると、これまた尊敬してしまいます。自分自身で様々な状況の変化に対応しながら、困難を受け流していくヒトをみると、本当に凄いと思ってしまいます。

 世の中は不確実は要素が多すぎます。その不確実な要素に敢然と立ち向かっていく人たち、そして、不確実な要素をうまく受け流していく人たち、どちらも処世術に長けた素晴らしい人たちです。

 一方私はこれらのどれでもなく、知らず知らずのうちに折衷案をとっていることが多いように感じます。不確実な要素がすなわち不安です。つまり、私は3つの対応策のうちどちらでもない中途半端な方法を選択しているのです。

 でも、この中途半端な選択を行なっていることを恥じてはいません。私は「徹底抗戦」をすることによって、大きな挫折を味わいました。でもその挫折があるから「今」の私がいるのです。今、私が「不安」をよく感じるようになったのは、それだけ危険察知のアンテナが敏感になったのだと思います。

 自分の過去は否定をせず、肯定してください。それがどんなにつらい過去だととしてもそれは「自分」です。そして「自分」を支えてくれた多くの人たちの「努力の結晶」です。無駄な過去なんてありません。

 常に不安を感じ、中途半端な方法を選択している私ですが、それも「私」です。過去から学んで、「今」選択をしているのです。中途半端な選択でも、そんな選択ができるようになった自分に誇りを持ちたいと思います。そしてその選択ができるようにしてくださったみなさんに感謝したいと思います。

 また、明日から殺人的に忙しくなるので、自分を見失わないように記事を投稿させていただきました。

2006年7月 2日

自分で物事を判断していい自由

 しばらくぶりです。仕事の方が忙しく、正月の2日からほとんど休まず働き続けてきました。このブログは私にとってとても大切なブログであり、書きたい事も多く、書く時間が無いことに寂しさを感じていました。7月はおそらく開業以来の忙しさになるとおもいます。頑張って乗り切るしかないのですが、一度このブログにメッセージを残しておこうと思い記事を投稿させていただきます。

 心と体は切っても切り離せないものです。心が疲れると、体が疲れてきますし、体が疲れてくると心も疲れてきます。体が疲れるとは何のことでしょう? それは純粋に休み無しで働くことだと思います。そういう意味では、今の私は体が疲れてきていると思います。いかに「好きなことをやっている」といっても休み無しでは、体は正直に悲鳴を上げてきます。

 一方、心も少し疲れ気味です。小さな事務所ですが経営者としていろいろな場面に出会うことがあります。以前では考えられないような嬉しいこと、逆に屈辱が日常茶飯事です。自分にプライドを持ちながら、自分の決めた道を歩んでいるので「嬉しさ」も「悔しさ」も以前とは比べものになりません。

 でも、自分のしたいことを、自分の意思でしていることには間違いありません。自分の先には何がおきるかわからないのがこの世界です。とても神々しい光がさしているような、身の毛もよだつ悪魔が待ち構えているのかわかりません。でも自分の意思で歩めていることに「幸せ」を感じていることは間違いありません。

 「嬉しさ」も「悔しさ」も全てが自分の何らかの行動から発した、自分の中にある感情なのです。視点を変えると「嬉しさ」や「悔しさ」が違う姿に見えてくることもあります。

 私は基本的にまだ「精神的に不安定」だと思います。でも「精神的に不安定」だから「安定」を求めてバタバタしています。この世に「安定」なんて言葉はありません。「不安定」こそが世の常なのです。でも「安定」をもとめてもがくことはとても大切だと思います。それは、今より自分を良くしたいともがいていることだからです。

 「嬉しさ」や「悔しさ」を決めるもの、「安定」や「不安定」を決めるものそれは自分に許された「自由」です。それに気づけて、もがいている自分はやっぱり「幸せ者」だと思います。

 「自分で物事を判断していい自由」に気がつくと、少し心が楽になる気がします。

2006年1月27日

自分にとってのプラス面に目を向けてくれる方々

 世の中には、必ず裏と表があります。更に言うのであれば、世の中は単に2面性だけでは語りつくせないほど複雑怪奇であると感じる事も最近は多いです。でも、あまり世の中を難しく考えすぎると、私は立ち尽くして動けなくなってしまいます。

 2面以上に複雑になってしまった状態は、なかなか正しく人に伝えることができません。伝えられる側もそんなに複雑になったことを説明されても辛いだけでしょう。そして、なによりこちらの伝えたいことが正確に伝わらないこともあります、

 ですから、私はなるべく、2面に解きほぐして考えて、それを伝えるように努力しています。どうしても2面以上に複雑になってしまった場合は、2面ずつのセットにできないか努力します。これが自分の理解を深くし、正しく相手に伝える一番の早道だと今は思っています。

 何を回りくどい事を言っているのかというと、自分が「うつ病」だった事に対する人の反応です。私はホームページで「私が以前うつ病だった」と公開しているので、私が言わなくて、その事実を知っている人がいます。

 その時の反応は、本当にプラスと取る人と、マイナスと取る人に分れます。どちらが良い人で、どちらが悪い人なんてことを論ずるのは愚の骨頂です。人にはその人の正義があります。そして、その人の価値観があります。それは、他人の誰も侵すことのできない聖域です。世の中は、そのような多様な人がいるからこそ、進歩したり、発展したり、後戻りしたり、いろいろなことが起きるのでしょう。

 ただ、それでも「うつ病であった」という事実は、一生涯の足かせになると思っていました。事実「うつ病になんかなる人は、心の弱い人」や「うつ病であったと公開している人とは付き合えない」なんて事も言われたことがあります。でもそれはその人の正義、信念の下で発した言葉であり、その言葉は、その言葉として、尊重しないといけないと思います。

 ただ「うつ病を克服した人」と逆に評価を高めてくれる人が私の予想以上に多いことも事実です。私は先にも述べたように、事務所のホームページから、この「心が疲れたときありませんか?」のブログにリンクがはってあります。最初はリンクをはろうか迷いました。しかし、ありのままの自分をしってもらうため、あえてリンクしました。

 驚いた事に「サイト見せてもらいました、うつ病のページも読ませてもらいました。ですから、仕事を頼みたいです。」といってくださる方が多いのです。そういう時、私は本当に嬉しいです。

 このブログを立ち上げたのは、ブログの最初に書いてあるように「うつ病の先には未来があるよ」と語り続けていきたい、というものです。まだ、試行錯誤の途中である私にとって、本当に「うつ病の先には未来があるのか」断言はできません。でも最近、出会う多くの人と話していると、「うつ病の先には未来があるよ」と本当に自信をもって言えるような気になってくる時があります。

 独立してから、人の温かさに触れさせていただいています。ですから、今「うつ」で苦しんでいる方に伝えたいです。世の中は辛い事だけがずっと続くものでは決してありません。今は、辛いかもしれませんが、必ず風向きは変わります。焦らないでください。あなたのプラスの面をしっかり見てくれる人が必ず現れます。

2006年1月23日

忙しいときほど、冷静に

 今、正直本当に忙しいです。正月2日は休みましたが、それ以降は土日も含めて、ほんんど外出が入っています。外出で無い日は朝から必死になって訪問の資料を作っています。個人事業主として忙しい事を誇っているのではありません。あまりに忙しくて、自分を見失っている事に昨日の夜に気がついたのです。本当は、今日も忙しく朝の5時におきて資料を作り始めました。今、午前中の予定が終わりました。午後からは別の仕事が入っています。でも、そんな状態だからこそ、今、少し立ち止まってこのブログを自分に向けて書いています。

 今、少し周囲が見えない状態になっていました。もちろん、客先に出れば、冷静を装い、そして冷静な判断ができています。周囲の人はだれも私の状態に気づいていないでしょう。でも妻だけは、この状態に気づきました。

 ずっと、「うつ病」だった私を見守ってきた妻は敏感に私の精神の不安定さに気づいたのでしょう。私に「無理してでも休むように」と言いました。それに反発した私は「自分がしなければいけない仕事、休んでもたまるだけ」と言いました。妻は悲しそうに「自分ひとりで生きているつもり?」と言いました。

 ここで、少し冷静になれました。私は独立以降、いろいろな人に助けられています。その私を助けてくれる人の数は、会社に勤めていたときより数倍になったと感じています。会社にいたときは、おそらく人に助けられている事に気づいていなかったのだと思います。

 独立して、「人は人に助けられて生きていける。人は人を助けてこそ生きる価値がある」ということがわかったことは大きな収穫です。なのに、忙しくなってくるとやっぱり自分を助けてくれる周りが見えなくなって、勝手に自分を孤独に陥れていまうのです。思い返すと、私が「うつ病」になったときも、「自分が何とかしなければ」という思いが病気をひどくしていきました。同じ轍を踏むところでした。

 いま、1秒でも時間が欲しい状況でこのブログを書いているのは、冷静に自分のペースを思い出したいのです。「忙しいときほど、冷静になれ」だと思います。妻のおかげで、少し冷静になれました。仕事もたな卸しを冷静にしました。大変だけど自分のペースでしっかり予定を守れば、ちゃんと終わるスケジュールです。焦って、悩んでいてはやはり前に進めないのですね。焦って、悩みながらも、どこかで冷静に考えることが大切だと再認識しました。

 冷静に考えて、仕事の優先順位をつけ、その順位に従って清々とこなしていく。この基本を忘れないように、今日はこの記事をかきました。

2006年1月 1日

明けましておめでとうございます

 明けましておめでとうございます。私の場合は、うつ病がひどいときは、新年になっても気持ちがあらたまることがなく、ただ、何も前進していない自分に焦っていました。テレビで放送される賑やかな正月番組をみても、自分が世の中から取り残された気がしてとても辛かったのを覚えています。

 難しいかもしれませんが「焦らない」でください。今、積み重ねている時は、将来必ずあなたの経験として、あたなを助けるはずです。決して無駄な時間をすごしているわけではないのです。

 私の今大切にしている言葉は「戒驕戒躁(かいきょうかいそう)」です。難しそうな言葉ですが、2文字ずつ分解すると、「戒驕」は「驕ることを戒める」、「戒躁」は「躁ぐことを戒める」です。つまり意味は「驕らず焦らず騒がず、慎んで静かに堅実にやりなさい」ということです。

 「戒驕」は仕事面、「戒躁」は生活面の言葉として大切にしています。このブログを読んでいる方が驕っていることはないと思いますが、「焦躁の念」にかられている人は多いのではないかと思います。「焦躁(焦燥)の念」とは思うように事が運ばなくていらいらすること、あせることです。

 前回の記事で「思い通りにならないこと」というタイトルで、世の中の思い通りにならない事について、私なりの考えを書いてみました。もし興味があったら覗いてみてください。

 では、皆さんの新しい年が、皆さんにとって良い年でありますように。焦らず、ゆっくり、自分のペースですごしてください。

2005年12月29日

思い通りにならないこと

 世の中には、思い通りにならないことがたくさんあると思います。人はそれを何とか思い通りにするように努力をします。でも、なかなか思い通りにものごとを進めるのは難しく、人は悩みます。逆説的にいうと悩むのが人です。私はうつ病のとき、そして今でもいつも悩んでいますが「最近は、それって人間らしくて、素晴らしいこと」と思うようになってきました。

 そして、何よりも自分がこうしたいという「思い」があることは素晴らしいことだと思います。「思い」があるから「現実」とのギャップに悩むのです。「私はなにがしたいかわからない。それって思いが無いのに悩んでいるのでは・・・」とおっしゃる方もいると思います。でも、それもやっぱり「思いがある自分」と「思いがみつかっていない自分」のギャップに悩んでいるので、その人は「思いをみつけたいという思い」がある素晴らしい人だと思います。

 ただ、きれいごとを言っても、私にとって、努力しても、努力しても「思い通りにならないこと」は、世の中本当にたくさんあります。さらに悪いことに「思い通りにならないこと」は次から次へと現れてきます。これを繰り返していると、だんだん心が疲れてきます。

 ここで、ひとつ出来たらいいなと思うことがあります。それは「思い通りにならないことを受け入れること」です。これは、「成り行きに任せる」の意味もありますが、少し違います。「思い通りにならないことの存在」を受け入れて、それを思い通りにするために、「何か小さなこと」を出来る範囲で積み上げるようにするのです。

 ここに、ひとつ時間という概念があります。「思い通りにならない」と思っていることは「すぐに思い通りにならない」のか「永久に思い通りにならない」のか、考えてみてください。世の中、変化が激しく、「今日の常識は、明日の非常識」といわれるように、価値観すら日々大きく変わっている世の中です。その世の中で「永久に思い通りにならない」と断言できることはあるでしょうか?

 私は「永久に思い通りにならない」なんてことは無いと思います。世の中どう転ぶか分りません。「永遠に生きたい」とか「宇宙の果てを見てみたい」とか「過去や未来に行ってみたい」とか、そんな突拍子も無いことも「永久に思い通りにならない」とは断言できないと思います。

 ただ「すぐに思い通りにならない」ことは、世の中にたくさんあります。焦ってはいけません。小さなできることを、出来る範囲で少しずつトライしてみてください。そして、「そうなりたい」と願ってください。これが「思い通りにならないこと」を「いつか思い通りにする」最も近道だと思います。
 
 ただ、もう一つ付け加えさせていただくなら、「自分の思い」に向かって少しずつ進もうとされている方は、もう既に「自分の思い通り」になっているとも言えると思います。

 今年の投稿はこれで最後です。お付き合いくださりありがとうございました。来年もマイペースで投稿していこうと思います。お時間があったらお付き合いください。それでは、よいお年をお迎えください。みなさんの新しい年が良い年でありますように。

2005年12月16日

いろいろな人からの呼びかけで救われる

 病気になって、その後、独立して、大変多くの人に出会いました。世の中にはこんなに多くの自分を助けてくれる人、心配してくれる人がいるんだと思うと嬉しくなってきます。その人たちは、今でも実際に会って、もしくはネットを通じて元気をくれています。人は人と通じ合えていると思う事で、少し強くなれます。そして人は少し強くなる事で、実に大きな事ができるようになります。大きな事というのは、別に高い地位について権力をもつとか、お金を稼いでなんでも自由に手に入れる事とは全く違います。大きな事というのは、その個人の価値観において大きな価値のあるものの事を指します。

 私にとって、独立して自分の考えで事業を進めている今は、実に大きな事をしていると感じています。でもそんなことは起業家精神にあふれる人にとっては大したことではないでしょう。でも、私にとっては、本当に大したことなのです。これは、多くの人の支えがなければ成し得ない事です。ですから、この記事を書きながらも、いろいろな人の顔や名前、ハンドルネームが浮かびます。そんな皆さんに感謝したいです。

 ただ、この状態になるまでは、この周囲の人のありがたい助けにすら気づけない時期がありました。「うつ病」がひどいときは、周囲には何も感じる事ができません。色も音も、もちろん感情も何も感じられないのです。「闇」という言葉がありますが、「闇」ですら今思うと優しいと感じます。当時の私が感じたのは「無」です。この状態に陥ってしまうと、遠くで聞こえる「助けの声」すら全く届かなくなります。「無」なのです。自分の人生が「無」だと感じたときの恐怖は言葉では言い表せません。しかし、「恐怖」を感じれるのですら、それは少し病気が良くなってからです。

 この「無」の時に支えになるのは、残念ながら「自分」だけだと思います。「無」でありながらも、そこになんとなく「自分」の存在だけは感じていました。ただ恐いのは「自分」の存在すら「無」にしたいと思ってしまう事です。

 私は病気と宣告され、その後直ぐに父が亡くなり、そのまま「無」の状態になりました。どうやって私は「無」の状態から脱出したのでしょうか…。よく覚えていません。でも妻の呼びかけ、友人の呼びかけ、様々な恩人の呼びかけが遠くで聞こえていた覚えがあります。そして「自分」の存在だけは「無」ではなかったのを覚えています。ぼんやりとした「自分」の存在を「自分」ではっきり認識できたとき、周囲がパッと明るくなり、いろいろな人の呼びかけがはっきり聞こえてくるようになりました。

 ここからが「病気との闘い」になるのですが、もう既に私の周りには、私を助けてくれる多くの仲間の存在がはっきりと感じられていました。そうすれば、人は強いものです。だんだんと病気は良くなっていき、気づけば自分で事業をするという「自分のとっての大きな事」に着手していたのです。

 例え「無」の状態になってしまっても、自分だけは自分を感じる事、そして必ずある助けの声に耳を澄ますことが、大切なのではないかと思います。今の私は「無」ではありませんが、自分だけは自分を感じる事、そして必ずある助けの声に耳を澄ますことは継続して行なっています。これが、「自分とっての大きな事」をなんとか進められている理由だと思っています。

 本当にありがとうございます。自分のできることしかできませんが、「自分とっての大きな事」を少しずつ清々と進めていきたいと思います。

2005年11月25日

疲れたときは、疲れたと思えばよい

 最近、土日も仕事が入るようになった。とても嬉しいことである。ただ、少し体は疲れているようだ。今は、好きな仕事をしているので、ストレスは少ないと思う。でも、やっぱり体が疲れてくると、心も疲れてしまうようだ。

 私の場合、毎日出勤ということがない。最近は減ってしまったが、今日のように家で打合せ資料を一日中作っているということもある。そう言えば、うつ病で苦しいとき、外にも出られず、一日家で悶々としていたことを思い出した。今考えると、とても苦しかったと思う。

 でも、そんな時は妻が無理やり外に連れ出してくれた。それは近所の公園でもよい。もしくは家の前でもよい。そして「少し視点を上げる」ように言った。すると、毎日通っている道なのに、毎日いる自宅の前なのに、全く違う風景が見えてくる。

 視点を下に落とした場合は、いつもうつむいて歩いていた自分にとって、風景は変わらなかった。でも視点を上に向けたときは、とても新鮮な風景がとびこんできた。それは木々の緑、空の青、雲の白、夕暮れのオレンジ、月の黄金色・・・ どれもとても綺麗な色である。そんな色を見ていると心が洗われる。そして心の疲れがとれるのだ。

 これは、今でもしている。とても疲れたとき、外に出て意識的に少し視点を上に上げてみる。すると、その時に自分に必要な風景、その色が目に飛び込んでくる。少しイラついたときには冷静になれと空の「青」が、少し落ち込んだときには元気を出せと木々の生き生きとした「緑」が・・・。そして、今度は耳を澄ましてみる。すると今度は自然が奏でるやさしい音が耳に入ってくる。そしてまた心が元気になる。

 うつ病になる人は、私のようにいろいろ考える人が多いと思う。そのような人にとって、自分にあった大切な言葉を胸に抱くことは生きていくとき上でとても大切であると思う。現に私も、いくかの大切な言葉を書いた紙を壁に貼っている。

 ただ、その大切な言葉でも自分を救えないときがある。そんな時は、外に出て少し自然の力を借りるとよいと思う。そこで少し元気をもらえば、また自分の抱く大切な言葉たちがちゃんと機能し始める。

 ゆっくり、ゆっくり、あわてず、あわてず、そして、自分を助けてくれるいろいろな人、自然、言葉と語り合うと、少し疲れが取れてくる。疲れたときは、疲れたと思えばよい。疲れることは決して悪いことではない。自分なりの疲れを癒す方法が見つかるとよいと思う。

2005年11月19日

無駄な経験なんてひとつもない

 「一度も病気をしていない人間とは付き合うな」この言葉はロシアの文豪トルストイの言葉です。ある有名な医師が「がん」にかかったそうです。その医師には社会的名地位も名誉もあったのですが、「がん」にかかってしまった恐怖が、これまで名士であった彼を変えてしまったそうです。周囲に当たるようになり、自暴自棄になってしまいました。しかし、様々な治療を試すことで、やがて「がん」を運よく直すことができたそうです。そして彼は、「がん」のと闘病生活の間に様々なことを考えました。

 自分を支えてくれる家族のこと、自分のこれまでの人生のこと、そして自分がこれまで看てきた患者のこと。そして彼は名言を残しています。「私はがんになったことにより、医師から人間になれた・・・」

 先日、顧問先の社長といろいろ話す時間ができました。中小企業診断士の私の顧客の中では大きな企業の社長さんです。その社長さんがおっしゃいました。「実は、私は30~40代は意外と苦労しているんですよ。でも最近それがすべて今の自分の糧になっていることに気づきました。無駄な苦労と言うものは無いのですね。」この社長とは、まだ出会って4ヶ月ぐらいです。会社への訪問も4回程度させていただいただけなのですが、とても感覚が合い、お話をしていると、とても楽しいです。

 私も「以前、うつ病にかかっていた」話をして、そのときの体験が今のコンサル活動に役立っている話をしました。社長は大きくうなずいて下さり、「本当に無駄と言う経験はないですね」と言ってくださった。

 「一度も病気をしていない人間とは付き合うな」というトルストイの言葉は少し行き過ぎかなという気もしますが、病気や挫折は、その人にとって、「自分の人生とはなんだろうか?」という疑問に真正面からぶつかることになります。

 私は病気のときいろいろ感じたことで、「可能ならば自分の尊敬できる人と付き合いたい」と思うようになりました。組織にいるときは、その希望は「単なるわがまま」なので、実現しませんでした。しかし今は、「自分の尊敬できる人」と極力付き合うようにしています。この「自分の尊敬できる人」は地位や名誉、お金ではありません。そういう世間の評価とはまったく別のものです。自分が話して「尊敬できるか、できないか」を自分で判断します。

 「尊敬できるか、できないか」は相対的なもので、別に私が「尊敬できない人」でも、別の人にとっては「尊敬できる人」と感じるものです。つまり世の中に本当に多様な人が存在しているということです。何が善で何が悪という問題ではありません。ただ、不思議と私が「尊敬できる」と感じる人は、病気や挫折を経験している人が多いです。それは、私が同じように病気や挫折を経験しているからだと思います。

 独立してから、多くの私の価値感覚で「尊敬できる人」に出会えました。そのような方とは、相手もそう思ってくださるようで、楽しく付き合っています。これだけでもストレスは大幅に軽減されていると思います。

 このように、あの苦しかった「うつ病」も今では自分を構成する要素の一つであり、とても大切な時間だったと思っています。

2005年11月 6日

辛い時間は必ず過ぎ去る

 今でも、とても辛い時間がある。しかし、今では辛い時間が必ず過ぎ去る事が分かっている。それも辛い時間の渦中にいるときはそのことを忘れそうになる事がある。でもこの辛い時間は必ず過ぎ去る事を、忘れないように、自分で自分に合ったよい方法を考えるとよい。私は何回も書いているが、そのように忘れてしまいそうで、思い出す事で元気になる事は紙に書いて壁に貼ってある。

 他にもきっとよい方法があると思う。最近、とても辛い時期があった。個人で事業をしている以上、そして生きている以上、イロイロな出来事が起きるのは仕方がないことである。ただ、最近はかなり辛い時間でも「やがて過ぎ去るだろう」と思えるようになっていた。しかし、最近、イロイロ重なってしまった辛さは「やがて過ぎ去るだろう」と思う心の余裕すら、覆い隠してしまった。

 ただ、それでも、今は辛い時間が過ぎて平穏な時間が訪れている。辛い時間は、台風のようなものである。しかし、辛い時間は、台風のようにいつ自分がその嵐に襲われるのか予測は出来ない。ただ、思考を訓練する事によって、「自分が、今、台風の嵐の中にいる」と分かるようになることは出来ると思う。

 「自分が、今、台風の嵐の中にいる」と分かるようになること」さえ出来るようになれば、「台風はやがて過ぎ去る」と思う事ができる。時間の長い短い、規模の大きい小さい、遺した傷跡の深い浅いの違いはあっても、その嵐は必ず過ぎ去る。ただ、台風と考えたとき、一度通り過ぎても、また次の台風が来ると思う。しかし、それが自然の摂理であり、人生である。ただ、通り過ぎない台風はないという自然の摂理も思い出していただきたい。

 私も、一つの台風が過ぎ去ったと思う。生きている以上、また次の台風が来るであろう。しかし、その台風は必ず過ぎ去る。今回の台風は振り返ったところそんなに大きくなかったが、過去に経験した「うつ病」という大きな台風もやがて過ぎ去っていった。その渦中にいるときは、周囲が見えなくなってしまうものだが、「やがて通り過ぎる」と耐えることで道が開けるのかもしれない。

2005年10月24日

目の前の不要な資料を片付ける

 忙しくなってくると、だんだん周囲が見えなくなってくる。今、周囲が見えなくなっているのかもしれない。独立してから、忙しいと言っても、その日のうちに寝れる日がほとんどだった。最近はその日のうちに寝られる日はほとんどない。最初は独立して暇より、忙しい方がよいと喜んでいた。今でも、忙しいことは嬉しい。しかし、気持ちは嬉しくても、体が悲鳴を上げてきている。

 もうすぐ、まとまった仕事がこの状態に上乗せになるので、「大丈夫だろうか?」とふと不安になることがある。コンサルとして絶対にしてはいけないことがある。それは「自分の品質を落とすこと」である。しかし、目の前に積んである仕事の山を見ると、だんだん不安になってくる。

 そんな時は、「今、すべきこと以外の仕事にかかわる資料をかたずける」ことである。今、これを実践している。今、私の机の上になるのは、明日の準備に関わる資料のみである。そして、忙しいにもかかわらずこのブログを書いている。一つの仕事が終わって、その仕事の資料を片付けて、一息ついたので気分転換をしているのである。この気分転換が終わったら次の仕事をする。ただ、目の前にあるのは次の仕事に関わる資料のみである。

 ひとつ仕事を片付けたら、一緒に資料も片付けて、気分転換をしてから次の仕事をする。人間は同時には複数のことを考えられない。ちらっと別の仕事に関する資料が目に入ると気が散ってしまう。人間が不完全と言われればそれまでだが、実際にそうなのだから仕方がない。

 これは人生も同じだと思う。私は「うつ病」になった時、同時に実にいろいろなことを考えて、心配して、悩んでパニックになった。同時にいろいろ考えても同時にいろいろできないのだから、考えるだけ無駄である。

 最近、「同時にいろいろ考えてしまうこと」が「悩む」なのではないかと思っている。逆に「一つのことを集中して考えること」が「考える」なのではないかと思う。以前からこのブログで「悩むなら考えよう」と書いてきたが、もしかしたらひとつの答えなのかもしれない。

 この答えで、次の大きな波を乗り越えれるだろうか? またいつか、結果を書いてみる。さあ、次の仕事を始めようかな。

2005年10月19日

忙しいことは心を亡くす

 昔からよく言われることだが、「忙」という字は、心を亡くすと書く。私が病気だったころ、やはり心を亡くしていたのではないかと思う。

 最近、忙しくて、このブログにも記事がほとんど投稿できていない。私にとって、経営コンサルと同じくらい重要な位置づけのブログなのだが、まったく更新されていないカレンダーをみると、少し悲しくなる。

 9月の中旬ぐらいから、急に忙しくなってきた。なかなか、事務所で落ち着いて資料を作るといった時間がとれず、バタバタと客先ばかり回っている。仕事が増える事は良い事だが、ここで仕事の質を落としてはいけない。そして「心を亡くしては」いけない。

 「心を亡くしてしまう」と「人に優しくできなくなる」「自分に優しくできなくなる」という弊害が起きてくる。そこから派生して、「あせる」「待てない」「悩む」というよくない感情が芽生えてくる。これらの感情は自分の「心を疲れさせて」しまう感情である。私にとっては、これまで私を苦しめた悪しき感情といえる。

 先日、亡くなった父が夢に出てきた。そういえば以前はよく夢に出てきて語り掛けてくれた父だが、最近はそういう夢すら見ていなかった。そういう意味で、今の私は「心を亡くしかけていた」のかもしれない。夢の中の父は「少し休んだらどうだ」と語りかけてきた。夢の中でも父にそう言ってもらえたのはとても嬉しい。そして、夢の中の父はとても暖かかった。

 今、少し仕事をペースダウンさせている。まだ、自分で自分の仕事のペースダウンする事は上手くはできないが、それを意識している。意識しているだけでも多少は違うものである。「人に優しくできなくなる」「自分に優しくできなくなる」という状態になりかかったときは、要注意という事で、「心をなくしていない」か、自分自答してみることにする。

2005年9月25日

答えを出す前にひと呼吸

 これは、最近気をつけていることのひとつである。事務所開業以来、がむしゃらに動いてきてきているが、その分特に自分の中で答えを出す前にひと呼吸、相手に伝えるまでにひと呼吸おくようにしている。もちろん、その場で即答しなければいけない場合も多い。でも、そんな即答の場面でも、答えるまでに小さくひと呼吸いれるようにしている。このひと呼吸がとても大切だと感じる場面に最近何回か直面した。相手は私に言わないが、きっとそれによって相手に迷惑をかけてしまったこともあると思う。

 私は言葉を発しながら、考える事ができない。考えるか話すかのどちらかである。私が不器用なだけかもしれない。しかし人は同時に一つの事しかできないはずである。訓練でその切り替えを早くしたり、感覚を短くしたりすることは出来るかもしれない。でもやはり、その瞬間では、どちらかしか出来ていないはずである。

 ちょっと例えがおかしいかもしれないが、私の知っている先生で、セミナーを最初から最後まで極めて流暢に話す人がいる。その人に「そんなに流暢に話せるのは、考えながら、話しているのですか?」と聞いた事がある。その先生は「考えながら、話すなんてことはできないですよ。話す事は、事前にすべて考えておくのです。ですから、今日話した事は事前に考えた事、調べた事の十分の一ぐらいです」と答えた。

 私は感服した。ただ、私は、この先生も訓練(努力)しているのだと思って、少し安心した。その先生は「あなたも、場数を踏めばできるようになりますよ」とアドバイスをくれた。この先生の言うとおりで「いつかはできるかもしれない」でも「今はできない」のだ。ならば自分ではどうすればいいのか、自分で出来る努力は何か考えればよい。その考えた結果が「流暢に話す必要はない。考えているときは言葉が止まっても、ちゃんと伝えられれば今はよい」という事である。

 つまりこれが「答えを出す前にひと呼吸」ということにつながる。例えでセミナーの話を出したが、この「答えを出す前にひと呼吸」はもっといろいろな場面で使えている。また、使えると思っている。人との約束、買い物といった日常の意思決定から、仕事の受注、連携先の選定、例にあげたセミナーでの相手への伝え方といったビジネス上の意思決定、そして辞職・転職・開業、結婚・離婚、家を建てるといった人生の選択、さらに、本当はこれを書くことは適当ではないかもしれないが、あえて書かせていただく、自分の命を絶つということ。

 日本にはハンコという文化がある。eメールや電子決済といった世の中の流れには会わない慣習のように思う。しかし、ハンコ文化はなくならない。なくならないのは、ハンコ文化にもよいところがあるからであると私は思う。つまりハンコを押す前に朱肉はちゃんとついているか、向きは正しいか、ハンコを押すところに凸凹はないか、と確認する。この時に、もう一度、ハンコを押してよいのか考えよ、という事らしい。これは今の関与先の経営者の方に教えていただいた。つまり、ハンコという文化は「答えを出す前にひと呼吸」ということの先人の教えだったのである。

 私は自分の行動理念を紙に書いて壁に貼ってあり、時々見直していると、以前にこのコラムに書いた。「答えを出す前にひと呼吸」は、現在の行動理念の一項目になっている。

2005年9月18日

「待つ」は自分との戦い

 「待つ」というのは、本当に自分との戦いであると思います。「待つ」という遠大な戦略のおかげで天下をとった徳川家康や、中国戦国の覇者となった晋の文公(重耳)など、「待つ」ことで歴史上のヒーローとなった人は多いです。

 普通、「待つ」ということは苦手な人が多いです。私も待つことが苦手です。しかし、最近、「待つことの重要さ」がわかるようになってきました。逆説的に言えば、慌てるとろくな事がないということです。

 私も、独立してから苦手な営業をいろいろしています。苦手なのですが、不思議と「一緒に仕事をしましょう」という人が出てきてくれます。これは大変ありがたい事なのですが、その理由を考えることも大切だと考えてみました。凡庸な私にはよくわからないですが、以前頑張っても取れなかった仕事が、取れるようになってきたのは、ここ数ヶ月で自分が変わった事に原因があるはずです。この数ヶ月で自分が変わった事といえば、「慌てない」という事です。

 「慌てない」というのは、いろいろな事に当てはまります。「お客さんとの契約を慌てない」「仕事の話につなげるのを慌てない」「相手からの回等を慌てない」などいろいろです。これらは、すなわち「待つ」ということで、待つ方は意外ときついものです。やはりすぐに結果が欲しいのが「ヒト」というものです。

 以前書いた記事の「ま、いいか」と思うが勇気にもつながる事ですが、「ま、いいかと思うこと」や「待つこと」はとても勇気がいる事です。ですから、歴史上でも遠大な戦略として語り継がれるのだと思います。

 「うつ病」になると、殆どの人が将来に不安を感じて「あせって」しまいます。そして周囲のヒトも何とかうつ病を直してあげたいと「あせって」しまいます。このあせり」はとてもよくない事だと思います。「病気からの脱出」も「事業を起動に乗せるのも」どちらも、「待てる」ようになってから好転しています。「待つ」ということは、自分から見ても、他人から見ても「何もしていない」ように見えて、悪いときは「さぼっている」ようにさえ見えてしまうものです。でも、決してそうではないのです。

 「社会に属しているんだから。そんな悠長な事は言ってられないよ」と思わないでください。少なくとも私の場合は「待つ」ということがいろいろな事の解決への早道だったのです。待ってみればわかると思うのですが、「待つ」ことは自分との戦いです。本当に大変な事なのです。自分のあせり、周囲の視線などを考えると、大変な忍耐だと思います。だから価値があるのです。

 「がむしゃらに前進」だけではなく「待つ」ということにも一度チャレンジしてみてください。そして、じっくり周囲を見てください。いろいろ見えてきます。「がむしゃらに前進」している時は周囲が見えないものです。「待つ」ことによって周囲をみて、一度自分を客観的に見ることは、決して「さぼっている」ことではないと思います。

2005年9月 6日

モヤモヤしたら落書きを描く

 私は、このブログで自分の経験や考えを書いている。それは、だれか一人でも自分の考えに共感してくれて、何かの参考になればいいと思っているからである。でももう一つ重要な理由がある。それは自分自身をさらけ出す事によって、自分自身を律しているのである。私は文章や落書きを書くことによって、自分の中のモヤモヤがほどけてくる事がある。するとモヤモヤははっきりと形を現し、自分が今何をしなければいけないのかみせてくれる。

 モヤモヤしている場合は、文章もしくは落書きを描くといい。私はスケッチブックがあり、落書きを描く。それは絵ではない。自分を苦しめる事、自分を応援してくれる事、自分を悩ます事、自分を発奮させてくれる事などを「くちゃくちゃ」にスケッチブックに書く。そしてその中心に自分を描く。そのあとで、自分を取り囲む様々な事で関係の深い事を線で結ぶ。するとあることがわかる。よい事でも、悪い事でもやたらと線が集まっている項目がある。一方では、自分では重大事項だと思っていたにもかかわらず、他の出来事と全く絡んでいない項目ある。他と全く絡んでいない項目を解決するのは単純極まりない。

 しかし、いろいろなよい線、悪い線が絡まっている項目は人生の重大事項である。でも落書きを描くことにより、なんとなく打開策が見えてくるものである。私も、グチャグチャになったら落書きを描く。文章よりはイメージに訴える落書きを描く。そして自分で解決できないときは信頼できる人にその落書きを見せる。

 落書きというのは、1つの大きなメリットがある。イメージでわかりやすく人に見せる事もそうだが、自分がどのような経路でその思考にいたったかが他人に伝わる。一方完成された文章は一見問題はないようみえても文章の捉え方で思わぬ落とし穴に落ちるときがある。落書きは比較的そういうことが少ない。また、落書きが描けるということは、自分の状況がよくわかっているということである。

 まとめると落書きには2つのメリットがある。それは、自分の理解を深める事と、他人に気持ちを伝えやすい事である。

2005年9月 5日

やりたいことをしがらみなしでやってみる

 私は、これでも一応、いろいろな事を考えながら生きている。特に独立してからは、考えてばかりだ。自分で考えて、自分で答えを出し、自分で行動する。このプレッシャーは確かに凄い。しかし、不思議と会社に勤めていたときより胃が痛くなる事が少ない。まだ、本当のプレッシャーがかかる場面に遭っていないのが理由かもしれないが、もっと違う理由があると思う。それは、なんだろう?

 おそらくそれは、会社というしがらみがなくなったせいではないかと思う。もちろんこれは裏を返せば、会社というブランド、保護機関がなくなたことを意味し、よけいにプレッシャーがかかってもよい場面である。にもかかわらず、プレッシャーを今感じないのは独立したときに、「自分の出した損害は、自分で責任をとる」と腹をくくってしまったからかもしれない。

 会社というしがらみがなくなったとき、自分で全て責任は負うと決心したとき、私はゼロベースで考えられるチャンスを得たと思う。会社や組織に属していると、せっかくゼロベースで良い考えが浮かんでも、それを実行に移すのは難しい。それは周囲に仲間がいて、会社の方針もあり、自分勝手には出来ないからである。

 しかし、今の自分で事業をしていて、従業員もいない場合、今は「宿澤経営情報事務所」を名乗っているが、「宿澤パソコン教室」に変えてもいいし、場合によって、「自作パソコン売ります」なんて商売に変えたって、文句を言うヒトはいない。かみさんはそういうことに理解があるので、文句は言わないと思う。

 その時にやりたいことをやればよいのだ。ただ、今のお客さんに迷惑をかけてはいけないので、そこはしっかりクロージングをしなければいけない。別に私は今の仕事に不満があるわけではない。むしろとても楽しい。それは、自分の仕事や人生を見つめたときに、「今までの考え方を捨てて、ゼロベースで考えられる」幸せの状況だからである。

 例え、会社に属していてもゼロベースで考えてみるといい。これまでのしがらみを一切忘れて、自分は何がしたいのか、何を目指すのか考えてみる事である。ただ、組織に属している以上、ゼローベースで考えた結論に少し組織のしがらみも考えて、実現可能かの検証が必要なのかもしれない。ただ、ここで一つ言いたいことは、「自分にとって害をなす状況」なら、しがらみを忘れて、自分の道を素直に歩く事も選択肢の一つに入れておいて欲しいと思う。

 いろいろ、紆余曲折した文章で申し訳ないが、結論として「自分のやりたいことを、しがらみを忘れてやってみる」ということがココロのストレスを減らす事だと思う。

2005年8月26日

安定は不安定、不安定は安定

 私がサラリーマンをしていた当時の上司で、現在はある大学で教授をされている方がいる。私の恩人の一人である。この方が、私に教えてくれた言葉で、今とても大切にしている言葉がある。それが、「安定は不安定、不安定は安定」という言葉である。サラリーマン当時に教えていただいたのだが、その時はこの言葉の大切さに気づかなかった。

 今、この言葉の大切さがとてもよくわかる。最初に聞いたときは「安定は不安定、不安定は安定? 禅問答みたいだな。」と思った。「安定は安定、不安定はやっぱり不安定ないのでは?」と思ったものである。当時、サラリーマンは安定の職業と言われていた。ところが、今ではリストラや会社の倒産など不安定な要素が多分にある。リストラや倒産などはなくても、人事異動や、成果主義など、不安定になりうる要素はいくらでも考えられる。

 一方、私のような個人事業主、会社経営者は、・・・もっと不安定だ。やっぱりどう考えてもサラリーマンより不安定だ。「事業」という単位で考えると、これ以上不安定はない。しかし、「生き方」というものに、視野を大きくすると意外と安定しているかもしれないと思う。個人事業主の場合、ある意味で廃業も視野のうちである。他にやりたいことが見つかれば、その新しい事にチャレンジするのは自由である。もともとが揺れている状態だから、その状態が普通、つまり安定の状態なのである。

 サラリーマンの方でも、自分に正直に生きている人を何人も知っている。そういう人は、サラリーマンであっても、自分で考え、揺れた生活を楽しんでいる。そういう人も、やはり揺れている状態が普通なので、それが安定の状態なのである。ただ、会社に属して、今後もその状態が続くと想定して人生設計をしている場合、本人に責任がなくても、会社に万が一の事があると、いきなり揺れ始める。この揺れにより、とたんに不安定になってしまう。つまり揺れに慣れていないので、揺れ始めるとその揺れがとても大きなものに感じてしまうと思う。

 この言葉にはもう一つの意味も考えられると思う。今までの話は、サラリーマンと経営者の切り口である。しかしサラリーマンでも、個人事業主、会社経営者でも、「人生が不安定だ」と弱気になる時は共通的に必ずあると思う。そんな時にこの言葉を思い出す。「安定は不安定、不安定は安定」であると。すると不安定の状態を少し距離をおいて見ると、その裏側には安定の要素が必ず隠れていることに気づく。その瞬間は分からなくても、先になって、「今の安定は、あの時の不安定が礎になっている」と思う事がある。つまり「今が不安定でも、その不安定はずっとは続かない」という事である。ずっとは続かないという意味には、「不安定の状態ではなくなる」という意味と、「不安定に慣れてしまう」という意味がある。「不安定な、不透明な境遇で辛い」と思っても、それは長くは続かないはずである。

  「安定は不安定、不安定は安定」という私が大切にしている言葉と、その2つの意味について紹介させていただいた。 

2005年8月12日

成功と失敗の境目って?

 「成功」と「失敗」って言葉があるけど、これの定義ってなんだろう? よく「失敗が怖い」って思うけど、後でよく考えると、「あの時の失敗がなければ、この成功はないなぁ」と思うことが、よくある。つまり「あの時の出来事」は決して「失敗」ではなく、「成功」だったのかもしれないと考えてみるのだ。だけど、今が順調で「成功」しているように感じるからといって、いつか、今を振り返ると「失敗」だったと悔やむ事がくるかもしれない。

 「成功」と「失敗」といった言葉は、ただ単にその時の人の感情を表す言葉と割り切った方がよいかもしれない。あまり、その言葉自体に意味はない。だから、その言葉に一喜一憂すると疲れてしまう。ただ、それらの言葉を自分で発することにより、未来への「きっかけ」や「足がかり」になるのなら、大変意味がある言葉だと思う。

 前回の記事で、自分のその日の採点方法を書いた。その中で「失敗は採点外」「点数は自分へのご褒美」なんて事を偉そうに書かせていただいたが、まさしく、「成功」と「失敗」の言葉の定義や持つ意味は曖昧で、長い目で見るとあまり意味がないという事を書きたかったのかもしれない。

 ただ、自分はどうしても「成功は忘れ、失敗は引きずる」性格なので、自分の採点にカラクリを施し、自分で納得しているのだと思う。本当に自己満足の世界だと思う。ただ、「自分で納得」する事が大切であることも理解しているつもりだ。その納得の結果、「自分を前向にできる」といった効果がある。それによって少しでも「失敗を引きずる」ことをなくしたいと思う。失敗を引きずっても、良いことは何もない。「失敗した」と思ったら、とりあえず繰り返さないように反省だけして「失敗した」事は忘れてしまおう。

 経営や経済では「機会損失」という考え方がある。「機会損失」とは簡単に言うと、何かをしなかったことによって、もしくは何か別のことをして、本来得られるものが得られなかった損失である。学問的には大切な要素である。経営判断をするときは必ず考慮すべきであろう。でも、人生においては「機会損失」なんて言葉は存在しないのではないかと思う。生きている以上、何らかは考え、学んでいると思う。その時は何の糧にもならない、人生の大きな失敗である、と感じても未来では「そうではない」と感じるかもしれない。もし、今は辛くても、その辛かった事自体が、将来振り返った時、自分にとって「よかった」と思えることになることが十分考えられるのである。

 自分で自分の人生をもっと客観的に見られるようになれば、もっと楽なのかもしれないなぁと思う。

2005年8月 5日

みなさんの満点は何点ですか?

 ちょっと変なタイトルだと思います。普通は分かりやすいように、満点は100点とか10点とか十進数の分かりやすい数字ですよね。学生時代、よし、これは100点だ! と思っていたら、ケアレスミスで95点とかありませんでしたか? 100点って取るのが結構難しいと思います。しかし、私が大学に行っているとき、ある科目で採点上は120点満点の試験がありました。でも大学へ提出される成績は100点満点です。その教授は面白くて、120点満点の試験を実施し、100点以上取った学生は全員100点となるのです。これだとケアレスミスをしても100点を取ることができます。その当時は、このカラクリの大切さに気づきませんでした。でも今なら分かります。このミスをしても100点がとれるということが、社会においても大切なのではないかとわかってきました。
 
 社会において、全て完璧(満点)ということはとても難しいです。それは。その時点で完璧であっても、社会情勢が刻一刻と変わり、完璧であったものが翌日には完璧ではなくなることがあります。人間は全てのものが見えるものではありません。この流れの速い現代社会において、全ての事象の変化を把握できる人は皆無だと思います。ですから、人は100点満点の100点をとることは殆ど不可能だと思います。この部分は学生時の試験とは違いますが、大学のときに受けた120点満点の試験は、今、社会を生きて行く上でとても大切なことを教えてくれました。

 うつ病になった時、私は、100点満点の100点を常に追いかけていたように感じます。でも、自己採点でそんな点数はなかなかとれないので、いつも悶々としていました。悶々のうちは言いのですが、やがて自分を責めるようになり、病気になっていきました。点数の数え方は数字のマジックです。ルールによってどんな点でもつけることができます。

 社会に出てからは、採点者は自分なのですから自由にルールも設定できます。ですから自分でルールを設定して満点が出やすいようにすればいいと思います。「え?」と思われる方がいるかもしれません。その方は「採点者は上司なのではないか」と思っているのではありませんか。確かに社会ではその一面もあります。しかし、その点数は上司の視点で会社へ提出する点数です。あなたの上司が必ずしもあなたを十分理解しているかは、わかりません。もし、理解していない上司ならば、その採点は、あなたを採点したことになるでしょうか?

 あなたを採点するのはあなたです。ここだけは間違えないようにしないと、疲れてしまいます。上司が変われば上司視点での採点基準もかわります。いくら会社が公平な採点方法を設定しても、上司も人間ですから、人間によって点が変わるのは仕方が無いことだと思います。ですから、その点数で一喜一憂していたら、あなたが本当に疲れてしまいます。

 自分で点数をつけてみてください。私のよそくですが、「うつ病」というテーマからこの記事を読んでいる人は自分に厳しい点数をつけていると思います。自分で自分の点数をつけることができるようになったのなら、自分への点数は少し甘く採点してください。120点満点で100点以上はすべて満点でもいいです。100点満点で60点以上が満点でもいいです。減点法よりは加点法にしてください。自分に点数をつけるときは、点数を自分へのご褒美にしてください。採点が決して自分への戒めにはならないようにしてください。

 あくまでも一例ですが、私の採点方法はこんな感じです。失敗は採点外。自分でよいことをしたと思ったらプラス30点。つまり、一日で、4つほど、これは「よかった」と思うことがあれば、100点を超えて、その日は自分にとって満点の日だということです。ちなみに今日は午前中で90点です。午後にもう一つ「よし」と思うことがあれば、今日は満点になります。自己満足ですが、例え自己満足でも、それによって自分に少しでも自信を持てればよいと思います。

2005年7月26日

「ま、いいか」と思うが勇気

 以前部屋に、「自分の行動理念」の紙を貼って、自分が無理を始めたり、変な事で悩み始めたりした時に「修正への気づきのキッカケ」にしている事を書いた。「自分の行動理念」は時々見直すようにしている。それは、その時々に直面している問題やステップによって環境が変わり、それに付随して悩みも変化し、当然「修正への気づきのキッカケ」も変わってくるからだ。

 最近、仕事の量が増えてきた。しかし、仕事の量が増えると当然、意思決定の機会も増える。その結果、「よし、成功した!」と思う事も、「あ、失敗した・・・」と思う事も増えてきて、気分的に波が激しくなっている。私のような性格は「よし、成功した!」という思いは早々に忘れてしまう。しかし、「あ、失敗した・・・」という思いは、なかなか忘れられず、引きずる事が多い。この引きずっている間は、悩んで、無意味な時間が過ぎている。「なぜ、失敗したのか」という反省は、もちろんするのだが、反省して同じ失敗を繰り返さないようになれば、それ以上考えても、追加でよいアイデアは殆ど出た例がなく、やっぱり時間の無駄だと思う。

 それで、「自分の行動理念」を一行追加した。それが「「ま、いいか」と思うが勇気」である。自分はなかなか、「ま、いいか」と思う事ができない。いつも完璧を目指している、と思い込んでいた。しかし今では「完璧を目指している」のではなく、「不完全な状況が怖い」という事がわかっている。「不完全な状況が怖い」という完璧中毒症が自分を「うつ病」にしたと思っている。もちろん原因はそれだけではない。内的な要因、外的な要因がからみあって「うつ病」になると思うのだが、ただ、内的な要因は自分の「不完全な状況が怖い」という心の問題が一番大きかった。

 「不完全な状況が怖い」という心の問題は未だ解決ができていない。「不完全な状況が怖い」ので完璧にしようと、自分にとって無理なペースで頑張ってしまう。これが続くと、心がだんだん疲れてくる。心は疲れると弱くなり、「うつ状態」や「不安」にウィルスのように侵食されていく・・・。不完全な状態は日常では普通の状態である。完璧な状態になっている事の方が珍しい。なぜなら、人の欲求は際限がないからである。だから日常である不完全な状況にでも耐えれるようになりたいと思っている。そこで、自分にとって苦手な「ま、いいか」という言葉を心の中で繰り返すことにより、不完全な状況への耐性をつけている。それでも忘れて頑張ってしまうときがあるので、「自分の行動理念」に追加して、壁に貼ったというわけである。

 自分にとっては「ま、いいか」と思うにはとても勇気がいる。しかし「ま、いいか」と思わないと、また心が疲れてしまう。そこで勇気をもって「ま、いいか」と思うようにするのである。うつ病になった時は、「ま、いいか」などと絶対に思えなかった。とことんやって、途中から能率が落ちたり、判断が鈍っている事にも気づかずに頑張り、いろいろな状況が重なってうつ病になった。同じ事の繰り返しは御免こうむりたい。そこで「ま、いいか」である。いろいろ紆余曲折して、たどり着いたこの言葉をしばらくは大切にしたい。ただ、今でも、一つの事柄に関して「ま、いいか」と思えるまでは、かなり時間がかかる。それでも、心が疲れてしまう前に気づいて「ま、いいか」と気分を切り替えるのが、今の自分にとっては大切だと思う。

2005年7月 9日

自分を責めない

 この「自分を責めない」は自分に対して言っている言葉です。「自分」にとって「自分」ってなんですか? みなさんそれぞれの考えがあり、いろいろ、言えると思います。
 
 私は、残念ながら自分が嫌いです。自分が好きになれたら、本当に世の中が幸せになれるのではないかと妄想を抱いています。自分が自分を嫌いな理由は、自分が自分の期待にいつも応えられないからです。これは、知らず知らずのうちに自分へ課したハードルを高くしているのかもしれません。しかし、それは関係ないのです。自分が自分で決めた自分に届いていない以上、やっぱり自分は自分が嫌いなのです。

 実力より高くハードルを設定したほうがよい人と、実力より低くハードルを設定したほうがよい人の2種類が世の中には存在します。叱られて成長する人と、褒められて伸びる人がいるのと似ているかもしれません。私のようにコツコツやっていくタイプは、実力より低くハードルを設定したほうがよいことはわかっています。計画的に、少しづつ目標をクリアしていくのが、時間がかかっても、私にとって一番の近道だからです。

 わかっていてもできないもどかしさを感じます。自分は自分の成長が待てないのです。「待てない人」に育てられると。自分自身待てない人になるといわれています。ただ、もう30代の後半になって、昔。こう育てられたから、今の自分はダメになった、なんて言うこと事態が、ますます自分を嫌いします。

 でも「自分を嫌いな自分」って「自分」っていう言葉が2回出てきていますよね。判断されるのも自分、判断するのも自分。2回も「自分」という言葉が出てくるということは、「自分」という存在を強く意識しているからだと思います。逆の言い方をすると、「自分」を一番心配してくれているのは「自分」なのだと思います。

 そういう「自分」をもう一人の「自分」はあまり責めてはいけないのではないかと、最近感じます。禅問答のようですが、応えは単純です。24時間一緒にいる自分は「嫌なところ」がたくさん見えてきます。でも、ほんの少しは「好きなことろ」も見えているはずです。ただ、「好きなことろ」はすぐに忘れてしまい、「嫌なところ」ばかりが記憶に残ってしまっていりのだと思います。

 私は、「昨日道を間違えたけど冷静に目的地まで着きました」、たったこれだけこことだって、「道を自分で間違えたのに人に怒鳴り散らす人」よりよっぽどいいです。自分を好きになれます。人は必ず失敗します。その失敗が他人なら許せるのに、自分なら許せないのは何故でしょう。
 時々、自分が嫌になって、自分自身が悔しくて、一人で知らぬ間に泣いているときがあります。でもその心配をしてくれているのも、自分なのですね。独立をしてから、前よりもっと真剣に自分と向かい合っている気がします。難しいです。でも、できることから、やってみるなら、まず「自分を責めない」ようにしようと思います。

2005年6月23日

人の思いやりの一言が人を幸せにする

 ここしばらく、仕事の面で順調でなく、気分が沈んでいた。個人で事業をしていれば、いいときも悪いときもあるのが当然で、開業4ヵ月半で黒字になっている今の事業は十分及第点であると思う。しかし、なにかうまくいかないことがあると、もうこのまま、永久に受注できないのではなかろうかと不安になってしまう。もちろん気分的な波もある。今週は月曜日からなんとなく気分が沈んでいたようだ。

 今日は、2ヶ月に一回病院に行く日である。最近は2ヶ月に一回、この病院に行く日も、まるで友人(先生ごめんなさい)と話をするような、気楽な気分で行っていたが、今日は重い気分で、精神科へ向かった。なぜか大きな病院の精神科は地下にあるような気がする。なかなか賑やかな一階の病棟を抜けると、暗い地下一階の精神科へいく階段がある。最近は、この階段を「暗い階段」なんて思ったことはなかった。しかし、今日は久々にこの階段を「暗い階段」と思った。

 待合室で順番を待ち、しばらくして呼ばれた。もう、先生とは長い付き合いである。おそらく先生は自分の顔をみて調子が悪いと思ったのであろう。「ちょっと調子が悪そうですね。」これだけである。今日のうつ病に関してのお話は…。先生は続けてこう言った。「見てください、これが電子カルテですよ。入力が大変なんですよ。」 ここからは、電子カルテについてコンサルをしている自分がペラペラと話し始めた。調子が悪いはずなのにペラペラと話し始めた。診察の最後に先生は仰った。「なるほど、電子カルテの導入にはそういう意味合いもあるのですね。ありがとうございます。」 私はコンサルとして「傾聴のスキル」ができていないことを恥じながらも、今日はカウンセリングの先生に患者として甘えようと思った。 
 
 先生の一言で、私の心の雲はかなり晴れたと思う。先生の「ありがとうございます」に「こちらこそ本当にありがとうございます」と答えるのが精一杯だった。診察が終わって、今度は「暗い階段」を上ったのだが、上りきったときに振り返ったが、もうそれは「暗い階段」ではなく、いつもの階段になっていた。

 カウンセリングというよりコーチングだと思うが、「解決策は自分の中にある」の通りである。自分の気の持ちようが、自分のあせりが、自分の理想とのギャップが自分を苦しめる。波があるのは仕方がないが、いろいろなことがうまくいかなくて疲れている時には、自分へのハードルを下げて、自分に優しくすることが必要であると再認識した。

 少し、事業が順調な時期が続いて、自分へのハードルを知らず知らずのうちにあげていた様だ。いつものようにもがいて苦しんで疲れていたようだが、先生が自分の得意分野の話をさせてくれることで、自分の活力を戻してくれた。すると冷静に自分が見えるようになる。多分自分は、少し「お疲れ」だったのであろう。少しペースダウンをするようにする。

2005年6月 7日

「暖かい人」といることを選べる自由

 「うつ病」の時は人と会うのがとても辛かった。しかし、少数ではあるが「暖かい人」と接することで、自分の心の氷がとけていくのがわかった。この「氷のとけること」が、すなわち「うつ病からの回復」だったのであろうと、今では思う。

 この、暖かい人たちは今でも周囲にいる。個人事務所を立ち上げてから、いろいろな人に接して、この「暖かい人」たちがたくさん増えてきたような気がする。カッターで自分を切って血まみれになったり、壁に何回もぶつけて額を割ったりして、自分としては一回、どん底に落ち、地獄をみたと思っている。そういう自分にとっての宝物は、「金」ではない。もちろん「地位」でもない。間違いなく自分を救った「暖かい人」、うつ病後に出会った「暖かい人」たちこそ、自分の宝物である。

 個人事務所を立ち上げてから、懸命にもがいている。将来もよくわからない。とても不安である。でも、「暖かい人」をパートナーとして選ぶ自由という特権を得た。サラリーマンの方が仕事の中で、この「自由」を得ることは難しいことだと思う。しかし、サラリーマンの方には私が望んでも得られない「安定」がある。この「安定」は微妙になりつつあるが、個人事業主よりは絶対に「安定」があると思う。人の幸せの基準にはいろいろなものがある。それは、それぞれ人が決めることである。今、私にとって幸せの基準は「金」「地位」ではない。「暖かい人」と話し、仕事をし、共にいることが幸せの基準である。それならば、今の私は、かなり幸せなのだろう。

 なぜ、こんなことを書いたかというと、最近、「暖かい人」と話して、幸せを感じる機会が多かったからである。またしばらくすると、気分が「うつ」になってくる時があると思う。「自分は何をやっているのだ」と苦しみ、悩む時が気分の波の中で必ずやってくる。そんな時に、「幸せを感じる時もある」ということの備忘録として、書いててみた。また、今日、明日とそれぞれ「暖かい人」と会って話す機会がある。それがとても嬉しい。

2005年6月 5日

自分の、オーバーペースをとめたもの

 自分は、このブログでえらそうなことを書いているが、自分でもできないことがたくさんある。「こうできたらいいなぁ」なんて気持ちで書いていることも多い。もちろん、自分を客観的に見るために、毎日日記を書き、点数をつけている。そういう習慣的なものはできるのだが、「気持ちの持ち方」はなかなか上手くいかないというのが、本音である。

 いろいろ忙しくなってくると、このブログで何回も書いている「自分のペースで・・・、あせらずに・・・、悩まない・・・」なんてことは、すっかり忘却の彼方だ。「ひたすらがむしゃらに!、額に脂汗をかいて!、悩む!、悩む!」という状態になる。5月の中旬ぐらいから、仕事が急にいろいろ入ってきて、休日や寝る時間が極端に減った。個人事業主としてはうれしい悲鳴だが、自分の体は悲しい悲鳴をあげている。自分の体の悲鳴を聞いてか、今度は、自分の脳が苦悩の悲鳴を上げている・・・。

 とりあえず、昨日、仕事がひと段落着いたので、今日は一日何も考えず、休もうと思っている。実は、明日からまた仕事と格闘の日々が始まる。いつもの自分なら、「少しでも前倒しに!」と恐らく明日からの仕事の資料づくりに入っているだろう。今日はそれを止めてくれたものがある。

 それは、部屋に貼ってある、「自分の行動理念」の紙である。それは、どこでも目に付くように部屋の何箇所かに貼ってある。また、タイミングによって重要度や内容が変わるので、ときどき書き替えて、貼りなおしたりする。今書いてある自分の行動理念は5カ条だけである。

■あせらない、あわてない。
■悩まない、考える。
■自分は、きっとでききる。
■他人の動きより、自分の動き。
■自分に文句を言うのは自分だけ。

このブログで書いていることばかりだと思う。この中の「あせらない、あわてない」が今日の自分を止めてくれた。「止まった自分」は脳と体がとても心地よい。
 
 そういえば、こうやって大切なことを紙に書いて貼っておく方法は、コンサルタントにとっては当たり前の方法 (よく「経営理念」とか「5Sの実践」とか会社の壁に貼ってありませんか?) なのだが、最初は精神科の先生に教えてもらった気がする。もっとも「行動理念」の内容は今のものとは若干異なり、マイナスの事ばかり考えていた自分が、プラス思考になったときに、そのプラスの考えを紙に書いて貼っておく方法だった。ただ、原理は一緒である。うつ病もある意味でオーバーペースが招くと思う。そして、悪いことはずっと覚えているのに、良かったことはその場で忘れてしまう、たちの悪い病気である。

 自分にとってよくない考えは、それを断ち切る方法を、自分なりに見つけ、それに手直ししながら、継続していくと良いと思う。

 とりあえず、今日はちょっと休もう。

2005年5月26日

裏返して物事を考えると・・・

 自分はよく悩む。「悩むなら、考える」と言いながらも、悩んでいる。よく妻に言われる。「悩むことがないときは、悩むことを探してるんじゃないの?」と。結構、当たっているかもしれない。自分は常に不安で、いつも最悪を想定してしまう性格らしい・・・。

 できれば、こんな性格とはおさらばしたい。だけど、先天的なものは、一生付き合っていかなくてはいけない。なら上手に付き合ったほうがいい。世の中のことはすべてが表裏一体である。悪い面の裏には、必ず良い面が隠されているはずである。それを探してみよう。「いつも悩む」人は、「いつもリスクを考えている」人とも言える。なら一歩進んで、そのリスクへの対策を考えたなら、「いつも悩む人」が「とても慎重な人」に、早替りする。

 ならば、自分のように「自分が嫌いな人」の裏返しはなんだろう? 「なぜ、嫌いなのか」を考えれば、「自分をよくわかっている人」に早替りするのではないだろうか? 「うつ病」の人は、「自分が嫌いな人」、「周囲が嫌いな人」・・・、その他「○○が嫌いな人」が多い。これは、嫌いな対象物に対して、よく考えている結果だと思う。だから言い替えると、「自分をよくわかっている人」、「周囲をよくわかっている人」・・・、その他「○○をよくわかっている人」と言い替えれると思う。

 「うつ病の人」も「以前、うつ病だった人」も、いろいろ自分が感じたり、思ったりして辛いことがあったら、一回、裏返して考えたらどうだろうか? もしかしたら、「辛い」と思っていることが、「良い」ことに見えてきたり、「将来的に良い」ことになるかもしれないと考えられたりするかもしれない。

 世の中は非常に複雑である。ただ、裏返すと単純でもある。複雑な世の中に揉まれて「うつ」になってしまったのなら、単純に世の中を見つめて、立ち直るきっかけになるといいな、と思う。

2005年5月16日

快方に向かってきたら、何か始めると気が紛れる

 少し、病気が快方に向かってきたら、何か始めると気が紛れる。私の場合は、「釣り」と「資格取得(?)」だった。

 「釣り」は堤防でのんびり針をたらしているだけである。釣れようが、釣れまいが全く関係ない。妻なんか「蛸」や「ふぐ」を釣り上げている。五目釣りもいいところである。私に至っては「名称不明」な魚がよくかかる。でもボーと空と海を眺めていると、少し気持ちが楽になる。

 「資格取得」のほうは、生きていくうえではそれにチャレンジしなければいけないと考えていた。そして、自分で事業を始めると、今まで、いかに自分が勉強を怠けていたかがわかる。ここで自分にプレッシャーをかけてはいけない。だから、必要ではあるけれど、ゲーム感覚で受験している。無論、負けたとき(落ちたとき)は悔しい。

 話はそれてしまうが、昨日の日曜日(5/15)、ファイナンシャルプランニング技能士2級の試験を受けてきた。過去問や、模擬試験では、一度も合格点を下まわったことがなかったので、自信満々で受けに行った。その結果、学科が2点足りなそうである。「…そうである」というのは、慌てて見直して直した箇所なので、マークシートまで書き直せたか分からないのでる。実技のほうは配点が分からないのが、8割近く(6割合格)とれているので、受かっていると思う。ITコンサルとしてはファイナンシャルプランニング技能士は2級がゴールだと思っている。9月に2級の学科のリベンジをしようと思っている。リプレイだ。

 私は、簿記2級のとき69点(70点合格)だった。実はファイナンシャルプランニング技能士3級も実技があと1問で落ちている。なんとなく、そういう星の元に生まれちゃったのかなと自分を納得させている。ゲームのプレイヤーとしては詰めが甘いのであろう。ただ、そうやってギリギリでおちると2回分必死になって勉強する。そうすると、格段に知識の定着がよくなる。こうやってギリギリでおちることが多いのは、「まだ、受かるには早い、もっと勉強しないと実務で役にたたないよ」といわれている気がする。

 少し、話がそれてしまったが、これはあくまでも快方に向かった後の話である。あわてて、何かをしなくてはいけないと考えると逆効果である。私も何かしようと思うまで半年ぐらいかかった。やはりうつ病は「あせらない、慌てない」が基本である。「何かしようかな」と思ったら、それはかなり快方に向かっていると思っていいと思う。もちろん波があるので、そんなにストレートには快方に向かわないと思うが、波は有るものの、確実に上昇傾向になっている証拠だと思う。

2005年5月 6日

自分が大好きな人たちは、相手も自分を好いてくれている

 私には大好きな人が、そんなに多くはないけど確実にいる。「そんなに多くはないけど」が私にとっては大切なキーワードである。私は人と付き合うのが苦手である。不特定多数と付き合っていくのは、まず無理である。営業にはつくづく向いていないと思う。でも、独立して、その「大好きな数少ない大切な人」から励ましや、場合によっては仕事の話を頂いたりしている。

 私が大好きで、大切と思っている人は、人数がそんなに多くない分、「本当に大切」である。それは、距離や付き合った期間の長さとは関係ない。これまでの人生で、様々な人と出会えている。その中で「自分が大好き」と感じた人は、相手も「私のことを大切」に思ってくれるようである。

 うつ病になってから、疎遠になってしまった人がいる。それは決して相手のせいではない。「うつ病」の人と付き合うのは難しい。正しい理解がないと、かえって「うつ病」の人を傷つけてしまう。そのことを知っているので、疎遠になってしまた人も多い。そんな人たちには申し訳ないと思っている。こちらから、「侘び」と「お礼」を言わなくてはいけないのだろうが、なかなか私には高い壁のようだ…。

 そんな中で、「うつ病」になって、難しくなっていた私と、正面から向かい合ってくれた人たちがいる。この人たちは私にとっては本当に「大好きな人」である。今、この人たちがいてくれることが、私の財産である。「うつ病」という苦しみとの代償で得た宝物でであると思う。「うつ病」後に出会った人も、もちろん多い。その人たち中にも、本当に「大好きな人」がいる。その人たちは、私がうつ病であることを知って、付き合ってくれている。それが嬉しい。

 人付き合いは今でも苦手である。でも「自分が大好きな人とつきあう」という基準をもてたことは、人付き合いの複雑さを、少し単純化してくれた。もちろん、この複雑な社会の中、「大好きな人とだけつきあう」のは難しい。でも、この基準があるのとないのでは、気の持ち方が全く違う。ここでも自分のペースを考えればよい。このペースとは人と付き合う密度であると思う。自分の付き合いが可能な範囲で、人と付き合っていれば、よいと思う。ここでも無理はいけない。
 
 本来、周囲の人を線引きするのは良くないことで、その資格なんて私にはないことは、わかっている。でも、対人のストレスは、ストレスの中でもっとも重い。ならば、それを軽くするような、自分にあった工夫を、何かせざるを得ないのでないかと考えてしまう。

2005年5月 2日

自分を客観的に見つめる方法

 先日、2ヶ月ぶりに精神科に行ってきた。この病気に完治という言葉はあてはまらず、常に再発する可能性がある、とは言っても、一度「うつ病」を経験した人は、自分自身を、見つめなおしており、自分について、より深く考えている分、再発したとしても重度になる前に対処が可能であると思う。

 逆に、「うつになんかなったことがない。俺の精神力は鉄壁だ」と思っている人のほうが危うさを感じる。私も以前そう思っていた。しかし、人間は辛いことが重なると、だんだん弱気になるものである。中には本当に鉄壁の心を持った人がいる。このような人たちは尊敬に値するが、私は真似ができない。その人は私ではないのだから、真似が出来ないのは当たり前である。だから、他人を羨ましがっていてもしかたがない。そういう時間があったら、自分をみつめることが、大切である。

 話は元に戻るが、2ヶ月ぶりに精神科の先生に会ってきた。私はいろいろな人のおかげでこの病気と向き合うことができていると思う。家族、友人、そして、この精神科の先生の存在も非常に大きい。たまたま出会えた先生だが、本当に感謝している。

 この先生の治療方法はまさしく「自分自身を客観的にみつめる方法をアドバイスすること」であった。もちろん、薬も頂いたが、薬が効くのは当たり前だが、効能時間の間だけである。ただ、自分を客観的に見つめる方法は、効能時間が非常に長い。そして、効能時間が切れたらまた、自分を客観的に見つめてみればよい。そして何よりもよいのは副作用がない。

 先生がアドバイスしてくれた「自分を客観的に見つめる方法」は、毎日、短い日記をつけることである。そして、その日の気分を、自分勝手に点数化して記録するのである。ただ、この作業自体がストレスになってはいけない。先生は、私が几帳面な性格なことを見抜いて(うつ病になる人は几帳面な人が多いが)、この方法を薦めてくれた。もともと毎日日記をつけていたので、この作業は全く苦ではなかった。

 私のつけた点数を後でEXCELでグラフ化してみると、一目瞭然のことがある。それは「私はうつの時ばかりではない」ということである。グラフは、0点に近いところからスタートしている。しかし、低いときは低いなりに、波があり、低いレベルの山ができている。逆に当然谷もある。低いレベルでの谷は、何もできずただ屍のようにボーと天井を見つめていた時であろうか、それともカッターで体中切り刻んで血だらけになっていたときだろか。それは短い日記をみればわかる。

 先生に「もう殆ど良くなったね」と言われた最近は50点前後で、グラフが上下している。当然波がある。ただ、このグラフを見ると気分がどん底の「うつ」にあるときでも、あと数日待てば、気分が上向きになるのがわかる。これが「自分を客観的にみている」ということなのだろう。

 とかく「うつ病」の時は、自分の最悪の状態が永遠に続くと感じてしまう。でも生きているかぎり、「いいときも悪いときも」ある。この際「悪いときも」あるよりは、「いいときも」あるの方に重点をおいて考えてみたらどうだろうか?

2005年4月23日

飛ばしすぎて、挫折してしまっても仕方がない

 「うつ病が治ったとしても無能者の烙印を押されるのではないか…」と言う心配は、うつ病にかかった人はだれでも、考えてしまうことである。特に日本では、うつ病に対する理解はとても遅れており、公然と無能者と烙印を押す人も、まだ依然としている。もっと酷い人は、公然といわず、影でうつ病の人を誹謗して、そのきっかけの芽をつぶす人もいる。私はこれまで、ネットを通じて、また直接会って、いろいろなうつ病の人と話したが、うつ病になる人は責任感が強く、仕事ができる人が多い。ただ、その責任感が強すぎて、頑張るあまり、疲れてしまった人たちである。

 「自分のペースが見えず、飛ばしすぎて、挫折してしまったのは無能者だからだろう」と言う人も多い。確かにもっともよいのは、自分のペースを把握して、人生の様々な出来事にきっちり対応できる人だろう。ただ、のうのうと人生に対して真剣さを持たずに生きている人には、言われたくない。この「のうのう」と言うのは、自分の考えで、ゆっくりした人生を送っている人は当てはまらない。他人の言われるままに、自分の考えもなく、流れに任せ、それでいて人生が裕福にならないと不平・不満ばかり漏らしている人たちのことである。このような人たちは、おそらく「うつ病」にはならないと思う。

 自分のペースを理解することは大切なことである。しかし、非常に難しいことである。その時の体調や環境によっても違う。一流のスポーツ選手だって、ペース配分を間違えることがある。現代社会は不確定要素の集まりで、経験のないことでも、こなしていかなければならないのが現状である。この状態で、自分のペースをちゃんと理解して、それにあわせて行動しろ、と言うのはかなり過酷な要求である。

 だから、自分のペースが見えず、飛ばしすぎて、挫折してしまっても仕方がないと思う。野球選手で先発ピッチャーが初回から飛ばし、途中でバテることがある。でもそんな時、ちゃんとリリーフのピッチャーが後を受け継いでくれる。これは一般社会でも同じではなかろうか。いつかリリーフしてくれたピッチャーに恩返しする機会が必ず来る。それで、いいと思う。リリーフのピッチャーは、先発のピッチャーが必死に投げているところを見ていたら、その努力を無駄にしないように、頑張ってくれるはずだ。もし、先発のピッチャーに気迫が感じられないときは、その後をうけるリリーフピッチャーは、自分のモチベーションをあげることも大変だろう。

 繰り返すが、自分のペースを理解しようと努力することは大切だ。しかし、その時の体調や環境で必ずしも自分の適正なペースでできるとは限らない。努力してもうまくいかない時は、周りに助けを求めてみる。それが、組織であり、社会である。この助けがうまく求められない人がいる。それは、周囲に迷惑をかけたくないという責任感の強い人だ。しかし勇気をもって周囲に助けを求めてみよう。今は周囲に例え迷惑をかけたとしても、いつかその恩返しをすればよい。自分で人生を終わらせないかぎりは、そのチャンスは必ずやってくる。そして、周囲に助けを求めた場合、その行為自体が「好意」をもって、迎えられることが多いことも忘れてはいけない。

2005年4月18日

たまには、自分の事は忘れて、他人の批判もしてみよう

 時々は、自分の事は忘れちゃって、他人の批判もしてみるとよい。自分もそうだがうつ病になる人は「自分に厳しく、他人に甘い」。「他人に厳しく、自分に甘い」人よりかはよいと思うが、それでも「自分に厳しく、他人に甘い」のは、精神的にバランスが悪いと思う。

 うつ病になったときは、全て自分が悪いと思ってしまう場合が多い。その時、他人の善悪にまでは頭がまわらない。「自分がこうしていれば…」、「自分がここを我慢していれば…」などと、どんどん自分の悪いことばかり(実際にはそれほど悪くない場合が多いが)、頭に浮かんでくる。うつ病になるのは「自分ひとり」のせいではない。善意であれ、悪意であれ、周囲の環境がかならず影響している。

 ならば、周囲の環境を省みず、自分だけ責めていても、あまりよい結果はでない。どんどん自分を苦しめるだけである。ならば、いっそのこと、自分は悪くない、周囲の人間が全部悪いと、逆転の発想をしてみるとよい。この発想はおそらく間違っている場合が多い。でも、あえて「周囲の人間が全部悪い」と考えてみる。すると、自分の周りの環境が見えて、少なくとも、自分だけを責めて悩んでいるときよりは、事実に近い考えが出来る。そして、ほとんどの場合は自分だけが悪いのでない事実に気がつくので、それをメモっておこう。

 うつ病は波があり、気持ちや考え方をループさせてしまう。すると、せっかく自分と他人に対して公平な環境の分析ができたのに、いつの間にかまた自分だけが悪いという考えに陥ってしまう。そのために、メモをとるのである。次回、「自分が悪い」という考えになった場合、メモの思考記録が残っていれば、ループという地獄には陥らない。

2005年4月16日

反省は、ほどほどに

 私は以前にも書いたかもしれないが、自分の事を完璧中毒症だと思っている。完璧中毒症は、完璧主義者とは天と地ほどの違いがある。完璧主義者は、よりよい結果を目指し健全な努力する。完璧中毒症は、完璧じゃない状況に耐えられず、恐れ、恐怖する。その恐怖心が、自分の力を向上させるための努力をさせる。その結果、周囲の人にはわからないが、完璧中毒症の人は非常に勤勉で、真面目で、信頼にたる人物に見えてしまう。すると、周期の期待が高まり、また追われる気持ちで必死に努力する状況に追い込まれていく…。

 でも意外に周囲の人はそこまで期待していないことも多いことに気づくと気分が楽になる。周囲の人が、成熟した人たちで、「成長をゆっくり待ってくれる人」の場合は幸せである。それは自分のペースでゆっくり成長していけるからである。ただ、不幸にして「待てない人」で周囲を囲まれてしまった場合、本当に追いつめられた気分になる。
 
 こんな時は、全てが自分のせいだと感じてしまう。それは周囲の人が原因でもあるが、一番大きな原因は自分自身の感じ方にある。全て自分のせいだと「悩み」「苦しむ」。そして何が悪かったのだろうと、混乱した頭で必死に考えようとする。ただそれは考えているのではなく、ただ悩んでいるのだ。そんな時は何の考えも生み出さない。

 悩んでいるとき、それはあなたの行動が原因ではない。あなたの感じ方があなたを悩ましているのだ。「反省」することは重要である。しかし「反省は、ほどほどに」しておいたほうが、前向きに生きられると思う。

2005年4月13日

「悩む」より「考える」ことに時間を使ったほうがよい

 人の脳はひとつのことしか同時にできない。中にはすごい特殊な人もいるのかも知れないが、普通の人はマルチに脳を活動させることはできなくて普通だと思う。私の脳も当然ひとつのことしか同時にはできないようだ。もしかしたらひとつのことも出来ていないのかもしれない。そんなときは少し落ち込む。

 もしかしたらひとつのことも出来ていないのかもしれないと感じるときは、たいてい何かで「悩んでいる」ときだ。これはひとつのことも出来ないかもしれないのではなくて、本来「考えなくてはいけない」ことが、知らず知らずのうちに「悩み」に切り替わってしまっているのだ。「悩み」も「考え中」であることにはかわりない。しかし「悩み」からなにか生まれることは、殆ど稀である。火事場のクソ力で「悩み」から打開策を思いつくことがある。しかし、これは「悩んでいた」のではなく、知らず知らずのうちに「考えて」いたのだと思う。
 
 うつ病のときは、考えても考えてもそれは「悩み」に切り替わってしまうようだ。その状態を周囲の人がみると「集中力の欠如」に見えてしまうらしい。私は今自分は「考え中」なのか「悩み中」なのか時々思考を立ち止まらせて、自分で判断するようにしている。これが出来るようになるまで1年以上かかった。まだ訓練中かもしけないけど、以前よりはこの判断が出来るようになったと思う。いくら「考え中」でも、すぐに「悩み中」に切り替わってしまう日がある。体調が悪いときや疲れたときはこんな状態になる。だから、少し休む。私の場合は「休む努力をする」と言った方がよいかもしれない。

 ただひとつ言えることは、当然のことだが、どうせひとつしかできないのなら「悩む」より「考える」ことに時間を使えたほうがよい。考えても考えても、それが悩みに変わってしまうときは、「お絵かき」がよい。考えていることを絵というか図にしてみる。そうすると、それに夢中になり不思議と「悩み」は頭を持ち上げる頻度が減るようだ。

2005年4月10日

自分のペースを自分で理解する

 最近、疲れがまったく取れない。それもそのはずで休みをほとんど取っていない。あたりまえだけど土、日も働いたり、勉強したりしていると、そのまま月曜日になってしまい、また休めない。ただ個人で事業を始めたのだから、前倒しで仕事を終わらしたのならば、その分休めるのだが、性分的にそれができないようだ。前倒しで空いた時間に、後ろの仕事を倒して入れてしまう…。会社勤めのときも、休みのときに仕事のことが頭から離れないでいたが、一応、職場と家という環境の違いでメリハリはついていた。今はベットから起きると隣の部屋が仕事場である。今にして思うと、通勤中に本を読んだり、音楽を聴いたりするのも、よい休憩時間だった気がする。

 よく妻から「土、日のどちらかは完全休養にしなさいよ」と言われる。まったく正しい意見なのはわかる。でもそれが出来る性格ならば苦労はしない。自分がうつ病になったのもこの「休めない性格」が大きな原因であると思う。うつ病には「外的」な要因と「内的」な要因がある。これは人によるようだが、うつ病になった本人は自分自身の「内的」な要因に、その周囲の人は「外的」な要因をクローズアップする傾向があるようだ。

 私の場合、うつ病になった時は、「内的」な要因しか見えなかった。私の性格は「全てが私のせいだ」と考える傾向がある。「プロジェクトがうまくいかない」のも「周囲の人が何かで苦しんでいる」のも「全てが私のせいだ」と思っていた。これは大変な思い上がりだ。自分は何でも出来ると思っているとこんな考えになってしまうことが、今では分かる。自分ひとりの力なんて微力なもので、それが影響を及ぼす範囲なんて狭いものだ。「自分のできる範囲のことを自分のできるペースでやればいいのだ」、と考えたら心の重みがとれて、すーと気持ちが楽になったのを覚えている。これがきっかけでうつ病が少しずつよくなっていった。

 それなら今の状況はどうだろうか? 今だって同じはずである。ただ一人で仕事をしているのは「孤独」である。もちろん仕事仲間や友人はいても、「事業」という観点で見ると最終的には自分の力にかかっている。今は、自分で頑張った分は自分に返ってくるのがよくわかるので、また頑張ってしまう…。それで、自分のペースがよく分からなくなる時がある。

 以前、うつ病を回復に向かわしたのが、「自分のペースを自分で理解する」ことだったように、会社勤めのときとはペースが当然変わっているのだから「今のペース」を理解しないといけないのだろう。それを邪魔しているのが、「休めない自分の性分」である。「人は同じ過ちを繰り返すから人である」と言った人がいる。しかし、私は「同じ過ちを修正できるのが人である」と信じている。このまま、突っ走ると同じ過ちを繰り返すことになる。何かペースメーカーを見つけて、同じ過ちを繰り返さないようにしたい。

2005年4月 2日

生きているかぎり、人間はすべてを奪われることはない

 下の文章は、私が3年前に「うつ病」で苦しんでいるときに書いた文章である。


 自分はいったい、どこにいるのだろう。これが、うつになった初期に感じた一番の疑問である。

 今、確かに僕の生きているはずの世界が、現実で無いように感じる。道を疾走する車、ビルの窓からみる風景、食事をする人々。これらは本当の世界なのか?それとも僕が作りだした仮想世界。父がだんだん弱っていき。やがて父は亡くなった。それが現実なのか?現実には思えない。自分で自分を傷つけている、確かに痛い。傷をつけた腕から、血がしたたり落ちて、床を汚している。これが現実なのか?僕はきっと自分の作った仮想世界にいるのだろう。

 だから、きっと道を疾走する車に飛び込んだとしても、ビルの窓より見える風景へ落ちたとしても、食事をとらなくても僕には関係無い、きっと箱庭の中で、1つの人形が壊れるだけだ。それは自分ではない。ならば、箱庭にいる僕に似た人は誰だろう? その人が壊れれば、僕も壊れるのだろうか?

 箱庭の中には僕に似た人がいる。その人が今、文書を書いていると思いたい。それは自分ではないと信じたい。なぜなら、腕を傷つけて血が滴り落ちる時、絶えられないほど痛い。そんな事を自分が自分でに対してするはずがない。そう、思いたいのだ。


 今、私はこの3年前の文章を客観的に見ることができている。今ではとても、考えられないことを書いている。しかし、この自殺願望に近い文章を書いている3年前の「私」も間違いなく「私」である。人は生きている限り、何かを得ていると私は思う。自殺まで考えた3年前の苦しさがあって、少しだけだが人の痛みや苦しみがわかるようになった今の「私」がいると思う。それが現在のコンサル活動に少なからず活かされているようだ。

 「生きているかぎり、人間はすべてを奪われることはない」と正岡子規は言ったそうだ。この言葉を私なりに解釈すると、生きてさえいれば、少なくとも「生きているということ」が残る。「生きているということ」が残るということは、その人にとっての「家族や仲間との関係」が残る。そして、これまで歩んできた人生の「体験や考えを伝えられる機会」が残る。そして何よりも、これからの「貴重な体験ができる時間」も残る。もちろん、苦しい時間もあると思う。しかし、楽しい時間も必ずある。そして、その両方が「貴重な体験ができる時間」なのである。

 3年前の私にはとてもそこまで考える余裕はなかった。というか何も考えられなかった。しかし、今、「生きていること」で、「家族や仲間との関係」や「体験や考えを伝えられる機会」が残ったことを、本当に嬉しく思う。今、3年前の私と同じように苦しんでいる人が世の中には、結構いるのではないかと、大きなお世話だと思いながらも、危惧をする。でも3年後には、きっと今の「自分」とは、違う考えをもった「自分」になっていると思う。そして、その3年間という「貴重な体験ができる時間」は、きっとあなたに大切な人や出来事をいろいろともたらすであろう。

 「体験や考えを伝えられる機会」が残ったというは、少しおこがましいが、これからもいろいろ書き続けていきたいと思う。

2005年3月31日

大事なことは好き嫌いで決めたらいいのでは

 私はうつ病のとき、いろいろな人に「うつ病の時の判断は正常に出来ないから、重大な決定は避けたほうがよい」と言われた。たしかにその通りである。この重大な決定とは「会社と辞めるどうか」というものである。私の場合は、うつ病がかなり治りかけていた時点で、「会社を辞めよう」と決めた。その意味では、先の助言はとてもよかったと思う。

 今、私は経営コンサルとして独立している。独立は辛いことも多いけど、楽しいことはもっと多い。何と言っても経営者の喜ぶ顔が近くで見えるのは本当に嬉しい。世の中にはそんなに精神的に強い人はいないというのが、私の持論である。なかには、鉄壁の精神をもったすごい人に出会うこともある。しかし、そういう人は稀である。たいていの人は、悩みながら、苦しみながら、でも自分や家族、そして自分の周りの人間の幸せを願いながら生きている。経営コンサルとして、自分が少しでも支援できる人の近くにいることは幸せである。

 「うつ病の時の判断は正常に出来ないから、重大な決定は避けたほうがよい」という意見は正しいと思うのだが、結局のところ、自分の人生は「好きか嫌いか」のどちらかで決めたほうがわかりやすい気がする。うつ病の時は判断力が鈍るのは確かである。ならば判断は先延ばしというのはよく理解できる。しかし、うつ病が治ってくると、またいろいろな計算が働いて、損得勘定ができるようになってしまう。「・・・なってしまう」と書くとそれがいけないかのようだが、それは病気が治ってきた証拠でいいことである。ただ、損得勘定ができてしまうと、また「好きか嫌いか」という単純な判断ができなくなる。また、損得勘定ができるようになると、これまで家族に迷惑をかけたのだから、辛くても会社に戻ろう・・・、と考えてしまうかもしれない。家族が一番見たいのは、あなたの幸せな顔である。また、苦しそうにしている顔は絶対に見たくないと思う。

 損得勘定ができてしまうまで回復したのは幸せだと思ったほうがよい。中には苦しんだまま、その地獄から抜け出せない人もいる。ならば、そこまで回復して得た幸な時間を自分の好きな事に費やすとよい。人は、自分の好きなことをしているときは幸せな顔をする。それをこれまで、苦労を共にしてきた家族やみんなに見せてあげるのが、最高の恩返しであると、私は思う。 

2005年3月26日

「自分」の変わってはいけないところ、変わるべきところ

 「自分」を意識し始めたのは、人より遅いと思う。大学に入って一人暮らしをしてからであろうか。それまでは、「自分」というものを考えたこともなかった。それまで「自分」を考えなかったために罰が下ったのであろうか。社会人になってからは「自分」ってなんだろう、と考える毎日が続く。うつ病になってからは更に「自分」を見つめなおす日々が続く。前回書いたが、うつ病のときは当然回りも見えない。周りにつらい思いをさせただろう、と考えられるのは、少し「自分」が見えてきたからであろうか?

 俗な言い方だが「自分探しの旅に終わりはない」という。私もそう思う。なぜなら「自分」は変わらなくても周囲の環境は変わっていく。周囲の環境が変われば、また「自分」を見つめなおさなければならない。でも周囲に流されてばかりで「自分」が存在しないと、生きていくのはとても苦しい。流されて、苦しんでそれで一生が終わってしまうかもしれない。少なくとも、他人にうまく合わせて生きていく人は、出世(特に旧体制の企業)するのかもしれないが、幸せには見えない。「自分」というものはしっかり存在しながら、「自分」は変わらないといけないと、思う。そういう意味では、自分の変わらない部分をみつけるのが「自分探しの旅」の前半部分なのかもしれない。

 私は今経営コンサルタントとしているが、「自分」を見つけることと、「企業」の経営は似ていると思う。「企業」は環境適応業といわれる。日々変わる環境に合わせていった企業が生き残っている。しかし、生き残っている企業には、また「変わらない自分(専門用語だとコア・コンピタンス)」をもっていることも事実である。

 今の私は自分が大嫌いだ。よく自分を嫌いな人は他人も好きになれないという。しかしそんなことはなく、私には周囲に大好きな人が沢山いる。それでも、今の私は自分が大嫌いだ。いつか、自分の変わらなくてはいけない部分を変えることができ、「自分」を好きな自分になれる日がくるのだろうか。

2005年3月12日

「休む」ことは「回復」するための仕事である

 個人事業を始めてから、以前よりさらに悪い状況になったことがある。それは休めないということである。もちろん幸いないことに仕事があり、忙しくて休めないとという事もあるが、むしろ、精神的に不安で休めないほうが大きい。勤めていた時代と違い、やはりいつ収入がなくなるか不安はつき物である。仕事があるのなら、休むより仕事をしていたほうが安心してしまう。

 私の性格は個人事業に向かないのかもしれない。自宅を事務所にしていることもあるが、仕事のオンとオフの切り替えが非常に下手である。だいたい、朝の6時に起きるが、それからすぐ、仕事を始める。途中休憩をはさむが、酷いと夜の11時ぐらいまで仕事場にいることがある。

 そこで、最近は少し考えを変える努力をしている。「休む」事も仕事である。休まないと、当然仕事の能率は落ちてくる。好きな仕事をしているといっても、やはり知らず知らずのうちの能率は落ちてくる。能率がおちた状態で行った仕事は、品質が悪い。ならば、仕事の品質を上げるために「休む」のである。もちろん目的は「回復」である。

 自分の性格には、とても難しい仕事であるが、この「休んで回復」の仕事をする必要性を感じ、実践を始めているだけでも、少し前進している、ということなのだろうか。

 作家のダニエル・W・ジョセリンはこう言っている。「休息とは回復であり、何もしないことではない」今の私にはとても大切な言葉である。

2005年2月27日

どこかには、必ずあなたを必要とする人がいます

 最近の新聞にこんな投稿があった(日経だと思うが少し記憶が曖昧である)。「2年ほど前、激務からうつ病になり、薬と休息でとりあえずは直った。しかし、最近また忙しくなり、以前と同じく、うつ病の症状が表れてきた。そのため、上司に相談したことろ、『君は2年前もうつ病で仕事から逃げた。その時は薬で何とかしたようだが、今回も逃げれると思ったら大間違いだ。そんなに世の中は甘くない。何とか現実を直視し、頑張りたまえ』と、言われてしまった。どうしたらよいか?」という内容だった。

 この、後日談は新聞には掲載されていないが、確実にこの投稿者は以前よりも苦しいうつ病に悩まされていると思う。しかし、ここまで理解されていないのがうつ病の現実である。そのような上司が世の中には蔓延し、どんどん、うつ病患者を生み出していると想像できる。このような上司には何を言っても無駄だと思う。それは、その上司は心が強くて、決してうつ病にはかからないため、うつ病患者の気持ちを理解することは永遠にないであろう。そして理解が出来ないということは、「うつ病は単なる怠け者」にしか映らない。お互いが理解しあえる日はまず、来ないであろう。

 アメリカなどはうつ病に対しての理解度は高い。逆に「正確に仕事をこなすヒト」との評価もあると聞いた。残念ながらここは日本である。日本での自殺者は月曜日の朝が最も多いというデータが発表された。

 #苦しんでいる人へ・・・。「死ぬ」なんて考えないで下さい。日本でも確実にうつ病に対しての理解は深まっています。苦しかったたら「環境を変える方法」を考えてください。どこかには、必ずあなたを必要とする人がいます。

2005年2月18日

何をおいてでも、ゆっくり休んでください。

自分はいったい、どこにいるのだろう。これが、うつになった初期に感じた一番の疑問である。もちろん今では、目標に向かって進む気力がある。しかし、うつ病とは、その気力を無常にも奪ってしまう。以前うつになりかけの時、こんな文章を書いていた。


 今、自分の生きているはずの世界が、現実で無いように感じる。道を疾走する車、ビルの窓からみる風景、食事をする人々。これらは本当の世界なのか?それとも僕が作りだした仮想世界。父がだんだん弱っていき。やがて父は亡くなった。それが現実なのか?現実には思えない。自分で自分を傷つけている、確かに痛い。傷をつけた腕から、血がしたたり落ちて、床を汚している。これが現実なのか?僕はきっと自分の作った仮想世界にいるのだろう。

 だから、きっと道を疾走する車に飛び込んだとしても、ビルの窓より見える風景へ落ちたとしても、食事をとらなくても僕には関係無い、きっと箱庭の中で、1つの人形が壊れるだけだ。それは自分ではない。ならば、箱庭にいる僕に似た人は誰だろう? その人が壊れれば、僕も壊れるのだろうか?

 箱庭の中には僕に似た人がいる。その人が今、文書を書いていると思いたい。それは自分ではないと信じたい。なぜなら、腕を傷つけて血が滴り落ちる時、絶えられないほど痛い。そんな事を自分が自分でに対してするはずがない。そう、思いたいのだ。


 これは自殺願望に近いと思う。この頃、父を亡くした。癌だった。このころにこんな文章を書いている。やはり自分がおかしくなっていたようだ。


 父が亡くなって、ぽっかり胸に穴が空いたようだ。よく「そろそろおちつかれましたか?」と聞かれるが、この空虚感はまだ当分埋めれそうにない。父の使っていたものをみる度涙がでる。そして父に申し訳無い気持ち。安心させて、天国に送りだしたのに、現状の僕はメチャクチャだ。自分が何者か、自分がどこにいるのか、そもそも自分が現実世界に存在しているかもわからない。

 「自分探し」が一時期流行ったことがある。でもこれは結局無駄である。それは人は相手によって自分自身を変化させるためである。ただ、1つ言えるのは、自分はどこかに存在していていなければおかしい。さもなければ、悩まないし、苦しまない。この悩み、苦みから脱出するのは一生難しいかもしれない。それが耐えられないのなら、自分にはまだその勇気はなけど、自分で命を絶つしかないのではなかろうか? まだ今は冷静に考えられているので、自殺などしないだろう。しかし世の中全てに絶望したとき、どのような行動をとるかわかない。

 もし、あの世に行ったならば、お父さんにまた会えるだろうか? もし会えたら、まず、こう謝らなくてはいけない。「あなたの息子はここまでのつまらない人間でした。」 ちゃんと自分はまともな死に方ができるだろうか? 自殺せず、天寿をまっとうできるのだろうか? 最近、自信がなくなってきている。でも自殺すると、地縛霊になって、正常に亡くなった人と、死後同じ場所にはいけないと言われる。そんなくだらない事を信じることで、自分の気持ちを留めてくれている。


 生きていなければやりたいことはできない。今なら言える。心が疲れたならば、何をおいてでも、ゆっくり休んでください。